ノート:物質
- 統合された記事 化学変化の過去のノートはノート:物質/化学変化にArchiveしました。あら金 2005年12月23日 (金) 17:06 (UTC)
難しい定義ですね。
[編集]本文の定義において「物質(ぶっしつ)とは人間が手で触れられる存在のことである。」とありますが、ここにおいて「人間」・「手で触れる」という限定的な対象・行為を示すことが、物質という広汎な集合を定義する上で必要な条件となるのでしょうか。
人間が何かに手を触れること、あるいは受動的なかたちで手に接触することを求めるには、それの場所を見定める必要がありますが、たとえば超重元素のように、視認して手を差し延べるよりも早く崩壊してしまったり、人間が入り得ない空間にて存在するものもありますので、この定義ではカバーしきれないものとも思えます。 詭弁といわれるとそうかもしれませんが、この定義に素直に従っていくとなると、ある対象物が物質かどうかを判断するに当たっては、人間に触れられたかどうかを基準にしなければならなくなります。したがって、新たな(おそらく物質とされうる)物を生成しても、人間の手で触れられるまでは物質とはいえない状態に置かれることになります。
もうひとつ、これは自然科学や哲学に深入りしていない人々に対する論法を考慮する必要があります。この例は、「どんなキノコも一度は喰える、喰えないキノコで死んだ奴はいない」というもので、触る人の生命(あるいは触れる前と後とでの生活の質)が維持されることを前提にしなければどんな物質でも一度は触れられることになりますが、そういう人々に対しては理解しにくい、乱暴とも思われる定義になると思います。--pixan 2006年8月21日 (月) 03:35 (UTC)
皆様、Wikiの改良活動、お疲れ様です。私の前回の定義の不備な点を良く理解しました。ありがとうございます。 うっかりノートを見ずに手を加えてしまっていました。悪気は無かったのですが反省しています。 物質の定義、難しいですね、、、。 英語版なども確認しましたが、やはり物質の定義はもともとすっきりしておらず、苦労があるようです。 英語でも、科学史的に見ても、精神などと対置される存在として、漠然と区別されていたようです。
誠に申し訳無いのですが、物質の定義に「観測できる」という言い回しを使うと「音」「色彩」なども、眼や耳だけでなく観測装置でも正しく自然科学的に観測できる存在なので、結果として明らかに物質ではないものが定義に含まれるようになってしまい連鎖的に拡大してゆくので、NGとさせてください。
Pixanさんの指摘も考慮し、「人間」や「感覚行為」「観測行為」を除いた定義に修正します。 いろいろと資料を調べ、今のところ「空間の占有」が鍵語として比較的妥当なようなので、それを織り込みます。
- 「物質とは
- 1.(狭義には)物体を構成し、かつ空間を占有する性質のある存在のこと。
- 2.(広義には) 固体のほか、液体、気体を指す。(さらに自然科学においては諸般の事情によりあいまいな定義で拡大的に用いられることがある)」
ところで、ちょうど惑星の定義の変更で冥王星が惑星でなくなりましたね。なにやら考えさせられるものがあります。では。 --Matter 2006年8月28日 (月) 16:27 (UTC)
- 本文の定義のままでよいと考えます。「そこに存在すると認識する」ということが心象現象とするならば、心象の対極としての事象とか現実空間における認識対象が物質と位置づけられると考えます。Matterさんの案で 「手でふらられるような物」という表現が入るのは、心象における認識を切り離して現実空間の存在を意味を考えることが困難である為と考えられます。「心象」と「事象」とを関連付ける行為として「観測」という物理用語を用いました。「知覚」(見る、触る)でも「測定」でもこの「心象」と「事象」との関係を表す意味から解離が発生します。また「色」とか「音」とかはご指摘のように物体が持つ属性で「観測されうる対象(存在)」と言った場合は通常は属性のことは指さずに物体自体のことを指すように思われますが、属性の測定する行為を「観測」というではないかというのもご指摘の通りです(個人的には「観測」ではなく「測定」であるといいたいところですが…)。「心象」と「事象」とを観測で対応付けるという行為の哲学的意味づけは、物理学の宇宙論の人間性原理までつながってしまうので、どこまでいっても、「物質」と「存在」と「観測」とは三つ巴で絡み合っています。あら金 2006年8月28日 (月) 17:21 (UTC)
狭義と広義
