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ノート:漢字復活論

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冊封体制

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>冊封体制下になかった日本では漢字廃止は顕在化せず、冊封体制下にあったベトナム・朝鮮で顕在化した。

冊封体制との因果関係が分かりにくいです。--燈馬想 2005年3月12日 (土) 22:46 (UTC)[返信]

北朝鮮の人名、地名の漢字表記

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>(北朝鮮の)人名や地名の漢字表記は中国で用いるためのものといってよい。

意味がとりにくいのですが、「北朝鮮ではそう考えられている」という趣旨でしょうか。--Novo 2006年11月1日 (水) 12:56 (UTC)[返信]

項目名改名の提案

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この記事名は「漢字復活」となっていますが、内容的に対応する「漢字廃止論」に「論」がついており、主に議論を記述する場となっているのに対し、こちらには「論」がついておらず、均衡を欠くように思われます。記事名を「漢字復活論」に変更することを提案します。--Novo 2006年12月3日 (日) 19:35 (UTC)[返信]

(反対)漢字廃止論は、現在の状況をこれから変えよう、という議論ですが、漢字復活は、一度状況は変えてみたものの、元に戻ったり、建前上は変えたはずが実情は曖昧だったりと、現状を説明する内容にウエイトがあるやに存じます。必ずしも完全には対応するものではない、と存じます。記事名の表記上の均衡、両方共「論」をつけるべき、という理由では、申し訳ありませんが賛成しかねます。東 遥 2006年12月6日 (水) 12:08 (UTC)[返信]
(コメント)ご意見ありがとうございます。少し補足しますと、現在の記述内容や、単なる表記上の均衡を理由とするのではなくて、今後の加筆の方向性を含めて提案いたしました。漢字復活は確かに現状の説明が中心になっていますが、漢字廃止論も日本を除いては議論ではなく現状の説明になっており、記事名と記述内容が一致していません。また言語に関する記述(つまり言語を言語で記述すること)においては、「(言語の)現状の、言語による説明」と「(現状についての、言語による)議論」とをはっきり区別することは難しい(韓国における漢字復活の記述は、漢字復活を主張する団体の、現状では実現していない議論を含んでいます)という私見も提案理由の一つです。もし「現状説明」と「議論」を分けることを重視するのであれば、「日本における漢字」「韓国における漢字」のような(歴史と)現状を説明する記事と、例えば「漢字論」(廃止論と復活論、維持論とを統合した記事)とに分けるというような解決策もあるかと存じます(実際「議論」について記述するのであれば、両論を併記する方が妥当でもあり、書きやすいとは思います)。引き続きご意見をうかがいながら考えさせていただきますので、よろしくお願いします。--Novo 2006年12月7日 (木) 16:19 (UTC)[返信]
(コメント)早速回答戴き恐縮です。また、御返事が遅くなりすみません。今後の編集方針も含めての提案との事、了解いたしました。で、一寸視点を変えますと、これは漢字廃止論にも通じますが、漢字復活という枠の中に、議論と、現状を入れるのは考えやすいと存じます。同様に、漢字廃止の中に、議論現状を入れると考えますと、実は漢字廃止論の方からを取って揃えるのが収まりが良いのではないかな、と存ずる次第です。但し、漢字廃止論の方は、現状は日本における廃止論の部分にウエイトが置かれているので、すぐに直すべきとは思いませんし、今後も、状況の部分が膨らませられるとは私には考え難いので、こちらは付きのままで宜しいと存じます。
本記事については「漢字復活論」の部分を膨らましても、結局現状の部分は残りますし、必ずしもをつけるよりは、現状のままの方が、より大きな枠で捉えられるのではないかなと存じます。と、ここまでは、記事名にのみ言及したお話です。東 遥 2006年12月12日 (火) 08:56 (UTC)[返信]


(コメント)別の視点でお話したく、インデントを戻させていただきます。

12月7日付けでコメント頂いた部分の後半、現状説明と、議論を分ける、というやり方も、宜しいかと存じます。そうですね、議論は議論、状況は状況で分けて記述するのも一案と存じます。殊に議論として、賛否両論を併記できるのは利便性からも良いと存じます。

