ノート:渡辺福三
表示
削除されそうなので、とりあえずこちらに。
渡辺 福三(わたなべふくぞう 1870年-1920年3月19日)は日本の建築家。国会議事堂の公開コンペで1等当選したことで知られる。
北海道出身。1895年に宮内省の雇となり、のちに技手。東宮御所(赤坂離宮)の建設に関わった。
1918年に実施された国会議事堂の建築設計競技に際して、吉武東里を中心に宮内省内匠寮の有志が集まり、数案を作成した。このうち、渡辺福三の名で出した案が1等に当選した。
渡辺は帝室林野管理局技師となったが、1920年3月19日に逝去した。
削除方針について
[編集]- 「理由: 吉武東里からの転記(要約欄への版記載手順不備含む)。WP:CSD#全般の6。」とのことですが。
Wikipedia:著作権の「日本語版ウィキペディアにおけるコピー・アンド・ペースト」は目を通したつもりでしたが不十分だったでしょうか。なお、元記事自体、私が書いた文章です。また、「意味のある加筆」をしろ、ということなら、上記のように加筆作業中のところでしたが、如何でしょうか。 --忠太 2009年8月11日 (火) 12:44 (UTC)
- 削除されたので、作り直しました。 --忠太(会話) 2014年3月24日 (月) 15:16 (UTC)
場所付雇について
[編集]- 「皇室建築」には、「明治二八年から二九年にかけての宮内省庁舎の震災後の修繕工事に場所付雇として参加」とありますが、公文書に付いている履歴によると「明治廿六年八月廿一日 当分場所付雇申付」とあります。「震災」というと明治東京地震(明治27年6月)のことかと思いますが、少々整合しない感じです。<あるいは公文書の26年は27年の誤りか?> --忠太(会話) 2014年3月24日 (月) 15:16 (UTC)
宮内省内匠寮の人々
[編集]当時の内匠寮に、技師:大澤三之助、木子幸三郎、技手:渡辺、小林福太郎、吉武東里、永山美樹らの名前がある。(大正7年「職員録」T7.5.1調[1]) --忠太(会話) 2014年3月25日 (火) 12:54 (UTC)