ノート:沖縄料理
表示
出典を削除・整理すべきではないでしょうか
[編集]2009年から提起されていた問題ですが、現在の状態ですと記事のどの記述がどの出典によるのかわかりません。また、[1]から[2]の版の間で大量に出典が増えたようですが、加筆量と出典の数の増え方に違和感を感じます。いずれにしましても、3年以上経過していますし検証できる部分を除いて一度削除すべきではないでしょうか。--Ocdp(会話) 2013年1月14日 (月) 06:10 (UTC)
- はい。その付け足された出典を査読するのは現実的ではありません。初心の方が「関連文献」と間違って付けた、などと見るべきでしょう。あなたは沖縄の方ですか?もしそうでしたらある程度の基礎知識をお持ちでしょうし、図書館にもアクセスできるでしょう。確度の低いところは除去し、そうでないところは残し、Template:要出典範囲で読者と執筆者に注意を促して下さい。一時的に記述量が1/5になっても全く構いません。そこから、適切な文献を添付して再度ゆっくり育てていけば良いのです。--Hman(会話) 2013年1月14日 (月) 08:45 (UTC)
歴史も付け足してください
- コメント残念ながら、あまり沖縄料理にくわしくはありません。そのため、査読しようにも現状の参考文献の状態では「沖縄スローフード王国」などを利用した極々一部しか検証できない状態です。自分にできる検証不可の部分の削除となりますと、脚注のないほとんどの部分を削除することになってしまい、これまで出展の要求などがなされてこなかった経緯を鑑みますと、これも最適な改稿とは感じられません。本文中の内容と関連付けられていない参考文献を削除し、出典を増やすような方向で進めるべきだと考えています。沖縄の食文化なのか、あるいは料理なのか微妙なとこですが雑穀、甘藷、米などの食性の変化はどこかにはあるべきでしょうね。--Ocdp(会話) 2013年1月19日 (土) 08:48 (UTC)
- 私もちょっと前まで沖縄に住んでいたのですが、伸ばし伸ばしになってしまいました(現在は内地住まいで、しかももうWikipediaは引退しており、現在後片付け中です)。本来「お詳しくない」なら「触らない方が身のためです。こういう古い、伝統的な記事は、記述を整理しようとすると躍起になって差し戻されることが多々あり、泥沼の消耗戦を強いられます。」と申し上げる所ですし、かつウィキペディアではGeneralReference、つまり「全体的な出典をページ数も箇所も明記せず巻末に並べておく」ことは必ずしも禁止されていないからです。ですからさし当たり「とりあえず付け足しただけなんじゃないかという本文中の内容と関連付けられていない参考文献を削除」でさえも、苦情が出る可能性があるのです。・・・まあ、出ないかもしれませんから、一度やってみてもいいかもしれません。
- Ocdpさんほどの執筆実績をお持ちの方であれば、今から文献を何十冊も集め「全部自分で書き直す」ことも可能であると思いますが(っていうか、この記事は事実上「手の付けようがない」状態に近く、有力な執筆者による緻密な調査・査読および徹底したリライトが必要に見えます)、Ocdpさんにとってこの記事を建て直すのが魅力的かどうか、なんですよね。限られたリソースはお好きな記事の調査・執筆に充てられる方が良いと思います。--Hman(会話) 2013年1月19日 (土) 09:37 (UTC)
- コメント残念ながら、あまり沖縄料理にくわしくはありません。そのため、査読しようにも現状の参考文献の状態では「沖縄スローフード王国」などを利用した極々一部しか検証できない状態です。自分にできる検証不可の部分の削除となりますと、脚注のないほとんどの部分を削除することになってしまい、これまで出展の要求などがなされてこなかった経緯を鑑みますと、これも最適な改稿とは感じられません。本文中の内容と関連付けられていない参考文献を削除し、出典を増やすような方向で進めるべきだと考えています。沖縄の食文化なのか、あるいは料理なのか微妙なとこですが雑穀、甘藷、米などの食性の変化はどこかにはあるべきでしょうね。--Ocdp(会話) 2013年1月19日 (土) 08:48 (UTC)
- コメント文献を用意して、改稿するというのもまったく考えていないわけでもないのですが、査読依頼に出しているのが1件、文献を参照しつつ加筆しているのが1件、新規に投稿する予定でいるのが1件と、同時進行しているのがいくつかあるので、すぐには手をつけられないのです。このくらいの容量の記事ですとすこし気後れもしますし。とりあえず現状ですと沖縄料理に関するおすすめ文献であって、査読に使えないんですよね。まぁ、自分のしようとしている事と真逆の行為をなさる方もいるので、軋轢が生じかねないという点も重々承知しています。ひとまず、内容に問題があるといった事態でもないので、あわてず様子を見ながら取り組んでいこうと思います。--Ocdp(会話) 2013年1月19日 (土) 10:34 (UTC)
- ご興味があられるのでしたら、そりゃもうガンガンやっちゃってくださってよいでしょう。個人的には段階を踏むより、ぐうの音も出ない様な良質な改稿を一撃で行う方が、トラブルが少ない印象です。差し戻しなどがありましたら、すぐにコメント依頼か管理者伝言板や保護依頼を頼られるべきでしょう。一対一では時間の浪費になることが非常に多いです・・・と、この辺りは釈迦に説法でございましょうか。・・・ただし、昔よりは多少は、やりやすくなっていると思います。私が昔、京都ラーメンを原文無視完全リライトした時には差し戻しに逢ってひどいことになりましたが、先々月から先月にかけて同様にほぼ原文をスルーしたFw190、三式戦闘機、五式戦闘機は今のところ、もの凄く平和で、それどころか非常に良質・有意義なご加筆を頂いておりますくらいです。検証可能性をはじめとするルールが以前よりはいささかなりとも尊重される様になってきたのは、質的向上を志す善良な執筆者にとっては好ましいかたちになってきたと言えましょうね。--Hman(会話) 2013年1月19日 (土) 10:59 (UTC)