さて、議論についてまとめた記事を考えますと、「漢字論」というのは、字義に関わるお話ともとれるので「漢字をめぐる議論」という仮の名称にしておきますが、漢字をめぐる政策(国語国字問題)という記事が既に存在する事に注意が必要と存じます。こちらは記事の経緯から日本政策にウェイトをおいて記述されていますが、政策を巡る論争も含まれます。相当に注意して書き分けないと、似た事を両方で書いている(論争部分についての記述が同一内容に帰結する)ことになったり、日本における漢字をめぐる論争は、国語国字問題に統合すべき、という結論に帰着する可能性もあります。その辺りの編集方針を明瞭にしておく必要があるかと存じます。

また、日本以外の国についての国の議論について扱うことを考えると、一寸別の可能性も考えられます。漢字には複雑で学習が困難というデメリットがあるから漢字を廃止すべきという所は恐らくどの国でも共通するかと存じます。しかし、その先の代替手法を巡る議論は、国ごとに事情も異なりますし、結論も異なるでしょう。故に、現状の漢字廃止論漢字復活の様に、ひとつの記事の中に、国毎に分けて記述する部分を作らざるを得なくなると存じます。そうすると、記事自体を国毎に、日本における漢字韓国における漢字中国における漢字北朝鮮における漢字ベトナムにおける漢字台湾における漢字の様に分けて記述する、という考え方も出てきます。そして、こちらに、現状についても併せて記入して、まとめるのはどうか、という考え方もできます。

そう考えますと、仮に「漢字をめぐる議論」の形でまとめなおすなら、他の記事との兼ね合い、何を書くのか、他の記事とはどう棲み分けるのかも留意して編集する必要があるかと存じます。まぁ、これは、私の余計な心配かもしれませんが。

一方で、現状については、実は、前述した日本における漢字他に、まとめてしまうのも手かな、と存じます。中国、北朝鮮、ベトナム、台湾、については、各々新規に記事を立てて、それでまとめるのも手でしょう。

あまり纏まりがなくて、曖昧模糊として申し訳ありませんが、ひとまず考えられる可能性をずらりと並べてみました。東 遥 2006年12月12日 (火) 08:56 (UTC)[返信]

