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ノート:清水峠

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謙信尾根(十五里尾根)の開削時期について[編集]

環境省・新潟県・中越森林管理署による現地の説明板や、「市報みなみ魚沼」Vol.144などでは明治18年の清水峠越新道開通の前に井坪坂(居坪坂)コースがあったように受け取れる記載になっています。「清水越新道竣成ニ付国道表中路線改正ノ件」の図もそのように読み取れますので、明治18年時点での(新道に対する)旧道というのは熊谷県による整備で開通した明治7年完成の道のことで、それは2024年現在で言うところの井坪坂(居坪坂)コースと概ね一致するものだろうと思われます。

明治23年完成の佐藤良太郎による有料道路としての利用はこの道の再伐開(再利用)とすると、謙信尾根(十五里尾根)のルートがいつ開かれたのか?の記載の修正が必要になると思います。

各種登山ガイドなどをいくつかめくってみましたが、現状の本文と同じように謙信尾根は元々は戦国時代に云々の記述が目立ちました。

ただ、今昔マップで過去の地形図を調べてみますと、謙信尾根については大正3年発行(大正1年測図)→記載なし、昭和21年発行(昭和6年要修)→記載なし、昭和57年発行(昭和49年集)→記載ありでした。古道として通行があったかは議論があるところかと思いますが、少なくともこれらの地形図の作られた頃には道としての機能は無くなっていたと見て良いだろうと思います。

前後関係から判断して、昭和6年までの清水トンネルの工事か、昭和14年までの信濃川発電所とその送電線工事に関連して開削された道という推測が成り立つと思うのですが、谷川岳エコツーリズム推進協議会の「清水越道の歴史概略」では「鉄道省関係者が呼び始めたもの」とだけあり、決め手に欠ける印象です。地図を見ても明らかに送電線に沿ってますので、東鉄や鉄道省関連の工事などの資料にこの件に関する記述があるのではないかと考えていますが発見に至っていません。

この件に関してご存知の方がおられましたらご協力いただけますと幸いです。--大源太太郎会話2024年5月27日 (月) 02:53 (UTC)[返信]