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ノート:江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書

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詔の呼称の出典と項目名変更について

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東京奠都ノ詔という呼称の出典が分かりません。出典が不明であれば、国立公文書館や法令全書のネーミングを尊重して、新たに「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔」を立項して内容を引越して、「東京奠都ノ詔」「東京遷都ノ詔」などの項はそこへのリダイレクトにするのがいいと思います。

詔勅には正式名称がないのが普通であり、この詔も正式名称がないようですので、名称はどうでもいいと思います。ただ、この詔に関しては通称を根拠に「東京奠都は遷都にあらず」説が存在し、その説自体は都市伝説として面白いのですが、ウィキペディアとしては如何なものかと思いますので、項目名を改めたほうがいいと思うのです。どうでしょうか。俊平太郎 2006年3月20日 (月) 11:30 (UTC)[返信]

そうですね。新項目を建てることに賛成です。出典は中野文庫の法令名なので、通称だと思います。あと、法令全書での呼称ですが、「・・・ノ詔書」だと思うのですが、いかがでしょうか。参照:法令全書[第1冊]イロハ別索引--MIsogi 2006年3月20日 (月) 13:07 (UTC)[返信]
法令全書での呼称はご指摘の通り「…ノ詔書」ですね。私の早とちりでした。本文も修正しました。すると、公文書館の「…ノ詔」と法令全書の「…ノ詔書」とで名称に微妙な違いがあるのですが、新しい項目名はどちらがいいでしょうか? 公文書館のは保管上の件名に過ぎないようであり、公刊されている法令全書のほうが公式っぽい感じがしますので、「…ノ詔書」がよいようにも思えます。どうでしょうか。俊平太郎 2006年3月20日 (月) 14:26 (UTC)[返信]
特に異論がないようなので、法令全書に従い「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」に項目名を変更したました。俊平太郎 2006年3月28日 (火) 09:09 (UTC)[返信]

江戸改称と奠都の起点

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東京への改称は矢張り7月です。詔ではっきり「自今」(今から)東京と称すると述べています。 新芽さん御指摘の『大政紀要』の28頁でも「七月。江戸ヲ改メテ東京ト為シ。江戸府ヲ改メテ東京府ト称ス。」とあって、同19頁の「十月、天皇、東京に臨幸ス。」に続く「是ヨリ先、江戸ヲ以テ東京トス。江戸城ヲ以テ皇居トス。」は割注の部分なので、「東幸→江戸改称。同時に江戸城を皇居化」という意味ではありません。江戸改称は7月で江戸城の皇居化は10月です。

一方の「皇居を定める即ち奠都」という理解はなるほどという感じがしました。(ただ厳密には親政の起点が示されているだけで、入城=奠都とは明言していないので、改称を奠都と言っている可能性もありますが。)--Ganman 2007年10月20日 (土) 17:38 (UTC)[返信]