ノート:玉川温泉/削除
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< ノート:玉川温泉
第6版で追加された内容は、[1]からの引用が多いように思われます。(MD242 さん)
細かく比較して見ました。1が記事、2が外部ページです。全体としては転載とはいえないと思いますが、▲の【・・・】の部分は、外部ページの言い回しと重なっているので、もしかしたら問題になるかもしれません。ただ、良くある表現なので、削除すべきかどうか、著作権関連の判例に詳しい方の判断をお願いしたいところです。Miya 2004年9月14日 (火) 02:56 (UTC)
似てはいますが、別のサイトからではないかと思います。 ほかのサイトで、発見できるまでしばらく待ったほうがよさそうなのでは?goodpro
- 延宝8年(1680年)に鹿が傷を癒していたことから発見され、
- ○江戸時代初期に鹿が傷を癒しているのを見て発見されたと伝わる。
- 当初は硫黄採掘所として開発された。
- ○1681年に玉川温泉の大噴(おおぶけ)が発見され、その後硫黄の採掘場となっていたが、
- 「鹿の湯」「鹿湯」と言われていたその頃の温泉は、
- 鉱山夫とマタギが利用するのみであった。
- ○温泉は鉱山夫とマタギが使う程度で、むしろ玉川毒水として・・・
- 明治17年(1885年)になって「鹿湯」として湯治場として許可された。
- 昭和4年(1929年)に、【北海道において造林業で大成功】した五代目・関直右衛門が故郷の近くにあった鹿湯を訪れたところ、
- ▲1929年に、【北海道において造林業で大成功】をおさめた五代目・関直右衛門が初めて玉川温泉を訪れた
- 草津温泉でも治らなかった皮膚病がわずか10日で治ってしまった。
- ○彼は、皮膚病治療のため草津温泉へ行ったのだが思わしくなく、北海道へ帰る途中立ち寄った郷里の湯瀬で、玉川温泉のことを聞き、案内してもらい10日間滞在したところ、見事に治ってしまった。
- ※ところで昭和5年は1930年です。(Miya注)
- それと共に【玉川温泉の権利を角館の陶光謙から買い取り、病気療養者の湯治場にすることを】彼は【願った。】
- ▲同時に【玉川温泉の権利を角館の陶光謙から買い取り、病気療養者の湯治場にすることを願った。】
- 終戦当時までは【馬に乗るか徒歩で丸一日】もかかる秘境だったが、昭和25年(1950年)には【玉川温泉までの国道が開通して定期バスが】通うようになったことで交通の便は改善された。
- ▲終戦後は客も15、6人程度だったという。【馬に乗るか徒歩で丸1日】かけてやっと到着する山深い温泉地だった。1950年には玉川温泉までの国道が開通し、定期バスが運用するようになり、現在の盛況へとつながった。
- 「大噴(おおぶけ)」と呼ばれる湧出口から、98℃・PH1.2の強酸性泉(主成分は塩酸で、世界でも珍しい)が毎分9,000L湧出する。
- 単一の湧出口からの湧出量としては日本一を誇る。
- ○お湯の湧出量は日本一で、
- 湯は、入浴だけでなく飲用(10倍以上希釈する)することでも有名だが、あまりの酸性の強さのため飲用後は口をすすがなければならないほどである。
- ○飲泉はあらかじめ2倍に希釈してあるので、さらに5倍に薄めてゆっくり飲む。レモンよりずっと酸っぱい。
- また、強酸性の湯は下流の渋黒川に流れ込む前に石灰石による中和処理を行って、PHを下げてから放流される。
- 中和処理が行われる以前は、温泉水は農作物を枯らし魚を殺す「玉川毒水」として恐れられていた。玉川毒水の毒を下げるために江戸時代からさまざまな試みがされてきたが、現在の中和処理施設が完成したのは平成元年(1989年)になってからのことである。
- ○むしろ玉川毒水として大量に湧出する強酸性泉が下流の農地に多大に影響を与え、1841年以来1991年に玉川酸性水中和処理施設が本格稼動するまで、さまざまな除毒工事が試みられてきた。
お騒がせいたしております。
[編集]確かに、ご指摘のページその他を参考にしました。流用だけはしないようにしたのですが、細かいところはやはり残ってしまいました。もう少し調べてから修整しますので、しばらく待ってはいただけませんか?
お騒がせしてすいません。
- 以前の版に転載などの侵害が認められれば、それと同内容を含んでいる後の版も侵害または GFDL 違反ということになります。修正では対処できませんので、いずれにしても既存の版の削除が必要です。お気持ちは分からないでもないですが、権利を侵害された他の著作権者に対する責任を考えると迅速な処理が望まれる場面ではないでしょうか。--Aphaea 2004年9月24日 (金) 13:23 (UTC)
Aphaeaさん、わかりました。
しばらくはこの記事の投稿は控えます。また新規投稿などあったらそのときは気をつけて書きます。
本当にご迷惑をおかけいたしました。
↑の投稿は78です。チルダを忘れておりました。
- これだけ、似ていると、流用となると考えます。文章を入れ替えたりされたようですが、自分で起こすしか対策はないと思います。引っ張ってきて修正するのは危険です。歴史については非常に書きにくいです、ご同情しますが、特定の版までの削除で対応いただきたいと思います。--Aska27 2004年9月26日 (日) 01:20 (UTC)