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ノート:牟田口廉也/過去ログ3

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編集について

[編集]

「気に入らない内容だからといって出典の提示された記事を勝手に削除するのは止めて下さい。」とのお言葉をいただいた、利用者:Dosok-3氏のご指摘に、新たな項目として以下に答えておきます。「気に入らない内容」の意味するところはよくわかりませんが、「後方(補給)に関して」の部分で論理的に意味が通らないので削除を行った以外、全ての文章は参考文献を含め残してあります。百科事典と称するには事例の羅列と化している部分が多かったので、読みやすくするため本文は簡潔にし、今後の追加に備え注釈の部分でより詳しい説明がされるようにしたのですが、利用者:Dosok-3氏は編集後の内容をしっかり確認されたのでしょうか。また要出典の部分については、今後注記が追加されることを期待して一応全体を残しています。「日本と異なる英国側の見解」については、利用者:Hman氏の言われる通りデリケートな記事ですので、断定を避け中立的な表現にしましたが、これはウィキペディアの趣旨に沿うようにしたものに過ぎません。以上のように、独自研究をもとにした編集を強行しようとして編集合戦が発生した以前の事例とは全く異なりますので、編集前後のどちらが読みやすいかをノートで議論することで記事の質が向上することを期待して、記事は編集後の状態に戻しておきます。--Botellón 2010年8月10日 (火) 16:38 (UTC)

人には議論を経てから編集しろと言いながら、ご自分は議論を経ず人の編集を好き放題、削除や編集するのはどういうことでしょうか?そもそもここ牟田口廉也の項目は、およそ百科事典に相応しくない一方的な誹謗中傷、罵倒した個人叩きの内容になっていました。こちらの編集はそれとは反するものですが、議論を経て読者にわかりやすいように「両論併記」という形式になりました。そちらのやっている行為は、とにかく牟田口を悪人として仕立てるため、反論は全て封じるという言論封殺のような行為です。--Dosok-3 2010年8月12日 (木) 11:11 (UTC)
予想通りの反応が返ってきましたが、全く上記内容を理解されていないため、もう一度十分に熟読されることをお薦めいたします。以前ノートでの議論が必要であるとしたのは、ある人物が独自研究の記述を何度も強行したためで、結局その人物は自分の記述は「気に食わないという理由」で削除されているという反論以外は自説の根拠をほとんど提示できませんでしたが、今回の編集が前回のような独自研究云々というものでないのは上記のとおりです。そのため、今後の参考のため「とにかく牟田口を悪人として仕立てるため、反論は全て封じるという言論封殺のような行為」、そして「気に入らない内容」というのはどの部分を指すのか、具体的に貴殿の見解を提示してください。それができなければ、ただ「気に入らない内容だから」編集しているということになります。なお、貴殿の編集は多数の重複部分があり、分かりにくいだけなので戻しておきます。--Botellón 2010年8月12日 (木) 22:04 (UTC)
「鬼畜牟田口」に関する証言はこの「牟田口廉也」の記事で述べられるべきと思いますが、「イギリス側の見解」は主としてインパール作戦の妥当性に言及しておりますので、むしろ「インパール作戦」の記事で述べられるべきではないでしょうか。「なお、敵側である英軍側では、インパール作戦の主旨を高く評価する向きもある。詳しくはインパール作戦#なんたらを参照。」の様な形で、いかがでしょうかね。
なお、牟田口個人が行った、なにがしかの人道的な行いや指揮官としての素晴らしい立ち振る舞い、などの証言があるならば、それはこの記事で述べられるべきかと存じます。しかし牟田口誹謗、牟田口擁護、いずれの証言かを問わず、これは百科事典のいち記事でありますので、適切な分量を保ちつつ、過度に専門的にならない様に調整して頂きたく存じます。
最後に、Wikipediaの公式な方針文書である中立的な観点#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?からの引用ですが、「少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。」との文があります。Dosok-3氏をはじめとする牟田口擁護派の方々にも、牟田口愚将論が余の趨勢を占めている点は否定できないと思います。なにやらきな臭いルールではありますが、このルールが無いと進化論だの相対論だの波動だのアトランチスだのホメオパシーなどの記事がとんでもない事になりそうですので、これも必要なことなのでしょう。一応はこの方針文書を尊重して活動なされる事を望みます。--Hman 2010年8月13日 (金) 16:28 (UTC)
まさにご指摘の内容を前提に編集を行ったのですが、利用者:Dosok-3氏はそれを「とにかく牟田口を悪人として仕立てるため、反論は全て封じるという言論封殺のような行為」と解釈する異なった見解をお持ちのようです。また、この記事では牟田口氏本人に関する記述がメインになるはずですが、インパール作戦そのものに関する記述がかなり含まれているため、少なくとも「イギリス側の見解」の部分は作戦に対するイギリス軍の対応と関連させて、「インパール作戦」の記事内に書かれるべき内容と考えます。今後の編集が必要と思われます。--Botellón 2010年8月14日 (土) 11:31 (UTC)

ここの内容は殆どがインパール作戦に関する内容なので、インパール作戦の方へ移すならば批判も擁護も公平に移すべきではないでしょうか?批判だけ残して擁護は移せというのは公正ではありません。英軍の見解は確かに多すぎるので一部を残して移すことに反対はしません。作戦が許可される経緯や補給に関するこちらの編集は、読者にとって有益な情報であり、単なる悪口の羅列をした本編の悪意に満ちた編集内容よりはマトモな内容だと思います。--Dosok-3 2010年8月15日 (日) 07:28 (UTC)

「証言」セクション、自己弁護に終始しただの自決が云々だのは、牟田口の記事で触れられるべきでしょう。インパール作戦の記事で述べるには実に些末です。「生涯」セクションの、インパール作戦の時期に関する記述については、インパール作戦に移動した方がより好ましいでしょう。軽く1、2文節で触れる程度で、あとはインパール作戦に誘導する。これがスマートではないでしょうか。線引きはなかなか難しい所ですね。早急な編集は慎まれんことを望みます。まずは話し合いましょう。また、もし記事間で「転記」を行うのであれば、このノートで同意を取り付けた上で、GFDLライセンスに配慮した上で、適切な方法で行って下さい。Dosok-3さんの編集スキルの程は存じ上げませんが、もし困難である場合、転記すべき範囲が明確であれば、私が代行することも可能です。
また、私個人の考えですが、「証言」セクションがこれ以上肥大化するのは、好ましくありません。百科事典の記事としての体裁を逸脱するのではないかと考えています(どこぞの芸能人記事じゃないのですから)。これ以上は「大東亜戦争wiki」なり個人のサイトなりの領分でしょう。各証言についても、要点を纏める形で、見た目半分程度の分量にしたい所です。
私も私でそれなりに記事への手入れも考えていますが、今私が参入してしまっては編集合戦が加速するだけと思い、現在は静観致しております。現在の所は口を挟むだけでご容赦くださいませ。--Hman 2010年8月15日 (日) 08:40 (UTC)
利用者:Hman氏のご提案に同意します。また、利用者:Hman氏の言われる内容を念頭に、以前の編集では「生涯」セクションのインパール作戦発令の経緯などについては、牟田口氏に関連する記述以外は記事の肥大化を避けるため注釈部分に移動させましたが、その内容を「インパール作戦」に記事にどう反映するのかは今後のノートでの検討課題であることに、異議はありません。(上部組織の作戦認可の経緯は、作戦実行の重要な要素であると思います。)なおその作業を行う場合、「少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。」というルールは、示唆に富むものであると思います。また「証言」セクションは、もう少し内容の整理が必要でしょう。
さて、利用者:Dosok-3氏からは、「勝手に消された」という以外編集理由をご教示いただいてませんが、私の行った編集が「勝手に消」したものではないことは上記の通りですので、差し戻しておきます。なお今後のノートでの議論のため、貴殿が差し戻し理由に挙げられた、1.「とにかく牟田口を悪人として仕立てるため、反論は全て封じるという言論封殺のような行為」、2.「気に入らない内容」というのはどの部分を指すのか、それぞれ具体的に提示してください。独自研究の記述強行を差し戻したケースとは違いますので、理由も示せないまま編集を行ない、編集合戦を誘発することは避けましょう。--Botellón 2010年8月15日 (日) 16:54 (UTC)
Miwa.SSさんの「歯科医師の大田嘉弘」という記述に違和感を覚えます。せめて「本職は歯科医師であり、アマチュアの研究家である」と脚注に示す程度ではないでしょうか。それにしても飯のタネとその人の本質は必ずしもイコールではありませんので、読者に予断を与える可能性を危惧します。少なくとも日本語版ウィキペディアでは一般的ではないと思いますが、いかがでしょうか?--Hman 2010年8月23日 (月) 10:41 (UTC)

