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ノート:渡島丸 (2代)

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QBM様へ 私の書き込みに対し いつもご指摘いただきありがとうございます。 さて、今回の2代目空知丸以降の主機選定の件ですが、

私が示した出典である雑誌“船の科学”第29巻6号(1976年6月号)の函館ドックの方が執筆された 空知丸の紹介記事p52に、 【在来船に搭載した主機関は外国メーカーのライセンスによる機種となっていたが、すでに製造が中止されており、 国産エンジンの信頼性向上などを考慮し、国産のエンジンを採用したわけである】 という文面があり、 これを根拠に私が2012年5月4日書き込みましたところ、

2012年6月22日QBM様は特に出典を示されることなく 【三井MAN-B&Wのエンジンは現在も製造されている】とのご指摘とともに 上記“船の科学”からの引用部分が削除されました。 【三井MAN-B&Wのエンジンは現在も製造されている】というのは、現に大型2サイクルを中心に 現在も製造されているので、誤りではありませんが、 しかし、青函連絡船に搭載された三井B&W 1226MTBF-40Vが1975年当時既に生産中止 になっていたかどうかとは別問題で、船の科学”からの引用部分の削除の理由にはなりません。

削除されたということは 【三井MAN-B&Wのエンジンは現在も製造されている】という表現は、現在なお三井B&W 26MTBF-40V系統 が製造中とも解釈できたため、 三井造船と念のため川崎重工の両社の担当部門に質問してみました。 三井造船は1971年にトランク型がB&W社とのライセンス契約からはずれたため製造終了 川崎重工もVV22/30系統は1970年頃には製造終了したとのこと。

ということで“船の科学”の【在来船に搭載した主機関は外国メーカーのライセンスによる機種となっていたが、 すでに製造が中止】の文面に誤りのないことを確認。

私は、2012年7月8日にその旨記載し 削除されていた“船の科学”からの引用部分を復活させました。

7月10日にQBM様は、再度“船の科学”からの引用部分を削除され、 当時の国鉄とダイハツとの人的交流など良好な関係と、 讃岐丸でのダイハツエンジンの実績のみを記載されました。

私も、当時、連絡船に出入していたので、うわさとしてダイハツエンジンの 好調さは聞き及んでいましたので、QBM様の責任において、このことを書き込まれることに 異議は唱えませんが、望むらくは、出典をお示しいただきたいです。

また私の書き込んだ“船の科学”からの引用部分について削除されることには 納得いきませんので、2012年7月11日、再々掲させていただきました。

大船3隻の主機選定となれば、種々の立場から大勢の人々が関係します、 決してただひとつの要因だけで決まるものではありません。 在来船で愛用していた機種が製造終了していたことも大きな要因と考えます。

もし、これに異議がおありであれば、船の科学”からの引用部分が 誤っている根拠をお示しの上で削除ください。

“船の科学”からの引用部分をよく読めば、ダイハツという会社名こそ 出ませんが(本文の続きを読めばすぐ出てきますが)、QBM様が書き込まれたことも 十分含んでいると思われます。

少なくとも1976年当時の“船の科学”編集部では当該機種が製造中か製造終了かくらい は把握しているので、デタラメは書けないでしょう。 ただ政治的なこともあって当時は書けなかったこともあるかもしれません。

文献情報だけが正しいものではない、と言って、何の出典根拠も示さず 他人の出典付き文面を切り捨てるようでは、 QBM様の書き込み全体の信用を落とします。 --Akoihsin会話2012年7月11日 (水) 13:07 (UTC)[返信]


Akoihsin様

当時の青函連絡船ダイハツ製機関選定の際の経緯を(文献などではなく)知っている者の1人として書かせていただきますが、あなたが記載されていることは選定の主要因ではなく、したがって、MAN、B&Wが製造中止になったがために国産メーカーが採用されたという記述も事実ではありません。経緯については、貴殿の文章の末尾近くにあるように、当時は(あるいは、今も)書けない内容がありますし、部内ではない船の科学がそこまで深く知っていたとも思えません。しかし、先に採用された讃岐丸の経緯と、詳しくは書けませんが政治的な理由が主要因を占めていたと言っていいと思います。

