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ノート:田母神俊雄/過去ログ1

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「日本は侵略国家であったのか」 の節に関して

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>この論文に関しては極めて低い評価を与える近現代史の研究者[7]や、「底の抜けたような政治的発言」で300万円を受賞するのは資金援助に近いと酷評する者[8]も存在する[9]。

という行がありますが、こういった事はそれぞれの研究者の方々の項目に記載するべきでは?田母神論文に関する識者の見解をすべてここに記載する必要性を感じません。--ササニシキ 2008年11月2日 (日) 02:02 (UTC)

事件を引起した張本人である以上、事件自体の項目が無ければ評価を記載することは問題ないでしょう。何もないと独自研究書かれて放置される隙を与えてしまいますよ。第2に、評価した研究者や掲載したマスコミもまた、考え方や事績を第3者に評価される立場であることを忘れてはなりません。第3に、事態が沈静化した後に調べ物をする第3者にとっては中心人物への評価、その評価を発言した人が誰なのかがバラバラになっていると極めて調べにくい。出典まで当たる人にとって使いやすい記事にした方が良いですが、現状では脚注ごと消滅してませんか。臭いものに蓋をする行為も公式の編集方針が示す良い記事へのスタイルに反しています。
このネタを持ち出したのは私が知る限り東京新聞2008年11月1日朝刊社会面の記事のようですが、無料での公開なんて何時なくなるか分かりませんし、後の人間は縮刷版や法人向けDBを使わなければならない。
  • 笠原十九司「小学校、中学校から勉強し直した方がいいのでは」
  • 纐纈厚「レベルが低すぎる」
  • etc・・・
上述は東京新聞を使った一例で別にどっちかに肩入れするつもりは当然無いんですが、このように名前は明確にするべきでしょう。懸賞論文の審査に渡辺昇一氏が関わったこと、審査の最終段階で委員に名が公表されたこと、アパ側、防衛庁内部双方で表に出してよいのか議論があり、田母神氏本人が押し切ったことなど、マスコミ各誌の報道を元にして主述は明確にするべきだと思いますが。
岩見浩造 2008年11月2日 (日) 03:40 (UTC)
東京新聞は1ヵ月で記事が消える仕様なので、脚注に出しておいた方が良いですよね。まるごと削除している人がいますが。。--Nekolab 2008年11月2日 (日) 21:54 (UTC)

岩見浩造

>事件を引起した張本人である以上、事件自体の項目が無ければ評価を記載することは問題ないでしょう。何もないと独自研究書かれて放置される隙を与えてしまいますよ。

編集者が自分のお気に入りの学者や識者の意見を記載し始めたら収拾が付かなくなりますよ。そもそもこれは事件ではないと思いますが。

>評価した研究者や掲載したマスコミもまた、考え方や事績を第3者に評価される立場であることを忘れてはなりません。

Wikipediaはあくまで百科事典であって、研究者やマスコミを評価する場ではありません。

>事態が沈静化した後に調べ物をする第3者にとっては中心人物への評価、その評価を発言した人が誰なのかがバラバラになっていると極めて調べにくい。

例えばAさんがいたとして、Aさんへの評価、その評価を発言した人の名を記載していたら明らかにキリが無いですし、それは早々百科事典ではないですよね。それは、事態が沈静化した後に調べ物をする第3者が独自に調べればいい問題であって、百科事典がそこまで面倒見る必要は無いと思います。--ササニシキ 2008年11月2日 (日) 04:49 (UTC)

>編集者が自分のお気に入りの学者や識者の意見を記載し始めたら収拾が付かなくなります
編集者個人の意見は記載してはなりませんが、検証可能性を満たした公人の発言であれば問題ありません。ついでに言えば、私は「自分のお気に入りの学者や識者」のために述べているのではない。その点は上記にて述べています。また、ササニシキさんが御自分の気に入らない学者や識者を選別して記述から排除する権利もありません。
>Wikipediaはあくまで百科事典であって、研究者やマスコミを評価する場ではありません。
それは編集者が独自研究をするなという意味での話です。私は誰が何処でどんな評価を述べたのかを明記せよと言っているだけです(上記でお分かりになる筈ですが)。記述者による「評価」を述べている訳ではありません。公式のルール、出典の明記をもう一度御覧ください。
>調べ物をする第3者が独自に調べればいい問題であって、百科事典がそこまで面倒見る必要は無い
ササニシキさんの主張こそ、検証可能性に反する編集を肯定していることになります。また、第3者が調べればいいのであれば、当該の評価を行った人物の欄に記載する必要もありません。逆に当該人物の欄に記載するのであれば、ササニシキさんがある程度は責任を持って転載するのがマナーだと思いますが。
そもそも批判であれ、賛美であれ、それを誰が何時何処で行ったのかを記載するのは編集における基本的なルールでは無いですか。また、百科事典とは調べ物のとっかかりであり、一面ではデータベースとしての性格を持ちます。
>Aさんへの評価、その評価を発言した人の名を記載していたら明らかにキリが無い
それを面倒くさがらずに完遂するのがWikipediaの本来の姿です。大統領、首相クラスの著名な政治家の項などを読めば分かりますね。脚注が50個ついている項も少なくない。新銀行東京のような組織自体が話題となっているケースでも同様です。私のWikipedia編集作業の半分は出典の明記に費やしていますが、それだけ現状では多くの編集者がないがしろにされているということです。誰が行ったのかわからない形容表現だけが一人歩きするような編集や、臭いものに蓋をするような不作為助長の編集は慎んでいただきたい。
岩見浩造 2008年11月2日 (日) 10:38 (UTC)