(コメント)詳細なコメントを下さってありがとうございます。多くの有益なヒントを得ることができました。
確かに両方「論」を取るというのも一案ですね。私が一点だけ留保しているのは、言語論においては、「現状を論ずる」ことは「議論を論ずる」ことと本質的に同じではないか、という点なので、「論」は両方ともにつけた方が個人的には落ち着きますが、今回のコメントを拝読して、「歴史と現状説明」と「議論」とに分けてしまうこともありかな、という考えにむしろ傾いています。私の留保は原理的な話なので現実の処理策については必ずしもこだわりません。今回の私の提案の動機は、関係するさまざまな記事を見ていて、ページが乱立気味で、特に日本以外の国の記述に同工異曲が多いと感じたことにあるので、全体のグランドデザインについてご意見を下さったことはとても心強く思いました。
ご意見を受けた私の考えは、「歴史と現状説明」は1ページにまとめて記述(すでにあるページの記述を考えあわせると、国ごとに分けるほどの量にはならないのではないでしょうか。「日本における漢字」「韓国における漢字」など既存の記事へのリンクをつけて、記述の重複を極力避けるようにします)し、「議論」の方は、新ページでもいいですが、せっかくあるので「漢字廃止論」を書き換えればいいのではないか、という印象です。「漢字復活」は「歴史と現状説明」の一部分になりますし、今の情報量もさほど多くないので、統合してしまっていいと思います。
ただ、お話のとおり記事間のテーマの区分をどうするかは難しい問題です。既にある記事でいえば、ご指摘の「国語国字問題」の現記述は確かに戦後日本の漢字制限政策の経過(及び議論の一部)をすでに詳細にまとめており「歴史と現状説明」の一部になりますが、記事名だけからいえばむしろ「国語国字問題」が全体のトップで、「現状説明」も「議論」もその一部になりますので、「現状説明」のページを新しく立てるとねじれが生じます。さらに難しいのは「国語国字問題」が一般的な概念ではなく、もっぱら日本と韓国(中華民国では使うこともありました)の用語で、漢字文化圏全体をカバーできないことです。漢字の議論は国別に違うところも大きいですが、共通し影響しあっているところもかなりあるので、一部しかカバーできない名前のページを一番上に置くのはやはりまずいと思います。
実は今「漢字廃止論」の改稿文を書いているのですが、そこでは廃止論と維持論を対比して、なるべく一般的な枠組みからのまとめをつくろうと努力しています。各国ごとの節も設けますが、「現状説明」にはせず、あくまでも「議論」の祖述に重点を置こうとしています。ある程度は交通整理ができるのではないかと考えていますが、ただ準備が大変でいつ投稿できるかも分かりませんし、グランドデザインの話になると相当多くの他のページにも関係するので、よりいろいろなご意見をうかがった上で考えてゆかなければならないと思っています。よろしくお願いします。--Novo 2006年12月13日 (水) 14:06 (UTC)[返信]
御解答頂き有難う御座います。グランドデザイン、などと仰られるとこそばゆいのですが(^^;)。
まず、記事名について、
言語論においては、「現状を論ずる」ことは「議論を論ずる」ことと本質的に同じではないか、という点
というお話を伺って、成る程、その見方から「論」をつける提案が出たのですね。了解いたしました。私は、歴史を説明することは平行して議論の説明に繋がる、政策を説明することは平行して議論の説明に繋がる、と考えます。その一方で、例えば、ベトナムの現状などに触れるについては、事象が旧く且つ途中の議論・経過の記録が恐らく無い、最早現在の状況の解説しか出来ないという事で、こちらは「論」というには違和感を感じるのです。北朝鮮の状況についても実質的「命令」のみが見えて、その理由等も私には明瞭には見えませんで、これも「論」というには違和感があり、現状・事象の説明にとどまると考えます。そうすると、経過の見える「議論」と、経過の見えない「状況」をパックにするには「論」は違和感がある次第です。まぁ、この辺りは物事の捉え方・視点の違いですし、他の方の意見も伺いたいですね。
「国語国字問題」についても、タイトルだけを見ると、仰るように特定地域のみの用語と考えると取り扱いが難しいですね。こちらについては、記事の改名を提案することも必要になるかも知れません。また、「議論」の一部を転記することも必要かな、この辺りは、下記の「案」も実際にみて考えると分かりやすいかも知れません。
「漢字廃止論」をベースに、「漢字廃止論」と「漢字復活」統合されることについては、それも一つの手と存じます。案を記述いただいているとの事で、そうですね、一度、両論併記、様々な要素を盛り込んだ形でまとめていただいて、改めてそれを他の記事と並べて、一部転記、分割など、対応を考えるのも手かと存じます。このあたり、案の作成についてはお手数をおかけすることになっちゃって申し訳ないのですが。取り合えず、拙速に考えたことをコメントさせていただきました。東 遥 2006年12月18日 (月) 10:48 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。やりとりの結果、とりあえず本ページを「漢字復活」にはしない、という合意が形成できたと思いますので、改名提案は取り下げます。「現状を論ずることと議論を論ずること」の違いについては、議論をはじめると本題からはずれますし、いただいたコメントも私には納得のゆくものでしたので、受け入れます。
「漢字復活論」について、北朝鮮で「経過の見える議論がない」というご指摘はその通りですが、韓国においてははっきりした「議論」の経過があり(本文の記述が一部を反映しています)、ベトナムでも韓国ほどではないものの存在はしています(本文の記述のほか、昨日「ベトナム語」にまとまった投稿がありました。内容については異論がありますが、とりあえずご参照ください)。もともと本ページは「いったん廃止した地域で復活の機運がある(つまり個別の議論や運動がある)」ことをテーマにしていますので、基本的には昔の経過ではなく最近のことだけが範囲に入るのではないかと思いますし、最近の「議論」や現状説明を扱うのなら、「復活」が既成事実化したかのような現在のページ名はおかしいのではないかと考えて、改名を提案したわけです。
ただ、コメントをいただいて、やはり個別のページよりもグランドデザインから考えなければいけないことに思い至りました。だいたいの案は前回書いた通りですが、とりあえずは「漢字廃止論」を改稿してからでないと広くご意見を求めることもできないので、非力ですが(ひとりでカバーするにはあまりに大きいテーマですね)努力したいと思います。本ページの記述はどちらかというと「現状説明」にウェイトがかかっているので、私案に従えばおそらくこれから立ち上げなければいけない「現状説明」のページに統合することになるかと思います。
しかし実際書いてみると、「歴史と現状説明」と「議論」を分けるのは、お話の通り難しいですね。「議論」を書こうとしてもやはりだんだん「歴史」になってしまうことが多いです。
ともあれ有益なコメントをいただいたことにたいへん感謝しております。また新しい提案をすることがあるかと思いますが、ご意見をいただければありがたく存じますので、よろしくお願いします。--Novo 2006年12月18日 (月) 17:01 (UTC)[返信]
すみません、こちらに御返事していませんでした。了解致しました。結構多くの記事が関わってくると存じます。色々考えながら進めていければと存じます。また、議論に際して私の方も色々と視点・示唆を戴き参考になりました。有難う御座います。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。東 遥 2007年1月24日 (水) 15:33 (UTC)[返信]