[編集]定義が二つ並べてかかれていますが、この二つをして、狭義の物質と広義の物質として説明するのには違和感があります。さしあたり、前者より後者のほうが指す範囲が広いということを説明していただけないでしょうか。yhr 2006年11月21日 (火) 14:14 (UTC)
- 1は総論(概念編)で2は各論(具体例)のように考えますが(私の定義ではないし…)であるならば、「物質とは(1)である。具体的には(2)が挙げられる」で良いのでは?(放置ならば書き換えてもよいですが)あら金 2006年11月21日 (火) 14:43 (UTC)
- ああ、僕もそのように感じました>総論と各論。でもそれなら、言葉の使い方として不自然だというのを無視するとしても狭義と広義が逆なんじゃないかと思いますが。ちょっと頭が回っていないので書き換えの文案等は考え付きませんが、あら金さんの書き方で問題ないのだろうと思います。yhr 2006年11月21日 (火) 15:05 (UTC)
- クレームが無ければ2006/12/1頃書き換え予定ということで。あら金 2006年11月23日 (木) 01:53 (UTC)
- 定義の変更を実施しました。あら金 2006年12月2日 (土) 00:53 (UTC)
記載内容への提案ではなく、定義というものへのひとつの考え方の話ですが。物質とはトップダウンで定義できる概念ではなくて、各時代各文化で人々が認知してきたものだと考えます。ですから自然科学の発展により人類の認知手段が広がれば物質の範囲も拡大して来ましたし、その定義は科学の発展段階により変化します。現代の時点であえて定義するなら、「素粒子で構成されるもの」「運動量を持ちうるもの(静止質量ゼロも含めたければ)」などになるでしょう。極論ですが、何が物質であるかは誰でもわかるのだから定義など必要ないという考え方もできます。 また自然科学的定義とは別に広く通用する定義を求めて、例えば日常的感覚で物質を定義しようとすれば、それは単に現代社会というひとつの文化内での物質観を示すものにしかならないでしょう。 以上のことは、生物、動物、植物にも言えると思います。 --Morivert 2006年11月27日 (月) 11:15 (UTC)
- 定義を加筆していただいても結構ですが、Morivertさんのご指摘の事項は、本来、「存在」や「実在」と言い表すべきものを、「物質」という語を仮借して表現しているように考えます。つまり「存在(実在)は時として物質(モノ)と言い換えられることがある」ということであり、「存在」や「実在」で説明されることが適当と考えます。あら金 2006年12月2日 (土) 00:53 (UTC)
記事分割の提案(1)
[編集]節
- 物質以外の存在
- ~
- 文化全般
- ~
を記事存在へ分割統合。
理由 記事存在で詳しく述べられることがで適当な内容であり、記事 存在も内容が充実すると考える。また、「存在」と「物質」とは言い換えられる概念ではないので「物質以外の存在」は物質から見ると無関係の概念の列挙になり、「物質」の説明自体が取り止めの無いものになってしまっている。あら金 2006年11月26日 (日) 02:19 (UTC)
- 存在側への加筆についてはよくわかりませんが、この記事からの除去には賛成します。ただし、編集後も、"物質ではないもの"の例示はいくつか必要だろうと思います。yhr 2006年11月26日 (日) 07:19 (UTC)
- この長いリストの縮小は賛成です。残すものは"物質ではないもの"というよりも"物質とよく対比される概念"の例示が良いと思います。エネルギー、情報、精神くらいとその類義語くらいでしょうか。社会的存在と人間の活動に分類したものは普通は物質と対比はされないと思います。そもそも非物質の例を挙げねば物質という概念が理解できないと言うのはひとつの主観でしかなく、百科事典の記載としては不適切だと私は思います。--Morivert 2006年11月26日 (日) 13:17 (UTC)
- 存在という言葉も一般的過ぎて現在のような哲学的内容以外は百科事典の項目記事としては不要に思えますので、ここのリストをそのまま移動するのもそぐわない気もします。一応移動しておいて哲学に詳しい人による加筆修正に期待するという手もあるでしょうが。ここのリストにはそのまま消しても差し支えないものが多いのではないでしょうか。--Morivert 2006年11月27日 (月) 10:59 (UTC)
