ノート:江東楽天地
日本においてPDである画像の除去について
[編集]URAAを根拠に記事に掲載された画像の除去が行われていますが、そもそもFile:Honjo Eigakan 1967.jpgのように 日本国内でしか刊行されていない公刊物の著作権は、保護期間の長い他国においても日本の著作権保護期間が適用されますので、この処置は適正でないと存じます。とりあえず差し戻しをしてしまいましたが、本件の他にもあるようですので、ノートに記載しました。著作権保護の例外規定をご確認ください[1]。--漱石の猫(会話) 2022年6月20日 (月) 00:25 (UTC)
- コメント - コメントありがとうございます。しかしながら、漱石の猫さんの解釈は米国が相互主義を採用していないという観点が抜けています。知の財辞苑にある記事内容と『著作権の保護期間における相互主義を対応させると、「自国の国民に与える保護と同等の保護」というのが『内国民待遇』、「当該他の加盟国に対し、当該加盟国の保護期間を採用する」というのが『相互主義』に相当します。
- 日本や米国が加盟するベルヌ条約には『内国民待遇』と『相互主義』の例外の両方が含まれていますが、『相互主義』の適用は義務付けられておらず、米国は相互主義を採用していません。米国は同条約に加盟する際に紆余曲折があり(ウルグアイ・ラウンド協定法#著作権の回復を参照)、結局、ウルグアイ・ラウンド協定法によるベルヌ条約の履行が開始された1996年1月1日を基準に、それ以前に「著作物の本国」で著作権失効していたものはパブリックドメイン、その時点で「著作物の本国」で保護期間にあったものは(相互主義ではないため)「米国基準の保護期間」で改めて保護されることになりました(著作権の回復)。
- 旧著作権法による保護期間満了: 1946年12月31日以前撮影、または1956年12月31日以前公表(1970年12月31日以前に失効・{{PD-Japan-oldphoto}})
- 匿名・変名・団体著作物による保護期間満了:公表後50年(1967年以前)/公表後70年(1968年以降)/公表後95年(米国)
- 2018年12月30日に日本法改正。1967年撮影・公表(1968年起算)までは2018年1月1日満了となり50年、翌年影・公表からは70年に延長。
- ウルグアイ・ラウンド協定法による回復: 1996年1月1日時点で日本国内で保護期間が満了していない場合(同年以降は米国基準の保護期間)
- 保護期間の起算は撮影・公表年の翌年から(例:1955年1月1日撮影、8月1日撮影、12月31日撮影 → いずれも1956年より起算)
団体著作物の保護期間 起算年 … 1944年 1945年 1946年 1947年 … 1955年 1956年 1957年 … 1966年 1967年 1968年 1969年 1970年 … 日本基準満了 … 1994年 1995年 1996年 1997年 … 2005年 2006年 2007年 … 2016年 2017年 2018年 2039年 2040年 … 米国基準満了 … 2039年 2040年 2041年 2042年 … 2050年 2051年 2052年 … 2061年 2062年 2063年 2064年 2065年 …
- 色付きがウルグアイ・ラウンド協定法(URAA)による満了年基準。
- : 旧著作権法基準(1946年12月31日以前撮影)につき{{PD-Japan-oldphoto}}適用可能
- : 旧著作権法基準(1956年12月31日以前公表)につき、該当する場合は{{PD-Japan-oldphoto}}適用可能(該当しない場合はコモンズ投稿不可)
- : 米国基準年が満了するまでコモンズ投稿不可
- ウィキメディア・コモンズは米国と「著作物の本国(今回の場合は日本)」の両国でフリーな素材しか受け入れていません。また、ウィキペディア日本語版もウィキメディア財団のライセンス方針によれば米国(と、この言語版であればアクセス数が多いと予想される日本)の法に従う必要があり、「米国法下で著作権が継続している」という状態を無視することが出来ません。しかし、米国ではフェアユースという抜け道があります。フェアユースはコモンズで受け入れられていないので、コモンズにアップロードできない事に変わりはありません。しかし、ウィキペディア日本語版に限れば「日本法では著作権フリー」&「米国法では著作権があるがフェアユース扱い」という形に持ち込めます。そのためのルールがWikipedia:日本で著作権が消滅し、米国で著作権が消滅していない画像の利用方針(WP:URAA)なのです。
- WP:URAAはすべての利用者が従うべきだと考えられる「方針」です。現在のウィキペディア日本語版は同ページに書かれた解釈に基づき画像の運用を行っています。今回除去し、アップロード者にも問い合わせている画像群はこの方針に抵触するデリケートな画像です。もしこの運用に異論がある場合、この記事に留まらない影響が出ますので、一度方針のノートページで提議した方が良いかと思います(本件も本来なら記事自体の主題ではないので、アップロード者か漱石の猫さんの会話ページで説明する予定でした。ただまあ本記事の場合は3画像制限をオーバーしてて掲載する画像を選別する必要があることから、まったく無関係な話題でもなかろうとこの場所を選びました)。--ButuCC+Mtp 2022年6月20日 (月) 09:45 (UTC)
