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ノート:満州/過去ログ1

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2006年1月10日 (火) 00:12 (UTC) の編集について

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満州文字が必須となる部分は削除しました。

理由:

  • 話者が満州地方においては数十人しかいない(別に西部に2万人ほどいるようであるが)。当の満州人は中国語を使っている。
  • 満州語についてまともな情報ソースが中国語のものしか存在しない。
  • Unicodeに満州文字は定義されていない(モンゴル文字の一部としてあるかもしれないが)。また、満州文字は縦書き専用であり(モンゴル文字に準じる)、Wikipediaのフォーマットとなじみにくい。

以上により、日本語版において、満州文字以外の項目で具体的な語彙を記述する必然性は薄いと判断しました。--6144 2006年1月10日 (火) 00:29 (UTC)

英語の情報源がいくつか確認されましたので復活させます。申し訳ありません。しかし、これらのサイトでは満州語をアルファベットで表しており、実際の満州語話者が(漢字ならまだしも)アルファベットを使うとは考えられないため、注釈が必要でしょうね。--6144 2006年1月10日 (火) 00:47 (UTC)

なお、上記の復活の対象は満州語であり、満州文字については、(?????で埋めることによって)具体的な語彙を必要条件とする記述を行う必然性は薄いと判断します。

  • Unicodeに満州文字は定義されていない。また、満州文字についての日本語のまともな情報ソースがWeb上にない。書籍もほとんどない(Amazonで検索したが絶版と思われる本が1冊だけ)。従って誰かが著作権切れの本の一部を撮影してアップロードしても検証が困難である。満州文字は縦書き専用であるため、フォーマットの問題も生じる。このような条件で、他人にドット打ちを要求する必然性は薄い。

という理由からです。--6144 2006年1月10日 (火) 01:40 (UTC)

画像について

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この地図画像は満州国となっていますが、この頁は「満州国」ではなく「満州」なので、満州ではない熱河省が含まれた画像を使用する事は不適切だと思います。また、濃い赤の範囲が現在の中国東北部の範囲であり、満州国建国以前の東三省の範囲と一致せず正しくありません。以上の理由から差替えを求めます。

地図の濃い赤の部分が清代の東三省と範囲が異なりますので差し替えるべきだと思います。--122.249.78.188 2010年1月28日 (木) 13:21 (UTC)

「返還」「継承」について

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ソ連は(米国が沖縄や小笠原でそうしたように)中華民国から満州を奪取したわけではないので、「返還」する主体になり得ません。 中華民国は満州地域に関しても領有権を主張していましたが、満州国成立以前に中華民国が実質に満州を統治したとは言えず(軍閥等の地域政府がそれぞれに支配していたことは事実、中華民国は領有を主張していただけでしょう)、事実としては無政府状態が続いていたわけですし。清朝の後継として考えれば清朝の版図の中ともいえますが、中華民国はそもそも「滅満興漢」をスローガンに革命を為した経緯があり、愛新覚羅家が満州国(満州帝国)皇帝として存在していた以上、清朝の版図が全て中華民国が継承したと捉えることも客観的とはいえないでしょう。国家が国家たる要件は・国土と国民の存在・政府の存在・第三国からの 承認ですから、中国が承認しなくても、国家としては、満州国は全て満たしていたことには違いありません(それは地域的な武装勢力との大きな違いですね)。1946年にソ連が満州で占領した区域を中華民国に統治権を移したことは、武力で満州国から奪取した統治の実権の中華民国への委譲と表現するのがふさわしいと考えます。第一、 また、「傀儡国家」という表現も中立性を欠いているとは考えますが(日本だけが承認していたわけではないので)。 yanagi774 2006年8月30日 (水) 15:41 (UTC)

中国東北部との統合提案

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地理的名称としての「満州」は、今日では「中国東北部」に置き換わっています。また、満州国は独立項目となています。したがって、この項目は不要です。 ПФК ЦСКА София 2006年9月21日 (木) 08:02 (UTC)

この記事は、中国東北部(日本人の多くが「満州」と呼ぶ地域)のみならず、現在はロシア領となってしまった部分も含む、女真族が活躍した歴史的地域「満州(マンチュリア)」に関する記事と理解しています。Nopira 2006年9月26日 (火) 19:32 (UTC)
  • 歴史的に「満州」という用語は厳然として存在してきました。共産党の委員会成立以前の20世紀はじめには張之洞のような清の大官でも「満洲」という用語を使用しています。現在あまり使われていないからといって、過去の存在まで押しつぶそうとするПФК ЦСКА Софияさんのお考えは大変に不見識です。Aboshi 2006年10月1日 (日) 04:31 (UTC)
  • 「中国東北部」はあくまで「中華人民共和国の東北地域」であり、「満州」はNopiraさんがおっしゃるようにマンチュリアであり、「満州国」は昔満州の一部にあった国(傀儡かどうかの議論は別として)であり、この三者が指す地域は全て違うものだと認識しています。従って統合には反対します。但し、現状の中国東北部満州の記事で、それぞれの違いが明確になっていないという意味であればそれは同感ですので、書き分ける必要はあると考えます。(追記:Aboshiさんのいきなりの「大変に不見識です」発言は決め付けであり暴言です。長~い経緯があるとは拝察しますが、何卒自重の程を(^^。)--Kaba 2006年10月9日 (月) 16:52 (UTC)

中国共産党満州省委員会

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また、かつては1933年に中国共産党は、中国共産党満州省委員会をハルピンに設置するなど、満州という言葉を使用した例はあった。

との記述がありますが、1928年にすでに中国共産党満州省委員会が存在していたという資料もあります。[1]正確には何年から存在したのでしょうか?ПФК ЦСКА София 2006年9月21日 (木) 10:21 (UTC)