はじめまして。本来なら沖縄料理のノートではなく該当ページのノートですべき議論ですが、Ocdpさんに質問させていただきます。Ocdpさんはアイヌ料理にも用出典タグを貼られましたが、出典ごとに文献の該当ページを明記しなければ記事の正確性に疑問が出るものなのでしょうか。アイヌ料理はアイヌ語のアルファベト表記や茶の項目以外は大半が私の加筆ゆえ、時間はかかりますがベージ指定の加筆は可能です。しかし「この文献は、総論としてこのようなことを言っている」という意味で記事の文章を書き、出典を挙げたような場合は、明確なページ指定が難しくなります。そのような場合は如何にすべきでしょうか。また、Ocdpさんは「参考文献」として新たに「国学院大学日本文化研究所 『日本の食とこころ - そのルーツと行方』 慶友社、2003年5月。ISBN 4874492339」を挙げられましたが、この文献のどのページがどこの文章の加筆に使用されたか、教えていただけないでしょうか。--タクナワン(会話) 2013年1月20日 (日) 03:25 (UTC)
- 横からで失礼致しますが、記事の規模と文献の冊数によります。私が上記で挙げた記事クラスの場合、どの情報がどの文献のどのページなのか明記されていませんと、検証が異様に困難となります(毎回何千ページをめくらねばなりません)。GeneralReferenceで実用上問題が無いケースは、コンパクトかつ文献数が1冊2冊のみの場合とご認識頂ければ良いと思います。ですが・・・ウィキペディアの記事は常に成長されています。あなたがGeneralReferenceで十分な記事を書いた所に、誰か第三者がある記述を付加したとしましょう。・・・これが出典に担保された信憑性のあるものなのか、妄想なのか、荒らし的でたらめなのかは、GeneralReferenceで挙げられた文献をめくりまくならなければわからない、と言った場合が非常に多くなります。一記事一人完全責任編集ならGeneralReferenceでも良いのかもしれませんが、残念ながらそうでないのがウィキペディア、各人が加筆の度に情報源を明記しなければ、恐らく記事は破綻します。より正確に申し上げれば「正確性に疑問が出る」のではなく「正確であるか検証・確認すること自体が非常に困難になるか事実上不可能になる」ケースが、とても多くなります。ですから、ページ番号を明記してください。ガイドライン文書でも一応これが推奨されているかたちになっています(ただし、GeneralReferenceを完全否定している訳ではありません。大雑把な三次資料で、大体わーっと参考にしたよ、と、私も用いる場合もないでもないのです)。「この文献は、総論としてこのようなことを言っている」場合も、どの記述について、どの文献の、どの辺りが、程度までは、できるだけ絞って下さい。でないと、後に加筆修正を志す人が、頭を抱えることになります(そしてやむを得ないので全面リライトを選ぶ場合も出てくるでしょう)。
- なお、数ページの冊子の場合はページ番号は不要な場合がありますし、辞書・名鑑の類など索引であまりにも明らかな場合は省略できます。更に、特に医学書やその道のバイブルなどで顕著なのですが、改訂・改版を重ねている文献の場合、版ごとにページ番号が違いますので、第何章の1、などと示しておいた方が、より検証が行いやすくなる場合もあります(私もたまに医学関係を書いていた時はそうしていました)。実はウィキペディアは、まだ始まったばかりです。数十年かけて検証が繰り返され、それに基づいた修正が繰り返され、正確性が増していきます。検証可能性は絶対に確保しておかねばなりませんし、ある程度以上は容易にしておくべきです。検証可能性については皆様方、十分に、ご注意のほどを。ちなみに2ちゃんねるの方では、私の書いた如意ヶ嶽がやりすぎであると、少数の批判を頂きましたが(苦笑)、数十年後誰かによって検証作業が行われるのであれば、非常に楽、でしょう。--Hman(会話) 2013年1月20日 (日) 04:57 (UTC)
- コメント正確性の問題といいますか、検証の容易性ですね。Hmanさんが代弁なさってくださいましたが、この本のどこかに書いてあります、ではすべて通読せねばならないところ、ページを指定してあればそのページだけですむ、という利点があります。秀逸な記事などはすべてそういった利用がなされています。複数ページに渡って論述された内容が出典となる場合には「PP.55-57」といった記述が主流になっているようです。秀逸な記事を参考になさるといいと思います。例 - ハワイの歴史
- 差分をご覧いただければわかると思いますが、{{Citation}}を使った、参考文献の記載内容の更新をひとまず行いました。並びに、{{参照方法}}を貼る段階で手元にある資料の情報を予め追記したのですが、加筆はまだ反映させていません。萱野茂さんの公演での記録がP.127からP.165まで掲載されていますので、記事全体に、手に入りやすい近年の書籍に基づく出典を追加したいと考えました。順序が逆になってしまい、申し訳ありません。取り急ぎきちんと利用している形を成すようには修正しておきます。--Ocdp(会話) 2013年1月20日 (日) 12:30 (UTC)