ノート:民部卿局 (崇源院の乳母)
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雁金屋出身説
[編集]民部卿局の出身が雁金屋というのは、取次が彼女だったという以外に理由があるのでしょうか? --119.239.72.231 2011年4月11日 (月) 15:49 (UTC)
- 雁金屋は、はじめ近江浅井家の縁戚でした。淀殿、お江、東福門院らの侍女の大奥は浅井家の縁戚が多いです。例えば淀殿付きの饗庭局、於江付きの海津局・近江局。また、東福門院付きの対馬局・出羽局もみな浅井家の縁戚です。それらのこともあって乳母となったのはまず間違いはないでしょう。民部卿局についてなにかご存知でしたら、御編集をよろしくお願いします。--121.2.152.158 2011年4月26日 (火) 08:15 (UTC)
- 雁金屋と浅井家、また江の姉妹や娘との関係について、否定するところではありません。しかし、それは「民部卿局が雁金屋出身の女性であった」ということとは繋がりません。
- 私は民部卿局の出自について特に情報を持っているわけではありません。そもそも彼女が江の側近であったことは間違いないと思いますが、彼女が江の「乳母」であるとしている史料をみたことがありません。茶々の乳母が大蔵卿局、千の乳母が刑部卿局ですから、「民部卿局」という名前を見て江の乳母ではないかと推測することは容易です。しかし彼女が江の乳母であると記されているものがない以上(少なくとも記事中では史料の存在について言及されていないように見受けられます)、根拠のない情報を断定的に書いてしまっては問題があるのではないかと考えます。また、彼女がどの時期から江に仕えたかもはっきりしないはずです。当時輿入れの際、「乳母」として側近の侍女が選ばれた例も見受けられますから、現代の感覚で乳母といえば生まれながらの授乳係、養育係と断定してしまうのは危険です。
- 雁金屋出身説についても同じです。「実家は雁金屋と伝わる」とありますが、この出典はなんでしょうか?雁金屋の由緒書かなにかが伝わり、そちらに記されているなら話は別ですが、もし推測に留まるならばこの表現はまずいのではないでしょうか。
- 記事を拝読する限り、史実ではなく2011年度の大河ドラマをベースに書かれてあるように感じました。--114.161.111.163 2012年2月14日 (火) 13:39 (UTC)