ノート:河野一郎
表示
「昭和38年(1963年)7月15日午前6時50分ごろ、野村秋介は、憂国道志会会員・松野卓夫とともに、ガソリン18リットル入り2缶を携えて、神奈川県平塚市にあった自民党の政治家・河野一郎(当時は建設大臣)の私邸に侵入した。野村秋介が河野一郎の秘書の紫藤研一らに対し拳銃を突きつけて脅迫をした。松野卓夫が、応接間の中にガソリンをまき、これに野村秋介が点火をした。結局、私邸の木造平屋建ての建物は全焼した。同年7月17日、野村秋介は神奈川県警察本部に逮捕された。松野卓夫も横浜市内の旅館で逮捕された。野村秋介が脅迫に使用した拳銃の受授所持関係から、同年7月20日に川端寅三郎、同年7月22日に土屋泰策と熊本昭平が銃砲等不法所持の疑いで逮捕された。野村秋介は、警察の取調べに対して、犯行の動機を「かねてから河野大臣が自民党内の派閥抗争を激化さしておる。その反省を求めるためにやった。行動については、自分が一人で計画して行なった」と供述した。警察は背後関係を疑ったが、背後関係者としてはっきりと刑事責任を追及し得るという事実は発見できなかった。 この事件で、野村秋介は、同年8月8日に起訴され、懲役12年の実刑判決を受けた(河野邸焼き打ち事件)。」と書き加えましたが、検証可能な出典は、「国会会議録・第46回国会予算委員会第4分科会第2号」です。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年5月28日 (月) 15:13 (UTC)