>懸賞論文の審査に渡辺昇二氏が

議論に関係ないですが、渡部昇一氏ではないでしょうか?--Carpkazu 2008年11月2日 (日) 12:58 (UTC)


>編集者個人の意見は記載してはなりませんが、検証可能性を満たした公人の発言であれば問題ありません。ついでに言えば、私は「自分のお気に入りの学者や識者」のために述べているのではない。

岩見浩造氏がどうなのかは存じませんが、自分のお気に入りの学者や識者を編集者自身の代弁者にして編集しているケースがあり、そのような事を当該人物の項目で堂々巡りで行ってもキリがありません。

>また、ササニシキさんが御自分の気に入らない学者や識者を選別して記述から排除する権利もありません。

私はそのような編集をした憶えはありませんが。

>私は誰が何処でどんな評価を述べたのかを明記せよと言っているだけです。

ならば、識者が50人いたとしてその全ての見解を当該人物の項目に記載しなければいけない事になりますな。

また、岩見浩造氏は「評価した研究者や掲載したマスコミもまた、考え方や事績を第3者に評価される立場であることを忘れてはなりません。」と先ほどから言っておられますが、そのような事はWikipediaではなく、個人のサイトなりblogなりで行うべきでは。私は当該人物の項目にどこの識者が当該人物に対してどんな見解を発表したかを全て記載してある百科事典など見たことがありませんし、そのような物はもはや百科事典ではないと考えます。

>ササニシキさんの主張こそ、検証可能性に反する編集を肯定していることになります。

どこがですか?私は単に識者の見解は見解を出した識者の項目に記載すべきであると言っているだけです。例えるならば、ブッシュ大統領の項目に、ブッシュ大統領に対する識者なり学者なりの見解を延々と記載せず、その識者なり学者なりの項目にブッシュ大統領に対する見解を記載するべきだと言う事です。

>第3者が調べればいいのであれば、当該の評価を行った人物の欄に記載する必要もありません。

そうは思いませんが。

>当該人物の欄に記載するのであれば、ササニシキさんがある程度は責任を持って転載するのがマナーだと思いますが。

各識者の項目に内容を移転する事も含めてノートで問題提起したつもりですが。

>そもそも批判であれ、賛美であれ、それを誰が何時何処で行ったのかを記載するのは編集における基本的なルールでは無いですか。

ですから、今回の田母神論文で言うならば、田母神論文に対する識者の見解を田母神空将の項目に一々記載する必要性はないと言っているんです。

>それを面倒くさがらずに完遂するのがWikipediaの本来の姿です。大統領、首相クラスの著名な政治家の項などを読めば分かりますね。脚注が50個ついている項も少なくない。

私は脚注の数を問題にしているのではなく、当該人物に対する識者の見解を延々と当該人物の項目に記載する必要がないと言っているんです。

>私のWikipedia編集作業の半分は出典の明記に費やしています

ご苦労様です。

>誰が行ったのかわからない形容表現だけが一人歩きするような編集や、臭いものに蓋をするような不作為助長の編集は慎んでいただきたい。

私はそのような編集をした憶えはありません。--ササニシキ 2008年11月2日 (日) 13:38 (UTC)

