ノート:王平
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陳寿の王平評「為人自輕」について
[編集]いわゆる『ちくま三国志』では、本文の中略部分「然性狹侵疑、為人自輕、以此為損焉」が「しかしながら性質が偏狭で疑い深く、軽はずみな人がらで、それが欠点となっていた」と訳されています(但し、今回は1982年刊・『世界古典文学全集』所収のもののみ確認)。本文の旧版もこれに拠っていたようです。
しかし、複数の『三国志』注釈書や現代中国語訳書が「為人自輕」の部分につき『ちくま三国志』とは異なる見解を示しています。
盧弼『三国志集解』は「『為人自輕』の語は、先の『言不戲謔』と相反する点で誤りではないだろうか」としています[1]。盧弼は「為人自輕」を陳寿が王平の言動の軽率さを述べたものと解釈した上で、戯言を避けたこととの矛盾を指摘していることとなります。
他方、趙幼文らの『三国志校箋』は、「呉志・王蕃伝に『謂蕃自輕』とある。『自輕』とは当時の常套句であり、先の『狹侵』の意味と符合するものではないだろうか」としています[2]。王蕃の同僚に萬彧なる者があり、「俗士狭侵、謂蕃自輕」[3](偏狭な俗人で、王蕃から軽んじられていると思っていた)と評される人物でした。『三国志校箋』は「為人自輕」を「王平は自分が人から軽んじられていると思っていた」と解釈していることとなります。なお、漢語大詞典出版社『二十四史全譯』の蜀書・王平伝もほぼ同様に解しています[4]。--六尺兄貴 2007年7月24日 (火) 13:09 (UTC)