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ノート:波多野氏 (三好長慶正室)

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ノート:波多野娘から転送)

「はたののいらつめ」の漢字[編集]

「はたののいらつめ」を漢字で書くと、「波多野女」となるのでは?  「波多野娘」なる表記はどこにも出典を見いだせません。Quark Logo会話2023年10月2日 (月) 05:58 (UTC)[返信]

当然、波多野郎女も出典はないですが、通常は、こういう場合は、波多野氏 (三好長慶正室)とするのでは。--Quark Logo会話2023年10月2日 (月) 06:02 (UTC)[返信]

コメント 「娘」と書いて「いらつめ」と読むケースはあるようですが([1] [2])、「いらつめ」は上代(奈良時代以前)の言葉([3])のため戦国時代の女性の呼び名としてはふさわしくないかと。ページ名としてはQuark Logoさん提案のものに賛同します。--YasuminB会話2023年10月2日 (月) 08:07 (UTC)[返信]

参考までに、天野忠幸「摂津における地域形成と細川京兆家」(天野『増補版 戦国期三好政権の研究』清文堂出版、2015年)によると、波多野秀忠の娘が三好長慶の妻であることの根拠は『細川両家記』天文14年条と『続応仁後記』天文10年8月12日条・天文17年条とのことで、『細川両家記』には「波多野備前守より三好筑前守範長へ加勢の儀申されければ、当時の事なれば即勢を催し」([4] 615頁末尾)、『続応仁後記』には「三好新五郎政康同波多野備前守等を催し」([5] 51頁後ろから2-3行目)、「扨も長慶は丹州波多野か也けるか」([6] 83頁後ろから6行目)とあり、いずれも波多野秀忠の娘本人への直接的な言及はなく、呼称などもありません。また、天野忠幸『三好一族』(中公新書、2022年)掲載の三好氏略系図では「波多野秀忠女」(読みは「波多野秀忠のむすめ」と思われます)と記載されています。--YasuminB会話2023年10月2日 (月) 09:22 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

現在のページ名「波多野娘」から「波多野氏 (三好長慶正室)」への改名を提案します。前節にある通り、本ページの人物に対して「波多野娘」と呼ぶ例が確認できないことによります。1週間経ち反対意見がない場合、改名を実行したいと思います。改名後のリダイレクトについては本項目以外に使用例が見当たらないため、削除依頼を提出する予定です。--YasuminB会話2023年11月10日 (金) 07:11 (UTC)[返信]