連絡船、とくに戦後の船に関しては、私も含め当時連絡船に関与していた方が多数健在ですので、文献の誤りも指摘できるわけですが、Wikipedia に関しては引用する方も多く、誤った記述があたかも事実として独り歩きすることがまま見受けられます。関係者としては耐え難いことだと思います(ゆえに、間違いを修正させていただきました)。Akoihsin様がどのような形で連絡船に「出入りしていた」のか知りませんが、他の項目で、文献の引用として、乗組員や関係者であれば通常知っているであろうことについて間違った記述をされていることが見受けられましたので、乗組員や関係者ではないものと推察しております。いろいろな文献を調べられて、得られた知見を都度書き込まれているようで、エンジンメーカーにまで問い合わせをされる熱意は結構ですが、古川氏の著作などを中心に箇所によっては丸写しに近いような記述や、自己の意見に極度に固執されるのはいかがかなものかと思います。

私どもからすれば、多くはあえて文献などを調査しなくても日常であった「知っている」ことであり、引用されている記述(引用されている著作の多くが船の建造側の方のもの=建造サイドの考え)が現場の実際の運用と異なる点が多々ある点も理解してほしいものです。終航から四半世紀、連絡船も過去の遺物になりつつありますが、関係者が多数健在であり、文献などの重箱の隅をつつかなくても容易に事実の確認ができるテーマでもあります。また、書籍刊行という形になっていなくても、当時のデータも多数現存しています。そのようなテーマに関して、ある文献に記載されていたから事実だ(それも、事実と異なることを)、というような論法では、著者としての資質を疑われかねません。

お尋ねのダイハツ製エンジン搭載船の「好調さ」についてですが、「好調」というのが何を指しているのか(通常、関係者は「好調」というような表現は使いませんので)わかりませんが、私が記載した燃料消費と信頼性についてあえて書くと、燃料消費については、各船燃料消費比較といったデータがあります。また、S58年頃、当時盛んだった燃料消費節減運動の際に、各船で様々なデータ解析が行われて資料が出されていますが、檜山丸の便別燃料消費対比表のような特に秀逸なデータもあります。信頼性については、MAN、B&Wに比べて故障事例も少ないのですが(故に優秀と言えるかもしれません…n数が少ないという見方もできますが)、機関長会刊・青函連絡船機関故障事例集、函館船員区・ダイハツ型機関の整備ポイントと故障事例などをご一読ください。

--QBM会話2012年7月12日 (木) 14:53 (UTC)[返信]


QBM様 早速Resいただきありがとうございます。 QBM様のおっしゃられることは、わかりました。

空知丸主機選定で、【詳しくは書けませんが政治的な理由が主要因を占めていたと言っていいと思います】 とのこと、であれば、 何故2012年6月22日QBM様は【三井MAN-B&Wのエンジンは現在も製造されている】 とのご指摘とともに 上記“船の科学”からの引用部分を削除されたのですか?

私はQBM様が御推察されるように、連絡船には部外者ですが、 今時、三井B&W1226MTBF-40Vが製造されてないことくらい、 わざわざ三井造船に聞かなくてもわかる程度の知識はあります。 ただ、私個人がWikipediaにただ【三井B&W1226MTBF-40V既に製造終了しているよ】 と書き込んでも、「ただ書き込んだだけ」ですから、 今回は出典を求めて三井造船に問い合わせたわけです。

最初から【詳しくは書けませんが政治的な理由が主要因を占めていたと言っていいと思います】 というようなことを書き込んでくれれば、よかったのではありませんか。

QBM様がおっしゃる、 Wikipedia に関しては引用する方も多く、誤った記述があたかも事実として独り歩き することがまま見受けられます。関係者としては耐え難いことだと思います。

