ノート:満州事変/過去ログ1

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満洲の「洲」は旧字ではない

満洲の「洲」は旧字ではないので、「州」に書きかえる必然性は感じないのですが、どちらの表記がよいでしょうか? Hachi 12:29 2003年6月2日 (UTC)

特定の版の削除依頼を出さねばならないようですね。0null0 06:27 2004年1月16日 (UTC)

正確な絵描き歌でもないようですよ。Johncapistrano 06:30 2004年1月16日 (UTC)

日本音楽著作権協会は替え歌を著作権侵害としていますので、削除依頼には出した方がよいでしょう。Michey.M 06:34 2004年1月23日 (UTC)
補足です。こちらをごらんください。

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0null0 06:37 2004年1月23日 (UTC)

特定の輩の削除以来を出さねばならないようですね。Naka987 17:47 2005年11月21日 (UTC)

柳条湖について

柳条湖事件は、奉天で起きた--以上の署名の無いコメントは、219.110.187.30会話投稿記録)さんによるものです。

検閲などは何一つ行われていなかった?

2007年9月9日 (日) 06:45の編集の「なお、当時の新聞以下マスコミは関東軍の行動に対して記事に対する検閲などは何一つ行われていなかった……」というのは明らかに間違いです。軍による検閲は行なわれていました(そもそも聨合の第一報が抑えられています)。その後の「理由としては、……」も何だか独自の研究のような感じがしますが、そうでないのなら出展を明らかにして頂きたいと思います。 (その前の一文の「これ以降、関東軍は勝手に国策を決定して実行するようになった」というのも、どうかなあ、と思うのですが。)... Kanoe 2007年9月9日 (日) 10:56 (UTC)

検閲については明らかに間違いでしたので、削除しました。--Memosa 2007年10月27日 (土) 15:19 (UTC)

張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説について

本説については、はっきり言えば、アカデミズムの世界では黙殺されている説であり、通説と全く同列に記載することは適当ではありません。記載するとしても、現時点ではあくまでごく一部の人が主張しているに過ぎないことを注記したうえでの記載でなければ、読者を誤った観念に導く可能性があります。しかしながら、本記事はあくまで満洲事変についての記事であって、上記のようなことを延々と記載することは適当でないと考えられますので、一部にコミンテルン犯行説が存在するとの簡単な紹介にとどめ、詳細はメイン記事を参照してもらうのが適当と考えます。--Chocopeanut 2010年3月4日 (木) 11:10 (UTC)

例え疑似科学だったとしても、それはそれとわかるように記載することがNPOVというものです。リンク先に頼り、「一部異論」では読者ははっきりわかりません。少数派の意見だからこそ誰がどこでどのように主張しているかを詳細に記載する必要があります(Wikipedia:言葉を濁さない)。また、日本が爆破し殺害したと通説を事実のように断言して書かれており、その後にコミンテルン犯行「説」として載っています。どちらも「説」とした書かれ方ならば「同列」となりますが、少数派の意見を「説」として載せているため、「同列」となっておらず、少数派の意見としての記載になっています。--218.217.156.167 2010年3月4日 (木) 11:23 (UTC)
そもそも履歴からして編集合戦になりえる内容部分であり、しばらく記載されていたものを変更するならば、ノートで提案し合意を得てから行動してくださいな。強引すぎでしょうに。--218.217.156.167 2010年3月4日 (木) 11:38 (UTC)

「少数派の意見だからこそ誰がどこでどのように主張しているかを詳細に記載する必要があ」る、それはまさにおっしゃる通りですが、満洲事変の項目にて少数説(歴史学の世界でまともに取り上げられたことのない説)を殊更に詳述する必要性はないと考えます。通説と異なる少数説が存在することを紹介した上で、詳細はリンク先へ誘導すれば、本項目においては、それで十分ではないでしょうか。また、編集合戦に至った点は遺憾ですが、可変IPユーザーも編集合戦に参加していたのであり、当方のみに責があるとは考えていません。--Chocopeanut 2010年3月4日 (木) 12:01 (UTC)

「同列とはなっていない」ことは理解していただけたのでしょうか。「少数説を殊更に詳述する必要はない」とのことですが、方針上NPOVとして少数説も記載できることとなっており、またリンクがあろうがなかろうが、どの記事においても言葉を濁さずに特定の人々がそう言っているならば、代表的な人物を具体的に挙げて記載しなくてはなりません。現在の状態は「誰がどこでどのように主張しているか」とガイドラインにしっかり沿った書かれ方となっており、わざわざガイドラインに違反して曖昧に略す必要がありません。--218.217.156.167 2010年3月4日 (木) 12:16 (UTC)

「同列とはなっていない」ことを理解するもなにも、「本項目において同列に記載するのは適当でない」と主張していますので、よく人の意見をお読みになってからの投稿をお願いします。さて、wikipediaに関する諸原則はむろん重んじられるべきですが、それらの原則は本項目と直接の関係のない事項についても妥当するものかどうか、私は疑問に感じます。いずれにせよ、wikipediaの方針のみをふりかざすのではなく、なぜ本項目において通説と同程度にトンデモ説に紙幅を割く必要があるのか、もう少しご自身の頭でお考えになることをお勧めします。--Chocopeanut 2010年3月4日 (木) 12:30 (UTC)

ん?「同列に記載するのは適当でない」と主張されてるんですよね?で、現在の状態が「同列になってるから変えろ!」という主張なんですよね?では、一方が断定表現で記載され、他方は「説」として書かれており、また通説は6行、少数説は3行となっている中で、どこが「同列」「紙幅を割く」と仰っているのでしょうか?お答えください。また、「方針のみをふりかざす」と仰っていますが、「こうしたほうがいい!」などという個人感想では収拾がつきません。だからこそルール(方針)があるのです。「トンデモ説」か否かは、あなたの独自研究・感想でしかなく、意味のない発言です。地動説が少数説だった時代もあるように、小数説はそれなりに大切に扱わねばなりません。一方を断定表現で書き、他方を「異説もある」のみで内容をまったく記載せずに隠蔽するのはPOVともなってしまいますので、無理な話です。--218.217.156.167 2010年3月4日 (木) 12:42 (UTC)加筆修正--218.217.156.167 2010年3月4日 (木) 12:54 (UTC)

少し話が食い違っているようですね。私は現在の記載については「通説と異なる少数説が存在することを紹介した上で、詳細はリンク先へ誘導すれば、本項目においては、それで十分である」旨を主張しています。それを隠蔽というのはちょっと感覚がわかりません。また、「個人感想では収拾がつかない」のはまったくおっしゃるとおりですが、だからこそ議論をしているのではないですか。原則のみを主張されても議論になりませんし、私は本項目における原則の適用(濫用)について異議を申し上げているのですから、それについてのご見解もお伺いしたいところです。

なお、「トンデモ説」などという俗な表現を使ってしまったので案の定言葉尻をとられてしまいましたが、むろん私は独自研究に基づいて主張をしている訳ではありません。お分かりだとは思いますが、念のため。--Chocopeanut 2010年3月4日 (木) 13:14 (UTC)