改名提案

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「漢字復活論」への改名提案をいたします。理由は、
1. 漢字を復活させることとはどういうことかという議論ではなく、現状の記事の内容は、漢字文化圏の各地における漢字復活の学説や議論になっているようすです。
2. 漢字廃止論と併記しやすくなります。
3. ハングル#漢字復活論を取り入れることで、より充実した記事になると考えられます。--Muzmuz会話2012年9月19日 (水) 05:56 (UTC)[返信]

反対 「漢字文化圏の各地における漢字復活の学説や議論」は「漢字復活」というテーマに属する内容であり、改名の意義は疑問です。
漢字復活漢字廃止論 の他言語版は全て、「漢字復活」「漢字廃止」に相当する各国語であり、むしろ「論なし」で統一すべきと思います。ハングル#漢字復活論に合わせる必要はなおさらありません。--Greeneyes会話2012年9月20日 (木) 12:56 (UTC)[返信]
Greeneyes様、ご意見ありがとうございます。どちらかに統一するという点にご賛同いただけた点は良かったのですが、「相当する各国語」とはどういう意味でしょうか。漢字廃止論のリンクは中国語版しかありません。その記事名は「廢除漢字」ですが、内容は「廢除或改革漢字,主張採用本民族的表音文字的運動。」ということで、「廃止論」について書かれています。また、本記事を改名する理由1への反論もお聞かせください。--Muzmuz会話2012年9月20日 (木) 14:06 (UTC)[返信]
コメント 漢字復活は日本語以外に3言語版があります。朝鮮語、中国語、ベトナム語、いずれも「論」(あるいは他の接尾語)がありません。つまり、総計6つの言語版のうち「論」があるのはja:漢字廃止論ただ1つです。
zh:廢除漢字の定義文は(漢字廃止論と同様に)、「論」ではなく「運動」であるとしています。「「廃止論」について書かれています」とはどのような意味合いでのご発言でしょうか。
1.については、第1に「「漢字文化圏の各地における漢字復活の学説や議論」は「漢字復活」というテーマに属する内容であり」と申し上げております。--Greeneyes会話2012年9月22日 (土) 00:08 (UTC)[返信]
チェック こちらのご質問を見逃しておりました。その中国語版は、『漢字廃止論』という記事名の日本語版の「漢字を廃止し音標文字を採用しようという言語改革運動のことである」という定義と同じである、廃止論について書かれているということです。5日前にご説明しましたとおり、中国でも漢字を実際に廃止した史実はなく、日本語の表現としては、「中国における漢字廃止」では不自然なわけです(あるいは、X「中国に漢字廃止があった」、○「中国に漢字廃止論があった」)。「「漢字復活」というテーマに属する内容」につきましては、「「漢字廃止」というテーマに属する内容」=「漢字廃止論」でも良いわけですから、「漢字廃止論」はよく、「漢字復活」にだけ「論」がふさわしくないという理由にはなりません。両方とも「論なし」に改名することによる問題はすでに述べたとおりです。(--Muzmuz会話2012年9月27日 (木) 23:22 (UTC)追加)[返信]
(追伸)また、「ハングル#漢字復活論に合わせる必要はなおさらありません」のはなぜでしょうか。漢字復活の議論があるのは、朝鮮とベトナムだけ(「漢字廃止」をしなかった日本とはほぼ無関係です)なので、朝鮮の「復活論」の動きは重要です。公的に廃止をしたベトナムでも、復活の「論」のある段階であり、まだ「復活」したといえる事実はありません。一方、漢字廃止論は、多少海外の事例を含んでいるとはいえ、主に日本の運動を扱っているのであり、しかも一度も廃止が実現しなかったため「論」のついた記事名で座りが良いのだと理解できます。したがいまして、日本で廃止をしたことがないから「廃止論」なのであれば、朝鮮・ベトナムについての記事である漢字復活も、同様に復活をしたことがないから「復活論」と、両方「論あり」にそろえるべきだと考えます。--Muzmuz会話2012年9月21日 (金) 02:11 (UTC)[返信]
