ノート:沖縄戦/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
過去ログ1 過去ログ2

「日本国内唯一の地上戦」という表現について

「第二次世界大戦における、日本国内での唯一の地上戦である。」という表現は「民間人を巻き込んだ」としないと不正確だと思われます。硫黄島の戦いや樺太、終戦後の占守島攻防など、いくつかの「日本国内」での地上戦が存在します。
61.210.34.138 06:35 2004年5月21日 (UTC)

「日本国内」は、正しいとは言えませんね。このため、「民間人を巻き込んだ」も加えてた表現を使う場合も多いようですが、これですら必ずしも正しくないとの指摘があります[1][2]。「第二次世界大戦」「国内」「本土」「民間人」といった単語の範囲も、定義上もしくは一般常識のみのよる読解上で曖昧だったりして、正確に書くなら、この手の書き方はあきらめた方がいいかもしれません。「第二次世界大戦における、日本国内での唯一の地上戦である。」という表現は、認識不足の場合も多いでしょうし、「多くの場合日本国内と認識されている地域の中で」という意味かもしれません。離島などの戦闘と比べて、特に民間の被害が大きかったことなども原因にはあるかもしれません。「第二次世界大戦における、民間人を巻き込んだ日本国内での唯一の地上戦であるとも言われる。」と書いて、別途これらの表現について詳述するのもいいかもしれません。 Kozawa 07:20 2004年5月21日 (UTC)

とりあえず当該部分を「第二次世界大戦における、日本国内で民間人を巻き込んだものとしては最大規模の地上戦である。」としておきました。サイパンや硫黄島、樺太といった主要な地上戦地帯についての言及は、節を立てた方が良いかもしれません。
61.210.199.237 00:19 2004年5月22日 (UTC)

「馬乗り攻撃」におけるガス弾使用の有無

「アメリカ軍は、少しずつ前進しながら壕を発見し、毒ガスや手榴弾、火炎放射器を使って1つずつ壕を全滅させて南下を続けた。」の文章について。
太平洋戦争における米軍の化学兵器使用については、アメリカは公式に認めたことはなかったと記憶しています。もっとも、沖縄を含むいくつかの戦場で化学兵器が使われたのではないかとの疑いがあることは知っていますが、現状では「説」以上のものではないと思われます。
そのような見地から、上記の文章から「毒ガス」を消去して、「アメリカ軍は、少しずつ前進しながら壕を発見し、手榴弾や火炎放射器を使って1つずつ壕を全滅させて南下を続けた。」にしておきました。
218.217.119.140 12:55 2004年5月22日 (UTC)

化学兵器に関する記述は複数の日本側の記述に出てきます。すぐに手元で出てくる資料では、『知っておきたい沖縄』(歴史教育者協議会)26節で、「ガス弾」という記述があります。この節には(吉浜 忍)という署名がありました。『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』(仲宗根政善)では、1945年6月19日、陸軍病院第三外科壕に対してガス弾が使用されたという記述があります。記述者は当時第三外科壕にいた大城好子と山城信子、守下ルリ子、金城素子、座波千代子です。守下は、誰かがガスだ、と叫ぶのを聞いた、という記述を残しており、白い硝煙を見たというのは全員の記述で一致しています。また、金城は黄燐弾の青い火も見たという記述もしています。Modeha 13:59 2004年5月22日 (UTC)

これらの文言から、米軍側が化学兵器を使ったと断定するのはかなり困難です。証拠性が低すぎますし、証言の検証ができていません。
これらの証言にあるガス(化学兵器?)の種類が特定できるような物証、あるいは米軍の公文書なり、米兵の証言なりはありませんか。
218.217.119.140 15:01 2004年5月22日 (UTC)

米軍が言っているかどうか、は、複数の記述がある以上、特に重要ではないのでは? もしあったとしても、米軍の公文書だって証拠性は低いですよね。少なくとも沖縄戦に関しては、日本側とアメリカ軍側の(戦闘の)日付などの記述が食い違っていて、どちらが正しいのかいまだにわからない、というのもかなり多くあるようです。ガス弾を使用した、という米軍の公文書がない、という根拠とか、(米兵の)「使っていない」という証言とかがあれば、そちらも知りたいです。米兵の記述で日本語に訳されているものとかも多少はあるみたいですが、兵器名とか細かく書いたものはちょっと見た記憶がありません。(そんなに詳しいわけではないのですいません)また、第三外科壕に対してガス弾が使われた、という記述に対して、はっきりと否定するアメリカ側の記述とか、出ますでしょうか? 少なくとも日本(沖縄)では、半世紀も前から陸軍第三外科壕に対してガス弾が使われた、という記述は繰り返して引用されてますが、明確な反論はそう多くはなかったようですが。Modeha 15:20 2004年5月22日 (UTC)