一部分のみ切り取って答えるのではなく、あなたの主張の中心であった「同列に記載するのは適当でない」の詳細な説明がないようですが、どこが「同列」となっているのかしっかり質問にお答えください。また、「本項目のみ」方針やガイドラインが通用せず、イチユーザーの「それで十分だ」で通用するという根拠をご提示ください。記事によって議論によりローカルルールは新たにつくることはできますが、それも方針やガイドラインを前提にしたものであり、方針やガイドラインを「原則の適用(濫用)に異議」などとして逸脱できるなど聞いたことがありません。それが可能となる根拠はどこにあるのでしょうか?お答えください。方針やガイドラインに則った上で、意見が割れたのならば議論の余地もありますが、方針やガイドライン違反ではどうしようもありませんよ。「トンデモ説」が独自研究でないのならば、独自研究ではないという信頼できる出典をお待ちしております。ひとつずつ詳細にお答えくださいね。--218.217.156.167 2010年3月4日 (木) 14:15 (UTC)
コメントまさかとは思いますが、218.217.156.167さんはこの説を信じているのではないのでしょうか?なぜここまで固執する必要があるとおもいのか偏執質のようにおもいます。ある種の使命感でもあるのですか?以前にも、同じ事をやったIP投稿者がいたのですが、また繰り返しているのではないのでしょうか。この問題は関連する項目である旨を書くとすれば本文ではなく、関連項目もしくは備考の節に書くべきであり、本文に入れる必要はない。それに一連の流れとはいえ、満州事変よりも4年前の出来事であり、さらっと流すべきであり、本文で触れると「仮説」をあたかも真実であるかのように読み取らせるといったミスリードしかねないといえる。どうしてここまで記述にこだわるのか理由を理屈ぬきで書いていただきたいところです。
当方なりに「同列に記載するのは適当でない」という意見に賛同するのは、秦郁彦氏の言葉ではないのですが上杉謙信は女性であったという上杉謙信女性説があることを本文にかくのと同様であるといえます。仮に映画の項目にたとえるなら『映画監督Aが大ヒットした作品「乙」前には、興行的に大失敗した作品「甲」があった。「甲」の出来事を経て「乙」の製作に至った。しかしこの作品が失敗したのは別の監督Bが妨害したとの説がある。詳細はこちらの項目を参照のこと』といった状態であった。このように書くと作品「乙」の事を記述しているはずなのに、その前の「甲」の実証もされていない仮説が真実味あるように読み取れる為、Bから名誉毀損で訴えられる危険性がある。そのため、本文ではなく後の「トリビア」で「このような話もあったが確証はない」というようにすれば差しさわりはないといえる。このように「同列」に記述すると、「仮説」を「真実」であるかのように思い込む「バイアス」がかかる為、以降読んでいくに当たり「どうせロシア人の仕業だ」となんて認識する読者がいないとは限らないからです。
問題の項目を立項した者としてはなんなんですが、いくら調べても主張する根拠に事実誤認が多く、そのような「仮説」を信じる人が存在する方が不思議であり、ある種のきな臭いイデオロギー色を感じざるを得ないです。そのため、真実とするのは「日本人は悪いことはしていない、悪いのは回りの人間だ。自分達ではなんら自立した行動は出来ない」と考える人種のようにすら思えます。相当いいすぎかもしれませんが。--Carpkazu 2010年3月4日 (木) 15:28 (UTC)
コメントなんらかの形で合意が形成されるまで、件の編集はおやめください。もし守られない場合には半保護依頼をいたします。--Carpkazu 2010年3月4日 (木) 15:43 (UTC)


申し訳ないがChocopeanut氏との話の流れが途切れるので、遠慮して欲しかったのだが・・・。あなたはしばらく黙っておきながら、今回に便乗してリバートするという卑怯な行為をまず反省していただきたい。
また、編集合戦の前の版にして戻します。合意を得てからいじってくださいな。また半保護は無理でしょう。あなたを含めてアカウントの者が合戦しているのですから。強行に戻しても無駄なことですよ。
「満州事変よりも4年前の出来事であり、さらっと流すべき」とのことですが、さらっと流しているように見えますが?張作霖爆殺事件を記載している以上、NPOVの観点から異説も載せるしかないでしょうに。また、「事実ではない説である!」と持論を長々と述べておられるようですが、世に出てしまっている説であり、「Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」がWikipediaでは重要だったはずです。あなたの事実認定は必要ありません。--218.217.156.167 2010年3月4日 (木) 15:49 (UTC)
コメント合意形成を得るといっていながら、リバースする行為はいかがなものかと思いますし、Chocopeanutさんと対決しているわけではないでしょうか?それに当事者同士で論戦したとしても平行線のまま歩み寄ることもないようにおもいますし、それに「ノート」はChocopeanutさんと218.217.156.167さんの二人のものではありません。第三者的な意見もひつようですよ。コメント依頼を提出しています(これを除去するとブロックされます)ので、出来るなら合意形成が得られるまでは、本文への投稿は控えていただきたいものです。--Carpkazu 2010年3月4日 (木) 15:55 (UTC)
第三者の意見は歓迎です。ただずっと記事を黙認しておきながら急に出てきて便乗してリバートするような方(あなた)の意見は正直、有効に働くとも思えず、当人同士の話の流れを邪魔して欲しくなかったという個人的感想です。今回の編集合戦になる前の版とし、合意を得てからいじるべきでしょう。なぜなたはいじるのでしょうか?[2]荒らしているのでしょうか?--218.217.156.167 2010年3月4日 (木) 16:06 (UTC)

なにやら一悶着があったようですが、リバート云々の是非は置いておいて、Carpkazu氏のご意見に概ね賛同します。あえて私が氏の意見に付け加えることもないのですが、IPユーザ氏が「同列」という言葉に引っかかっておられるようなので説明します。

ロシア人歴史作家のドミトリー・プロホロフ[2]により、張作霖爆殺事件はGRUが実行したものという説も存在している。『マオ 誰も知らなかった毛沢東』によってコミンテルンが関与していると世界でも紹介された。詳細ついては張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説を参照のこと。

というのが現行の記載ですが、ここでは「張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説」が現時点において全くの少数説である旨の記載がなく、「説も存在している」「世界でも紹介された」などと、むしろその逆であるかのように記載されており、通説と同列に扱われるべき説として記載されているといっていいと考えます(単純に3行とか6行とかいった話ではありません)。少数説の紹介はもちろん歓迎されるべきですが、読者をミスリードしないよう少数説なら少数説である旨の正確な記載をすべきであるし、少数説たる根拠を書く場合、それが長くなるのであればメイン記事にその場を譲るのがむしろ通常の書き方なのではないでしょうか。Carpkazu氏の例えを借りるならば、上杉謙信の記事で上杉謙信女性説を紹介するのはむしろ歓迎すべきことなのかも知れませんが、武田信玄の記事の中に上杉が登場する文脈で上杉謙信女性説を紹介するのはあまり望ましいとはいえないでしょう(ちょっとあまりいい例えではありませんが)。 結局、少数説たる張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説詳細は当該記事若しくは張作霖爆殺事件の中で論じるべきなのであって、満洲事変の項目においてNPOVとかPOVとかいう原則論のみで考えるのは適当ではないのではないでしょうか。また、「トンデモ説」の根拠については、当該記事によくまとまっていますので、一度お読みになることをお勧めします(蛇足でした)。--Chocopeanut 2010年3月5日 (金) 13:02 (UTC)

結局一日待ちましたが、方針やガイドラインを「原則の適用(濫用)」とし、「本項目(満洲事変の項目)のみ」適用しなくても良しとする、方針上の根拠が提示できなかったようです。残念ですが、編集者として方針やガイドラインを逸脱することはできません。満州事変の記事には少数説はリンクに頼り「異説もある」のみで良いとのことですが、「張作霖爆殺事件」を本項目で記載する以上、そこはPOVとするために方針上、両論載せねばなりませんし、その論は誰がどこでどのように主張しているのかを曖昧にせずに最低限記載せねばなりません(Wikipedia:言葉を濁さない)。そして現在そのようになっております。本項目のみこの方針やガイドラインを無視して良いとするWikipedia上のルールがない以上、編集者として方針を破るわけにはいきません。編集方針を守れないのならば編集に参加すべきではありません。
現在の「説も存在している」「世界でも紹介された」との記載がミスリードになっているとのことですが、プロホロフという代表的人物(一人)が主張している説であり、それが世界にも紹介されたという事実の記載なだけで、一般的読解力があれば、これを「通説」「多数説」と読む人間はいないでしょう。いったいどこでこれを「通説」「多数説」と読み違えると言うのでしょうか?意味がわかりません。しかし、それでも「少数説であることを、もっとはっきり知らせたい!」と仰り、文量についてこだわりがないのであれば(あなたの文量主張についての突っ込みは後述)、少数説を匂わす旨の一文(専門誌では扱われたことがない説である)を入れてもかまいませんよ?
通説を「事実表現」で記載法し、少数説を「(1人の)説」として記載している現在の状態は、まったく「同列」になっておらず、方針上適切な状態です。
>3行とか6行とかいった話ではありません
あなたは「同列に扱うな」「少数説に紙幅を割く必要はない」と主張されていました。「紙幅を割くな」と「3行とか6行とかいった話ではない(紙幅の話ではない)」との主張には矛盾が出てしまっていますが、どちらなのでしょうか?もし、行数は関係ないのならば詳細に記載すれば良いのみであり、行数を意識するならば、方針に則って必要最低限な事項を記載しておけば良いことになりますので、主張をはっきりされてからお選びください。
「トンデモ説」についてはリンク先を拝見しましたが学者がそのように主張しているものはないですので、やはりあなたの独自研究だったようです。どこのだれかもわからないあなたの感想によって話を展開されても無意味ですので止めましょう。--220.147.34.241 2010年3月6日 (土) 00:25 (UTC)