コメント 言葉足らずでしたが、私が申したかったのはより基本的な疑念です。つまり、変更に多大な労力を要する記事名の論拠を、容易に編集対応できる節名に求めるべきではない、ということです。またWikipedia:信頼できる情報源も、論拠をウィキペディア自身に求めることに否定的です。
「主に日本の運動を扱っている」状態はJPOV、つまり、改善されるべき問題点です。改善の障害になるような変更を加えるべきではなく、他の記事をこれにあわせるべきでもありません。また、「復活をしたことがないから「復活論」」とは、「復活論」を候補の1つにできる理由にはなっても、他の障碍を顧ず「復活論」を推す理由としては不十分です。--Greeneyes会話2012年9月22日 (土) 00:08 (UTC)[返信]
Greeneyes様に、次の点を反論いたします。
  • ハングル#漢字復活論の「節名に求めるべきではない」ということですが、節名であれ記事名であれ、正しい方に名称を合わせること自体には賛成をいただけると考えます。ハングル#漢字復活論は項目の内容こそ書きかけですが、日本語として項目のつけ方としては自然であり「ハングル#「漢字復活」に変更する必要はないと考えます。
  • 「論拠をウィキペディア自身に求めることに否定的」であれば、なぜ、ウィキペディア「他言語版」のリンクの名称を論拠とすることは肯定されるのでしょうか。また、仮にある言語において「論なし」が自然な記事名のつけ方だとしても、日本語とその漢字(あるいは漢字語)使用言語との間で、一対一で漢字の用法を共有できるものではないということはご理解いただけると存じます。具体的に、朝鮮語版の記事内でも「한자 부활론자」(漢字復活論者)という表現が使われていますし、ベトナム語版のタイトルはご存知のとおり「𡨸漢復活」ではありますが、当てにならない書きかけであり、ノートに反発も出ています。"Thuyết phục hoạt Hán Nôm"(漢喃復活論)などの改名も考えられることでしょう。
  • 「「主に日本の運動を扱っている」状態はJPOV」についてですが、仰っていることは具体的に漢字廃止論#日本以外の漢字圏の状況を充実させるということです。その結果、もし、記事が膨大となって分割されるとすれば、「日本における漢字廃止論」と「海外における漢字廃止(論)」に分かれることになります。この場合、「日本における漢字廃止」では不自然であることはご理解いただけますでしょうか。また、「海外」の中国においても「拼音羅馬字」にする議論にとどまっているわけですから「中国における漢字廃止」では不自然なわけです。ベトナム朝鮮の事例をまとめた場合は、「海外における漢字廃止(論)」のありなしで議論が分かれるかもしれません。しかし、現在は記事が分かれていないわけですから、日本と中国の事例にあわせ「漢字廃止論」から、「漢字廃止」に改名する積極的な理由は考えられないということです。
  • 「漢字廃止論」に合わせる以外の理由で「漢字復活」を「漢字復活論」へ改名を提案する理由は、本記事内でも北朝鮮では金日成の復活否定の「見解」しかなく、韓国でもいくつかの「復活論」、また、ベトナムにおいては、「漢字復活の主張もない訳ではない」、かつ要出典の「復活論」が一点載せられているいう程度です。これから記事が充実するとすれば「復活論」、またはその「復活否定論」の執筆が増えるということです。
  • 具体的に「論あり」に改名することで現れる「他の障碍」とは何でしょうか。--Muzmuz会話2012年9月22日 (土) 02:39 (UTC)[返信]

チェック  提案から1週間以上たちました。Greeneyes様から反対がありましたが、まだ、私の5日前の反論に対してご回答は頂いていないようです(お答えし忘れた場所には今回コメント(チェック )を追加しました)。さらに1週間お待ちいたしますので、今一度、ご反論いただくか、投票のご希望を伺いたいと存じます。お返事がなければ、提案の趣旨が納得いただき、反対を解消いただいたものと理解させていただきます。--Muzmuz会話2012年9月27日 (木) 23:22 (UTC)[返信]