長いので要点に絞ります。御容赦ください。
>「評価した研究者や掲載したマスコミもまた、考え方や事績を第3者に評価される立場であることを忘れてはなりません。」と先ほどから言っておられますが、そのような事はWikipediaではなく、個人のサイトなりblogなりで行うべきでは
それは揚げ足取りですね。独自研究他、公式ルールの解説を意識してそのルールが結果としてどのような機能を果たすかを示唆したまでのことです。各編集者が興味を持った項目に文献を当たるなど相応の努力をした上で、編集すれば良いだけのことです。
>私は当該人物の項目にどこの識者が当該人物に対してどんな見解を発表したかを全て記載してある百科事典など見たことがありません
Wikipediaはオープンコンテントなネット上の百科事典です。編集のルールやルールを満たした形で形成された習慣が一般の百科事典(例えば広辞苑)と異なるのは当たり前ではないですか。多くの人物項目や組織、物品に対する項目がありますが、それらの全てが評価と分離しているとはとても言えません。また、人物辞典、航空機辞典などの中には評価まで踏み込んで記載しているものもあります。それらは紙数の関係からか、脚注の類はほぼ皆無ですので、仮にWikipediaで同じことを行えば独自研究のそしりを免れない記述ですが、Wikipediaが求めているのは主として検証可能性関係なのですからそれを満たせば問題はありませんね。
>自分のお気に入りの学者や識者を編集者自身の代弁者にして編集しているケースがあり、そのような事を当該人物の項目で堂々巡りで行ってもキリがありません。
誰が気に入ろうが気に入るまいが検証可能性出典の明記を高めることに繋がるのであれば、その記述は問題はありません。逆に、公式のルールを満たした記述を拒否するようなササニシキさんの姿勢こそ、「気に入らない意見は消す」という恣意性につながるということを認識してください。
>当該人物に対する識者の見解を延々と当該人物の項目に記載する必要がない
>田母神論文に対する識者の見解を田母神空将の項目に一々記載する必要性はない
論文発表→更迭までの流れが単独の記事として独立しているならこの主張には説得力がありますが、現状ではそうではないのですから説得力がありません。田母神氏の著作であり、本人の考え方が反映され、本人の強い意向で世に出ている以上、記述する妥当性は満たしています。必要性については、ルールに抵触していなければ規制される理由がありません。記載することに何の問題もありませんね。
>例えるならば、ブッシュ大統領の項目に、ブッシュ大統領に対する識者なり学者なりの見解を延々と記載せず、その識者なり学者なりの項目にブッシュ大統領に対する見解を記載するべきだと言う事です。
それを実行すれば単に読者に対して分かりにくくなるだけです。私はどちらも行って問題ないと考えていますよ。それを規制するルールはWikipediaで読んだこと無いですから。
岩見浩造 2008年11月2日 (日) 15:50 (UTC)

「日本は侵略国家であったのか」 の節に関して2(上記論点以外)

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私は本文の編集には関わっていないのですが、編集保護がかかりました。また、私自身も如何なものかと思われる記述がありましたので、評価を記載するべきかどうかの議論とは別に、何点か述べさせていただきます。

~「日中戦争は侵略戦争ではない」「太平洋戦争はルーズベルトによる策略であった」「日韓併合は国際条約に則って合法的に行われた」とする自説を、陰謀論を典拠として展開すると共に、現在は内閣法制局の見解において憲法違反とされている集団的自衛権を容認すべきであると主張した。

保護状態となった時の文章ですが、下記の問題があります。

  1. 編集者は根拠なしに全てを包含して陰謀論と断定してはいけません。そういう事項こそ、新聞等で明らかとされた批評から引用してください。中味に陰謀論が使われていることと、政府見解と異なる解釈を現役の立場で行った事は別の問題です
  2. 「日中戦争は侵略戦争ではない」
    田母神氏は盧溝橋事件についての解釈を大きく取り上げています。同事件を関係付けた説明を挿入する必要があります。田母神氏が2ページ目で同事件について保守系の文献(他のページに『廬溝橋事件の研究』も挙げられてる)を根拠にかなりの分量を割いたことに注意してください。
  3. 「太平洋戦争はルーズベルトによる策略であった」
    この表現は適切ではありません。原文では
    「ル ー ズ ベ ル ト は 戦 争 を し な い と い う 公 約 で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。」
    です。これは真珠湾攻撃陰謀説を述べているのであって、太平洋戦争では開戦前からの対日関係悪化といった政策的な面まで含んで焦点がボケてしまいます。詳細は真珠湾攻撃陰謀説の参考文献などを参照してください。
  4. 「日韓併合は国際条約に則って合法的に行われた」
    日韓併合条約を読めば分かるように、解釈が対立している見解であり、田母神氏が合法論を採っただけです。陰謀論に基づいて云々は該当しません。
  5. 現在は内閣法制局の見解において憲法違反とされている集団的自衛権を容認すべきであると主張した。
    集団的自衛権にもリンクを張ってください。また、原文で「容認すべきである」とまでは明言されていません。親子関係に例えて「子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。」が該当します。現状では、違憲状態のまま容認せよとも読めますが、そのような予断を含ませる表現は適切ではありません。更に集団的自衛権自体も合憲化するかで議論があり、田母神氏が問題とされたのが中味ではなく空幕長という立場であることに注意してください。

