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ノート:狐橋の戦い

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記述が私見か否かについて

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私は、既に自分で加えた部分は削除したのですが、塩狩峠さんは「私が『今川義元のすべて』『今川義元』を参考にして書いた記述を消さないで貰えますか。私の私見は含まれておりません。」とのことですが、私が削除したうちの私見でない記述とは具体的にどの記述でしょうか?

「これに対し氏康は、まだ父から家督を継いだばかりで国内での政権基盤が安定していなかったこともあり、対応が後手に回った。 」の部分でしょうか?塩狩峠さんのあげられた『今川義元のすべて』『今川義元』とは参考文献にある三点で良いのでしょうか?三冊とも手元にあり、読んでも上記の見解は書かれていませんでしたので独自研究か私見、または出典無しと判断して削除したのですが。

それどころか、河東一乱については三点とも言及されていましたが、『狐橋の戦い』に触れているのは「『今川義元 自分の力量を以て国の法度を申付く』小和田哲男(ミネルヴァ書房)の一点のみ。それも3行ほどで、「狐橋の戦い」自体の様子の描写などはなく場所の説明でしかありません。他の二点には「狐橋」の単語すら掲載されておらず、「『今川義元のすべて』小和田哲男 編(新人物往来社)」 では今川義元の合戦年表に記載されてもいません。同名異本の他の著作とお間違えでしょうか?私が読み落としているというのなら、お手数おかけして申し訳ありませんが、ページ数か章名をご教示していただければと思います。むしろ私が記述して、塩狩峠さんが削除した部分は塩狩峠さんも参考文献としてあげられた「『今川義元』有光友学(吉川弘文館)」と私が加えた 「『武田信玄』平山優 (2006年、吉川弘文館)」に記載されているのですが。同名異本であれば参考文献に加えていただきたいと思います。--ジャムリン 2010年6月27日 (日) 22:33 (UTC)[返信]