  • 賛成 「漢字復活論」への改名に賛成します。小倉紀蔵「現代韓国を学ぶ」(有斐閣)で「漢字復活論」という使用例があります。--TempuraDON会話2012年9月28日 (金) 03:16 (UTC)[返信]
    • TempuraDON様、ソースをつけたご賛成、誠にありがとうございました。念のためあと一週間、これ以上の反対意見がなく、Greeneyes様からのご意見がなければ議論の放棄とみなせると考えるため、改名手続きをとらせていただきます。--Muzmuz会話2012年9月28日 (金) 03:35 (UTC)[返信]
「論拠をウィキペディアに求めない」ことにご納得いただけるなら、外国語版を論拠とした私の主張はさっぱりと無視してください。ただしこれは、「漢字廃止論」や「ハングル#漢字復活論」に基づく改名理由を、撤回していただくということでもあります。
基本的な問題意識が共有されていないような気がするので、私が抱いている問題点を整理させていただきます。「漢字復活」と「漢字復活論」は、対等な二者択一ではありません。「漢字復活」は「漢字復活論」を含むより広い概念です。「漢字復活」という記事の中に「漢字復活論(漢字復活の議論)」や「漢字復活論者(漢字復活を論ずる者)」について書かれていることは自然ですが、逆はそうではありません。「主に漢字復活論について書かれていること(あるいは書かれるべきであること)」は、記事名を「漢字復活論」とすべき理由としては不十分です。なぜなら、文字数は少なくとも、議論の範疇にない、言語学的背景や実際の動きについて書く余地があるなら、それらを包括する「漢字復活」が望ましいからです。
「具体的に「論あり」に改名することで現れる「他の障碍」」は、何も難しいことは申しておりません。これまで各コメントで指摘させていただいてきた問題点です。--Greeneyes会話2012年10月2日 (火) 12:35 (UTC)[返信]
Greeneyes様、以下に反論をさせていただきます。
  • Greeneyes様の「外国語版を論拠とした私の主張」を撤回されるのはご自由ですが、それとともに「「漢字廃止論」や「ハングル#漢字復活論」に基づく改名理由を、撤回」ということにはなりません。そもそも「ハングル#漢字復活論」だけに基づいて改名提案をしたわけではありませんし、議論を進める中で「「日本における漢字廃止」では不自然」や「X「中国に漢字廃止があった」」などといった具体的な反論を申し上げてきましたから、それらにお答えいただくまでは、撤回にはなりません。さらに、「漢字復活論」の改名提案そのもの撤回というのであれば、TempuraDON様の資料まで、もみ消してしまうことになります。ご自分は「漢字復活」がふさわしいことを示す資料は出されていないのに、理不尽な要求ではないでしょうか。
  • 「議論の範疇にない、言語学的背景や実際の動きについて書く余地があるなら、それらを包括する「漢字復活」が望ましい」とおっしゃるのであれば、記事名として、たとえば、社会進化論日本の核武装論よりも社会進化日本の核武装のほうが自然だということでしょうか。また、「実際の動き」とは何でしょうか。ベトナムや朝鮮で「漢字復活」の動きと呼べるものがあるのでしょうか。たとえば、何人かの学者や学会が実際に漢字復活をさせてハンノム文や、漢字ハングル混じり文を現在でも書いていると主張されるのであれば、日本でカナモジカイ日本ローマ字学会では実際に漢字を廃止しているから漢字廃止論より漢字廃止が記事名としてふさわしいということになります(実際に、Greeneyes様はそう改名提案されるのかもしれませんが)。しかし、日本語の記事名のつけ方としては、漢字廃止論ローマ字論というのが「曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること」(Wikipedia:記事名の付け方)のであって、その名の下で、「漢字廃止論(漢字廃止の議論)」や「漢字廃止論者(廃止を論ずる者)」について書かれているのです。こちらは、漢字復活も他の、自然な「論」に合わせることが「首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの」であると考え、漢字復活論に改名提案しております。
  • 同様に、「「社会進化」という記事の中に「社会進化論(社会進化の議論)」や「社会進化論者(社会進化を論ずる者)」について書かれていることは自然ですが、逆はそうではありません」とはいえません。正式に日本が核武装をするまで日本の核武装論で十分なように、公的に漢字を復活するまで、漢字復活論がふさわしいといえます。
  • 「「他の障碍」」は、何も難しいことは申しておりません。これまで各コメントで指摘させていただいてきた問題点」につきましては、わからないからお尋ねしているのですが、推測として、外国語の記事名に合わせられなくなるから、という障碍でしたら、ご自分で撤回されていますので無効ということになります。他のことだとしたら、何でしょうか。一応これまで、すべてに反論を申し上げているつもりですので、それらに対するご回答がいただけない、あるいは、具体的に「これが障碍だ」というご説明がない限り、こちらからの反論漏れはないと取らせていただきます。--Muzmuz会話2012年10月3日 (水) 00:47 (UTC)[返信]