- GFDLで権利関係を明確に分割する必要があるので、分割と編集を同時に実施するのはよろしくないです。(分割した部分が不明確になる為です)。なので、削るにしても向こうに送ってから編集という形で2段階で実施するのがよろしいです。別の話題としてエネルギー、情報、精神について記事 物質で言及するとなると、項目として列挙するだけでは物質との関連示しているようで、根本のところでは何一つ説明していないことになるので、それを回避するにはそれぞれ節を形成する位書き込みが必要な事項です。また別の話として、このリストは存在と呼ばれるものの具体例になっている(し、それ以上の説明もなっていないし)ということで== 存在と呼ばれるものの例 ==ということで存在に送るのがリサイクルだと考えます。あら金 2006年11月27日 (月) 14:10 (UTC)
- GFDLで権利関係という問題があるのですね。ありがとうございました。今後、他の記事を書くときにも気を付けます。--Morivert 2006年11月29日 (水) 12:31 (UTC)
- 私はそもそも「違うものを列挙して説明に代える」という手法に反対なので非物質の例はなくても良いと思っています(注)。対比概念については日常観念の節に書き込みましたので、非物質の例はばっさり無くしてよいでしょう。"存在"での記載についてはお任せします。
- 注) wikipediaの定義は別として(^_^)。あれはむしろ定義に縛られたくない時の方法ではなかろうかと思っていますが。
- --Morivert 2006年11月29日 (水) 12:31 (UTC)
- 私はそもそも「違うものを列挙して説明に代える」という手法に反対なので非物質の例はなくても良いと思っています(注)。対比概念については日常観念の節に書き込みましたので、非物質の例はばっさり無くしてよいでしょう。"存在"での記載についてはお任せします。
- 移動そのものにクレームが無ければ2006/12/8頃に分割移動予定ということで。(分割後編集は仔細相談・随時編集ということで)尚、分割の提案(2)はまた別の日程で実施ということで。あら金 2006年12月2日 (土) 00:53 (UTC)
- 分割を実施しました。あら金 2006年12月8日 (金) 22:40 (UTC)
記事分割の提案(2)
[編集]節
- 化学
- 物質の性質と変化
- ~状態変化によって物質の種類が変わってしまうことはない。
を記事変化へ分割統合。
理由 記事変化で詳しく述べられることがで適当な内容であり、記事 変化も内容が充実すると考える。また、物理学と化学とで物質概念に違いがあるわけでないので、学問分野で分類することは不要と考える。あら金 2006年11月26日 (日) 02:19 (UTC)
- "変化"は範囲が広すぎるので、"化学変化"と"物理変化"の項目に記載するのが適切だと思います。なお現在、化学変化の項目は物質にリダイレクトされており、物理変化の項目はありません。私の提案は、次の通りです。
- "化学反応"(化学変化からREDIRECT)の項目に古代以前の例(日常的例)を追加
- "物理変化"の項目に、物理変化、化学変化(化学反応)、核反応、素粒子反応の違いを記載し、物理変化以外の実例や詳細は各項目に委ねる。
- また"変化"という言葉は一般的すぎて、"存在"の項に記載されているような何か哲学的内容でも無い限りは項目も不要だと感じます。少なくとも自然科学関連の記載をする必然性は今のところは感じられません。--Morivert 2006年11月27日 (月) 10:53 (UTC)
- まぁ、そういってしまうと実も蓋も無いですねぇ。ギリシャ哲学では変化を考察することで、運動論と元素論とを生み出しました。運動論に関しては2つの状態の差から時間の概念が形成されます。一方、運動の変分を一定時間間隔で考察することでガリレオは落体の法則を見つけましたし、微小時間における変分の極限からニュートンは微分法と運動方程式を見出しました。あるいは変化する実体の追求からデモクリトスのアトム概念を経てラボアジェの元素論とつながります、ラザフォードの原子モデルから、ハドロン・レプトンあるいはクオークの素粒子論へとつながっています。このプロセスは前述の運動論で時間概念で変化を解析してゆく手法とはことなり、変化の前と後との状態の両方を合理的かつに帰納的に論述する要素とその構造形成ルールを(いわゆるモデルですね)を見つけ出すプロセスです。前者はまさに物理変化の概念の変遷ですし、後者は化学変化ま概念の変遷です。特に前者は時間概念と密接な関係がありますが構造に対しては差ほどでもないです。一方、後者は構造と密接な関係にありますが、構造状態1と構造状態2との間の時間経過についてはさほど考慮されません。勿論、前者と後者とは二律背反的に分割することはできず、変化の観点の違いに過ぎず表裏一体です。つまり化学変化も反応場の活性化ポテンシャル曲面で記述すれば物理変化になってしまいます。これらの関係は二律背反ではないので、物理変化、化学変化の違いを記述すれば理解できるという話ではありません。大雑把に見れば違うようでも解析を進めてゆくと違いとした基準があいまいになってゆきます。私は「変化に自然科学関連の記載をする必然性はある」と考えます。あら金 2006年11月27日 (月) 15:06 (UTC)