上杉謙信の例えではよく伝わらなかったようですが、例えばジョン・F・ケネディ#アポロ計画に「ニクソン政権下の1969年にアポロ11号はついに月面に人類を送り届けることに成功した。」という記載があります。果たしてここにアポロ計画陰謀論を併記することがあなたのいうPOVとかNPOVとかいったことなのですか?

「紙幅を割く」「同列」という文言に論理矛盾がある、というご指摘については正直いってよく理解できませんが、私は本説について「事件の真犯人については一部に異説もある。詳細については張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説を参照のこと。」という記述が望ましい、―つまり張作霖爆殺事件について扱うことが主でない本項目においては、通説と同列に記載するのではなく「一部にソ連特務機関犯行説という異説がある」ことを紹介するにとどめ、詳細について本項目では紙幅を割かずメイン記事に誘導すべきーと一貫して主張しているつもりです。

さて、「トンデモ説」という言葉がひっかかるようなら撤回しましょう。ただし、本説は現時点においてアカデミズムの世界では黙殺されている説であることは動かしがたい事実ですし、これは私の独自研究でも何でもありません。--Chocopeanut 2010年3月6日 (土) 01:59 (UTC)

「張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説」なるものが学説とよべるレベルに達しておらず、学会からてんで相手にされていないというのは、まぎれもない事実だろうね。だって査読論文や研究書に言及しているものは一つもないしね。あるというのなら例を挙げて欲しい(もちろん査読された出版物の中でという意味で)。--118.105.193.229 2010年3月6日 (土) 02:43 (UTC)

(インデント戻す)あなたの出した例の内容について詳細に私はわかりませんが、論争があるものならば記載することがNPOVというものでしょうね。方針では疑似科学でさえ、それはそうとわかるように記載すれば良い、それがNPOVとされております。

「事件の真犯人については一部に異説もある。」としてリンク先に頼ることが「望ましい」というあなたの感想は十分理解しました。しかしそれがなぜ望ましいのか?の根拠(明確な理由)がなければ、「お気持ち・希望は理解しましたが、すでに説明しているように方針・ガイドラインを逸脱しているので希望を叶えることは無理ですね」としか言いようがありません。 こちらは一貫して客観的な方針やガイドラインに沿って根拠を持って語っています。一方あなたは個人的な感想・感覚ばかりであり、個人感覚で記事が思う通りになるならば、そんな危険なことはありませんし、願いを唱えるだけでは議論も進みませんので客観的根拠を提示しながら語ってください。 また、すでに説明しているように文量・内容ともに「同列」とはなっていないことが明白な中で、未だに「通説と同列に記載するのではなく」と仰っていますが、現在が「同列」となっているとするまともな説明が未だにございません。あなたが「同列」とした理由として1.「説も存在している」「世界でも紹介された」の記載は「(少数説とは)むしろその逆」の表現だから2.「少数説である旨の記載がないから」 の二点を挙げられていますが、すでにその二点については前回に指摘させていただきました。しかしなぜか答えていただけないまま「通説と同列に記載」とはどういうことでしょうか?もう一度お聞きします。1.については、いったいどこでこれを「通説」「多数説」と読み違えると言うのか?詳細にお答えください。2.についてはならば(現在の状態で十分であり、書く必要性もないが百歩譲って)少数説を匂わす旨の一文(専門誌では扱われたことがない説である)を書けばよいのみだがいかがか?お答えください。現在のどこが「同列[3]」になっているというのか明確な説明をしてください(同列の意味は理解されてますよね?)。

やはり「トンデモ説」という発言は根拠の出せない独自研究のお言葉だったようですね。以後お気をつけください。撤回は受け入れましょう。 --218.217.154.143 2010年3月6日 (土) 04:00 (UTC)修正--218.217.154.143 2010年3月6日 (土) 04:38 (UTC)

コメントIPアドレスが毎回変わっているにもかかわらず、一貫した主張であるのですが、IP氏が同一人物か否か疑わしいですね、余計ですが丸数字文字はマックユーザーの場合別の文字に変換されて見える可能性があるのでネット上のマナーとして使わないほうがいいですよ。当方には問題なく見えますが。なんか「少数説」か否かではなく、自説の正当化を図る為にガイドラインや理論を振りかざしているように思います。この件は本来なら張作霖または張作霖爆殺事件のところで、記述すれば充分であり。異説がある云々はもっとさらと流すべきだと思います。ここまで固執する理由を「出典のある少数説だから構わない」というだけでは納得できないです。「事件の真犯人については一部に異説もある。」ですが、この文意ではそそっかしい読者の中には「満州事変」もロシア人の策謀だと誤解する人が出てくる可能性があります。世の中には記述者がそう思っていなくても、そのように誤解して読み取る人がいます。実際に件の仮説を信じている元谷氏のようにきちんと伝記を読めば中国共産党によって投獄されたことを把握できるはずなのですが「河本大作は東京裁判の最中に中華民国に拘束されていた」と未だに信じているような人がいます。そのため、文章の並びによっては「満州事変もソ連の諜報機関の陰謀」と誤認する読者が出る可能性が否定できない為、注釈にでも落とすのがもっとも妥協できる解決案だと思います。それにしても個人的にはロシア人作家(キャリアから言えばソ連のスパイ機関暗躍の歴史作家です)が主張したこの説は「いかにしてロシア人が世界を動かしたか、すばらしかったか、またいかにソ連の諜報機関が活躍したか」を宣伝するロシア至上主義者の主張を日本人の一部の者が都合よく解釈したというのが実情ではないかと思います。そのため、この仮説を信じるのは本当は昔から現在に至るまでロシア人に日本人は簡単に騙される愚かな民族であり、日本人だけでは何ら冒険的行動をすることが出来ず、ただ操り人形であることを自ら認めるものであり、容認するものはかえって日本人自身を貶めているものであり、このようなロシアの自慢話を捻じ曲げて日本人が悪くなかったと主張する同床異夢な仮説をひろめることは問題があるかのようにいえます。--Carpkazu 2010年3月6日 (土) 04:20 (UTC)
あまり意味があるとも思えませんが同一性を示すためにここだけのアカウントでも作りましょうか?丸文字のアドバイスはどうも。訂正しておきました。方針・ガイドラインに則って語っているものを「方針をふりかざす」とのレッテル貼りはお止めくださいな。反論があるならば内容でお願いします(その際、感想文ではなく客観的根拠をもとに論じてください)。--218.217.154.143 2010年3月6日 (土) 04:30 (UTC)
コメントここだけどいわずアカウントを使うと便利ですよ、ウォッチ機能が付きますし、個人のページが作れますし、投票権も持てますよ。それにIP氏だと某掲示板の「名無しさん」といっしょで、あまり信用されない場合がありますよ。当方の解決案ですが、上にも修正で書きましたが「注釈にする」です。これは論文の書き方では一般的な方法です。個人的体験から言わせれいただくなら、現状では大学の教官から「話しが飛躍している、直接関係ないだろう。かくのなら注釈に落とせ」といわれる状態です。--Carpkazu 2010年3月6日 (土) 05:07 (UTC)
現在の記載内容を除去せずに「ロシア人歴史作家の(中略)という説も存在している。」と誰が主張しているのかはっきり示して本文に残し「『マオ 誰も知らなかった毛沢東』によって(中略)参照のこと。」部分を注釈入りならば異論はありません。--218.217.154.143 2010年3月6日 (土) 05:34 (UTC)