Littlefox氏の編集に関して。まず大田氏の主張であるかのように冒頭に追記してるが、主張などない。大田氏の書籍で一次資料の内容が紹介されたものを、そのままの内容で記載している。大田氏の論評は入っていない。論評が入っているのは伊藤正徳氏の見解のみ。そしてあなたはその後に論評を加えたが、だれの見解なのか出典がない。ここ全体の構成は、前半が一般的な批判的な内容で、後半が、一般にはあまり知られていない反論といった両論併記の形態になっている。だからあなたが批判するべき記事が必要だと思うなら前半に例えば「牟田口に責任がある」などの項目を作ってそこで記事を編集してくださいよ。出典も明記してください。それから大田氏をアマチュアというなら、高木氏も半藤氏も軍事的知識の無いただの作家でアマチュアです。--Dosok-3 2010年8月23日 (月) 13:49 (UTC)

中立的な表現に変えておきました。それにしても司令官・立案者の牟田口に責任があるのは当然であって、責任無しとするのは論理的に無理があるのでは。確かに牟田口本人は全部部下の責任って言ってましたが、そんなの通用しないでしょう。--Littlefox 2010年8月23日 (月) 18:13 (UTC)
しばらく待ちましたが、Dosok-3氏は先日の編集差し戻しの理由を一向に提示せず、そればかりか相変わらず自分の主張に固執されていますが、Dosok-3氏が固執する内容は「インパール作戦」の項目で議論されるべき内容であり、本記事内に無理やり全てを記載することは記事内容を冗長にするだけです。そのため、Dosok-3氏から先日の私の質問への具体的な回答が明記されない場合、再度Dosok-3氏の行った編集を差し戻します。ところで、大田氏以外に同様の歴史解釈をする資料は他にないのですか? --Botellón 2010年8月23日 (月) 15:08 (UTC)
上記
インパール作戦に関する記載は全部移動するというなら、批判も含めて殆ど全てがインパール作戦に関する事であり、経歴以外、何も無くなってしまいますが?
そちらは作戦計画における補給に関する重要な部分を削除しました。そして上層部の意向と作戦が決まる過程の重要な部分も目立たないように移動しました。悪意を持った誹謗中傷の羅列だけで記事を構成したいのですか?
公正中立を重視したウィキペディアの趣向に反しています。
こちらの編集に異議があるならば、改めて、一つ一つ具体的に書いてください。一つ一つ異議に答えます。
大田氏の書籍には多くの軍関係者の証言資料が記載されており、高木氏ら批判派の単純な見解に反する証言資料はいくらでもあります。--Dosok-3 2010年8月23日 (月) 15:37 (UTC)
どうやらこれまでのノートでの議論を何も理解されていないようですが、改めて書くまでもないのでまずはノートの内容を理解する努力をされることをお薦めいたします。牟田口氏個人の言行に関する記述とインパール作戦の経緯に関する記述は区別されるべきというのは、Hman 氏も指摘されている通りです。この点を無視して御自分の記述された内容の編集を「とにかく牟田口を悪人として仕立てるため、反論は全て封じるという言論封殺のような行為」というように解釈されるのは、大変興味深いことです。ところで、「こちらはストーカー行為にあっており、掲示板で基地外だの右翼だのレッテルを貼られ、こちらの編集は全て差し戻すと宣言されてます。」と「インパール作戦」のノートで記述されていますが、この「掲示板」とはいったいどのような掲示板でしょうか?よろしければご教示ください。
また問題としているのは、「多くの軍関係者の証言資料」を大田氏のように解釈をしている資料が他にないのかということであり、同書の「多くの軍関係者の証言資料」によって貴殿がここに記述しているような見解を持ったのであれば、それは単なる独自研究であることをお忘れなく。--Botellón 2010年8月23日 (月) 21:00 (UTC)
「インパール作戦」と「牟田口廉也」、どちらに記述すべきかと言う話であれば、2010年8月23日 (月) 18:10(UTC)版においても、やはり証言は「牟田口廉也」に、一般的な認識とは異なる見解は「インパール作戦」に記述されるべきであると、改めて主張させて頂きます。インパール作戦の妥当性については「インパール作戦」で、牟田口の美談については「牟田口廉也」で書かれるのが筋としたものでございます。
また、現状では証言はほぼ牟田口記事に残しておいて問題は無いと思われますが、今後そうでない、つまりインパール作戦の不当性に言及する様な加筆が行われましたら、それは当然「インパール作戦」に移動されるべきだと言う見解も、同時に表明させて頂きます。
少なくともこの点では、そろそろ、最終的な同意に向かって動き出す時期に来ているのではないかと存じますが、皆様はどうお考えでしょうか。こちらのページで少なからざる同調が得られるのであれば、「インパール作戦」のノートへの告知、及び同意へ向けてのコメント依頼の提出を視野に入れて動いて行きたく存じます(が、コメント依頼は陸軍擁護派氏(仮称)の活動をより広く、古くご存じの方によって成される方がより好ましいと思います。我こそはと思う方は手を挙げて頂きたく存じます)。--Hman 2010年8月23日 (月) 22:02 (UTC)
Hman氏の御提案に同意します。現在本記事が保護されているので、その間に複数のアカウントを駆使する陸軍擁護派氏(仮称)の編集が巻き起こした数々の問題を解決しながら「インパール作戦」への記事内容の移行準備を進め、現状が既成事実化することを厳に回避すべきと考えます。2010年8月15日 (日) 16:59(UTC)版はHman氏の御指摘を前提にした試案でしたが、今後の編集はさらに抜本的なものにする必要があるでしょう。「インパール作戦」のノートもDosok-3氏の主張で何やら賑やかになっていますが、移行内容についてもそちらで議論できればより建設的と思われます。--Botellón 2010年8月25日 (水) 20:47 (UTC)
同じくHman氏の動議に賛成します。また複数アカウントを駆使して行われてきた「陸軍擁護派」氏の編集姿勢を公平に審議し、強行されてきた編集の既成事実化をさけるために、コメント依頼・井戸端等で多くの方の意見を拝聴することは有意義だと思います。また本件は「インパール作戦」「富永恭次」等、同じ議論を巻き起こしてきた項目と平行して処理する事を提案します。--Ring5ring5 2010年8月26日 (木) 07:32 (UTC)
コメントありがとうございます。議論の開始については少なからざる同意が得られたと認め、余暇が出来ましたら節を改めまして実際の議論に移りたいと思います。この際に「合意形成のための」コメント依頼も提出させて頂きたく思慮してございます。
さて、陸軍擁護派氏(仮称)の行動についてなのですが、繰り返しになりますが、私は一連の騒動について皆様程には詳しくなく、富永恭次の記事の件なども、今初めて知ったくらいでございます。「利用者の行為について」のコメント依頼、或いはチェックユーザー/ブロック依頼の提出に関しては、もし必要なのであれば、申し訳ございませんが、適任者にお任せ致したく存じます。--Hman 2010年8月26日 (木) 07:52 (UTC)

以前にも申し上げましたが、私めも「関連書籍」でひとくくりにするのはあまり好ましくないと考えております。関連書籍は、より理解を深めたい読者への、文献の紹介と言う意味合いが強いですからね。将来の改稿時には「出典もしくは参考文献」、「関連文献」、と、しっかり分ける事が必要ではないかと存じます。