- 御紹介されたような内容が記載されるなら"変化"の項目の存在意義もありますね。個人的には"変化論"の方が好みですが、どちらでもよいでしょう。ただ私の提案した化学変化と物理変化の記載もあった方が良いと思います。特に「日常で見える化学反応とはどんなものか?」という化学の素人の人向けの記載として例示はあると良いと思いますので、そのうち移動させます。
- "変化"や"物理変化"の項目で議論すれば良いことでしょうが、私の脳内では、単なる運動は物理変化でさえもないのです。運動だけでは物自体は変化していませんから。あと、物理変化と化学変化の対比という見方は物理学と化学とが分離された、歴史的には比較的最近の見方ですよね? それまでは、運動、変形および分裂と接合、状態変化、材質変化(燃焼、錆、etc)くらいに分けて意識されるように思えます。このころに核反応による元素変換がもし観測されたとしても、現在の化学反応と区別は付けにくかったでしょう。もっとも、このような物質観の変遷については資料的根拠がないと記事には書きにくいのですけれど。--Morivert 2006年11月29日 (水) 11:51 (UTC)
- 次のような分割案はいかがでしょうか? なお化学変化のREDIRECT先を物質から化学反応へ変えておきました。
- --Morivert 2006年12月1日 (金) 11:17 (UTC)
- 18世紀に元素が発見されるまでは、物質の「物理変化」、「化学変化」の違いは無かったと考えます。つまり18世紀までの物質変化のモデルとして「四大元素論」とかフロギストン論があります。19世紀後半の素粒子論や量子力学以前を問題にするならば、物理変化は物理学現象による物質の変化ですし、化学変化は化学現象による物質の変化です。素粒子論や量子力学を問題加味するするならば化学変化も物理学現象による変化です。あるいは物体の界面・表面より大きなスケールの物理学的変化になると、それは運動とか切断・破壊とか担ってしまいます。すなわち「物理変化」、「化学変化」も物質構造のスケールにより物理現象が階層化していることを言い換えているに過ぎないということです。この分子スケール階層以上で起こる変化を「物理変化」、この原子スケール階層で起こる変化を「化学変化」、原子核スケールで起こる変化を「核化学反応」や「素粒子の壊変」とよんでいるに過ぎません。「物理変化」、「化学変化」も結局は電磁相互作用です。スケールが変わると振る舞いががらりと変わるのが物性物理の醍醐味です。近年の物性物理は、超伝導をはじめとする、量子力学が関与する物理現象であるメゾスコピックな現象が生じる数十~数百の原子の集団のスケール階層での物質変化を調べることが中心です。高校の教科書であれぱ19世紀前半まで知見に基づいて「物理変化は物理学現象による物質の変化、化学変化は化学現象による物質の変化」でOKなわけで、字句とも合って直感的に識別が可能です。しかしそれ以上の学問レベルで物質を認識するのであれば物質の変化を「物理変化」、「化学変化」とで分類することは例外が多すぎて不適当です。あら金 2006年12月1日 (金) 15:32 (UTC)
- 私もお説の通りだと思います。例えば「岩波-理化学辞典」にも"物理変化"も"物理反応"も項目としてありません。強いて言うと、"物理吸着"と"化学吸着"が対比されてはいます。確かに私自身も学問的に話をする時は、化学反応の同義語としての化学変化ならともかく、物理変化という言葉は使いませんね。
- ただ一般の言葉として物理変化と化学変化を対比して使うことはよくありますので、正確には例外が多いと断った上で記載しておけばよい、というより記載があった方がよいと考えます。一般には、「この分子スケール階層以上で起こる変化を「物理変化」、この原子スケール階層で起こる変化を「化学変化」、原子核スケールで起こる変化を「核化学反応」や「素粒子の壊変」とよんでいる」ということでOKですから。