「論争があるものならば記載することがNPOVというもの」とのIPユーザ氏のご意見ですが、これについてはWikipedia:中立的な観点#争いのある主題についての長い記事をご覧いただくとよいでしょう。私は先ほどこの項目を見つけましたが(それまではIPユーザ氏曰く「個人感覚」で意見を述べてきた訳ですが)、私のこれまでの主張と同趣旨のことが「客観的な方針やガイドライン」という形で書いてありますから、ご覧ください。--Chocopeanut 2010年3月6日 (土) 08:27 (UTC)

私の前回、及び前々回の質問に詳細にお答えになっていないのはどういうことでしょうか?「なにが同列となっているのか」の説明をお願いします。お願いですからあなたの発言に細かく質問が出ているのですから誠意を持って細かくお答えください。
さて、あなたのリンク先のどこに、リンクさえ貼れば内容にも触れず「異説もある」のみの記載でよいとする説明があるのでしょうか?そちらでは異説も「他の記述の妨げにならない程度の言及は」良く、「関連する記事にリンクを張」れば良いとされております。現在「ソ連特務機関犯行説」はたった3行の一文(ちょっとした文章)となっており、「他の記述の妨げ」になっている状態とは到底言えず、且つ説を書くには誰がどのように主張しているのか曖昧にせずに書かねばなりません。現在の「ソ連特務機関犯行説」記載の状態はまさに方針に適合し、NPOV状態です。あなたのリンク先のどこに「論争があるものならば記載することがNPOVというもの」ではない、と書かれているのか詳細にご説明ください。
まあ、しかしあなたが個人感覚で語ってきたことをお認めになり、そのように根拠(方針)を持ってきて(リンクを貼って)主張されるようになったことは歓迎です。個人の感想・願いの羅列では話は進みませんからね。--220.147.7.189 2010年3月6日 (土) 12:25 (UTC)

「個人感覚」とカッコ書にしているのは皮肉の意味ですよ。私は「どこのだれかもわからない」IPユーザ氏と喧嘩がしたいわけではないので、くれぐれも紳士的な物言いをお願いします。

上記のガイドラインからすれば、ジョン・F・ケネディ#アポロ計画の「ニクソン政権下の1969年にアポロ11号はついに月面に人類を送り届けることに成功した。」という記述にアポロ計画陰謀論を併記しなくともPOVとかNPOVとかいう問題は生じない、ということは分かりますか?併記する場合でも、「手短に一文書き、関連する記事にリンクを張る」ことで足りる、という訳です。IPユーザ氏は「現在の「ソ連特務機関犯行説」記載の状態はまさに方針に適合し、NPOV状態」とおっしゃいますが、POVとかNPOV云々は満洲事変の項目においては決定的な要素たり得ないということです。

また、「同列」云々の文言にこだわっておいでですが、どうも「同列」の言葉の捉え方が氏と私では食い違っているように感じます。私にとって張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説は傍論としてさらっと紹介しておけばよいのであって、通説と対立する説として解説するにおよばない(つまり手短に一文書き、関連する記事にリンクを張る)というような意味で使っているに過ぎないのですが。--Chocopeanut 2010年3月6日 (土) 13:37 (UTC)

あなたは通説と全く同列に記載しているから適当ではないと主張し、出てこられ強行除去をした方です[4]。ならば現在の状況が通説と全く同列に記載されていると言えるのか否か詳細な説明を求めるのは当然ではないでしょうか?これらの質問をスルーせず[5]、ひとつずつ詳細に早くお答えください。あなたは私の指摘に困ったのか、その説明をまったくしていない。消し去りたいという目的ありきの主張のためか、少し理由を変化させてWikipedia:中立的な観点#争いのある主題についての長い記事を持ち出しているようですが、そちらのリンクは論争がある異説は一文を書いてリンクすれば良いというものであり、「(異説を)書かなくて良い」というものではありません。前回も指摘・お聞きしたように、「他の記述の妨げにならない程度の言及は」良く、「関連する記事にリンクを張」れば良いとされており、現在の状態は手短に一文書き、関連する記事にリンクを張る状態になっています。違うと仰るならば根拠を持って詳細な説明をお願いします。どの記事においても疑似科学でさえ、それはそうとわかるように記載することがNPOVというものです。こっちの記事だから論争のある異説を書かなくてもOKなどということはありません。また、あなたの手短に一文書き、関連する記事にリンクを張るスタイルというのは、リンクを張って主張者や内容にまったく触れずに「一部に異説もある」のみの記載で良いとしているようですが、どの記事であろうが説・主張を載せるからには、誰がどのように主張しているのか曖昧にせずにはっきり書き、読者にわかるようにしなければなりません。こちらの記事では曖昧表現でokなどということは許されません。反論ができないからでしょうが、あなたはこの点をずっと無視していますよね。--220.147.7.189 2010年3月6日 (土) 16:03 (UTC)簡潔に修正--220.147.7.189 2010年3月6日 (土) 17:04 (UTC)

「同列」についての私の考えはすでに十分述べたと考えています。噛み合わない議論を継続することよりも、私としてはもっと建設的な方向に議論を進めたいと考えていますが、先に引用した指針にはもしもある前提について他のページで踏み込んだ議論を行うのであれば、その前提について別のページで議論する優れた理由は、たぶん存在しないでしょう。ですが、手短で、他の記述の妨げにならない程度の言及はよいと思います。とあります。つまり満洲事変の項目において張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説をわざわざ議論する(議論するということは「ひとり『歴史作家』と自称する人物が主張していて、APAの人や教育学者など「識者」が支持しているが、史料批判に耐えない内容のため歴史学者・学会からは現在のところ黙殺されており、少数説にとどまっている」ということまで記載すすべきでしょう。それでなければ読者に正確な知識を提供したことにはなりませんからね。)優れた理由は存在しないが、あえて記載するのであれば手短で他の記述の妨げにならない程度に言及し、議論の詳細はメイン記事を参照してもらうことが望ましい、ということです。この「手短」という点で私とIPユーザ氏の感覚が異なっている、ということではないですか。その感覚の違いが「同列」云々の言葉の使い方の違いに現れているのでしょう。したがって、ここで我々が議論すべきは、POVとかNPOVとかいった観点ではなく、現行の記載が「手短」といえるかという点ではないでしょうか。私は「手短」でないと考えており、その理由は今まで述べてきたとおりです。ただし、現行の記載を注釈におとすことによって「手短」さが達成されるならば、これをあえて拒否する理由はありません。具体的な例を挙げれば、張作霖#最期のような記載とするのが良いのではないでしょうか。--Chocopeanut 2010年3月6日 (土) 23:20 (UTC)一部校正--Chocopeanut 2010年3月6日 (土) 23:23 (UTC)

追記:余談ですが、張学良#奉天軍閥の項目には「1928年6月4日、関東軍の河本大作による張作霖爆殺事件により、張作霖が死亡すると張学良は側近達の支持を取り付け奉天軍閥を掌握し、亡父の支配地域・満州を継承した」との記述があります。ほかにもこうした記載は多くあるでしょう。wikipedia中のこうした記述にしらみつぶしに「張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説をドミトリー某が主張した」と併記することが、果たしてIPユーザ氏のいうPOVとかNPOVとかいったことなのでしょうか。先に挙げたアポロ計画とその陰謀論の話も、全く同様です。「ガイドライン」の細かな文言にとらわれるあまり、全体として誤った思い込みに陥っているとは思われませんか?--Chocopeanut 2010年3月6日 (土) 23:42 (UTC)