追記:ためしに、沖縄戦 ガス弾でgoogleで検索をかけてみましたが、少なくとも日本語のwebでの記述では、沖縄戦でアメリカ軍がガス弾を使ったというのは一般的な常識として語っているサイトがほとんどでした。また、ガス弾は、少なくとも5月25日ごろと6月20日ごろにも使用されているようです。ヒット数が膨大で全部は確認できていませんが、アメリカ軍側が否定した、という記述も見当たりません。5月25日ごろに使われたガス弾は神経弾か何かのようで、ガスを吸った女学生は神経をおかされ、物忘れがひどかったようです。ただしこの女学生2名は6月19日に再度ガス弾の攻撃を受けて死亡しています。(『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』、久田祥子の記述による)神経ガスということなので、塩素か何かでしょうかね。佐久川ツルも、(5月25日ごろの)ガス弾攻撃を受けた女学生は白痴のようだったという記述をしています。ただ、当時国際法でガス弾使用は禁じられていましたので、当時のアメリカ軍の表向きの公文書とかには出てこないかもしれません。Modeha 16:04 2004年5月22日 (UTC)

追記:ガス弾が使われたという記述のある公文書(日本側の作成)は見つかりました。『沖縄の歴史と文化』(沖縄県教育委員会、2000年)で、沖縄戦について記述した44ページにガス弾という記載があります。

悪魔の証明」を求めないで下さいね。立証責任は「ある」と言う側が負わねばなりません。
問題にしているのは記事の正確性です。今回のガス弾については、現在の資料では米軍による使用を断言できません。特に沖縄の日本軍が化学兵器を持っていた関係上、本当に米軍が意図的に使ったものなのか、日本軍の化学兵器が米軍の攻撃で流出したものではないのか、などが検証されなければいけないからです。それゆえに、米軍側の資料を重視しているのです。
同意いただけませんでしょうか。
その点が明らかにできないのならば、「ガス弾が使われたという複数の証言もある」くらいがせいぜい妥当な表現ではないかと思います。
220.145.57.93 05:42 2004年5月24日 (UTC)

IPが変わってますが同じ方でしょうか? もし今後も論議されるのでしたら、IPが変わらない環境に変えるか、ログインして参加されることをお勧めします。表現が悪かったのかもしれませんが、私が求めているのは、悪魔の証明ではなく、「日本では沖縄戦でアメリカ軍がガス弾を使ったと一般に言われているが、では、アメリカ側がそれを明確に否定したことはあるのか?」ということです。これならば、反論した公文書なり口頭での発表なりを1つだけ見つけていただければいいので、アメリカ軍に関する全部の記述を調べていただく必要はありません。ので、悪魔の証明にはなりません。私も念のために上記のようにgoogleで調べましたが、そもそも「アメリカ軍は反論した」という記述が1つも見つかりませんでした。調べ方が悪かったのかもしれませんが。もし、反論があり、それがアメリカ軍の公文書で確認できるか、きちんとした研究者が唱えたものならば、もちろん本文中に記述することに異論はありません。ただし、日本側ではガス弾が使われた、というのは、公文書にも載るほど一般化していますので、「現状では「説」以上のものではないと」というのは言いすぎだと思います。公文書に載っていますので、「ガス弾が使われたという複数の証言もある」という文章も大いに問題があるでしょう。どうしてもというのでしたら、「アメリカ軍は使用したことを認めていないが、沖縄県の公文書や複数の証言によれば、ガス弾も使われた。」にすべきです。(もちろん、この表現は、アメリカ軍の公式の反論が見つかった場合に限りますが)

大城らの記述は、まず米兵から投降の呼びかけがあった後にガス弾が打ち込まれた、という記述です。(「この文言からは」とおっしゃられていますが、そもそも、お読みになった上での反論でしょうか?)実際的に考えて、そもそも日本軍が末期の6月19日までガス弾を残していたのか(残せたのか)はかなり疑問ですし、友軍である第三外科壕に向けて日本軍がガス弾を打ち込むというのは考えにくいです。また仮にそういう可能性が高いのでしたら、21世紀になるまでには誰かがそれを指摘しているでしょう。いずれにしても、アメリカ軍はガス弾を使わなかった、という説を唱えたひとは皆無に近いようなので、それはわざわざ百科事典の項目内に書く必然性は感じません。そこまで言うと、地動説を信じていない者もいる、相対性理論は嘘だという意見もある、という記述までそれらの項目内に盛り込まなければなりません。Modeha 06:51 2004年5月24日 (UTC)

訂正。米兵の投降の呼びかけの声を聞いたのは、大城ではなく、守下ルリ子でした。大城の記述には出てきません。ただし、当時は学年によって手前にいた学年と奥にいた学年がありましたので、聞いたという記述がなかったことが、投降の呼びかけがなかったという証拠にはなりません。記述によれば、ガス弾が投げ込まれる直前に、アメリカ兵がいる、と叫んだ者もいたそうです。Modeha 07:09 2004年5月24日 (UTC)

「アメリカは公式に認めたことはなかった」を「アメリカ軍は反論した」に読み替えた上に話を進められても困ります。それから米軍がガスを使用しなかったとも、このノートには記述されていません。「日本軍がガス弾を打ち込む」というのもあなたの読み替えですね。
ちゃんと論議する気があるのでしたら、この手の読み替えはなさらないことをお薦めします。
218.226.101.195 13:51 2004年5月24日 (UTC)