これについては、私は部外者ですが、全く同感です。 私がWikipediaに本格的に書き込みだしたのは、 今年になってから、 洞爺丸はW型船図流用というのをH型に訂正させてもらったあたりからで、 それ以前は、連絡船の各項目も、そのうち詳しい方々が充実させてくれるだろうから 高みの見物でいいや、と思っていました。

しかし、私の目から見ても、貧弱で誤りも多く、ついに耐えられなくなって 書き込みを始めた次第なのです。

「いろいろな文献を調べられて、得られた知見を都度書き込まれているようで」 ではありません。 20年以上の連絡船との付き合いで、大体のことは 頭の中に入っています。 ただ、1988年の終航後は、記憶を反芻する機会も乏しく、 薄れる一方でしたが・・

今年の、Wikipediaに本格的に書き込み始めてからは 記憶がよみがえりつつあります。 また、あくまで個人の資格で書き込むため、 わかりきった事についても、手持ちの文献を確認してから 書き込むようにしています。

こう言うとナンなんですが、 元部内の方々が、一般人でも読める内容で(業界用語をできるだけ避けて)、 Wikipediaにさっさと書き込まんから、私が出しゃばらなくてはならなくなったんですよ。

それと、これもナンなんですが QBM様も、部外者の私ごときに突っ込まれるような書き込みを しないようにお願い申し上げます。

最後に、失礼なことを書きましたが、ひょっとして、 その20年以上の間のどこかで、 QBM様のお世話になっていたことがあるかも知れません、 もしそうでしたら、その節は大変お世話になりました。 --Akoihsin会話2012年7月14日 (土) 14:37 (UTC)[返信]

Akoihsin様

ご理解いただけたようで、ありがとうございました。

部内の人間、とくに元乗組員にあっては連絡船の廃止を機に人生の大きな岐路に立たされ、その後、多くの人が苦汁を飲まされることになりました。新会社(当時の用語ですが)に残った人も(というより残った人ほど)、慣れぬ陸上の仕事で、職場では差別され、苦しんでいました。 私も、昔のデータなどを出してきて振り返ることをはじめられたのは、ここ1年ほどのことです。 このようなものに書き込むのも、私より適任はいくらでもいるはずですが、上記のような事情もあって、「触れたくない」という人が以外に多いと思います。末期まで勤務された方…とくに運航に携わっていた方で、対外的な発表を行う人が少ないと思われるかもしれません。Wikipediaに書き込まれる方がいなかったのを奇異に感じられるかもしれませんが、そのような事情をお察しください。

--QBM会話2012年7月17日 (火) 15:17 (UTC)[返信]


皆様へ

私が“川崎MAN VV22/30は1970年頃製造終了”と書き込んでいましたが、 その後、1970〜1980年の「船の科学」の新造船紹介や、 以前から出典としていた川崎重工の「原動機事業100年のあゆみ」を精読しましたところ、 当時建造の海上自衛隊のLSTや補助艦艇その他に本エンジンが使用されており、1979年まで生産されていたようです。

また元青函局長の石黒隆様の「世界の艦船」285号1980年への寄稿にも「特注に対し少数製作」とあるため、 「船の科学」第29巻6号1976年を出典から削除し、石黒様のを出典としました。 なお本文は本年2月8日にQBM様が既にそのように訂正されていましたので、いじっていません。

私の文献読み込み不足から、誤った情報を書き込んでしまい、申し訳ございませんでした。 謹んで訂正させていただきます。

--Akoihsin会話2013年9月4日 (水) 14:56 (UTC)[返信]

記事名

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記事名に疑問が。なぜ渡島丸型が記事名ではないのです?202.213.128.220 2014年10月29日 (水) 14:55 (UTC)[返信]