えっとまず、建設的な議論とするためにも都合の良い部分のみ触れるのではなく、自身の主張へ相手から指摘され疑問を呈された場合誠意をもって飛ばさずに一つずつ答えてください。飛ばす癖があおりのようなので答えやすいように番号を付しておきましたので、ひとつずつ回答ください。
1
何度も繰り返し聞きましたが、どうやら現状が「通説と全く同列に記載されている」との主張[6]の根拠提示や説得力ある説明がどうしてもできないようですね。
記事において少数説が多数説と同列に扱われていたのならば方針上(NPOVとして)、確かにまずい。だからあなたは当初の主張であった「(現状が)通説と全く同列に記載されている」の証明をすれば済む話だったわけです。しかし現状は誰が見ても同列ではありません。 「同列」についての私の考えはすでに十分述べたと考えています と仰っていますが、ならばどこで述べたのかはっきり教えてください。
まず内容的に現在は、「(日本が)爆破し殺害した」と通説を事実のように断言して書かれており、その後にコミンテルン犯行「説」として載っています。どちらも「説」としての書かれ方ならば「同列」となりますが、少数派の意見を「(一人の)説」として載せているため、「全く同列」となっておらず、少数派の意見としての記載になっています。また文量的にも少数説は多数説の半分以下となっており、「全く同列」となっておらず、誰がどう見ても「全く同列」ではありません。この指摘を全く無視していますが、どういうことなのでしょうか。
もう一度お伺いします。現状のどこが「通説と全く同列に記載されている[7]」と言うのでしょうか?間違えた発言だったのならば、そう言っていただき、その上で次の理由を主張をし始めるのならばこちらも理解します(目的ありきの理由付けとなるので説得力は薄れてしまうとは思いますがね)。
2
POVとかNPOVとかいった観点ではなく、現行の記載が「手短」といえるかという点ではないでしょうか。私は「手短」でないと考えており、その理由は今まで述べてきたとおりです。
「(現状の少数説は通説と)全く同列となっている」との主張からから「(現状の少数説が)手短といえるか否か」という観点にシフトしたようですが、「手短か否か」というのは個々の感覚によって違うものですから、個人感覚を言い合っても埒が開きません。
確かに「異説もある」のみならば、現在より「手短(意味;簡単で短いさま)」となるでしょうね。ただしどの記事であろうが説・主張を載せるからには、誰がどこでどのように主張しているのか曖昧にせずにはっきり書き、読者にわかるようにしなければなりません。そして現在ガイドラインに沿って誰がどこで主張したのかをはっきりと記載した手短な最小限の一文となっており、リンクがされている状態です。これ以上、略すことはガイドライン上できません。主張者も何も載せずに「異説がある」のみと手短にするために曖昧に記載できるというならば、根拠をお願いします。
3 今度はこの一文を書きたいようですが・・・。
「ひとり『歴史作家』と自称する人物が主張していて、APAの人や教育学者など「識者」が支持しているが、史料批判に耐えない内容のため[要出典]歴史学者・学会からは現在のところ黙殺されて[要出典]おり、少数説にとどまっている」
3-1 「(現状を)もっと手短にすべき」と主張されている方が、内容・文量的にも現在と大差ない文を出したので驚きました。主張と矛盾があるようなんですが、よろしいのでしょうか?ちなみに「手短」の意味は理解されていますよね?手短(大辞泉)
3-2 あなたの出したそんな趣旨の文を加筆をしてもけっこうですが、独自研究による表現が含まれているため[要出典]を部分的に貼らせていただきました。「史料批判に耐えない内容のため」との理由はどこでわかったのでしょうか?「歴史学者・学会からは現在のところ黙殺されて」いるとのことですが、秦(歴史学者)などは疑問視する反応をしていたと思うのですが、これを「黙殺」というのでしょうか?お答えください。ちなみに「黙殺」の日本語の意味は理解されていますよね?(黙殺(大辞泉)
どうしてもあなたのイデオロギーからなのか、あなたの主張が入ってしまっている。独自表現はやめていただけます?
3-3 検証の可能性を満たす書き方としては他の記事にもあるように、「この説が歴史学の専門誌である『史学雑誌』『歴史学研究』では採り上げられたことはない」「秦などは疑問視している」程度でしょう。あなたの「もっと手短にすべき」との主張と矛盾が生じてしてしまうことになりますが、この一文を加筆したいならば反対はしませんよ?お答えください。
4 「追記」については、まだ異説が書かれていない場所を教えていただき、ありがとうございました。異説は、疑似科学でさえ、それはそうとわかるように記載すれば良い、それがNPOVとされており、且つ関連記事においても「リンクを張って手短な一文」は書けることになっているので、両論併記ということでそれらの記事にも少数説を記載させていただくつもりです。それを除去できる理由があるならば、根拠を持って説明してください。「誤った思い込み」と仰るならば、それらを記載することを禁止するルールをご提示ください。あなたのマイルールで他者の編集を規制することはできません。
以上、答えやすいように番号を付しましたので、飛ばさずに的確な回答をお待ちしております。--218.217.158.195 2010年3月8日 (月) 01:33 (UTC)

なかなか執拗ですね。こちらも今日はゆっくりとPCに向かう暇がないので、上記に対する反論はまた改めて書かせて頂きます。申し訳ありませんが、その間、下記の文章を噛みしめながらお待ちください。

Wikipedia:中立的な観点#争いのある主題についての長い記事より、

Q:例えば進化論について書く時には、進化説と創造説(人間も他の動物も神が創造したとする説)の論争を全てのページで展開しなければならないわけではないですよね?

A:もちろんそんな必要はありません。

この一文を今回のケースに変換すると、

Q:例えば張作霖爆殺事件について書く時には、関東軍犯行説とコミンテルン犯行説の論争を全てのページで展開しなければならないわけではないですよね?

A:もちろんそんな必要はありません。--Chocopeanut 2010年3月8日 (月) 12:33 (UTC)

これこれ、一部分を切り取って語るものではない。「しなければならない」わけではないが「してもよい」。つまり一方の説の記載が禁止されているものではないでしょうに。あなたが出した上記例から読み取ると、あなたは関連記事で張作霖爆殺事件について書く時には両論書く必要はない、との主張に感じるのですが、そうなんですか?ならば「コミンテルン犯行説」のみをこちらで書きましょうか?おそらくあなたはPOVと騒ぐでしょうね。論争のあるものは、両論を載せておけばよいのです。それが中立的・フェアというものです(例え一方が疑似科学であったとしてもね)。また上記例は、あなたが希望する主張者も書かずに「異説もある」のみとする書き方にできる根拠にもなっていませんよね?主張者も載せずに異説もあると曖昧に書くことは誰がそうした意見を支持しているかについての事実を提供することも重要とするNPOVの観点からも、そしてWikipedia:言葉を濁さない観点からも許されるものではありません。
ところで、連日暇そうでしたが、飛ばせないように詳細に質問しすぎたためか回答が遅れるとのことで、まあ、じっくり考えて細かく回答してください。お待ちしています(ちなみに私も時期がずれると回答に遅れる場合もあるので、その場合は首を長くしてお待ちになっていてくださいな、必ず回答はしますので)。--220.147.8.148 2010年3月8日 (月) 20:06 (UTC)


さて、遅くなりましたが、IPユーザ氏の疑問にお答えしたいと思います。ここでの議論も随分長いものとなり、主な論点は浮き彫りになったのではないかと考えます。ここで、冷静な第三者のコメント等を是非頂ければと思っておりますので、どうぞ宜しくお願いします。

  • 1について

「同列」という表現の趣旨については、張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説は傍論としてさらっと紹介しておけばよいのであって、通説と対立する説として解説するにおよばないというような意味で使っている」と先に述べたとおりです。IPユーザ氏は同列という言葉について種々の見解を表明しているところですが、「言葉の捉え方が氏と私では食い違っている」とも、先に述べたとおりです。

