ノート:熊野海賊菜切攻め
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Webにて参照できる、吾妻鏡の該当箇所を以下に示します。--Excavator 2005年10月22日 (土) 02:35 (UTC)
- すぐ後の記事にて、大将である『戒光』が矢で射られ熊野へ戻ったとのこと、記載があります。少々表現を修正したいと考えています。--Excavator 2005年10月23日 (日) 20:46 (UTC)
「湛増が実際に来た」に関して
[編集]「来た」では志摩市中心の表現になりますので、「行った」あるいは「付けられたとするものがあるが記録にはない」などに変更すべきと思われます。N yotarou 2006年6月20日 (火) 16:03 (UTC)
- 「来た」と書いたものです。わたしとしては「行った」等と変更していただくことに異存はありません(どちらでも良いというスタンスです)。
- むしろ、もともと本名称の項目があったので手を入れはしましたが、「熊野海賊菜切攻め」なる文言は、このWikipediaでしか見かけたことがないことの方が気になっています。--Excavator 2006年6月20日 (火) 16:36 (UTC)
- 治承・寿永の乱の「清盛の死」に追記してこの項目を削除する方がいいのかも知れませんね。どうしましょう?N yotarou 2006年6月29日 (木) 14:13 (UTC)
- 治承・寿永の乱には既に「1181年1月には、紀伊の熊野三山勢力が挙兵して、伊勢や志摩で平家側勢力と交戦するという動きもあった。」と記載されています。以前はもっと詳しく書かれてあったのですが、項目全体から見て明らかにアンバランスだったので、私が現在の簡潔な記述に修正しました。治承・寿永内乱における本事件の位置づけはさほど重要なものではありませんので、治承・寿永の乱上に本事件を現在以上に詳しく記述する必要はないと思います。
- 確かに「熊野海賊菜切攻め」という事件名をweb上で探すとwikipedia関連サイト以外に見つかりません。ただひょっとすると、地元史家の間でそれなりに受容された呼称である可能性はあります(日本史分野では、重要事項なのにweb上にほとんど情報が載ってないことは日常茶飯事ですから、web以外の文献・情報源に広く当たる必要はあると思います)。それを検証した結果、現在の項目名が適切でないことが判明したならば、より適切な名称へ項目移動すれば良いでしょう。それまでは取り敢えず現状のまま措いておいては如何でしょうか。--shimoxx 2006年6月29日 (木) 16:13 (UTC)
- そうですね、今のところはShimoxxさんの仰るとおり、このままにしておくことしかわたしも思いつきません。なお、この戦いに関しての名称自体ないのではとの疑念をわたしは持っています。ない場合には最終的にどこかへ移設することになるのでは、とは思っています。--Excavator 2006年7月1日 (土) 06:42 (UTC)
- Excavatorさん<諒解です。妥当なお考えだと思料いたします。-shimoxx 2006年7月1日 (土) 14:06 (UTC)
- そうですね、今のところはShimoxxさんの仰るとおり、このままにしておくことしかわたしも思いつきません。なお、この戦いに関しての名称自体ないのではとの疑念をわたしは持っています。ない場合には最終的にどこかへ移設することになるのでは、とは思っています。--Excavator 2006年7月1日 (土) 06:42 (UTC)
- 『大王町史』に「熊野海賊名切攻め」という項目がありましたが、引用部分4行を含めて11行の内容でした。方言の話も僧別当の鼻の話も出ていませんでしたので、除去が妥当なように思われます。となると統合しちゃっていいように思いますが、いかがでしょう?N yotarou 2006年9月21日 (木) 16:57 (UTC)
- 『方言俗語語源辞典』(校倉書房発行、山中襄太郎著)によれば、志摩地方の「べと」は「どべ」の転化であり、愛知県碧海郡と対馬でも使われるとありました。他の辞書1冊にも同じ記述がありましたが、僧別当云々の記述は発見できませんでしたので、除去が妥当に思います。さらに突っ込めば熊野海賊の目的地は伊勢国であり、波切は上陸地点に過ぎないのですから、この記事が独立して存在する意義はないと思われます。ということで、様子を見て統合依頼か削除依頼を行なうつもりです。N yotarou 2006年9月26日 (火) 13:42 (UTC)
- 調査どうもありがとうございます。『べと』の語源俗解については削除したいと思います。
- 現状での統合先候補は治承・寿永の乱と思われますが、Shimoxxさんのコメント通り今以上にこの記事へと加筆する必要はないと、わたしも思います。もう一つの統合先としては、先代旧事本紀大成経があるかと考えておりますが、別途加筆しないとつながりがわからないですね(『日本の神々6』(白水社)他では、先代旧事本紀大成経発生の過程の一つとして、菜切嶋への攻撃を取り扱っています)。
- 例えば後者の記事に、一時的にコメントアウトした形で本記事をコピーしておき、本記事の削除という手順ではいかがでしょうか。--Excavator 2006年9月26日 (火) 13:53 (UTC)
- とりあえず、先代旧事本紀大成経へとコメントアウトした形でコピーしました。時間を見つけて加筆したいと思います。--Excavator 2007年2月25日 (日) 08:38 (UTC)