ノート:汎ヨーロッパ主義
矛盾する内容(要検証範囲タグにつき)
[編集]出典の明記タグ、要検証範囲、誰2、未検証タグを添付しました。出典も付与されていないのも問題なのですが、一見して分かる矛盾する内容が並べられて居ます。
>欧州(ヨーロッパ、オキシデント)には、近代以前からこの地域を一体的に捉える発想が醸成されてきた。
とあります。「一体」の例示として
>典型的には、中世における十字軍にそれを見出すことができる
とされて居ます。しかし「分裂」の例示が
>中世末期から近代にかけて、カトリックと正教会(の対立)
となっているのはどういうわけでしょうか。
十字軍の時には既にカトリック教会と正教会の分裂は確定しています。特に第四回十字軍は決定的です。さらに、十字軍の際には第一回の時から、現地の正教会の総主教を追放するなどしてラテン系の総大司教が置かれており、正教会との関係が悪化する決定的要因の一つとなっています。
「十字軍の時」に「一体性」を見出すと言うのであれば、「西欧の一体性」なら妥当です。
しかしその直後に、「正教とカトリックの分裂」を言っている。つまり「(東欧も含めた)欧州の一体性」を意識しているかのような文章。
矛盾です。「欧州の一体性」についての言及なのか、「西欧の一体性」についての言及なのか。どちらかを削除し、文章全体を出典を明示して整える必要があるでしょう。
おそらくは正教会は十字軍の被害者だという歴史的事実に無知な、「キリスト教対イスラム」の文脈でしか捉えていない一知半解の文章にしか接されなかった方による記事なのだと思われます(そういう書籍が日本には呆れる程多いので、記事執筆者個人を責めるものではありません)。
取り敢えず、上記矛盾については解決される必要があると考えます。--Kinno Angel(会話) 2014年1月25日 (土) 12:35 (UTC)
- もう一つ書き忘れました。
- >~の台頭により、この地域は急速に共通の基盤を失い、分裂・対立していくことになった
- とあるのですが、正教会とカトリック教会の分裂は最も遅くに見積もっても13世紀に確定(早くには9世紀という有力見解も)、宗教改革は16世紀(ウィクリフ、フス等を考えれば15世紀)に始まるわけですが、そこから最後に挙げられた「社会主義」(語彙の使用例が19世紀前半)まで、短くとも300年以上、長ければ1000年以上の年月があるわけです(そもそもこれらの「分裂要因の諸例」を「分裂要因」と事典において断定するのが適当なのかすらにも、せめて誰の見解に拠るのか明示すべきではとの疑問がありますが)。
- これだけの時間をかけた「~の台頭による分裂、対立」を、「急速に共通の基盤を失い」とするのは、あまりに年代について杜撰な把握と言えないでしょうか?(むしろこの文章案そのままであれば、「長い時間をかけて」とか「ゆっくりと」と表現するべきでしょう)
- これと同様の杜撰な把握をしている学者・作家・記者は結構居ますので、執筆者個人を責めるものではない事を重ねてお断りしますが、事典としてはこのような杜撰さは適当とは思えません。--Kinno Angel(会話) 2014年1月25日 (土) 12:59 (UTC)
未検証タグ
[編集]記事全体についても正確性に疑問を持ちます。
「リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーを嚆矢として1920年代から始まる」とありますが、そう一個人に帰されるように断言して良いものなのでしょうか?英語版(英語版も疑問が提出されているようですが)では19世紀に既に萌芽があるように記述されていますが。
本記事における宗教に関するあやふやな知識は前節に問題提起した通りですが、それほど宗教に明るく無い執筆者が、欧州統合の基盤を「キリスト教」と殊更に強調しているのも、何に根拠を置いているのか明示される必要があるように思います。--Kinno Angel(会話) 2014年1月25日 (土) 12:35 (UTC)