すいませんが後半何をいいたいのか理解不能です。なんとか意味のわかる前半部分について述べますが、そもそも、アメリカ軍が「認めた」という記述も「認めていない」という記述も(私の調べた限り日本語では)見つからないので、あなたの主張する「認めていない」という部分が、果たして信用に値するものなのか判断できません。とにかくそれがあなたが単にそう思っているだけだ、というのではなく、百科事典に載せてしかるべきな、ごくごく一般的な説であるという根拠を出してください。たとえば戦史については定評のあるアメリカの研究者がアメリカ軍の武器についてさまざまな記録を調べたが、ついに沖縄戦でガス弾が使われた、という公式の記録は一つも見つけることができなかった、というようなものでもかまいません。

後半部分は何をおっしゃりたいのかよくわかりませんが、それ以前の文章が正確に私に伝わってないのかもしれません。どちらにしても意識的に読み替えなどはしていません。あなたが、私の提示し文献を明らかに全くお読みにならないでコメントされたということがわかったので、考えられる限りで、その他のガス弾が使用されそうな状況について記載したまでです。また、「それから米軍がガスを使用しなかったとも、このノートには記述されていません。」という部分も私にとっては理解不能です。これは、あなたがアメリカ軍はガス弾を使わなかったなどとは言っていない、という意味でしょうか? また読み替えだと思われるのは困るので、できればこの2つの部分について、もう少し何をおっしゃりたいのか詳しく説明してください。互いに発言内容に誤解があるようでしたら、両者が互いの発言内容を理解できてから次の話題に移ることにいたしましょう。ところで、相変わらず固定IPでなく、ログインもされていないようですが、さきののべお二人のIPユーザーの方と同一の方でしょうか?さきにお勧めしたとおり、論議を続けるおつもりでしたら、ログインされることをお勧めします。(そうでないと、あなたのふりをした別人が発言されても私のほうが識別できません)

また、私のその他の指摘については検証していただけたでしょうか? Modeha 14:43 2004年5月24日 (UTC)

アメリカ側では、ジョージ・ファイファー『天王山』という沖縄戦の戦記がありました。非常に大著なので全文を見てはいませんが、この文献でもやはりガス弾の使用の有無についてははっきり書いてありません。ただし、日本側の守下ルリ子の記述は引用されていて、ガス弾とは黄燐手榴弾のことだろう、という、著書の注釈が書き加えられています。ただし、金城素子は、黄燐弾が最初に2発投げ込まれ、3発目がガス弾で体がしびれた、という記述を残しています。守下は奥にいた(という記述もあります)ので、恐らく投げ込まれる瞬間は見ていません。久田祥子、佐久川ツルもガス弾(かどうかははっきりしないが、ガスの被害を受けたとみられる)の患者を目撃しており、すぐに入手できた資料だけではガス弾の正体がやはりはっきりわからなかったため、若干の書き加えをしておきました。Modeha 06:11 2004年5月28日 (UTC)

当事者が公式に認める発言をしていないことをもって証拠不十分というのはいささか無理があるように思います。当事者が認めていなくても事実と認定されている事象はあまりにも多いです。認める発言をしていないのだけではなく、もし、公式に否定しているなら証拠不十分とするに大きな条件の一つとはなるでしょう。Modehaさんとしては、誰がどういう指摘をしているか、誰がどういう事実認識をしているか、から調べようとされていると思います。たしかに、各文献が、どれだけの証拠に基づいて、どれだけの専門知識に基づいて、それを事実として記述しているか私にはわかりかねますので、Modehaさんの挙げている書籍の信憑性について私には論評しかねますが、逆に「アメリカは公式に認めたことはなかった」などの理由をもって「使っていないかも知れない」という指摘を信憑性のある立場だれかにより示されているのでなければ、わざわざ、Modehaさんの指摘を証拠不十分として扱う理由はないと考えます。IPの参加者さんには、自説の論拠となるなんらかの資料を提示されたり、Modehaさんの質問に回答されると、建設的な議論が出来ると思います。 Kozawa 07:30 2004年5月28日 (UTC)

米国はガス弾を使用していないのではないかと思います。 米軍の馬乗り攻撃は煙幕弾を利用した戦術です。一般的には煙幕が使われます。 実際にひめゆりの塔も見学し、該当文章も拝見しましたが、ガス弾だとすると被害が小さすぎると判断します。 煙幕でも有害なものはありますが、ガスがつかわれていたとしたら壕内はほぼ全滅しています。 そもそもの手記の記述者の勘違いであると思いますが。 --Edoo 2006年7月12日 (水) 04:44 (UTC)

「予備的エピソード」の部分について

米軍統治については戦闘の名称としての沖縄戦の項目にはふさわしくないと判断し、コメントアウトしました。もし米軍統治下の沖縄のことについて記載する場合は、沖縄琉球列島米国民政府の項目がふさわしいかと思います。私がコメントアウトした部分では沖縄でアメリカドルが使われたことになっていましたが、実際には日本円が使われていた時代、B円が使われていた時代も存在します。記述の内容について明確でない部分があるため、私が移動することはしないでおきます。Modeha 03:17 2004年6月2日 (UTC)