また、Wikipediaでは出典の明記#出典の示し方にございます通り、出典の示し方は脚注でいちいち細かい出典を(大抵の場合はページ数も併せて)示す方式と、末尾にまとめて記述する方式がございます。小規模なものであったり異論の少ないものであれば後者でも結構かと存じますが、本記事の如くそれなりの規模、デリケート、議論紛糾との状況では、できるだけ前者の方式で記事を再構築するのが妥当であると考えます。もちろん「どの文献にも大抵書いてある」様な情報は、後者の形式のままでもよろしいかと存じます。--Hman 2010年9月8日 (水) 23:47 (UTC)

インパール作戦及び牟田口廉也の記事の基本的な方向性についての議論

[編集]

まずは根本的な所から合意に向けて動いて行きたいと思います。ウィキペディアの根本的な方針としてa.「出典の無い主観的な記述は慎む」b.「両論併記を行うが、主流である論とそうでないものに重み付けは行う」、この点で異論のある方はいらっしゃらないでしょう。よって今回議論を行いたい点と致しましては、第一に、両記事の中で

  1. インパール作戦の妥当性を主張する記述
  2. インパール作戦の無謀さを主張する記述
  3. 牟田口廉也の美談、英雄的行為
  4. 牟田口廉也の悪評、愚かな行為

に該当する部分を、各々について、原則としてどちらの記事に書くべきか、という点になります。なお、記事の内容--Dosok-3 2010年8月27日 (金) 13:51 (UTC)は当然この4つに分類される記述ばかりではございませんし、インパール作戦自体が牟田口の強硬な意思に基づき実行されたとするのが一般的な見解でございますので、例えば2.と4.を兼ね備えた記述なども考えられます。この様な場合は個々のケースにおいて、節を改めて話し合っていければと考えてございます。

第二に、一般的にどの様な見解が主流か、との確認でございます。様々なパターンが考えられますが、例えば「牟田口は自らの信念により、客観的に見て補給を軽視した無謀な作戦を立案し、強引に裁可させた。無残な大敗北に終わったのは牟田口はもとより、この独走を許した軍上層部にも責任がある」などでございます。まず「定説」を編集者の間で確認しなければ、どれが異論であるのかも解らず、重み付けも難しい、としたものでございます。それでは皆様、よろしくお願い致します。--Hman 2010年8月26日 (木) 19:53 (UTC)

コメント依頼を提出致しました。ご確認ください. --Hman 2010年8月26日 (木) 20:23 (UTC)

いち編集者としての私の見解を申し上げます。第一点。定義1.2.に該当するものに関しては原則的に「インパール作戦」に記述(もしくは移動)、定義3.4.に該当するものに関しては原則的に「牟田口廉也」に記述。インパール作戦の記事に書いてしまうには些末だと感じます。牟田口廉也#証言の内容は、その多くが定義4.に相当すると考えられ、推敲はともかくとして、牟田口廉也内で語られるべきでございます。ただし必要以上に人物を中傷する記述に関しては、危惧を表明させて頂きます。アドルフ・ヒトラーヨシフ・スターリンなどで見られますが、先人は品のある記事の執筆に気を払っていたものと推察致します。時間はかかるかもしれませんが、じっくりと良い形に仕上げて行ければと思います。牟田口廉也#一般的な認識とは異なる見解の内容はかなりの部分において定義1.に該当すると考えられます。これは「インパール作戦」に記述を移動するべきでしょう(今後定義3.に類する内容が加筆される事を制限するものではありません)。ただしインパール作戦と牟田口廉也は一体不可分であり、各々の記事が各々の記事について多少なりとも触れることは当然であり、規則(合意/ローカルルール)絶対主義に陥る事は厳に戒めねばなりません。
第二点に関しましては、先刻書いた通りの内容の繰り返しになります。これが定説であるとの認識の元に話し合いを進めていくのが適切であると考えます。--Hman 2010年8月26日 (木) 20:08 (UTC)

牟田口氏の項目で、インパール作戦に関する事は書くなというのは不可能だと存じます。現に現在の「生涯」の項目も、その殆どがインパール作戦に関する事が書かれています。インパール作戦に関して、牟田口氏の評価などにも関わる重要な部分は、当然ここで載せるべきです。牟田口氏とあまり関連のない事や、あまりにも詳細なことに関しては、当然、インパール作戦の方で書くべきですが。

牟田口氏に関して定説というか一般に流布されている内容は

  1. ①牟田口が計画したインパール作戦は、補給を無視した無謀な作戦であった。
  2. ②牟田口は反対を押し切ってそのインパール作戦を強行した。
  3. ③牟田口はこのような愚将である。

こんな感じではないでしょうか。多くのサイトでこのような論評を見かけますが、その多くがウィキペディアを根拠にしています。 これは仮に大筋間違いではないにしても、あまりにも単純で一方的な決め付けであり、こちらの編集内容は①②に関連するものです。 それをどう判断するかは閲覧者が決めることで、こちらが押し付けるものではありません。 牟田口氏をとんでもない悪党と思うか、当時の状況下ではやむをえないと考えるか、人それぞれだと思います。定説のみで編集し、それに反する内容はここでは書くべきではないというのはおかしいのではないでしょうか。そもそも人物評価で定説を決めることもおかしいと思います。--Dosok-3 2010年8月27日 (金) 13:51 (UTC)