いずれにせよ、本表記に対する解釈の食い違いは、結局は各人の現状に対する問題意識の差異に起因するものであり、かつ、私はこの問題意識について他の表現も併せ用いつつ説明をしているのですから、「同列」の表現の妥当性それ自体が本質的な論点になりうるとは考えていません。

  • 2について

本記事においては満洲事変に至る前史として張作霖爆殺事件に言及しており、その経緯等については通説に基づいて記述されています。この通説に対し、一部にコミンテルン犯行説が存在する訳ですが、これについては張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説において通説と対立する説として詳細な議論がなされており、これまで繰り返し述べてきたように、本項目において重ねて議論する「優れた理由はない」ものと考えられます。

このような説の記載にあたって、Wikipedia:中立的な観点#争いのある主題についての長い記事が示している指針は、あえて言及する場合においては「手短で、他の記述の妨げにならない程度の言及」であることが望ましいということ、また、この言及については「手短に一文書き、関連する記事にリンクを張」ることが望ましく、「もしもより具体的な点についての具体的な議論があるのなら、それについて説明する専用の記事があるのもいい」などというものです。

仮に本記事の上に挙げた箇所において、IP氏の主張するように「中立的な観点」に記載されているその余の指針や「言葉を濁さない」などの指針を画一的に適用するとすれば、「通説」のみに言及した記載はまず許容されないこととなり、「優れた理由はない」とする先に引用した指針の文言と矛盾します。

さらに、「手短な言及」についても同様に適用した場合、究極的には相当な文量の(それこそ、メインの記事並みの)記述量にならざるを得ないのであり、これも「手短で、他の記述の妨げにならない程度の言及」が望ましいとする上記の指針の文言と矛盾します。

結局、張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説について必ず言及しなければルール違反であるとする解釈が誤りであることは格別、 「手短な言及」においても諸ルールの画一的な適用が要求されているとの解釈は誤りであると考えられます。

また、どの程度の記載が「手短」といえるかについては、指針において明確な基準が示されていない以上、一義的には各人による個別具体の記載に委ねられていると考えるべきでしょう。仮にその記載について意見の相違があるのであれば、ノートにおける議論をもって成案に至るべき問題と考えます。

  • 3について

IP氏が問題視されている「一文」については、あえて「議論」を本記事においても行うのあれば、「世界に紹介された」云々を喧伝するのみではいかにも片手落ちであり、読者に正確な知識を提供したことにはならない旨を、明らかに皮肉とユーモアを交えて表現したものです。言うまでもないことですが、この記述をそっくりそのまま本文に記載すべきであると主張したものでは全くないし、ましてやここでの表現についてIPユーザ氏の共感を得ることを意図したものでもありません。

その余の「イデオロギー」云々といった主張については、私は歴史学を齧った身でもあり、さほど偏った視点から議論しているつもりはありません。かたや、コミンテルン犯行説をわざわざあらゆる記事に併記して回ろうと息巻いておられる方においては、何か特別な理由なり価値観なり思い入れなりをさぞかしお持ちなのでしょう。

また、現行の記載をどう改善すべきかについては、これまでに私の主張を述べさせて頂いたとおりです。

  • 4について

IPユーザ氏がコミンテルン犯行説をわざわざあらゆる記事に併記して回ることについては、特段そうすべき理由を感じず、IPユーザ氏もその理由について明確にされておりませんので、私が賛成する理由はありません。

なお、併記にあたっての指針の適用については、2において意見を述べさせて頂いた通りです。--Chocopeanut 2010年3月10日 (水) 13:07 (UTC)一部修正----Chocopeanut 2010年3月10日 (水) 13:12 (UTC)


1 「(現状が)全く同列になっている」の意味は「(現状が)通説と対立する説として解説」されていることを表現したものとのことですが、「対立」とは二つのものが反対の立場に立つこと」という単純な意味と二つのものが互いに譲らないで張り合うこと」という「同等に張り合う」の意味の二つがございます。の意味で「対立」と表現したのならば、「コミンテルン犯行説」は通説と「対立」している説なことは明白であり、「通説と対立する説として解説する」ことの何が問題なのか?ご説明ください。の意味で使用したのならば、単に「同列」を「対立」という言葉に変えただけであり、まともな説明となっておりません。「(現状が)通説と対立(張り合う・同列)する説として解説」となっていないことは私の前々回の1で説明したとおりです。現状では日本が殺害したという「断定表現」と1人の歴史作家の「説」として載っています。現状のどこが「(現状が)通説と対立する説として解説」「全く同列」となっていると言うのか?ご説明ください。「対立」をのどちらの意味で使用したのかにまず答えていただき、その後の質問にお答えください。
ちなみに「同列」の表現の妥当性それ自体が本質的な論点になりうるとは考えていません。とのことですが、あなたは「全く同列となっているから変えろ」として出てきた方ですし、現在も「通説と対立する説として解説するに及ばない」と主張されており、あなたの主張の中心となっているものです。コレをしっかり説明していただかないと話が進みません。
2 あなたが頼っているリンク先(Wikipedia:中立的な観点#争いのある主題についての長い記事)はあくまで「別のページで議論する」ことに「優れた理由」はないとしているものであり、「他のページにある議論」を別のページでも同じように議論(論争)を事細かに書くことの意味のなさを述べているに過ぎず、「(両論あるのに)一方の説を記載するな」「(両論あるのに)一方の説のみの記載で良い」というものではありません。単に詳細に記載するのではなく「リンクして手短な言及」にしておくことが望ましいとしているもので、少数説があるならば少数説として、それが存在していることを中立的に載せろとしているWikipedia:中立的な観点と何ら矛盾するものではありません。
では具体的に、あなたが頼っているリンク先に例として出されている進化論では実際にはどうなっているでしょうか?しっかりと創造論について記載がされています。しかもその記載に「一部に異説もある」のみとして主張者・内容を曖昧に書いている部分はありません(Wikipedia:言葉を濁さない)。こうした記載が中立的で、曖昧ではない記載というものです。世に出ている一方の説の主張者・内容を隠すかのような偏りある編集はお止めいただきたい。
ついでに言ってしまうと、あなたの「関連記事では一方の論を書かなくても良いとなっている」との主張からすれば、異説のみの記載でも可能となってしまいます。あなたの頼っているリンク先には通説のみ書けとは書いてないのですから。そうなったらあなたはPOVと騒ぐのでしょうね。関連記事の場合、両論あるならば手短に両論を曖昧にせずに一文書いておけば良いのです。
その上で、もう一度簡潔に聞きます。「手短で、他の記述の妨げにならない程度の言及」にはWikipedia:言葉を濁さないのガイドラインが通用しないとするはっきりとした方針上の根拠をご提示ください。
3
「世界に紹介された」云々を喧伝するのみではいかにも片手落ちであり、読者に正確な知識を提供したことにはならない旨を、明らかに皮肉とユーモアを交えて表現したものです。
えっと「世界で紹介された」は事実であり、この言葉が気になるようならば、より読者に正確な知識を提供するために具体的に「25ヶ国に紹介された」にしましょうか?「皮肉とユーモアを交えて表現した」という事実ではない独自研究文はまったく必要ありません。
この記述をそっくりそのまま本文に記載すべきであると主張したものでは全くない
太字にまでして目立たせ「記載すべき」と仰っていたので、そのまま記載しろとの主張なのかと思いました。独自研究が過ぎる酷いものだったので、そのまま記載するつもりがないならば安心しました。
3-1-1しかし「(文案)ということを記載すべき」と記載することを主張されているので、「手短にすべき」とするあなたのこれまでの主張との矛盾が生じており、それを前回の3-1にて指摘させていただきましたが、その説明がいただけていません。あなたはいったいどうしたいのでしょうか?手短にすべきなのか、詳細に書くべきなのか、どちらなのかはっきりしてください。そして詳細に書きたいのならば、私の前々回の3-3程度ならばOKだと思うが?と聞いているのでお答えください。
4
答えになっていません。疑似科学でさえ、それはそうとわかるように記載すれば良い、それがNPOVとされており、且つ関連記事においても「リンクを張って手短な一文」は書けることになっている中で、記載することを禁止するルールをご提示くださいと言っています。あなたのマイルールによる強行除去はお止めください。ちなみに人の記載は保存することが基本方針であり、一部でも除去するには条件が必要です(Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください)。--218.217.114.117 2010年3月11日 (木) 19:19 (UTC)