事実であるか疑わしい記述

「守備軍の壊滅」の段落に【「アメリカ兵より日本兵の方が怖かった」とは、生存者大多数の共通認識であった。】と言う記述がありますが、これはちゃんとした調査結果等に基づいた事実なんでしょうか?態々「アメリカ兵より日本兵の方が怖かった」の部分を強調してるのですから、それなりの根拠はある筈だと思いますが如何なんでしょう?○○○マン 2005年5月26日 (木) 06:51 (UTC)

書いた当人ではありませんが、確か、殺された者にとっては日本兵よりアメリカ兵のほうが怖かったはずなのでこれは中立的な表現ではないというような意見もあるようなので(すいませんがどこで読んだのかは忘れました)そういうふうに書き足しました。あと、ついでですが、戦闘終了日が9月7日になっていましたが、大本営は6月25日に組織的戦闘の終了を発表していますので、これ以降の散発的なものに関しては組織的な戦闘とはとてもいえないと思いますので、一応、よくいわれる6月23日に直しました。

「アメリカ兵より日本兵の方が怖かった」とは、生存者大多数の共通認識であった。】という記述について 投稿者としてコメントさせていただきます。この話は実際に沖縄戦を生き残った生存者の方々から、実際に私自身が聞き取った内容から抜粋したもので、決して誇張ではありません。あえて「生存者大多数」と表現していることを考慮していただきたいと思います。 また、沖縄戦の終結に関しては、司令官自決の日、大本営の戦闘終了発表、米軍の戦闘終結宣言、そして降伏文書の調印と、解釈によってどれとも判断できるものがいくつかあります。前沖縄県知事の大田昌秀氏は、降伏文書の日(9月7日)を沖縄戦終結の日とされています。よって、解釈には複数の考え方があると記載するのが好ましいかと思います。--Kyoai@tau 2005年6月15日 (水) 14:22 (UTC)

「生存者の多くが「アメリカ兵より日本兵の方が怖かった」などと述べているが、これにはアメリカ軍に殺害された者の意見が含まれていないため、中立的な表現ではないという指摘もある。」と敢えて記述するのであれば、当然に「日本兵により殺害された者の意見」も含めなければならなくなり、むしろ客観性を欠くことになるかと思います。 以上の署名の無いコメントは、219.176.86.35(会話履歴)氏が[2005-07-23 16:07:41]に投稿したものです

失礼ながら、実際に聞き取ったということですが。 調査対象の数、実際に得られた証言の全文を具体的にいくつか、どのような設問を用いて質問したかを列挙していただけますでしょうか。 実際に聞き取ったというだけでは客観性にかけると思います。誘導尋問かと疑っているわけではありませんが、あくまで 客観的であるとするならば、調査方法を公開するべきだと思いますが…。 --Edoo 2006年7月12日 (水) 04:47 (UTC)

それ以前の問題として、Kyoai@tauさんのその調査はどこかで発表(公刊)されたり、査読を経たりしたものなのでしょうか。そうではなく、誰にでも確認可能であり・権威あるものと認められた論文・報告等になっていないのだとすれば、失礼ながらWikipediaの基本方針に反した加筆と考えなければなりません(検証可能性参照)。--ikedat76 2006年7月14日 (金) 10:24 (UTC)
WP流儀に従って要出典 を張っていく手続きが適してそうですね。 -- Kano 2007年7月15日 (日) 11:54 (UTC)

他言語版の記事

さとうきび畑の記事を書いたのをきっかけに、他言語版の「沖縄戦」をのぞいてみました。そうしたら、ドイツ語版(de:Schlacht um Okinawa)が現地で「秀逸な記事」に選ばれたそうです。図表が13枚ありました。「これがさとうきび畑か…?」と想像できる写真も2枚入っていました。-Hhst 2005年11月10日 (木) 03:19 (UTC)

沖縄戦

全体的に証言などの主観的な記述ばかりで、客観性がないと思います。 中盤に住民の証言などが多く記載されているが、 ”沖縄戦”の記述としては不適切と考えます。

証言などより、戦闘の経緯の詳細等に重点を置くべきではないでしょうか?