また、わけの分からんことを。どうあっても認めたくないようですが、定説に反するから書くべきでないとは誰も言ってませんよ。出典として佐藤晃のトンデモ本を持ち出したり、オリジナルの資料と違う主張をしたり、日本語になっていなかったり、明らかに論理が破綻していたり、そもそも事実でなかったりするのがいけないのです。インパール作戦のノートで私が一度ならず指摘したように。
それはさておき。私見を提示します。補給に関しては、「客観的に見て、ジンギスカン作戦が失敗に終わったことは事実である。その失敗を立て直す術がなく、糧は敵に求めよと言い続けるだけだったのも事実である。そもそも、速度が最優先される任務に、歩みの鈍い牛を連れて行くこと自体が間違っているのも事実である。しかしそれでも、補給を全く無視していたわけではない(無視していないからこそ、ジンギスカン作戦を考えたのだと言える)。そして、牟田口以外の指揮官でも、インパールやコヒマ、ましやディマプールまで補給を行うことは不可能であった。つまるところ牟田口は、誰がやっても失敗することを何とかしようとして、当然ながら失敗したのである」「ただし、一人牟田口の問題ではなく、牟田口が特に酷いわけでもない。補給を……それも、限りなく無視に近いレベルで……軽視して、現地調達の名の下に自らを略奪集団へと貶めたのは帝国陸軍全体がそうである」くらいが中立的だと思うのですがどうでしょうか。他の分野については、日を改めて。--124.18.111.97 2010年8月27日 (金) 17:05 (UTC)
当時の軍隊として食料を現地調達に頼った事はとりたてて異常なことではありませんが、それゆえに現地調達ができない山岳・ジャングル地帯では輜重なしに行動することは不可能であるという事が、常識でした。ここで「日本人は元来草食なので草を食めばいい」などと言ってこれが可能だと考えたしたら指揮官として素質以前に、狂人の類であり、評価以前の問題です。牟田口は狂人でこそなかったかもしれませんが、杜撰な補給計画で作戦を失敗させた以上、将官として無能であるという評価は免れないでしょう。そして、この失敗は後世の後知恵でも不運故の不可抗力でもなく、十分に予見しうるうことでした。実際、部下や参議らがこぞって反対した以上、牟田口個人の過失が大きいと言わざるを得ず、部下を相次いで更迭して実行に至った以上、牟田口の責任重大という一般論に疑いの余地はありません--Littlefox 2010年8月27日 (金) 18:12 (UTC)
陸軍擁護派氏にご反論申し上げます。まず何より、ウィキペディアは牟田口がどの様な人物であったかとの真実を追究すべき場ではありません。あくまで、現在主流と思われる考えを紹介するのみにとどめるべきだ、という点に強くご留意ください。
まず、陸軍擁護派氏の文中にあります「一般に流布されている内容」は、私の見解ともほぼ一致します。よって、あくまでこの内容を基調として記事を仕上げていくべきであると、ご納得頂けると思います。率直に申し上げて主流の論が正しかろうが出鱈目だろうがあまり問題ではないのです。ウィキペディアはそれを総括し紹介するだけです。一般論が著しく間違っているとお考えであれば、著述活動や政治活動などで一般論を変える努力をなされるべきです。遠い昔にウィキペディアが存在していれば、恐らく天動説がさも真実であるかの様な記述がなされていたことでしょう。
続いて、ウィキペディアを根拠としたサイトが多い、という点、これはナンセンスです。インパール無謀論、牟田口愚将論はウィキペディアのウの字も無い時代から長く信じられてきました。
最後に、私が「両論併記を行うが重み付けを行う」と主張している点を良くお考えください。異論について触れる部分は、主流に対するそれより、かなり少ない量であるべきです。例えば有名な例では「進化論#進化論と宗教」などはいかがでしょうか。異論がさも主流である様な誤解を閲覧者に与えない様に配慮した記述が成されており、主流の論を解説した部分との記述量の比率もほどほどに抑えられております。また、相対性理論の関連項目なども、異端の論に紙面を割いてはおりません。もちろん「うんぬんかんぬんという異論を唱えるものもいる」程度の記述であれば、全く問題は無いでしょう。
124.18.111.97さんへ。細かい所は実際に編集を重ねてみないとわかりませんが、大筋において妥当な線であると感じます。今回、この節で基本的な合意を得られましたら、サブページを用いて具体的な草案を提示してみるのもよろしいかと存じます。GFDLにご配慮の上で、いっそ原文がろくに残らないくらいの大胆な刷新を目指してみるのもおもしろいかもしれません。私も裏技でこの手法を用いたこともございますので、お気が向く様でしたらご参照頂けるとよろしいかと存じます。
なお、私は結論を急ぐ必要を感じておりません。保護の解除される2010年9月24日 (金) 07:27 (UTC) まで、必要とあらばじっくり参りましょう。実際問題と致しましては、その4~5日前からまとめ作業に入ることになるとは思いますが。--Hman 2010年8月27日 (金) 18:43 (UTC)
上記Dosok-3氏以外の方の方向性で概ね正しいと思いますが、本項の同意事項は関連項目である「インパール作戦」においても適用され、ある程度拘束されるものでなければ意味がありません。従ってまず、今後の議論は本項とは別個のサブページを設けることを提案します。次に記事については事典は異論を論じる場ではなく、一項目に全ての異論を収載することも物理的に不可能です。客観的事実に依拠して現在主流とされているものを記載し、特に記載すべき異論があればワンセンテンス程度を記載すればよいと思います。無論、客観的合理性が担保されないものは収載すべきでないのはいうまでもありません。--Ring5ring5 2010年8月28日 (土) 05:20 (UTC)
「本項とは別個のサブページ」とは、具体的にどういう事になりますでしょうか?例えば「ノート:牟田口廉也/○○議論用サブページ」と言った形なのでしょうか?この辺りが良くわからない為、現時点ではなんとも返答致しかねます。ただ、現在の形でも、議論に進展があるごとに「インパール作戦」のノートにて随時報告し、こまめに参加を呼びかける事で、ある程度の拘束力は持ち得る(「知らなかった」では通用しない)と考えますが、いかがでしょうか。--Hman 2010年8月28日 (土) 06:00 (UTC)
記事に関してのRing5ring5氏の提案は、まるで教科書検定か戦時中の検閲のようなものです。妙な取り決めで編集に制限を加えることは不当です。そもそも人物評価や作戦の妥当性などといったことに関して、定説や主流の意見などと線引きは出来ないはずです。科学的な事柄や事件の真相などといったことでは可能でしょうが。
それから例えば、この部分の内容は敵対者による単なる中傷で、中立的な観点ではなく百科事典には相応しくない下世話な話なので削除すべきだと提案しても、それが通る事はまずありません。検証可能性が満たされている限りは残されるべきであり、異論があるならば、それとは異なる検証可能性を満たした記事を加えて相対化させるべきだというのがルールのようですが。それらが目立たない場所へ排除される言われはないはずです--Dosok-3 2010年8月28日 (土) 10:36 (UTC)
まずは可読性に配慮しインデントを修正させて頂いた点、ご納得ください。さてその拘束力というものですが、これは結果として付いてくるもので、「合意が形成された以上合意は尊重しなければならない」という当たり前の事を主張なされているだけかと存じます。合意を無視する行為はウィキペディアでは強く戒められています(勿論これはご存じでしょう)。また、異論に関しては異論の程度にもよる所です。極端な例では「霊魂は確かに存在し宇宙存在が人類の精神次元レベルを上げねば人類は滅亡する」などと言う内容を、さも一考の価値があるかの様に紹介するのは著しく不適切でしょう。牟田口愚将、鬼畜で衆目は一致しているが、一部にそれを擁護する者も居る、程度の認識として仕上げていくのが適切かと存じます。また、擁護したい方は、相応の場所で擁護なされれば良いだけで、ウィキペディアという「百科事典」の単なるいち項目で、擁護の限りを尽くす事は、過度に専門的な状態に陥っているとしたものでございます。より詳しくは参考文献、関連文献各種をご参照ください、で良いのです。もっともこれは同時に、主流である牟田口愚将、鬼畜論に関しても、ウィキペディアで過度に記述する必要は無いと言う事も意味します。結局はバランスですね。--Hman 2010年8月28日 (土) 20:34 (UTC)
今回諸手続きをしていただいた、Hman氏に深くお礼申し上げます。
1つ目の問題ですが、これについてはHman氏の御見解に同意し、インパール作戦決定の経緯は「インパール作戦」に記述、牟田口中将の作戦指導については本記事内に記述される事柄と考えます。この区別についてはそれほど困難ではないでしょう。また編集は、「一般的な認識とは異なる見解」の部分を「インパール作戦」の記事に移動させる他は、原文を大規模に改変する必要はないと思います。
2つ目の問題(一般的な見解について)についても、皆さんの御意見に同意いたします。なおこの問題は、「一般的な認識とは異なる見解」の部分を移動させた後の本記事の編集とは別に、Hmanの言われるように「インパール作戦」のノートで議論することが、差し当たり最もシンプルな方法ではないでしょうか。その場合の問題は、第1に、陸軍擁護派氏(=Dosok-3氏)の編集方法、第2にその出典の妥当性であると考えます。第1の点は124.18.111.97氏やMiwa.SS氏が常々言われるとおりです。第2の点ですが、陸軍擁護派氏(=Dosok-3氏)が記述内容の根拠とする文献の資料的問題点が明らかになっている以上、記述の前提としてその是非を論じるのは当然と考えます。またそれが妥当であるとしても、同様の解釈をしている著作が圧倒的に少ないことが判明しているため、Ring5ring5氏の言われるように「客観的事実に依拠して現在主流とされているものを記載し、特に記載すべき異論があればワンセンテンス程度を記載」することで十分と考えます。それは、中立的な観点#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?の内容にも矛盾しないはずです。--Botellón 2010年8月28日 (土) 12:40 (UTC)
私、この節は本当に根本的な事の本当に根本的な確認と言う認識を持っております。現段階で、第一の問題、第二の問題共にほぼ全員の、しかもかなり明確な合意が得られておりますので、時期尚早かつ半ば見込み発車とも言えるかもしれませんが、別の節を設けて個々の事案について議論を開始する事もよろしいのではないと考えております。この節では議長らしき事をやっておりますが、新しい節の作成して議論を開始することを妨げる気は全く有りませんし、発起者が進行役を務めて頂ければよろしいかと存じます。議論の場所につきましても、その際に発起者が適切と判断した方を利用すればよろしいのではないでしょうか。しかしながらRing5ring5さんの仰る「別個のサブページ」、私は現段階においてそれが具体的に何を意味するかを把握しておりません。Ring5ring5さんの主張を容れるのがより適切である可能性がございますので、まずはRing5ring5さんのご意見を伺ってみるべき所かと存じます。--Hman 2010年8月28日 (土) 20:45 (UTC)
「別個のサブページ」というのはHman氏とさほど異なるものではありません。ただ、合議事項を保存して参照しやすくするために独立したページを設け、「インパール作戦」「牟田口廉也」両記事に「編集する場合はサブページを参照」する旨のタグを掲出すれば、水掛け論をより明確な形で防止できると考えました。Dosok-3氏の編集行為については、結局、独自の「こうあるべき」という結論を先に用意して、擁護論を「論じる場」にしていることが「事典」であるウィキペディアと衝突を生んでいます。それは「富永恭次」のノートを大々的な「御意見御感想発表」の場としていることからも明らかです。事典はDosok-3氏の望むような「言論・表現の場」ではないので、「教科書検定」「検閲」といったことにはそもそも馴染みませんし、ウィキペディアが言論の自由を保障しているわけでもありません。もし、独自の研究を発表する場が欲しいのであれば、ご自身でブログ等を設けて思う存分発表していただくことが望ましいと思います。--Ring5ring5 2010年9月1日 (水) 10:06 (UTC)
なるほど、そういった形も一案ですね。しかしその案には、コメント依頼を見てお運び頂いた方を含めた、ご新規の方が参加しにくいと言う懸念がありますので、議論が新規に開始されれば適宜適切な宣伝を行う点を心がけるべきでしょうね。どちらのサブページにするかは、その内容によって決めればよろしいでしょう。
さて、先日、結論を急ぐ必要は無いと申し上げましたが、現在の所、「大筋」から異なった見解を述べているのは陸軍擁護派氏のみ、かつ、陸軍擁護派氏のご反論がしばらく見られない状況であります。これは「ご納得頂けた」と認識してよろしいのでしょうか?であれば、議論を次の段階、即ち個々の記述について妥当な内容と言うものを検討していくべきかと存じます。もしまだご納得頂けないと言うことであれば、当面はこの節でお話を続けることとなるでしょう。陸軍擁護派氏、如何でしょうか?--Hman 2010年9月3日 (金) 01:19 (UTC)


