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ノート:王翦

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>その末裔 また一説では、漢書と後漢書によると、王離は秦の武城侯となり、王元威・王元避という息子がおり、彼等は父の死後から前漢期に山東に移住したという。後世に王雄や王導・王敦・王義之らが出て、魏~東晋を支えた瑯邪王氏の開祖になったという。つまり、瑯邪王氏は王翦~王離の末裔といわれる。

「漢書と後漢書によると」だけではどこだかわかりません。王吉伝には見えないようです。最低でも誰の伝に載っているか明記すべきです。していないのでは確認できず、出典として挙げていないも同然です。

「王元威・王元避」これ以降の記事は新唐書宰相世系二中の王氏の項に見えますが、王離の二子とされているのは王元、王威です。「生離、字明、武城侯。二子、元・威。元避秦亂、遷于琅邪、後徙臨沂。」という原文の誤読でしょう。同じ巻の太原王氏まで読めば分かるはずです。

そもそも『漢書』王吉伝には王離とのつながりが触れられておらず、そもそも新唐書の記事の信憑性に疑問があるとは思いますが。--てぃーえす 2007年10月29日 (月) 15:12 (UTC)[返信]