ノート:波切神社 (志摩市)
この記事は過去に削除依頼の審議対象になりました。新しく依頼を提出する場合、以下を参考にしてください。
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波切神社と天岩戸
[編集]『波切神社から徒歩半日~一日のところに天岩戸がある』との記述は、正確性に疑問があるため削除しました。詳細はノート:Miketsukunibitoを参照ください。
また、同時に和歌山県太地町の波切神社に関する記述を、修正しました。三重県志摩市波切神社の成立年推定が、この太地町の波切神社成立年に拠っていた為、あわせて変更しました。元禄大地震以前の文書が残っていないとの記述と、それ以前の詳細な(?)歴史記述が矛盾しているように感じますが、志摩市波切神社についてはわからないため、手を入れてはおりません。
蛭子神・えびす様が、『当地発祥の神様ではとも言われている』というのは、西宮神社の項と矛盾があると思われ、削除しました。
以上、今回の編集内容ご報告です。誤解などございましたら、ご指摘ください。--Excavator 2005年9月27日 (火) 12:08 (UTC)
- 詳細参照先は、ノート:Miketsukunibitoではなく、利用者‐会話:Miketsukunibitoの『波切神社と天岩戸』項の間違いでした。お詫びして訂正いたします。--Excavator 2005年9月28日 (水) 17:45 (UTC)
鵜戸神宮の波切神社
[編集]鵜戸神社の波切神社について、鵜戸神宮では、読み方は「なみきりじんしゃ」、また波切不動尊とも呼ばれる、とのことです。真言宗へと移り、西の高野山とも呼ばれた鵜戸山の波切不動尊が、高野山南院と関係すると言われれば納得しますが、、典拠が知りたいと思いますが、いかがでしょうか > Miketsukunibitoさん --Excavator 2005年10月2日 (日) 12:24 (UTC)
修正履歴(10/3・10/5編集分)
[編集]上記までのノートにも書いておりますが、不明瞭な箇所が多いため、整理しました。昨日からの分も含めて、以下編集内容のご報告です(本文の編集内容の要約へ、ノート参照するよう書くつもりだったのですが、、忘れてしまいました。すみません)。
- 天白神の神格は不明とされている。そもそも波切神社とは関係ない。波切地方独特のものでもない(志摩地方のもの)。よって本項から削除した。
- 大島潮かけ祭は波切神社とは関係なく、削除した。
- 愛洲移香斎久忠のエピソードについては、波切神社との関係があるようには思えないため、削除した。
- 市杵嶋姫命のエピソードも上記と同様である。
- 大王崎に関する記述は波切神社とは関係ない。対応する大王崎の項には、同様の記述がないためこちらへと移動した。(以上10/3の編集)
- 主神の国狭槌尊は、熊野速玉大社と熊野那智大社には祭られているが、熊野本宮大社には祭られておらず間違い。また、主神が熊野三山のうち二社に祭られているから、古くからの関係が伺える、というのは推論として正確性に疑問があり、削除した。
- 総社と目されていた根拠として、(1)志摩国における神様のほとんどが揃っていること、(2)平安時代から国司が多く参拝した旨記述がされているが、二つしかない理由のうち(1)は良いとして(2)については元禄以前の書物などが残っていないとの記述と矛盾する。なお、志陽略誌では八皇子社と呼ばれている。この他にも志摩地方には八皇子社が多く記述されているが、これは九鬼嘉隆が熊野八皇子信仰を推し進めたからである、といわれているようである(補足:すなわち本名称からは、修正前の「平安期に総社であった」とある記述には妥当性が欠けると判断できる)。一般には志摩国の総社は不詳であるとされており、これに従うのが妥当であると思われるので、削除した。
- 片参りについては、詳述するのが好ましいと思われたので、記述を追加した。
- 鵜戸神宮の波切神社については、本ノートに書いた通り「なみきり(!=なきり)」と読むこと、波切不動尊とも呼ばれることを追記した。
- 太地町の波切神社について、追記した。ただ、この波切神社が建立されたときに、志摩市でも当時波切神社という名称があったかどうかについては不明なため、コメントアウトした。
- 関連項目のセーマンドーマンは、本項目とは強い関連はないので削除した。(以上10/5の編集)
以上となります。この編集に当たっては、谷川健一編「日本の神々 神社と聖地」第6巻、「滝川貞蔵遺稿 熊野・太地の伝承」などを参照しました。鵜戸神宮まではまだ手が回っていませんが、、、--Excavator 2005年10月4日 (火) 16:08 (UTC)
- 上記、若干補足を加えました。--Excavator 2005年10月5日 (水) 14:34 (UTC)
2006年11月11日 (土) 13:09の編集について
[編集]疑問点解消のため、不適切な記述の除去を中心に編集しました。「わらじ曵き」は『大王町史』ではわらじを流すまでとありました。N yotarou 2006年11月11日 (土) 13:17 (UTC)