すいませんが、こちらは同意は出来ません。 牟田口氏に関する関係の深い記事は、インパール作戦に関する事だろうが何だろうが、ここにあってしかるべきです。擁護的な記事は何が何でも排除したいのでしょうか?量が多すぎるからコンパクトにしろという意見ならわかりますが。

Hman氏は「牟田口廉也#一般的な認識とは異なる見解の内容はかなりの部分において定義1.に該当すると考えられます。」とおっしゃってますが、どの辺がそうなのかをお聞きしたいです。こちらの編集内容は基本的に一次資料であり、主張など全くありません。

また、「牟田口愚将、鬼畜で衆目は一致している」とおっしゃってますが、これは何か合理的な根拠があるのでしょうか?単に多くの人間がそう認識しているというなら、それは牟田口氏に対するレッテル貼りではないでしょうか?戦時中に米兵は鬼畜だ、戦争を支持しない者は非国民だと一方的に流布していた戦前の言論と同じ事であり、当時と比べて何も進歩していないのではないでしょうか?違った意見は排除すべきではありません。

牟田口氏の死後に、高木氏の書籍が出てインパール作戦は有名になりました。高木氏自身が言ってることは、書籍を書くにあたり公刊戦史など多くの資料を調べたそうですが、その殆どは牟田口を擁護した内容ばかりだったそうです。高木氏は、それはおかしいという事で、独自の取材で書籍を出しました。したがって書籍が出た時点では、むしろ高木氏の見解の方が、定説を覆す異説のものだったのです。ですから、そもそもどれが「定説」とは断定できません。様々な立場の様々な視点を、公平に紹介すべきです。

それから、故人の名誉や遺族の人権は考慮しなくて良いのか?という問題があります。 ウィキペディアがレッテル貼りを扇動する危険性があります。現にそのように利用・宣伝されて来たと思います。 予断ですが私に対する「陸軍擁護派氏」というレッテル貼りも、止めていただきたいです。--Dosok-3 2010年9月3日 (金) 12:09 (UTC)