基本的には私もそのように思います。Stop the storm 2006年10月6日 (金) 17:54 (UTC)


沖縄戦は民間人が戦闘に直接巻き込まれたという点で日本においては特異な存在であり(「沖縄戦」が注目される理由そのものもそこにあると思います)、そのことや世論の関心が比較的高いことからも、そういった記述の量が多くなる傾向にあるのはやむを得ないかな、と思います。だからといって私自身はそうであるべきだと考えているわけではないのですが、戦闘経緯については現在の内容以上の資料を持ち合わせていないので、詳しい方に是非加筆をお願いしたいと思っています。--(五) 2006年10月6日 (金) 18:54 (UTC)

修正依頼を出しました。--Mhanam 2007年2月13日 (火) 18:34 (UTC)

沖縄戦での住民の被害者数

住民被害の犠牲者数について詳しくしました。IP利用者の人でわかっていない人がいるようなので書きますが、住民被害が15万人という記述も9万4000人という記述も意味は同じです。政府の調査が行われていないので正確にはわからない、というのが結論です。9万4000人という数字は調査したものではなく、推定値であり信頼性は低いでしょう。Rmtd206j 2007年11月3日 (土) 16:41 (UTC)

大学教授(しかも地方の左派的な)人間の出してる自論の数字のほうが信頼性は低いでしょう。その数字を付け加えるなら参照でこういう論もある、と後ろに書いてください。210.228.202.126 2007年11月4日 (日) 02:41 (UTC)

IP利用者の人へ、石原昌家さんは沖縄戦住民被害の専門家です、20年以上もかけ1000人以上の話を聞いて沖縄県史をまとめています。石原昌家さんを知らない事自体があなたがまったくこうした研究状況を知らない証拠ですね。また例えばテレビニュースなどでもこの数字は引用されていますね。Rmtd206j 2007年11月4日 (日) 03:38 (UTC)

一つのキワモノ説を一般的のように書き込まないで下さい。
沖縄県平和祈念資料館の「出身地別戦没者数」のグラフには、昭和6年9月から昭和21年9月までの間に、県内外において戦争が原因で亡なった沖縄出身者数(原爆被爆者は、期限を定めず)で、148,341 名とあります[3]
安仁屋(あにや)政昭・沖国大教授のコメント。
  ≪学徒兵も含め沖縄戦の犠牲者は15万人を超えるだろうとされている。県平和祈念資料館では十数万人と表記しているが、少なくとも10万人を超える犠牲者があったことは間違いない。≫
沖縄住民犠牲の専門者の一人の言葉ですが、この教授はアホなのか、わざとなのか、知りませんが、上記を見ればおかしな論を唱えていることは一目瞭然でしょう。
軍人、民間人をとわず、昭和6年から昭和21年までの沖縄県出身者の死亡者数をあげて沖縄戦の犠牲者と言ってしまっているのです。
沖縄のキワモノ教授で15万人説を唱える人は、素人でも突っ込みまくれる、こんなものばかりです。
ちなみに、沖縄県平和祈念資料館によると沖縄戦のあった1945年3月~終戦後の9月までの沖縄出身者の死亡者数(一般民間人含)は、死亡時期不明者の 3,473人を全て加算しても 110,586人[4]
さて、どこから民間人だけで15万人も死亡している資料が出てくるのでしょうか?
キワモノ論を唱えている教授がいることは事実なので、それを書き込むな、とは言いませんが、一般的のように書き込まないで下さい。一つのトンデモ説として参照程度に書き込んでください。210.252.202.107 2007年11月4日 (日) 10:31 (UTC)

15万人説でも9万人説でもいいですけど、同じ項目内での犠牲者数は統一してください。他の部分の犠牲者明細を15万のままにしておいて、一部だけ9万4千人にするのは不可です。側面テンプレートの犠牲者詳細もちゃんと直しましょう。現在、犠牲者明細も含め15万人のほうになっていますから。直すのなら本文中の全ての数字を直しましょう。数字を統一させてください。--Miwa.SS 2007年11月5日 (月) 22:00 (UTC) ちなみに2007年11月6日の産経新聞朝刊社説では「沖縄戦では、軍民合わせて18万8000人が戦死し、沖縄県民の犠牲者は12万人を超える」とされていますよ。[5]ご参考までに。--Miwa.SS 2007年11月5日 (月) 22:39 (UTC)

軍民合わせて12万人の被害者。納得できる数字では?。沖縄県平和祈念資料館の11万人とも大差ないですし。どうしたら沖縄戦で民間人だけで15万人が死ぬのですか?その方がおかしいのは明らかでしょう。--210.231.2.139 2007年12月3日 (月) 18:34 (UTC)

210.252.202.107 さんが勘違いしているので一言。 沖縄県平和祈念資料館(平和の礎)の犠牲者数に昭和6年9月から昭和21年9月が含まれているのは、「平和の礎」の理念によるもので、それは明記[6]されてますね。平和の礎は、沖縄戦の犠牲者だけを刻んだものではなく沖縄県出身者については15年戦争全体での死者です。これは項目沖縄戦での犠牲者数とは正確には一致しませんね。又出典&詳細不明ですが、安仁屋政昭教授のコメントもその通りで、県の平和資料館で上記「平和の礎」とは別に、沖縄戦での犠牲者を表示した部分について述べているのであって、別に満州事変での戦死者の数を入れているわけではないと思いますよ。そして安仁屋教授の推定も石原昌家と似たような数になっていますね。Rmtd206j 2007年11月6日 (火) 03:50 (UTC)