まず1について。私の「主張の中心」の解釈について色々とご苦労をされているようですが、私はWikipedia:中立的な観点#争いのある主題についての長い記事に書いてある以上のことを主張しているつもりはないんですよ。何ならば、ここに挙げられている記述をそのまま私の「主張の中心」と解釈して頂いて結構です。

2について。私は「一方の説のみの記載で良い」場合があると考えていますが、「一方の説を記載するな」と主張したことはありません。このことは、私のこれまでの文章をよく読めば分かることです。IP氏のそもそもの誤りは「必ず反対説を書かなければならない」と固く信じている点です。

さて、進化論の話を出されていますが、進化論の記事に創造説への言及があるのは当たり前です。ここで問題とされているのは、ウマの進化」や「ウマ#進化」の記事に創造説を併記する必要があるのかということで、根本的なところが間違っています。同様の問題を上杉謙信女性説アポロ計画陰謀論などの例を用いつつ分かりやすい説明に努めてきたつもりだったのですが、全く無駄だったようですね。

その余の疑問は、私の文章をよくお読みになっていないことに起因するもののようですから、お答えは繰り返しません。--Chocopeanut 2010年3月12日 (金) 12:53 (UTC)


「答えは繰り返さない」とのことで、ずいぶん端折った回答で誠に残念です。答えにくい部分があったのでしょうか?あなたのその「答え」のおかしな部分を指摘して、しっかり教えて欲しいと質問しているのですから、誠意を持ってひとつずつ回答ください。
1 私の前回の質問1に答えず、後段のみに反応されていますが、しっかり質問1に答えてください。あなたは現在の文が「通説と同列(対立)」となっているから、「異説もある」との文にしたいと主張し、行動していました(要約欄[8]、およびノート[9])。ならば、現在の文が「通説と同列」「通説と対立」となっていると言えるのか?と疑問を呈しているのですが、あなたはコレについて、なぜかまともに答えてくれません(実際には同列になっていないから間違った発言だったので答えられない、ということでしょうか?)。
質問1.1)前々回に「同列」を「対立」と言い換えて回答されてましたが、それを指摘した私の前回の1の質問と、現在の文が「通説と同列」「通説と対立」となっているという説明・証明をしてください。
2 あなたの頼るリンク先は、他の記事に中立的な詳細な説明(踏み込んだ専門の議論記事)があるのならば、関連記事で踏み込んだ議論を記載することに「優れた理由」はなく、リンクして手短な一文にしとけ、という簡略化を述べているに過ぎず、リンクによって中立性を保とうとするものであり、どんな記事においても少数説を除外できるものではありません。もし「手短な一文」すら書かなくて良いとしているならば、「『通説』のみに言及した記載をしてよい」ということになりますが、そうはなっておりません。つまり「(中立的観点の方針からすれば)「通説」のみに言及した記載はまず許容されないこととなり、「優れた理由はない」とする先に引用した指針の文言と矛盾」している、と言うあなたの主張は誤りであり、あなたは「優れた理由はない」を「「通説」のみの言及で良い」と誤った解釈をしているにすぎません。あなたの頼るリンク先は他の中立的観点の方針と矛盾していることはないのです。「(両論あるのに)一方の説を記載するな」「(両論あるのに)一方の説のみの記載で良い」というものではないことは前回も述べたとおりです。
しかし、あなたからはっきりと「一方の説を記載するなと主張したことはない」との発言をいただき、一方の説を除外しようとする気はないようで安心いたしました。
さて、では少数説について「手短な一文」を書くことになるわけですが、その場合、私たちはどんな記事においても、方針やガイドラインを逸脱した書き方をすることはできません。「手短で、他の記述の妨げにならない程度の言及」を「異説もある」のみの曖昧な記述とし、「特定の人々がそう言っているならば、代表的な人物を具体的に挙げてください。」「可能な限り具体的にしてください。」などとしているWikipedia:言葉を濁さないのガイドラインを逸脱した書き方でokとする方針上の根拠をご提示ください。あなたの頼るリンク先を見ても「言葉を濁してok」などと書かれておらず、はっきりとしたものが出なければ、ガイドラインを逸脱した書き方を了解するわけには行きません。
3 私の前回の3についてしっかりお答えください。特に3-1-1の指摘のように、あなたの主張がよくわからなくなっております。手短にしたいのか、詳細に書きたいのか、一体何がしたいのか?しっかり説明してください。主張に一貫性がないと相手が混乱してしまいます。
4 私の前回の4についても、しっかりとした解答がいただけなかったようです。記載を除外できる根拠の提示ができなかったということで、こちらとしては方針やガイドラインを逸脱しない記載をしていきたいと思っております。「必要ない」などという個人感覚による行動をしないことを祈ります。--218.217.153.232 2010年3月13日 (土) 02:31 (UTC)

あなたのWikipedia:中立的な観点#争いのある主題についての長い記事の解釈も、それはそれで一つの解釈でしょう(私は大間違いだと思っていますが)。そもそも、編集は各人の自由なので、IP氏がコミンテルン犯行説をわざわざあらゆる記事に併記して回ることについても、私は禁止する理由を持ち合わせていません。IP氏はコミンテルン犯行説のPRのためにwikipediaのルールを振りかざしている訳ではおられないのでしょうから、願わくば、ついでにwikipedia中アポロ計画が周知のとおりの真実であったという前提のみから言及されている全ての記事」(いくつあるか知りませんが…)にいちいちアポロ計画陰謀論を併記して頂いて、Wikipedia:中立的な観点に関するご自身の信念をどうぞ完遂してくださいますよう、お願い申し上げます(もちろん、その際は可変IPでなくアカウントを取得して、正々堂々と編集して下さいね)。

手短な言及にしたいのか詳細に書きたいのかどちらか分からない、とのこと。それほど難しい文章を書いたつもりもないのですが、重ねて解説すれば、「仮に「議論」をするのであれば、説が少数説である旨をしっかりと書きこまなければならないだろうが、そもそも「議論」を行う必要はない。」というのが文章の大意です。また、ここでいう「議論」とはWikipedia:中立的な観点#争いのある主題についての長い記事の記載を念頭に置いています。混乱は収まりましたか?

さて、手短な記述であっても「単なる異説の紹介とリンク誘導」のみならず、Wikipedia:中立的な観点やその他の指針が全て満たせるような記述が出来るのであれば、それは素晴らしいことです。ただし、それは非常に困難なことだ、と申し上げているのです。例えば、Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?においては、「論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません」と述べられています。現行の記載は、「世界でも紹介された」と記載する一方で、この説が査読制度のある雑誌に掲載されたことがない(言い換えれば、歴史学会からの支持が確認されていない)ことを記載していません。いうまでもないことですが、学術的な主題については、なるべく査読を経た情報源を用いるべきであり(Wikipedia:検証可能性#情報源/ソース)、「誰やらが主張した」「世界でも紹介された」云々は「事実」であってもソースの「信頼性」とは直接関係がないのです。こうした様々な観点から「理想の文章」を追求していけば、必然的に記述は長くならざるを得ず、それに伴って各人による議論も生じざるを得ないでしょう。結局、そういった理想の追求やら各人の議論やらはメイン記事で存分にやって頂いて、本記事では「単なる異説の紹介とリンク誘導」に留めるのが「ベスト」ではないかもしれないが「ベター」なことだと私は信じます。もちろん、ドミトリー某の名前を出すなとか主張するつもりはありません。ただしそれらを含めると文章が長くなるので、まるごと注釈に落としてはどうか?とも提案させて頂いています(もうお忘れかもしれませんが)。

「同列」に未だにこだわってますね。通説と査読制度のある雑誌に掲載されたことがない説が並べて論じられているだけでも、後者にとっては破格の扱いですよ。「論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。」--Chocopeanut 2010年3月13日 (土) 13:26 (UTC)