あなたが陸軍擁護派氏と呼ばれるのは複数アカウントで書き込みを行っていたからです。自分で撒いた種なので我慢してください。--Littlefox 2010年9月3日 (金) 14:55 (UTC)
またレッテル貼りですか?こちらは一切不正をしたことはありません。あなたとは言いませんが、批判されるべきはミートパペットの方ですね。--Dosok-3 2010年9月3日 (金) 15:40 (UTC)
Dosok-3氏は、どうしようもなく国語力が不自由なご様子。なら、わかりやすく言いましょう。
>牟田口氏に関する関係の深い記事は、インパール作戦に関する事だろうが何だろうが、ここにあってしかるべきです
インパール作戦に関係の深い記事は、牟田口に関する事だろうが何だろうが、インパール作戦のページにあってしかるべきです。
>擁護的な記事は何が何でも排除したいのでしょうか?
Hman氏の「詳しくは参考文献、関連文献各種をご参照ください、で良いのです。もっともこれは同時に、主流である牟田口愚将、鬼畜論に関しても、ウィキペディアで過度に記述する必要は無いと言う事も意味します。結局はバランスですね」という発言をそのような意味に解釈するのは、たいそう困難ですが……まあ、それはそれとして。別のページに移すことは、別のページで存続させることであり、排除という言葉とは矛盾します。排除という言葉は小学校で習う筈ですよね、小学校に入り直して国語の勉強をしてくることをお勧めします。
>Hman氏は「牟田口廉也#一般的な認識とは異なる見解の内容はかなりの部分において定義1.に該当すると考えられます。」とおっしゃってますが、どの辺がそうなのかをお聞きしたいです。こちらの編集内容は基本的に一次資料であり、主張など全くありません。
嗤わせてくれますね。『対米英蘭蒋戦争終末に関する腹案』に関してすら、原文のどこにもないことを喚くあなたが、よくぞ一次史料だなどと吠えた(嘲笑)。まあ、仮に一次史料だとしても、多数ある一次史料の中から、どういうものを選び出すかが、既に主張になります。好き勝手に改竄するとあっては尚更です。主張という言葉は小学校で習う筈ですよね、小学校に入り直して国語の勉強をしてくることをお勧めします。更に言えば、当事者の発言であっても、明らかに偏ったものはそのまま事実として受け入れずに棄却するのが史学の常識です。そして、「更なる進撃など不可能だった烈師団の実情を知らずに言っている」「佐藤中将はディマプールが無防備だなどとは知り得ない(常識的に考えて、英軍が馬鹿の集まりでない限り、重要兵站拠点を無防備にしているわけがない)ため、攻撃という判断など下せるわけもないことを無視している」「そもそも、その時期には既にディマプールは無防備ではなかったことを無視している」ものが、中立的だとでも仰るのですか。
>「牟田口愚将、鬼畜で衆目は一致している」とおっしゃってますが、これは何か合理的な根拠があるのでしょうか?
いくらでもありますよ。何しろ、史実ですから。補給一つとっても、補給が破綻することは事前に予測されており、事実そうなりました。そして補給が続かない以上、一時的に占領地を広げたとしても時間の問題で奪還されるのは明白です。にも拘らず強行した以上、補給を軽視した無謀な作戦と結論付ける他ありません。補給を無視していたとは言えませんが、ジンギスカン作戦によって何とかなると軽く見ていたことは否めますまい。「全責任を押し付けるのは間違っている。河辺や寺内の罪も相当に重い」というのは客観的事実ですが、牟田口に責任がない筈はないのです。作戦内容に関しては、インパール攻略自体が一度却下された(その時は、牟田口自身も反対した)ものを、アッサム侵攻などと更にハードルを上げて、しかも更に不利となった戦力比のもとで強行する時点でそもそも無謀。また、作戦の中身についても、コヒマ=インパール街道を遮断してインパールを孤立させた本多大尉の、「愚将の作戦たるや(中略)三ヶ大隊の実力が祭師団ではないか(中略)地図に鉛筆で書いた態勢ばかりが良くても、空元気だけでは戦には勝てないのだ。重点主攻兵団方面に兵力を集中発起するのが兵法の初歩である。それが最も手薄にして而かも最も広域に分散させたのは誰なのだ(中略)我が軍司令官及その側近が勇なき凡将であったからに外ならない」という批判(『散り果てし若櫻』第六章『インパールは攻略可能であった』より。伊藤桂一著『遥かなインパール』より孫引き)に何か付け加える必要がありますか?
>様々な立場の様々な視点を、公平に紹介すべきです
その通りです。ただし、それは「様々な立場の様々な視点」であれば、です。史実に反する妄想と史実に則ったものを同列に扱うのは、公平ではありません。
>故人の名誉や遺族の人権は考慮しなくて良いのか?
その言葉、そっくりお返しします。あなたは、佐藤中将ら現場の師団長と海軍関係者の名誉や遺族の人権を考慮すべきです。--124.18.111.97 2010年9月3日 (金) 16:08 (UTC)
Dosok-3氏のご質問にお答えいたします。
1.「「陸軍擁護派氏」というレッテル貼り」
Littlefox氏の「あなたが陸軍擁護派氏と呼ばれるのは複数アカウントで書き込みを行っていたからです」という2010年9月3日 (金) 14:55 (UTC)版での発言に、「またレッテル貼りですか?こちらは一切不正をしたことはありません。」と2010年9月3日 (金) 15:40 (UTC)版で早速お答えになりましたが、Hman氏の「牟田口廉也」のノートでの「インパール作戦、東條英機、牟田口廉也に見られます一連の書き込みは、ほぼ全て貴殿お一人のものである、との認識でお話を続けさせて頂いてもよろしいのでしょうか?是非とも明確なお答えを頂戴致したく存じます。」という2010年8月19日 (木) 13:37 (UTC)版での質問には貴殿は沈黙を続けておられます。大変重要な問題ですのでぜひご回答ください。また、「批判されるべきはミートパペットの方ですね」とのことですが、「ミートパペット」とはどのユーザーを指すのか、これも大変重要な問題ですのでご回答ください。
2.「一般的な認識とは異なる見解」
「定義1.2.に該当するものに関しては原則的に「インパール作戦」に記述(もしくは移動)、定義3.4.に該当するものに関しては原則的に「牟田口廉也」に記述」との2010年8月26日 (木) 20:08 (UTC)版でのHman氏のご発言には貴殿以外の全員が同意しています。
3.「擁護的な記事は何が何でも排除したいのでしょうか?」
そんなことはありませんよ。ただしそれが独自研究や根拠薄弱な資料に基づくものであれば、排除されます。そうされないように、ぜひ貴殿の記述を補強する信憑性の高い資料をさらにご提示ください。
4.「様々な立場の様々な視点を、公平に紹介すべきです」
「中立的な観点#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?」はお読みいただけましたか?ぜひお読みください。
5.「牟田口氏の死後に、高木氏の書籍が出てインパール作戦は有名になりました」
「インパール」の初版は1949年、牟田口氏の死去は1966年です。念のため。--Botellón 2010年9月4日 (土) 00:38 (UTC)
私が書き込む前に両氏からの書き込みがございましたので、あまり付け加える事も無いのですが・・・
1.衆目の一致 牟田口愚将論が世の主流である事は陸軍擁護派氏も否定できないでしょう。ウィキペディアはそれに従うだけです。この辺りの論争はウィキペディア外でやるべきです。もし数十年後牟田口が再評価され、良将であったとする論が主流になれば、その時はその情勢を記事に反映させることになります(ウィキペディアなどその程度のものなのです)。この点におきましては何ら抵抗はございません。また、先日私がご紹介しました、両論併記時の重み付けの辺りを、今一度ご吟味くださいませ。方針の熟読、理解を希望します。余計なお節介と承知で申し上げますが、しばらく軍事記事を離れて、ウィキペディアがどの様に運営されているかを見て回ってみるのもよろしいかと存じます。
2.故人の名誉等への配慮 ウィキペディアには人物記事も多いですが、いわゆる「悪党」「犯罪者」に関する記事もございます。これらの記事の多くは当然、然るべき内容が記されていると推察します。歴史上牟田口が「愚将」とされているならそう書くべきで、検閲や歴史の歪曲、隠蔽などは極力避けねばなりません。また、牟田口は既に歴史上の人物、公人も公人であります。よって過度の配慮は不要かと存じます。しかしながら先日も申し上げましたが、中傷だらけの記事は私も好まざる所でございます。百科事典のいち記事として、必要にして十分、且つ品のある仕上がりを目指し、各セクションに関しては基本的な合意の形成後、個々において話し合っていけば良い話であるかと存じます。
3.陸軍擁護派氏の呼び名について 私(達)が貴殿をこの様にお呼びしているのは、たびたびアカウントが変更され、アカウント名でお呼びするとなにがなんだかわからなくなると言う実情がございます。また、これはあくまで仮称でございます。貴殿が今後当面の間「Dosok-3」のアカウントを使用なされるのであればそれでお呼びしてもよろしいですし、他に(ウィキペディアのアカウント名の指針に触れない範囲で、ですが)希望なされる呼称がございましたら、そちらのお名前でお呼びすることに何ら不都合はございません。よくよくご検討の上で、お返事をお待ちしております。--Hman 2010年9月4日 (土) 04:55 (UTC)
追伸。私が不当な要求を行っているとお考えであれば、コメント依頼やブロック依頼と言う手段がございます・・・・が、それではちょっと大事(おおごと)になる、とお考えであれば、Wikipedia:井戸端で相談なされてみるのも一つの手かと存じます。何分井戸端でございますので、ある程度気楽に、自由闊達な意見交換がなされております。ご一考くださいませ。--Hman 2010年9月4日 (土) 09:14 (UTC)

ここでの議論には不適当だが、あえてこの事を言いたいです。

佐藤師団長の抗命撤退はウソ

佐藤師団長が抗命撤退したと一般に言われているが、改めて書籍を読むと、佐藤師団長は「抗命撤退」はしていない。5月末に、コヒマを撤退するという佐藤と、もう少し頑張れという牟田口の間で応酬があったが、牟田口が折れて、ではウクルルへ後退してそこで補給し体制を立て直せと正式に命令している。そして同時に15軍は、フミネからウクルルへ31師団の為に物資の移動を命じている。31師団がウクルルに後退してみると、物資は無かった。15軍参謀長の久野村が直々にここで佐藤に会い、車両が無いためウクルルに物資を移動出来なかったことを詫び、そのため15軍から31師団に、さらにフミネへ後退する命令が正式に出た。15軍は31師団に、さらにミンタへ後退する命令を出した。ここで佐藤師団長の解任命令が出されて、インパール作戦も中止された。要するに、15軍は31師団に対してそのつど後退命令を出して、佐藤はそれに従って後退しており命令違反は無い。牟田口は佐藤の強引さに怒りながらも、佐藤の行動が命令違反にならないように、渋々ながらも、ちゃんとそのつど後退命令を出している。「抗命インパール」を読んでもそのようになっており、巷の定説はウソばかりだと改めて感じる。--Dosok-3 2010年9月5日 (日) 15:52 (UTC)

陸軍擁護派氏(Dosok-3氏):
今皆さんが貴殿に求めておられるのは、「ここでの議論には不適当」な貴殿の見解の開陳ではなく、皆さんからの質問に速やかに回答することです。--Botellón 2010年9月5日 (日) 22:16 (UTC)
質問に対する明確な回答をもらっていないのは、こちらの方です。こちらが作成した(一部落書きが追記されてますが)「一般的な認識とは異なる見解」の中の「軍上層部が希求した作戦」「後方(補給)に関して」「日本と異なる英軍側の見解」のそれぞれの内容で、具体的にどの部分がどのように不適切だというのか?を再三聞いています。コメント依頼も出ているので、第三者にもわかるように不適切だとする部分を、具体的に示して説明願いたいです。こちらには、理由などどうでもよく擁護的なものはとにかく全て排除しようとしている姿勢にしか見えません。--Dosok-3 2010年9月6日 (月) 12:37 (UTC)
当該記述は原則的に「インパール作戦」の方に移動させるべきだと言うのが、根本的な考えです。これに同意頂いた上で、内容の詳細を詰めていくのがよろしいかと存じます。--Hman 2010年9月6日 (月) 13:17 (UTC)