「「ハングル#漢字復活論」だけに基づいて改名提案をしたわけではありません」ということは双方納得のことだと思いますが、だからこそ、「それ以外の理由に基づく改名提案」に絞っていただくことになります。具体的には、最初に番号つきで3つ挙げていただいた改名理由のうち、2と3を撤回していただき、1のみに絞っていただくことになります。
「社会進化論」は「social Darwinism」の意であり、「社会進化+論」ではなく「社会+進化論」です。「社会進化」という語は(少なくとも「社会進化論」の語素と言う形では)存在しません。例としてはまったく不適切です。日本の核武装論は「日本の核武装」のほうが好ましいでしょう。日本は実際に核兵器開発をしていたことがありますし、核燃サイクルは核武装への動きであるという主張もあります(この主張の正誤とは無関係に、中立的な立場のほうが好ましいです)。
「曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること」は、「論」をつけなくても他の記事と区別でき、「論」を付けるのは「曖昧さなく見分けるのに必要な程度」を超えている(言い換えると、記事が網羅すべき範囲に比べ意味が狭すぎ)ということでもあります。「首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの」は、私はそれに基づき「論なし」にそろえるべきだと考えています。これらを改名提案の理由には使えません。
「他の障碍」はまさに「これまで私が言って来たこと」なのですが。具体的に述べよということなら、初期のコメントから抜粋すれば
  • 漢字復活・漢字廃止論 の他言語版は全て、「漢字復活」「漢字廃止」に相当する各国語であり
  • zh:廢除漢字の定義文は(漢字廃止論と同様に)、「論」ではなく「運動」であるとしています。
  • 「主に日本の運動を扱っている」状態はJPOV、つまり、改善されるべき問題点です。改善の障害になるような変更を加えるべきではなく、他の記事をこれにあわせるべきでもありません。
あたりです。--Greeneyes会話2012年10月11日 (木) 10:49 (UTC)[返信]
Greeneyes様へ。「「社会進化+論」ではなく「社会+進化論」です。」については、前半は明らかに間違いですが、さらに「社会+進化+論」ではないとどうしていえるのでしょうか。「社会+進化論」は「社会+ダーウィニズム」なのは明らかですが、ダーウィニズムは、evolution theory「進化+論」だったわけで、"to apply biological concepts of Darwinism or of evolutionary theory to sociology and politics"ともいえます。しかし、「日本の核武装論」までも「日本の核武装」とおっしゃるのであれば、「ホロコースト否認」という記事名に通じる不自然さを感じます。無論、それは該当箇所で改名提案をする予定ですが。
  • 「漢字復活・・・各国語であり」については、すでに、他言語版ウィキペディアの信頼性に頼る理由はないとお認めになっていますし、そもそも日本語と他言語の性質の違い(論をつけるのが自然なのとつけないのが自然な場合がある)はよくあることで、また、多言語版も改名の可能性もあることも述べております。
  • 「zh:廢除漢字の定義文は・・・「運動」であるとしています。」については、「運動」だけではなく、「主張」も語っています。本文に「新文化運動的一些知識分子曾主張廢除漢字」ともあるように、中国では、「論」で終わったことは史実です。日本において「這被世人認為是漢字廢止論的先驅」というように、廃止論の先駆けについても述べております。論をつけるかどうかの違いばかりではなく、中国語(漢字廃止論の他言語は中国語版だけです)に合わせるのなら「廃除漢字」という記事名ということになってもよいはずです。しかし、不自然であるというこちらの主張です。
  • 「「主に日本の運動を扱っている」状態はJPOV・・・」につきましては、中国関連を増やしたとしても廃止はしておらず、「廃止論」にとどまったといます。また、朝鮮・ベトナムの事例は、廃止した結果としてのハングル専用(現在漢字ハングル混じり文に統合議論中)というような別記事もありますし、また、チュノムでも充実しています。つまり、朝鮮・ベトナムでは政府が公認したわけですから、どういう学者が「廃止論」を出したか、といった主張と奮闘の歴史のようなものは、話題になりづらいということです(復活論はあっても、廃止論の方は朝鮮語・ベトナム語の記事にもなっていない)。しかし、日本語の事情は、「漢字廃止論」の記事以外、漢字を見ても平仮名を見ても語られない(そして必要性も感じられない)のですから、この記事が日本や中国における漢字廃止「論」を大きく担っていることはご理解いただけますでしょうか。ずいぶんGreeneyes様とさまざまな箇所(ノート:ハングル専用Category‐ノート:ベトナムの都市)で反論を頂いていますが、私も今のところこの点で資料は追加できませんので、投票の手段しかないのでしょうか。どうもウィキペディアではGreeneyes様ともっと協力して書いていくべきことがあるように思えて仕方がありません。--Muzmuz会話2012年10月11日 (木) 12:05 (UTC)[返信]