- 「例外が多すぎて不適当」な場面は、色々な分類において出てくることでやむを得ない面があるのではないでしょうか。例えば、有機と無機、生命と非生命、植物と動物、固体と液体など、学問が進歩すれば既成の分類の例外が増え、境界領域は広がります。だからといってその分類を使うことが役立たないというものでもないでしょう。もちろん、物理変化と化学変化を物質の変化をきちんと分類するための概念として使うことは、お説の通り不適切だと私も考えます。--Morivert 2006年12月2日 (土) 01:32 (UTC)
- 移動そのものにクレームが無ければ2006/12/22頃に分割移動予定ということで。(分割後編集は仔細相談・随時編集ということで)あら金 2006年12月8日 (金) 22:40 (UTC)
- 最初の提案で示された範囲が最新版のものではないのですが、最新版で言えば「物理学と化学」の節の一部を「変化」の項目に分割するということですね? 私としてはひとまず「2006年12月1日 (金) 11:17 (UTC)提案」のように分割しておいて、「変化」の記事はそれらを参照しつつ編集というのが良いと思います。ただこれだと中抜きのような分割もあるので問題であれば御指摘下さい。--Morivert 2006年12月8日 (金) 23:23 (UTC)
- 特に問題が無ければ私の方で分割しておきます。--Morivert 2006年12月10日 (日) 12:06 (UTC)
- 分割を行いました。なお最新の文はほとんどがMorivertの記載でしたが、2005年12月23日 (金) 16:44の版 (編集)あら金、での「物質の性質と変化」の大幅追記が元でしたので、この二人を主執筆者としておきました。--Morivert 2006年12月17日 (日) 11:51 (UTC)
物性という言葉
[編集]物性という言葉は該当項目にもある通り主として物理的性質を指すことが多いです。従って「その性質(物性)以外にも哲学的な属性が」「物性を研究する自然科学の分野が物理学と化学」という文は適切ではないでしょう。前者で哲学的属性と対比させる性質(属性)を表すとすると、自然科学的、物理化学的、客観的、感覚的、観測的とかいう表現になるかと思います。--Morivert 2006年12月8日 (金) 23:35 (UTC)
- 性質といってしまうと、「物」に関する性質と「事」に関する性質の2つの性質の総称になります。自然科学は前者が対象ですし、哲学、社会科学は後者が対象になります。属性といった場合は、観念論のお難い用語で性質とほぼ等価です。たとえば「りんごは赤いという属性」を持っていますし、「りんごはおいしいという属性」を持っています。さらに観念論といった場合はは、常識として「りんごは赤い」、「りんごはおいしい」ということになっているということてあり、個々のりんごを見ると、「赤いのは日光のよく当る上部表面だけで、底面や内部は赤いわけではない」とか「食べたら熟れ過ぎで、ぱさぱさしておいしくなかった」りします。何がいいたいかというと、観念論や哲学で属性といった場合は対象物や観測と直結していないということです。
- 物性といった場合、物理学的性質を指すことが多いと誤解されますが、本来は固体物理学的性質と化学物理学(化学ではこれを物理化学と呼ぶのですが)的性質の両方を含みます。化学で物性を扱わないわけではないと考えます。物理化学は化学的ではないといってしまえばそれまでですが…
- 一方、客観的、感覚的といった場合は、物体自体ではなく、観測者の心象の問題なので、認識した後の認知の問題になります。言い換えると「客観的、感覚的」は認知心理学か論理学の問題なので「物質」で詳しく述べる内容ではないと考えます。観測的というのは具体例が思い浮かびません。少なくともこれらは平坦な階層に並ぶ概念ではないと考えますし、別々の節で説明されることになると考えます。あら金 2006年12月9日 (土) 03:36 (UTC)
- 「物性」という言葉の一番の問題点は化学的性質や放射能を物性に含める使い方はあまりしないことです。そも「哲学的属性」というものが具体的によくわからないのですが、普通に「物質の性質」と言えば自然科学的に調べられる性質を指すのではありませんか? それ以外に「対象物や観測と直結していない」性質については特に「属性」という哲学的専門用語があるのであれば、「(自然科学的)性質以外に(哲学的対象である)属性がある」という表現で良いのではないでしょうか? --Morivert 2006年12月9日 (土) 08:28 (UTC)