その理由がわかりません。それでは、誰もが反対した作戦を牟田口一人が強行したかのような誤まった内容になってしまいます。上層部がどんな姿勢だったかは最重要な事柄です。補給に関して牟田口がどの程度考えていたかも重要なことであり、牟田口が弁明として主張したとされる英国の見解も、それがどういう内容か閲覧者は知りたい情報のはずです。コンパクトにすべきだという話ならまだわかりますが。(英国の見解は自分でも多すぎると思います) しかし「インパール作戦」の方がむしろ飽和状態でいっぱいで、こちらの方が余裕があります。牟田口氏に関連して、閲覧者が欲すると思われるような情報はここに置くべきと考えます--Dosok-3 2010年9月6日 (月) 13:53 (UTC)

Dosok-3氏は、いい加減、ノートを見て下さい。例えば補給に関しては、「ジンギスカン作戦」の節で皆様から散々ツッコミが入っています。英国の見解についても、明らかに偏っていると指摘したのは私だけではありません。
「具体的にどの部分がどのように不適切だというのか」、充分過ぎるほど言及されています。にも関わらず、あなたがそのことを無視して、「質問に対する明確な回答をもらっていない」と主張しているに過ぎないのです。
それ以前の問題として、皆が『インパール作戦の妥当性を主張する記述』も『インパール作戦の無謀さを主張する記述』も、公平にインパール作戦のページへ移そう……と言っているのに対して、「擁護的なものはとにかく全て排除しようとしている姿勢にしか見えません」というのでは、言いがかりにすらなっていません。妥当性を主張する記述だけを削除しようというなら話は別ですが。そもそも、インパール作戦に対する見解は、あくまでもインパール作戦に対する見解であって、牟田口に対する見解ではない。故に、インパール作戦のページにあるべきです。閲覧者の利便性は、リンクをきちんと張ってその旨を明記すれば保たれます(これも、幾度も指摘のあることです)。「それでは、誰もが反対した作戦を牟田口一人が強行したかのような誤まった内容になってしまいます」というのなら、そこの誤りを正すべきであって、それ以外ではない。
そして何より。やはり幾度となく指摘のある通り、あなたの主張は客観的に見てトンデモな妄想に過ぎません。多くの場合において明らかに史実と異なります。出典とされたものとも異なります。例えば、アーサー・スウィンソンの『コヒマ』のどこに、「牟田口の指令を正しいとし、追撃しなかった佐藤中将の判断を誤りだとする見解」があるのですか。少なくとも長尾睦也による和訳版では、ディマプールを目指すべきであったか否かの牟田口と河辺の論争に於いて軍配を牟田口に上げているだけで、ディマプールに進軍すべきだったなんて書いてません。正確には、一ヶ月以内にディマプールを攻略すべきだった(つまり、コヒマでドンパチやってた時点でタイムオーバーだった)という認識です。そもそも、コヒマから英軍を退却させることもできないのに、どうやって「追撃」するのでしょうか。
現実を真摯に受け止めて下さい。間違っているのは通説ではなく、あなたの方です。--。--124.18.111.97 2010年9月6日 (月) 19:04 (UTC)

コメント依頼提出のお報せ

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大変不本意ながら、事ここに至ってはやむなしと考え、Wikipedia:コメント依頼/Dosok-3_他IPを提出致しました。ノート:インパール作戦への告知はこの後私が行いますが、私は被依頼者がこの牟田口廉也以外でこれまでに行ってきた編集や議論につきましては、(繰り返しになりますが)あまり存じ上げません。もし必要であれば、関係各所へのご通達は、これをご存じの皆様にお任せ致したく存じます。--Hman 2010年9月6日 (月) 02:29 (UTC)

上記コメント依頼でございますが、大変不本意ながら投稿ブロック依頼が妥当であろうかと言う結論に達しました。議論場所はWikipedia:投稿ブロック依頼/Dosok-3 他IPでございます。引き続き皆様から広くご意見を頂きたく存じます。--Hman 2010年9月19日 (日) 18:02 (UTC)

基本的な方向性についての議論2

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あまりにも長大になりすぎてしまいましたので、節を変えて仕切り直しと参りましょう。以前の節での合意事項についての多くは、改めて確認する必要も無いかと思います。通常のページと同様に、とりたててノートでお伺いを立てるでもなく、各々が自由かつ時として慎重にして大胆な編集をもって記事の品質を高めていけばよろしいでしょう。

さて、

に関しましては、牟田口と言うより専らインパール作戦に関しての記述であり、一端正規の手順を踏んで「インパール作戦」に移動の上、この牟田口の記事には主に牟田口の観点から見た若干の解説と、{{main}}による誘導を行う形が好ましいと考えます。また、移動後のインパール作戦においては、従来の記述と相談した上で、各人の編集によりうまく溶け込ませていく事となると思います。この点のみ、改めて確認させて頂きたく思います。ガイドラインに従い一週間程度ご意見を伺った上で、OKとなれば実行致したく考えてございますので、よろしくご検討くださいませ。--Hman 2010年10月4日 (月) 11:19 (UTC)

  • Hman氏のご提案に同意いたします。これについては以前のノートでも議論されていますが、この方針に則って今後の編集を継続しても何ら問題ないと思います。なおその場合、現在の「一般的な認識とは異なる見解」の項目は全体的にあまりに冗長ですので、今後適宜編集されるべきと考えます。--Botellón 2010年10月9日 (土) 23:21 (UTC)
  • 反対意見が見られませんでしたので、先刻インパール作戦への一部転記作業を実行致しました。転記先は従来のままで、また、転記元は従来のニュアンスを残した誘導を行い、私個人で編集した部分はほぼありません。転記が方針通りに行われたかも含めて、よろしくご確認くださいませ。--Hman 2010年10月11日 (月) 12:56 (UTC)

一般的な認識とは異なる見解について

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この節について、無期限投稿ブロック中である利用者:Dosok-3とみられるIP利用者による改善無き再投稿が繰り返されておりますが[1](Wikipedia:投稿ブロック依頼/Dosok-3_他IP参照)、これは2010年の8月から10月にかけて、ノートでの合意の上で「原則的に牟田口個人の項目ではなくインパール作戦で取り扱われるべきだ」として、多くを転記した部分となります[2]。従いまして、保護が明けました際に問題が繰り返されました際には「IP利用者またはブロック破りIPによる、ノート合意を無視した問題投稿の繰り返し」として半保護を申請したいと思いますが、如何でしょうか。もちろんアカウントを取得して繰り返される場合にはブロック破りとして、その投稿ブロックを申請する形になります。なお、コンセンサスが得られましたら一応、現在の全保護について解除申請を行うと言うオプションもございます。この点についてもご意見を頂けましたらと存じます。--Hman 2011年7月29日 (金) 13:36 (UTC)

賛成ですが、東条英機の記事でも同様の荒らしが再発しており、今後のことも考慮すると過去の利用者:Dosok-3氏の編集履歴にかかわるページを一括して対処したほうが賢明かと思います。--流木の上 2011年9月19日 (月) 05:13 (UTC)

  • そうですね、その辺りの懸案記事を一括して追いかけており、十分な理由を示しつつ半保護依頼を提出出来る方がいらっしゃるのであれば、その方が良いのでしょうが・・・。私は現在この牟田口およびインパール作戦について以外は、合意形成の現状などについて果たして把握できているのかどうか。ですが本記事についての措置が功を奏すれば、他の記事でもそれに倣っての対処が行ないやすくなる意味はあると思います。--Hman 2011年9月19日 (月) 06:48 (UTC)

保護解除と同時にすでに項目分割された記事を何度もリパートかけてるユーザーがいますが、明らかに同一ユーザーが、複数のIDやIPによる編集と思われます。一度ノートで決定した事項を差し戻すなら、ノートにて差し戻す理由をきちんと説明してください。説明されない限り、何度でも削除させて頂きます。--Kamkamkam 2011年10月10日 (月) 08:45 (UTC)

  • さし当たってこの記事につきましては、編集履歴を見ますに、以前の合意は生きているもののそれを無視した強行編集と言う事で、再発時にはWikipedia:保護依頼にて、長期半保護の依頼を行なって良い段階であると判断します(原則的には3カ月ごとの更新制ですが)。編集合戦で時間と手間を使い、履歴を肥大化させることもないのではないかと。本来の編集より差し戻し合戦の方が遙かに多い状態です。--Hman 2011年10月16日 (日) 15:37 (UTC)

