ノート:漫画原作
”取り合えず”最低限必要と思う項目を立てました。これから随時加筆する予定ですので、宜しくお願いいたします。--Saimon 2006年9月7日 (木) 17:27 (UTC)
ありがとうございます。こちらも分かったことを追加していきますのでよろしくお願いします。 --おてもやん 2006年9月8日 (金) 05:03 (UTC)
- 漫画原作者の立場についてなんですが、マンガを自分も描きたいけど絵が描けないから、原作で行きたい!
- っていう人が多いんじゃないかと思うんです。でももちろん漫画原作家の人がみんなそういうわけではないし……。
- 作家・脚本家などで活動している人が物語を提供する、漫画家が他の同業者に原作を提供するケースなど
- いろいろある訳だから、そこのところをどうまとめて書けばいいか、ちょっと悩んでます。
- 「絵を描けない人にとっては、自分の物語を絵として映像化してもらえる。そこにやりがいのある仕事だ」と
- 脚本の項目で書いたんですが……。あまり「絵を描けない」と強調するのも原作家の方に失礼ですし;
- また、ウィキペディア内に[ネーム]の項目と[画コンテ]の項目が分かれて記載されており、漫画の下書きは
- ネームと呼ばれているのでこの形式による漫画原作も一般的に[ネーム形式]で通っています。なので修正しておきました
--おてもやん 2006年9月8日 (金) 06:51 (UTC)--おてもやん 2006年9月8日 (金) 05:24 (UTC)
ネームの件、了解です。 漫画原作の立場についてなんですが、漫画を描きたくても描けない、だから原作・・・それよりも、荒唐無稽な表現をなにかのメディアで表したいってことだと思います。好きな漫画を読んでいて、「何これ?これじゃあ、ぼくが描いた方が面白い!」って感じることがキッカケの人が多いように感じます。細菌に支配され閉鎖された渋谷に、ワクチンを積んだヘリコプターが墜落とか、天皇の孫が誘拐され、天文学的な身代金を要求され、それが国民の税金で払われることにより空前絶後の大暴動が起きるとか、できれば映像で観てみたいけど、漫画でもかまわない・・・など、一表現の場として漫画を選んだのが原作だとおもいます。 少し乱暴ですが、ネーム形式の作家は、おてもやんさんの懸念通り、漫画を描きたいが画がかけない。だからこそ、コマ割りや話の運び、引きが上手いのだと思います。脚本形式で書く人はメディアを問わず、自分の作品を他の表現者がどう仕上げてくれるか、そこに興味が集中しているようです。ネームも脚本もそれだけでは作品として成立しないのですが、小説形式の作家は、それだけで作品が成立する小説に魅力を感じているのではないのでしょうか。しかしながら、ぼくの周りには脚本形式の作家だけで、小説形式は一人でしたが、その彼は脚本の書き方を知らなかったようでした。あと、漫画家が同業者に原作を提供するケースですが、ぼくはあまり詳しくなののですが、講談社が実験的?に「デビルマン」「タイガーマスク」などを色んな漫画家に描かせていた時期がありましたね。あれって、漫画家の持つ絵柄やスタイルをコラボと称して面白がっているように見えました。ぼくは面白かったですけど・・・アメコミの「バットマン」「スパイダーマン」のような描かせ方は、商業的すぎて好きではありませんが・・・乱筆乱文で申し訳ありませんが、少しでもお役にたてばと思います。--Saimon 2006年9月8日 (金) 13:16 (UTC)
- 【表現したい事がまず先にあって、そのための場として漫画原作を選んだ】。
- なるほど、確かにそういう側面の方が強いかもしれないですね。ご意見ありがとうございました。
- 引き続き、文面を練っていこうと思います。
--おてもやん 2006年9月9日 (土) 00:26 (UTC)
思うのですが・・・漫画原作から「主な作家」を外して、漫画原作者のリンクに頼ろうとしたのですが・・・でも、漫画原作の記事を読むような読者が、漫画原作者にたどり着いて、それで満足できるのでしょうか?。ええと、ぼくが言いたい事は、漫画原作で「脚本、小説、ネーム」という書き方を紹介して、そのまま漫画原作者のページに行ったら、原作者の名前の羅列だけ・・・それはないよ、と思うわけだと思って。梶原一騎は小説形式、ゆでたまごは二人組みで、片方がネーム形式の原作者、きうちは兄貴がマネージャーだったが後に脚本形式の原作を書き、さらに漫画家をプロデュースしている。だとか必要な気がします。だからと言って、ぼくのフライングで「主な作家」の項目を立てましたが、どの作家がどの形式で執筆しているのか・・・これを網羅する術はないわけで・・・どう思います?--Saimon 2006年9月16日 (土) 15:46 (UTC)