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ノート:津島市

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鎌倉時代の国境について

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「鎌倉時代は、海道記に津島とある(夜陰に市腋といふ處に泊る。前を見おろせば、海さし入りて、河伯の民、潮にやしなはれ。)市腋をたちて津島のわたりといふ處、舟にて下れば(中略)渡りはつれば尾張の國に移りぬ。(中略)萱津の宿に泊りぬ。とあり、この当時、弥富市や津島市は、尾張国と見なされておらず、甚目寺町(萱津)辺りから尾張国であったもよう。」

確かに木曽川下流域の国境はしばしば変更されていますが、津島神社の所属が他国から尾張国に移ったと等という話は聞いた事がありません。この記述にはどの程度の信憑性が認められているのでしょうか?--さるすべり 2008年4月14日 (月) 22:59 (UTC)[返信]

津島市史を確認したところ、同じ文を津島が尾張の西の玄関口であった事を示すものとして紹介していました。津島市史の解釈が正しいのかはわかりませんが、少なくとも街道機の記述が津島が尾張国でなかった事を示すものとして広く受け入れられている訳ではないようなので該当の記述は削除させていただきます。--さるすべり 2008年7月31日 (木) 11:51 (UTC)[返信]