コメントアウトされた文章をノートでの告知もなしに復活させてるIPユーザーががいます。長期半保護の依頼を行うべきではないでしょうか?--Kamkamkam 2011年11月21日 (月) 14:17 (UTC)

  • 私と致しましては本記事につきましてはやむを得ないと考えています。編集差分を5つか10か示し継続性を説明した上で、ノートでの合意を無視したIPによる編集強行、更に可変IPであるためブロックが効果を発揮しにくく、またノートで、出来れば長期の、半保護について少数人数による議論ながらもほぼ合意が得られている旨も合わせてご依頼頂ければ、長期の半保護が行なわれるケースである感じです。方針上原則的には3カ月が限度とされていますが、保護履歴が保護履歴[3]ですので、相当長期の半保護が必要との判断がなされる可能性もあります。お時間ができましたらご検討下さい。--Hman 2011年11月21日 (月) 14:25 (UTC)
    • 追伸。Kamkamkamさん、これ以上の差し戻し合戦はおやめください。無為に履歴が増えるだけです。暫定的な短期のそれで構いませんから、保護依頼を出して下さい。クールダウンのためとして、管理者裁量による短期ブロックが行なわれかねません。--Hman 2011年11月21日 (月) 14:29 (UTC)

半保護はやむなしと思いますが、転記先でも「暫定」コメントアウトして約1年放置されるというその後の経過を踏まえると、合意が生きているのか、疑問を感じないでもありません。合意を根拠にするのならば、合意に従って転記先に適切に擁護論を記載するための議論・検証が促進されることを強く要望します。--Snlf1 2011年11月21日 (月) 14:36 (UTC)

とにもかくにも、牟田口で語られることではない、という点では合意が得られています。合意を覆す為には、再度議論が開始されなければなりませんが、その様な気配がありません以上、それが議題に上ってくるまでは原則的に過去の合意に従うべきでしょう。転記先でコメントアウトからの復帰が行なわれるのかにつきましては、行なわれるのであれば転記先で話し合われるべき内容ですし。--Hman 2011年11月21日 (月) 14:47 (UTC)
Hman氏のご意見に同意いたします。--Botellón 2011年11月21日 (月) 14:58 (UTC)
半保護実施しました。Wikipedia:投稿ブロック依頼/Dosok-3 他IPも参照し、ブロック破り・強行編集と判断。--Los688 2011年11月23日 (水) 03:42 (UTC)

評価する見解は全て削除されてます

[編集]

英軍ウィンゲート旅団参謀長のデリック・タラク准将は次のように牟田口を高く評価した。 『日本の15軍牟田口中将も、その作戦指導については、全くといってよいほど、イギリス側から評価されていない。 彼はその最後の作戦(インパール作戦)を除いて、その主要な戦闘の全てにおいて勝利を収めている。 インパールの戦いはワーテルローの戦いと同様に「非常に際どい」時期があった。 しかし、牟田口将軍はナポレオンの場合よりもはるかに優勢な敵を相手にして戦ったのである。 私は彼が生前、その戦いぶりについて日本国民から評価されたことを知って、うれしく思う。』[30]。

アーサー・パーカー中佐は牟田口への手紙で次のように牟田口の作戦を評価した。 『貴殿は四月の段階で、あと一個連隊-特に宮崎ないし田中程度人物の指揮下にある連隊- を有していたら、 貴殿はインパール攻略に成功していたでしょう。 しかしながら、やはり最良でかつ安価な成功は、一個連隊がディマプール に突入する事により達成されたでありましょう。』[31]。

これらは削除するのが妥当でしょうか?--122.26.214.94 2011年11月23日 (水) 05:29 (UTC)

タラク発言については、当該引用部分が孫引きではなく原典で確認できれば記載すべきで、パーカー書簡については、具体的な内容はインパール作戦に記載すべき(こちらでは削除妥当)と考えます。
#基本的な方向性についての議論2のとおり、インパール作戦の計画の妥当性が中心となる話題は、重複を避けて[インパール作戦]に集約すべきとの合意が形成されています。この点、タラク発言は、インパールの成否だけでなく、牟田口の過去の戦闘指揮に関する内容が多く、[インパール作戦]ではなく本項で書くべきことになります。しかも、現在、批判的文脈では同じタラク発言の記載が本項でされていることからも、本項に記載しても構わないはずでしょう。ただし、現状で出典とされているのが孫引きになる書籍で、別ソースによれば違う内容の孫引きがあり、矛盾するため、原典で正確性が確認されてから追加すべきでしょう。
他方、パーカー書簡については、内容的にインパール作戦の成否だけに関するものですから、基本的に上記基準に照らして[インパール作戦]に記載すべきです。よって削除。ただし、牟田口の戦後の人生に大きく影響を与えたようですから、その存在自体への本項での言及は必要と思われ、牟田口廉也#生涯にすでに記載されている分は削除すべきではないことを念のため申し添えます。--Snlf1 2011年11月23日 (水) 05:57 (UTC)
大量に編集されている批判記事も、殆どがインパール作戦に関したものじゃないですか。だからインパール作戦に関することをここで書くなという主張はおかしいですね。あと孫引きの引用は使ってはならないという決まりは無いはずですね。それじゃ多くの書籍が出展に使えないことになります。--122.26.214.94 2011年11月23日 (水) 06:30 (UTC)
孫引き全部がいけないと言ってるのではなくて、今回の場合は別著者による引用に違うところがあるため、検証を経るほうが妥当だと申上げています。なお、イギリス軍人の主流説が低評価という部分に関しては特に違いがないため、そのまま使えると思います。--Snlf1 2011年11月23日 (水) 06:44 (UTC)

磯部卓男氏の書籍の方が明らかに不正確な恣意的な引用ですよ。大田氏の書籍は長い文章を引用しており、デリック・タラクが本来評価されるべき人物が評価されていない事への不満を述べた文で、その一人として牟田口も取り上げているわけですから。あと「イギリス軍人の主流説が低評価」というのは正確ではないですね。イギリス軍人の牟田口批判は見当たりませんから、あまり知られていないから評価の対象になってないという事でしょ。--122.26.214.94 2011年11月23日 (水) 06:59 (UTC)

ついでに言いますが、アーサー・パーカー中佐の牟田口への好意的な書簡は、多くの書籍がその存在を紹介していますが、具体的にその内容は全く示された書籍が無く、実際に何を書いたか多くの人が興味のある価値ある情報だと思いますがね。--122.26.214.94 2011年11月23日 (水) 07:11 (UTC)

防衛研究所の立川京一氏による記述によれば、山下奉文から高く評価されていたように読み取れます。これについてマレー以前の牟田口氏に対する評価によるものなのか、近衛師団と比較した場合の第18師団 (日本軍)への処置を優遇したと見られることに対する見解なのか、判断がつきかねたので記述はしておりません。--Tiyoringo 2011年11月23日 (水) 06:09 (UTC)

報告タラクの文章については、本人著作で本節冒頭引用通りの文章であることが確認できましたので、本人著作を出典として記載を整理しておきました。--Snlf1 2011年11月30日 (水) 13:04 (UTC)

編集ありがとうございます。私も牟田口や牟田口の行為を評価する出典は集めていたのですが結局実家で資料を発掘出来ず次の週末になりそうです。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年11月30日 (水) 15:48 (UTC)

一部の人間が、編集を独占している

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管理者は早く不正な半保護を解除してくださいよ。--122.18.234.198 2011年12月4日 (日) 00:55 (UTC)

上記IPはブロック破りとしてブロックされています。--Aquamarin456 2011年12月4日 (日) 04:28 (UTC)

人物評価を両論併記へ

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人物評価で過去、牟田口を一方的に誹謗中傷した編集の強行が繰り返されてきたため、両論併記とし評価する項目も追加しました。--Sdr-54-dsui 2011年12月17日 (土) 03:40 (UTC)

 過去の議論で、人物評価欄へ移されて記載されてる事項を再度項目ごと、強制的に復活させた理由何でしょうか?新たに議論を起こすでもないようですし、ノートでの過去の議論無視で削除させてもらいます。--Kamkamkam 2011年12月17日 (土) 19:14 (UTC)