ノート:清教徒革命
この「清教徒革命」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
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1. | 2005年12月25日 | 査読依頼 |
勢力図概要の画像の背景色が濃すぎて、図解が読みにくいので、もう少し薄い色がいっそのこと白背景にしていただくと明快かな、と思います。希望まで。Mishika 2005年12月30日 (金) 23:45 (UTC)
- リクエストにつき、背景を薄くしてみました。どんなもんでしょうか。アズンチャ 2005年12月31日 (土) 00:19 (UTC)
ほんの少しだけですが手を入れました。おっしゃることはわかります。余りくどくど説明してもアレですしね。 けふこえて 2005年12月31日 (土) 13:04 (UTC)
ヨーマンの件について
[編集]ご足労(?)いただきありがとうございます。こういうマニアックな話ができるのはうれしいです。
ジェントリの二分化はトレヴァ=ローパーがジェントリ論争でおこなった主張のことでしょうか。私の調べた限りで書いてみます。トレヴァ=ローパーは清教徒革命の発端を大ジェントリ対中小ジェントリという位置づけで論戦をしていたみたいですが、なんだかわからないうちに下火になって、修正主義や世界システム論にとってかわられたみたいです。(岩井淳・指明博編『イギリス史の新潮流 修正主義の近世史』、pp76-97、2000および世界歴史大系2、それからジョン・モリル、富田理恵訳「17世紀ブリテンの革命再考」『思想』vol.964、pp52-75、2004)。調べた感じだとネオ=ホイッグとかポスト修正主義とかマルクス主義的要素も生き残ってたりとか、さらに本国人研究者と日本人研究者で視点が違ってたりとか、とにかく通説といえるのはけっこう少ないなあという印象を受けました。以前『イギリスの歴史 ケンブリッジ版世界各国史』を見たことがありますが、国粋主義というかなんと言うか、仰天したことがありました。
で、危機論争への言及ですが、やってみようと思うのですが、いっぽうで「17世紀の危機」として独立した記事にするほうが本当はいいのかも、という気もしています。まあともかく、これから編集にかかります。よかったら読んでやってください。アズンチャ 2006年1月22日 (日) 19:46 (UTC)
- お疲れ様です。ジェントリ論争はなんだか、やはりどっちつかずな決着の様ですね。川北稔も『イギリス近代[改訂版]』(ミネルヴァ書房、2003)でかなり玉虫色な書き方をしています。それと査読依頼のコメントで私はヨーマンと小ジェントリが没落した、と書いてしまっていたのですが、調べたら中小ジェントリ以下が没落みたいです。間違ってました。おもだった見解をまとめるだけでも大変とは思いますが、無理をなさらない程度に頑張ってください。 コータ 2006年1月23日 (月) 17:26 (UTC)
最近の研究動向を追っかけているうちにとんでもない間違いに気づいてきました。清教徒革命はイングランドが主役で、スコットランド/アイルランドはつけたし程度に思っていた(じじつ、昔はそうだった)のですが、最近はイングランド中心史観に否定的で、それを反映させるとスコットランド/アイルランドの部分を大幅に加筆するだけでなく、イングランドの部分も見直さなければ…。編集はもうしばらく続きそうですが、コメント等あればいつでも大大歓迎です。アズンチャ 2006年1月30日 (月) 09:22 (UTC)