ですから、沖縄県平和祈念資料館によると沖縄戦のあった1945年3月~終戦後の9月までの沖縄出身者の死亡者数(一般民間人含)は、死亡時期不明者の 3,473人を全て加算しても 110,586人なんですよ。どうすれば、沖縄戦で民間人だけで15万人も死ぬのでしょうか?キワモノ説を載せるなとは言いませんが、キワモノはキワモノとして後ろにくっつける程度にしてください。個人的な地方教授の推測などあまり有力ではありません。210.231.12.201 2007年11月16日 (金) 04:04 (UTC)

虐殺という表現

虐殺肯定派、否定派という表現を用いられていますが論議の対立点は集団自決の軍命令あったか無かったかなので変更したほうが良いのでは?虐殺否定派として取り上げられている曽野綾子の「ある神話の背景」でも朝鮮人軍夫の住民物資の略奪や住民の追い出し、スパイ容疑や敵前逃亡と看做しての住民処刑はあったとし、ほとんどを自殺幇助で処刑ではないと主張している赤松大尉ですらも住民3名については処刑であるとしているのだし、対立点は軍命令の有無では?そもそも今の見出しではまるで旧日本軍が直接住民を虐殺したかのようなものですし事実とも明らかに違う。--Miwa.SS 2007年4月8日 (日) 00:34 (UTC)

「旧日本軍による民間人への集団自決強制」の歴史教科書記述削除に関して

私が見落としていたらすいませんが、この問題に関して掲載されていないように感じますがどうなんでしょう?現在議論中なので書けないのでしょうか?--広辞苑 2007年8月2日 (木) 02:56 (UTC)

広辞苑さんが指摘されているように、現在進行形の話ですから記事執筆には時期尚早だと思います。ただ、どのように記事にするかをノートで話し合うことまで止める必要はないでしょう。というか、むしろノートで充分話し合って編集合戦にならないようにする必要があると思います。(なお、見出しにリンクしないというガイドラインに則り見出しにあった日本軍へのリンクを外させていただきました。) --赤い飛行船 2007年10月4日 (木) 09:33 (UTC)

著作権侵害の疑い 産経新聞朝刊正論の秦郁彦の著作物

2007年10月17日 (水) 09:47版より追記されている、産経新聞朝刊の正論欄に掲載された秦郁彦の文を出典とした記述は、産経新聞本紙に書かれたものをほとんど改編しておらず、そのまま括弧の位置を変えただけで引用の範囲を超え著作権侵害の疑いがあるのではないかと思うのですが。記された方に問います。出典と比較してどうですか?ほとんどが出典と同一の文章ではないですか?もしそうであるなら特定版削除を依頼すべきです。出典が確認できないので質問にとどめます。以後の版が削除されるのを防ぐ為、秦郁彦に関しての部分をとりあえず全削除しました。--Miwa.SS 2007年10月18日 (木) 08:52 (UTC)

本文と比べても多少変化させてあるので、よろしいかと思いますが、より変化させておきました。少し「言いがかり」に見えますが。また、これはmiwa氏ではないのだと思いますが、出典で言われてることを一般的なように言い切る表現を使用する方がいるのでその部分を訂正します。218.218.56.61 2007年10月18日 (木) 14:39 (UTC)

miwaさんへ。「日本軍による殺害の証言」の部分をはじめとして、出典そのままの引用が他にも多くあるのですが、なぜそこだけ注目を?210.252.202.234 2007年10月19日 (金) 03:48 (UTC)

単純に原本である産経新聞を購読していたのでほぼ同じ内容なのを憶えていただけですよ。また、産経のWEBサイトで簡単に原本と比較できましたしね。著作権侵害となると侵害以降の版が完全削除となるので予防措置として削除しました。--Miwa.SS 2007年10月19日 (金) 04:41 (UTC)
miwaさんが復活させた部分ですが、「集団自決強制を否定する」内容だと思いますか?少なくとも他の場所へ移動すべきと思いますが?明日までにお答えなければ移動or削除させていただきます。210.252.203.61 2007年10月19日 (金) 05:43 (UTC)
移動していただけたんですね。勘違いしました。スミマセンでした。210.252.203.61 2007年10月19日 (金) 05:47 (UTC)

秦郁彦は「集団自決」が日本軍の強制ではないとする意見ではありません。彼は単に感想を述べているに過ぎない。秦がある種類のメディアおよび読者の関心を引くから露出するだけであって、実際彼はなんの自著も、歴史的根拠もあげていない。もしこれが強制ではないとする意見だというなら、なぜそうなのかきとんと説明していただきたい。Nrsumtpng 2007年11月7日 (水) 13:53 (UTC)

こじつけにすぎませんね。なんなら、「強制性を否定する証言や意見」と題名を変えてもいいですよ。そして肯定してる人の著書はどんな歴史的根拠があるというのですか?すべて証言をもとにした推測論ばかりの中で。何ら変わることはないです。210.231.12.56 2007年11月7日 (水) 14:07 (UTC)

全体の改善に向けて

現時点で表示されている「修正依頼」は妥当だと思います。実に冗長です。 その一方で、

  1. 戦艦「大和」についての記述が全く(関連項目にさえ)ない
  2. 特別攻撃隊についても触れられていない

のは全体を見て、「関心の偏り」と愚生には映ります。記事の分割も考えています。当面、細かい修正を重ねながら、考えがまとまったらまたここに記すつもりです。 -- J-ishikawa 2007年11月7日 (水) 11:34 (UTC)