せっかく番号を付しているのですから、誤魔化さずに番号どおりに細かく答えていただきたかったのですが・・・。
私の前回質問1.1 現在の文があなたの言う「通説と同列」「通説と対立」となっていると言えるのか?について、またまた意味不明な回答が返って来ました。なぜ「この点が「同列」「対立」になっている」としっかり説明ができないのでしょうか?「通説と査読制度のある雑誌に掲載されたことがない説が並べて論じらている」とのことですが、「通説と同列となっている」「通説と対立となっている」の次は「通説と並列となっている」ですか?「同列」「対立」「並列」をあなたがどんな意味で使用しているのか説明を求めても答えていただけないので知りませんが、内容・文量については、通説と異説は現在、「同列」「対立」「並列」とはなっていないことは何度もこれまで指摘させていただきました(あなたはこの指摘をずっとスルーしていますね)。
さて、今回の「通説と並べて論じられている」との論調から汲み取ると、「場所」のことを気にしているようにみえるのですが、そうだったのでしょうか?「まるごと注釈に落としたい」とも仰っているようですし(もちろんそれには反対です。注釈入りが手短な一文とは言えませんし、本文に主張内容を書くことくらいは必要でしょう。注釈入りについての私の案はとっくに出しております)。
少数説を通説(「説」でなく「事実表現」)のあとに「説」として記載して出典を提示することを「並べて論じらている」と表現するならば、それの何が問題なのか?ご説明ください(質問Ⅰ)。
また査読ある出典の通説を「意見ではなく事実」として記載し、少数説は説(意見)として記載されていることの何が「破格のこと」なのでしょうか?ご説明ください。ちなみに「破格」の意味はこちらです(質問Ⅱ)。ちなみにコミンテルン犯行説の出典はWIKIPEDIA上、なんら問題のないことは、イチイチ方針を提示して説明するまでもないでしょう。
「世界で紹介された」が書かれ、「この説が査読制度のある雑誌に掲載されたことがない」ことが書かれてないことが「通説と同じだけ注目に値するかのような書き方」になるとのことですが、「この説が査読制度のある雑誌に掲載されたことがない」ことがどうしても気になるならば、それを書けばよい。それは私の前々回の3-1-1のとおりです。それを書いた程度で「他の記述を妨げ、手短な一文とはなっていない」と言い切ることはできないのですから。中立的観点をすべて満たすのは「非常に困難なことだ」「理想の文章を追求していけば、必然的に記述は長くならざるを得ない」からその一文を書かないと言うのならば、書かなければ良い(理想の文は長文と言っていますが、あなたが気になっている部分を見ていると「査読雑誌に載ったことがない」のみ書けば解決に見えるのですが・・・)。
そもそも中立的観点をすべて満たすのは「非常に困難なことだ」「「理想の文章」を追求していけば、必然的に記述は長くならざるを得ない」から「手短な一文」は、わざわざガイドラインを逸脱する書き方「異説もある」のみで良いとする意味が理解できません。
「手短な一文」という限られた中で、いかに方針やガイドラインを逸脱せずに記載するか、その努力ができないのならば編集をやめることです。長文を書かなくとも中立的に読者に上手く伝えることは可能。どんな記事においてもwikipedia上で説を書く以上、曖昧に記載することはできません(Wikipedia:言葉を濁さない)。「異説もある」と曖昧に書くことが「通説と同じだけ注目に値するかのような書き方」にもなり得るのです(そのような可能性があるから曖昧さを禁止しているのです)。つまり、どんな文でも書く時点でいわゆる「議論」にもなり得るのです。ならば少しでも方針やガイドラインに沿った書き方で「手短な一文」を実現すれば良いことは明らかでしょう。
現在の文は「手短な一文」となっており、「少数説としてわかる記載」となっており、且つ「曖昧ではない記載」となっています。「同列になっていない!」などと熱くなって強行編集し始めるような問題はまったく見当たりません。
またWikipediaは気になった人が気になった記事に参加すればよいのです。アポロ云々は中立的に問題意識を感じた人が記載すれば良く、そちらに問題意識を持っていない私が行く必要はないことは説明するまでもないことです。私は問題意識を持つ関連記事にて「自身の信念をどうぞ完遂」させていただくつもりです。--211.133.61.111 2010年3月13日 (土) 16:56 (UTC)

「「手短な一文」という限られた中で、いかに方針やガイドラインを逸脱せずに記載するか、その努力ができないのならば編集をやめること」、なかなかいい事を言いますね。「『アポロ計画が周知のとおりの真実であったという前提のみから言及されている全ての記事』には全てアポロ計画陰謀論を併記しなければならない」とするIP氏の解釈は噴飯ものですが、「手短な言及」に関して「困難な努力」をあえてされるのであれば、査読を経ていない点も是非併記して頂きたいこと、あと、ついでですが助詞が欠けている部分があるので、どうぞそこも補っておいてください(繰り返しますが、私は「困難な努力」をする必要はないと考えています。また「混乱」されるかもしれませんので、念のため)。また、なぜIP氏がこの件について強い問題意識をお持ちなのか定かではありませんが、「自身の信念を完遂」されるのであればアカウントを取得して正々堂々と編集頂くことをお願いします(その過程で、再び他の編集者の批判にさらされることもあるでしょう)。ここでの議論も大分長いものとなり、何を言おうとIP氏のお考えは変わらないようですので、私はここで一旦筆を置きたいと思います。また、引き続き冷静な第三者のご意見もお待ちしております。--Chocopeanut 2010年3月14日 (日) 00:37 (UTC)

私も現状で問題はないと考えますが、Chocopeanut氏の言い分をのんで、修正してみました。Chocopeanut氏はご立腹なのか「噴飯もの」ですとか、相手をあおる余計な発言があるようなので、言葉使いにお気を付けください。--エバラ焼肉 2010年3月15日 (月) 15:13 (UTC)

Chocopeanutさんへ。結局、質問にマトモに答えず、捨て台詞をはいて「筆を置く」ってのも、ずいぶん自分勝手な姿勢ですな。「困難な努力」をする必要がないと思うなら「査読を経ていない点も是非併記して頂きたい」などと主張と反対の希望を中途半端に表明するなと。220.147.34.191 2010年3月16日 (火) 00:33 (UTC)

要検証範囲

谷田勇『実録・日本陸軍の派閥抗争』 を出典とする記述に「要検証範囲」を塗布しました。筆者はもと陸軍中将であり、相応の信頼性が担保されていると仮定できますが、谷田中将の時節評論の箇所については他の信頼できる情報源により補強されるべきと考えます。現状の記述では陰謀論(財閥が自己の利益の目的で政策を壟断した云々)になっており問題があります。--大和屋敷会話2012年7月19日 (木) 19:22 (UTC)

一次資料の引用について

219.98.84.166さまにより一次資料を元とした情報の加筆がありましたが、引用方法に問題がありますので改善頂いた上で再度投稿して頂くようお願い致します。①引用元として提示されました情報が膨大であり、具体的にどの箇所(ページ)からの引用か判然としておりません。これは他のWikipedia編集者による検証を無用に困難にするだけですので、引用元ページ番号を提供して下さい。②原則としてウィキペディアが参照すべき情報源は「二次資料」が原則でありまして、一次資料(史料)の引用は精密さが要求されます(Wikipedia:信頼できる情報源)。引用元から明らかに記述されていることが判然とする引用方法が必要で、Wikipedia加筆者による解釈が介在すれば独自研究としてリバートの対象になります。いずれにせよ現在の引用方法では適切に検証可能性を満たしておりませんので、引用元を確定させるためのページ番号等の加筆をお願い致します。--大和屋敷会話) 2013年11月25日 (月) 17:45 (UTC)満蒙開拓移民への加筆についても同様の問題がありましたので、こちらであわせてご連絡させて頂きます。--大和屋敷会話2013年11月25日 (月) 17:51 (UTC)