- 解説ありがとうございます。一定、理解はしました。しかし、ややこしいですね……いくつかの情報を確認しないと、これが適切な方針なのか、私には判断が付きかねます。おっしゃられている基準を厳密に適応するなら、昭和戦後の画像は当分の間記録に残すこともできず、廃れゆく地域のローカル情報など、その基準でアップロードできる頃にはアップロードできる者がいなくなってしまうでしょう。それは、全人類のために半永久的に記録を残すというWikimediaの理念と合致しているのでしょうか? 既存の方針は順守すべきものという理念は理解しますが、方針に問題があるのであればその改訂にむけての議論が必要という、たいへんややこしく長期の議論が必要ということでしょうから、もう少し自分でも調べてみて、余暇をみて対応を検討します。ひとまず、丁寧なご対応をいただき、ありがとうございました。--漱石の猫(会話) 2022年6月20日 (月) 11:42 (UTC)
- それは私も実感しています。私が主に活動している名鉄関係も戦後より戦前の方が画像は収集しやすく、60年代初頭くらいまではWP:URAAに則って日本語版にローカルアップロードすれば何とかなりますが、70年代以降は当時撮影された方の投稿を待つしかない感じです。もっとも、これは「方針の問題」ではなく「法律の壁」であり、我々日本語版ウィキペディアコミュニティがどうにかできる話ではないでしょう。ウィキペディアは百科事典を作るプロジェクトですので、画像の収集は本道ではありません。それをやっているのがコモンズですが、こちらは「誰でも自由に利用できる」ことを理念としている以上、権利違反の画像が理念と合致しないのは仕方がありません。個人名義だともっとフリーの範囲は狭いですし、Wikipedia:屋外美術を被写体とする写真の利用方針など他にも制約はあります。そう考えると、団体名義関連はまだ道が開けている方だと私は思います(私がこれまでWP:URAAを活用して日本語版ローカルにアップロードできた画像はだいたい団体名義ですね)。--ButuCC+Mtp 2022年6月20日 (月) 12:51 (UTC)
- Wikimedia Commonsには米国の法が適用されるから載せられないという点は、とりあえず理解しました。しかし、米国の法だけの問題であるなら、なぜWikipedia日本語版のローカルアップロードにも画素数や枚数の制限が必要なのでしょう? 百科事典は文章での解説を基本とはいえ「具体的に理解を助けるために挿画、地図、写真、図、表などを添えて」と『日本大百科全書ニッポニカ』の解説にもあるとおり、画像も必要とされているのです。画像収集が本道ではないとはいえ、法に拠らない制限によって、項目の十分な解説手段が取れないのは、やはり不当に思えてしまいますね。--漱石の猫(会話) 2022年6月20日 (月) 14:34 (UTC)
- 条件1(解像度)や条件5(枚数)はEDPの利用は最小限に留めなくてはならない(ウィキメディア財団のライセンス方針、決議3)、に基づくものですが、具体的な数値や数の規定は過去のコンセンサスによって形成されたものでしょうね。この辺りは本方針より先に作成されたWP:FOPを雛型にしているようです。どちらも日本語版におけるEDP(権利制限法理の適用方針。フェアユースと同じく「(米国)著作権に抵触するが“公正な利用”と言える最低限の使用を許容する」という精神に則ったプロジェクトにおける例外)として投稿可能にするべく議論されたものです。全く異論を挟む余地がないわけではなさそうなので、一石投じる価値はあるかもしれませんね。自分は枚数に関しては困ることも時々ありましたが、解像度に関しては元々原寸ママに記事に表示させること自体が稀で、ほとんどの場合は結局縮小表示することになりますから、現行の制限に特に異論はありません(画像ファイル単体での参照目的だとEDPの「最小限」から逸脱しますので、記事に表示させるサイズでの品質が確保されれば十分、となる)。--ButuCC+Mtp 2022年6月20日 (月) 15:36 (UTC)
- 問題は2点あるようです。(1)記事によって規模が大きく異なるところを一律に3枚とするのは本記事のように各項目1枚も認められないものがあるという点で最小限にも満たないと考えられますので、例えば1,000バイトあたり1枚といった記事の規模による基準のほうが適切ではないかということ、(2)現時点でWikipedia日本語版に関連記事がないものの、今後必要となるかもしれない画像をストックしておく場所が無いということ、です。例えばWikipedia日本語版のなかに、日本においてはPDであるものの現時点ではCommonsにアップロードできない画像についてストックしておく場所があり、米国における著作権保護期間を満了した時点で自動的にWikimedia Commonsに移行されるようなシステムがあれば良いなと思いました。「Category:1967年京都府画像」みたいな年と地域別にローカルアップロードした画像だけをストックしていくCategoryとかがあるとよいのかな?とか、ちょっと思いつきました。標準名前空間以外のことはあまり把握していないので、どこでどうしていくのが一番良いのか、他の方々のお考えもうかがいたいところですが。
- ともあれ、ButuCCさんのお話をうかがって、今後進めていくべき議論の方向性が見えてきました。ありがとうございます。--漱石の猫(会話) 2022年6月21日 (火) 09:04 (UTC)