この種の議論に明け暮れていて、全体像をつかむ努力がなされていないことを私は言いたいのであります。この手の議論に参加するつもりは毛頭ないので、セクションを切らせていただきます。セクションのタイトルは適宜変更してください。 -- J-ishikawa 2007年11月24日 (土) 22:02 (UTC)

「週刊新潮」の記事等の扱いに関する議論

よく読んだら週刊誌のどうしようもない記事が書いてありました(週刊新潮)とりあえず正確な内容にしておきましたが、はっきり言ってこんなもの事典に書くべきではないでしょうね。小倉真美 2007年11月18日 (日) 16:23 (UTC)

どうしようもないかどうかはあなたが判断すべきことではない。また、週刊誌と関係ないところまで編集してる理由を述べよ。218.218.56.32 2007年11月23日 (金) 07:46 (UTC)

IPユーザーの方で週刊誌の記事を転記したがる人がいますが、この記事は櫻井よしこが書いたコラムの中で短くただ「非難された」と書いてあるだけで、「集団自決」の強制性の有無とは何も関係のない記事です。書きたがる人は記事を読んでいないように思います。また曽野綾子がその著書で、強制はなかった又は軍命はなかった、としているのも間違いで、彼女は真相は「天のみが知る」としており、不明であるという事だとしています。これも元の本を読まずにただ他人の伝聞に乗って書いているように思います。きちんと出典を読んで正しく執筆してください。小倉真美 2007年11月24日 (土) 16:09 (UTC)

都合よく解釈しないように。週刊誌の件もそのまま書かれてるだけであり、あなたはとやかく言うことではない。また、曽野綾子は、それまで定説化されてきた軍命説の証拠がないことを明らかにしており、沖縄県史等もそれに基づいて訂正しており十分強制性を否定する一例であると言える。しかも彼女は肯定していた『鉄の暴風』の太田や大江を批判しており十分否定している人間・著書と言えるだろう。「真実は天のみぞ知る」それだけ証言とは胡散臭いものであり、しかも年金が関わってしまっていればなおさら、と言うことであろう。210.231.12.167 2007年11月24日 (土) 17:32 (UTC)

櫻井よしこ女史が付け加えるならば、「なかった」を証明するには「あった」とする側が出してきた根拠を調べて覆すだけ。そして曽野はそれを行い、「あった」という側の根拠を崩壊させた。「なかった」側はこれで十分だし、それ以上のことは出来ない(悪魔の証明)。曽野は十分否定の立証をしたと言える。「あった」という側に立証責任があり、現在は証言しかないのが現状である。210.252.201.99 2007年11月24日 (土) 17:39 (UTC)

全く不毛な削除・復活合戦が続いています。そろそろ何らかの手立て(IP User の編集制限など)を講じるべき段階にきているように思われます。-- J-ishikawa 2007年11月28日 (水) 01:53 (UTC)

「週刊誌に載っていたから」というだけの理由で削除するのは問題ですね。そんな理屈が通用するなら、実績を持つジャーナリストが週刊誌に寄稿した場合でも「週刊誌に載っている」という理由でソース足りえなくなってしまうでは無いですか。もう一つ、曽野綾子女史は「なかったことの証明」が難しく、新たに証拠が見つかれば学説は変わるという意味で「神話は否定できた訳では無い」としているだけですよ。彼女は現時点で戦隊長が自決命令を下したと確定できる証拠は無いとハッキリ述べています。Torannep

私はこの記事のコピーを持っていますが上記で書いたとおりの2行ほどの短い記事で、内容がないし、櫻井よしこがなぜそう書けるのかの説明はないし、何より「集団自決」の強制の有無とは関係のない記事です。およそ百科事典に書くべき内容とは思えません。小倉真美 2007年11月28日 (水) 15:32 (UTC)

あなたの個人的思想で出典の良し悪しを決めるのはおやめ下さい。「週刊誌にはそのように書いてある」と書いてあるだけですので、それを否定したいのならば、反証する出典を出して記述すればいいだけです。思想にあわないから削除とかやめてください。また、あなたが主張してる部分(週刊誌部分)と関係ないところまで編集しないように。210.231.12.94 2007年11月28日 (水) 17:08 (UTC)

櫻井女史が週刊新潮に寄稿した記事は、ブログで公表されていますね。 http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/archives/552 二行どころでは無い長文で、内容も充実しています。櫻井よしこ女史は実績と信用を認められているジャーナリストですから、識者の意見として載せるのは問題ないでしょう。週刊新潮の記事に関して削除する根拠は見当たりません。尚、『「集団自決」を軍の強制とする意見』『「集団自決」を軍の強制としない意見』という見出しですが、これは適切では無いと考えます。「強制」か「強制で無いか」というのは受け止める個人の主観によって変わります。これは「軍の自決命令が存在したという意見」「軍の自決命令は存在しないという意見」とした方が適切でしょう。その上で、梅澤氏に関するエピソードは、(一地域の出来事であるものの)軍命の存在が年金目当ての偽証で成り立っていたことを示すもの。実績あるジャーナリストがそれを紹介した記事は充分に記載する価値があると考えます。Torannep