コメント 「~論」をつけてはならないという資料の提示がないため、現在の「ハングル専用」や「ホロコースト否認」といった記事名と同類の問題であると考え、まとめてコメント依頼を出しました。初めていらっしゃった方へ。こちらのページでは、現在、賛成2件(提案者も含め)、反対1件があります。反対されているGreeneyes様は、「漢字廃止論」に合わせるのではなく、そちらも漢字復活に合わせて漢字廃止に、「日本の核武装論」も「日本の核武装」が記事名としてふさわしいとご主張なさっています。--Muzmuz会話2012年10月13日 (土) 01:22 (UTC)[返信]

賛成 提案に賛成します。例えば英語で「Japanese」「Chinese」というのは、形容詞形であって「日本の」「中華の」という意味でありますが、英語ではそのままの形でつまり「〜people」「〜language」等をつけずに「日本人」「日本語」等々の意味を表す名詞となります。逆に日本語では「〜人」「〜語」という接尾語をつけないと座りが悪く、しばしば「エスペラント語」などと表記され、やれ間違いだ、いやこの方が解りやすいといった論争が起きるのも、日本語のこうした特徴のせいであります。
さて朝鮮語の「한자 부활」は、「漢字復活運動」のような「より大きな複合語の一部分」であったり(ko:전국한자교육추진총연합회、「漢字復活運動」「漢字復活政策」)もしますが、「漢字の廃止」といった「句」の意味でもあります(ko:한글전용과 국한문혼용、「漢字(の)復活を主張している。」)。中国語の「漢字復活」も同様のことが言えるでしょうし、また、これで確立した熟語として成立し得ます。しかし「より大きな複合語の一部分」を記事の項目名とするのはよろしくないでしょう。「の」を付さないのは「臨時一語」といって、新聞記事などでは多用される形ですが、やはり項目名としては座りが悪いです。もっとも「句」の形で立項された項目名もありますがね。--КОЛЯ 会話 2012年10月14日 (日) 03:36 (UTC)[返信]
 КОЛЯ様、賛成どうもありがとうございます。11日 (木) 12:05 (UTC)に対してGreeneyes様から再反論がありませんので、おそらくこれで決定かと思います。18日までお待ちいたします。ところで、КОЛЯ様もお詳しいと存じますので、ぜひ、こちらノート:韓国の民族主義#改名及び分割提案でもご意見を頂戴したく存じます。実は、そこでは私は逆に「の」をつけてはならないという主張をしており、反対を頂いております。賛成・反対問わず、お知恵を拝借したく存じます。--Muzmuz会話2012年10月14日 (日) 04:52 (UTC)[返信]
保留 いまだ改名理由が不十分と考えますが、複数の賛成者が現れたことで、反対は保留いたします。--Greeneyes会話2012年10月17日 (水) 16:33 (UTC)[返信]

暫くたちましたが、賛成のみで、反対がありませんので、改名を実行させていただきます。皆様のご協力、誠にありがとうございました。--Muzmuz会話2012年10月31日 (水) 04:17 (UTC)[返信]