- 条件1(解像度)や条件5(枚数)はEDPの利用は最小限に留めなくてはならない(ウィキメディア財団のライセンス方針、決議3)、に基づくものですが、具体的な数値や数の規定は過去のコンセンサスによって形成されたものでしょうね。この辺りは本方針より先に作成されたWP:FOPを雛型にしているようです。どちらも日本語版におけるEDP(権利制限法理の適用方針。フェアユースと同じく「(米国)著作権に抵触するが“公正な利用”と言える最低限の使用を許容する」という精神に則ったプロジェクトにおける例外)として投稿可能にするべく議論されたものです。全く異論を挟む余地がないわけではなさそうなので、一石投じる価値はあるかもしれませんね。自分は枚数に関しては困ることも時々ありましたが、解像度に関しては元々原寸ママに記事に表示させること自体が稀で、ほとんどの場合は結局縮小表示することになりますから、現行の制限に特に異論はありません(画像ファイル単体での参照目的だとEDPの「最小限」から逸脱しますので、記事に表示させるサイズでの品質が確保されれば十分、となる)。--ButuCC+Mtp 2022年6月20日 (月) 15:36 (UTC)
- Wikimedia Commonsには米国の法が適用されるから載せられないという点は、とりあえず理解しました。しかし、米国の法だけの問題であるなら、なぜWikipedia日本語版のローカルアップロードにも画素数や枚数の制限が必要なのでしょう? 百科事典は文章での解説を基本とはいえ「具体的に理解を助けるために挿画、地図、写真、図、表などを添えて」と『日本大百科全書ニッポニカ』の解説にもあるとおり、画像も必要とされているのです。画像収集が本道ではないとはいえ、法に拠らない制限によって、項目の十分な解説手段が取れないのは、やはり不当に思えてしまいますね。--漱石の猫(会話) 2022年6月20日 (月) 14:34 (UTC)
- それは私も実感しています。私が主に活動している名鉄関係も戦後より戦前の方が画像は収集しやすく、60年代初頭くらいまではWP:URAAに則って日本語版にローカルアップロードすれば何とかなりますが、70年代以降は当時撮影された方の投稿を待つしかない感じです。もっとも、これは「方針の問題」ではなく「法律の壁」であり、我々日本語版ウィキペディアコミュニティがどうにかできる話ではないでしょう。ウィキペディアは百科事典を作るプロジェクトですので、画像の収集は本道ではありません。それをやっているのがコモンズですが、こちらは「誰でも自由に利用できる」ことを理念としている以上、権利違反の画像が理念と合致しないのは仕方がありません。個人名義だともっとフリーの範囲は狭いですし、Wikipedia:屋外美術を被写体とする写真の利用方針など他にも制約はあります。そう考えると、団体名義関連はまだ道が開けている方だと私は思います(私がこれまでWP:URAAを活用して日本語版ローカルにアップロードできた画像はだいたい団体名義ですね)。--ButuCC+Mtp 2022年6月20日 (月) 12:51 (UTC)
- 解説ありがとうございます。一定、理解はしました。しかし、ややこしいですね……いくつかの情報を確認しないと、これが適切な方針なのか、私には判断が付きかねます。おっしゃられている基準を厳密に適応するなら、昭和戦後の画像は当分の間記録に残すこともできず、廃れゆく地域のローカル情報など、その基準でアップロードできる頃にはアップロードできる者がいなくなってしまうでしょう。それは、全人類のために半永久的に記録を残すというWikimediaの理念と合致しているのでしょうか? 既存の方針は順守すべきものという理念は理解しますが、方針に問題があるのであればその改訂にむけての議論が必要という、たいへんややこしく長期の議論が必要ということでしょうから、もう少し自分でも調べてみて、余暇をみて対応を検討します。ひとまず、丁寧なご対応をいただき、ありがとうございました。--漱石の猫(会話) 2022年6月20日 (月) 11:42 (UTC)
(追記)法改正の適用タイミングについて間違いがありましたので表を修正しました。年しか書いてなかったので紛らわしかったのですが、1967年までは翌年起算にしてもその年の1月1日が満了日で、同年12月30日の法改正前に失効していることになるので、この年までが50年でした。--ButuCC+Mtp 2022年6月23日 (木) 17:12 (UTC)
- お知らせありがとうございます!とても勉強になりました。--漱石の猫(会話) 2022年6月24日 (金) 09:12 (UTC)
報告 アップロード者と連絡が取れました。今回、件の画像についてはURAA版を作成せず撤収することにされたようなので、本記事におけるWP:URAAにもとづく3数制限については(連絡が取れる前に私が代行投稿した)江東劇場、本所映画館の2枚を使うことで決着となりそうです。当初、この記事にこの2枚を貼らなかったのは、個別記事のあるそれらよりも別の画像を使った方が3枚枠の有効利用になると考えていたからでした。今後もし選択肢が増え選択に迫られた場合、個別記事に貼ることができる江東劇場、本所映画館の2枚は他に枠を譲った方が総合的には有効利用できる画像が増えることになるため、そちらの方が良いかと思います。--ButuCC+Mtp 2022年6月25日 (土) 14:44 (UTC)