週刊誌は何の問題もないので関わるだけ無駄です。週刊誌よりも現在進行中の裁判内容を被告側の論を中心に記載している人がいますが、それこそ問題があると思います。時期尚早ではないのではないでしょうか?書いてもよろしいのならば、原告側の意見はたくさん産経の出典をはじめとしてありますので、書かせてもらいますが。210.252.201.105 2007年11月29日 (木) 04:40 (UTC)

書くのはかまいませんが同じ内容を何度も書く必要性は全くありません。新潮の記事も曽野綾子の「ある神話の背景」も全く同じ出典の同じ内容を二度も書く理由を教えていただきい。秦の件や15万の記述場所の件はともかく、完全な重複を何度も復活させるのはどういう理由からですか?また敬称は略するのがルールです。--Miwa.SS 2007年11月29日 (木) 11:22 (UTC)
同じ内容とは具体的にどこでしょうか?また、本文中に引用部を除いて敬称をつけていた箇所は無いようですが?Torannep 2007年12月3日 (月) 22:29 (UTC)

集団自決に関する部分の分割もしくは統合提案

沖縄戦で「集団自決」を詳細に書くと結局詳しく書いてある集団自決と同じとなってしまいます。こちらでは、集団自決があったとだけ記載し、詳細は集団自決のところへ誘導するようにするか、または集団自決のページを削除してこちらに統合するかのどちらかが必要だと思いますがいかがでしょうか?210.252.201.105 2007年11月29日 (木) 04:35 (UTC)

「集団自決」への「分割案」に賛成します。別記の通り、本来書かれてしかるべき問題が書かれておらず、バランスを考えると、別項目に「誘導」する(さらには、最近の議論は「集団自決訴訟」へと分割する)のがふさわしいと考えます。 -- J-ishikawa 2007年11月29日 (木) 23:01 (UTC)

最近の議論=2006年以降起こった事、は「集団自決訴訟」または「集団自決」へと誘導するのには賛成ですね。その場合、曽野綾子を除く現状の「集団自決を軍の強制としない意見」がそちらへ移動され「集団自決を軍の強制とする意見」が現状のまま、親項目の一部として残る事になると思います。また現在の記述では「集団自決」がどのようなものであったかそのものの説明はまったく書かれていないので、記事の分割・統合自体は不要でしょう。現状のまま大和の特攻などについて書き足していけばいいのではないでしょうか。Rmtd206j 2007年11月30日 (金) 03:46 (UTC)

そんな都合の良い分割が有り得ると思ってるのですか?218.218.56.109 2007年11月30日 (金) 13:15 (UTC)

特に反対がなければ、「軍の強制をあった・なかった」部分、「証言」部分等、集団自決に関わる部分を削除し、詳細は集団自決へと誘導するスタイルとします。210.252.203.92 2007年12月1日 (土) 00:13 (UTC)

さっき気がついたのですが上記の3人?のIPユーザーの方の意見は議論対象になりませんね。なぜならこれらの人は2度とウィキペディアに書くことはないと思われるからです。今まで本文の執筆に多くのIPユーザーが関わっていますが日を隔てて2回書いた人はいません。従って上記の意見も全て書き捨てとなる可能性が高いですね。従って、提案も議論も成り立ちませんね。一応確認のため書いておきますが私は統合・分割には反対です。Rmtd206j 2007年12月1日 (土) 06:36 (UTC)

IPはだめという独自の論を展開しないように。あなた様も一つのIDにまとめられたらいかがでしょうか?肥大化しようが重複してようが可とする意見ありがとうございました。--210.252.202.36 2007年12月1日 (土) 09:36 (UTC)

まあ、急いで結論出さなくてもいいんじゃないですか。保護になる可能性も高いですし。可変IP氏へ。固定IPでない場合、意見の集約が図れず投票となった場合に固定IPであれば編集参加を証明できるので投票できますが、可変IPではそれを証明する方法が無いので投票権が無い可能性が高いです。アカウントを取得されることをお勧めします。--Miwa.SS 2007年12月1日 (土) 13:37 (UTC)

なお集団自決で分割することには反対します。集団自決は沖縄だけで起きた現象ではないからです。論争のみで新しく「集団自決論争」あたりの適当な記事名を書くか、集団自決訴訟内に論争で章立てするかどちらかでしょう。--Miwa.SS 2007年12月2日 (日) 02:31 (UTC)

「沖縄」で起きたものも含め「集団自決」という項目を立てるのが私の考えです。と言っても、全世界の類似現象(ユダヤ戦争のマサダなど)を含めると取り止めがなくなります。例えば、「集団自決 (太平洋戦争)」って具合に。それで、あいまいさを回避しては?-- J-ishikawa 2007年12月2日 (日) 20:02 (UTC)