その他にも論文の経緯についても正確に記述するように心がけてください。

識者の見解については保守系からもコメントが出ています。リベラル側とあわせ全て転載しろとまでは言いませんが、政治的な立場に立つ人の見解もあるので今後の編集の際ご参考に。

現在は削除されてますが、主なコメントは下記でした。
「個人的に(論文を)出したとしても、今、立場が立場だから適切じゃないね」(麻生太郎 首相)
「『謀略史観』、それを全部並べているというところに一番大きな問題がある」(現代史家 秦郁彦
「非常に単純な事実の誤認、人名、日付、その他、そういうものをやたら間違えていますね。細かいことを言うと、この1936年の第2次国共合作っていうけれど、これ37年なんです」(現代史家 秦郁彦
「二度とこのような発言をする人が政府の中に、私心であったとしても一人もいなくなるように、民主党としても行動していく覚悟です」(民主党 鳩山由紀夫 幹事長)
「憲法の基本も理解していない。自分の発言がどう社会に影響するのか判断力もない」(公明党 山口那津男 政調会長)
「社会人としてのトレーニングが著しく欠けているという問題。純粋培養で、あの組織の中で通用する価値観で生きてきたケースの象徴なんです。立場をわきまえないのは軍事組織のトップとして危うい問題で、シビリアンコントロール(文民統制)の根幹を揺るがしかねない」(軍事アナリスト 小川和久

岩見浩造 2008年11月3日 (月) 04:14 (UTC)

RKBのサイトに各氏の発言が残ってました。田母神空幕長更迭後も波紋広がる --118.243.109.64 2008年11月3日 (月) 11:46 (UTC)

保護中のメモ

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航空幕僚長たる空将」から一般の空将へ降格されたため、任用延長取り消し・60歳定年制が適用され退職。http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY200811030142.html --118.243.109.64 2008年11月3日 (月) 11:26 (UTC)

後任の航空幕僚長に11月7日付で外薗健一朗・情報本部長が就任。http://www.asahi.com/politics/update/1107/TKY200811070161.html --あおみまきな 2008年11月7日 (金) 12:58 (UTC)

「陰謀論を典拠にして」について

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  • 「陰謀論」と断定しており『充填された語(loaded language)』にあたるため削除いたしました。コミンテルンによる日米戦への罠については田母神氏のくだんの論文[1]のP.5以降に記述されていますが、これが「陰謀論を根拠にしているものだ」と断定するために、十分に信頼できる他の情報源をご紹介ください。--ネコバット 2008年11月11日 (火) 08:34 (UTC)
週刊新潮2008年11月13日号25頁に秦氏の指摘が掲載されています。田母神論文に対する批判が書いておりますが、そのなかに『太平洋戦争はルーズベルト大統領の罠だったとする説は、学問的には誰も認めていません』としているほか、週刊新潮でも『コミンテルン謀略説』など田母神氏が提示した新たな「史実」を秦氏が全否定したという内容になっております。少なくとも週刊新潮は田母神論文は「コミンテルン謀略説」(謀略と陰謀では多少ニアンスは違いますが)としているようです。記述はご自身でご確認ください。--Carpkazu 2008年11月12日 (水) 14:21 (UTC)
  • 情報ご提供ありがとうございます。確認してみたいと思います。このあたり表現の取扱い難しい・・・--ネコバット 2008年11月12日 (水) 14:43 (UTC)
  • 「陰謀論」という言葉が使えるとしたら、『太平洋戦争はルーズベルト大統領の罠』『コミンテルン謀略説』の部分だけであり、彼の論文全体のように説明するのはアウトと考えます。ま、これを「陰謀論」と表現するのかどうかですよね。--220.147.7.205 2008年11月12日 (水) 15:19 (UTC)
張作霖爆殺事件ナウム・エイチンゴンが実行犯だという異説ですね。河本大作が首謀者とされていますが、事件当時は中国国民党の仕業だと主張されていました。田母神論文でこの事件でコミンテルンの仕業とする根拠が。『「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」など』としていますが、どのように読んで判断したか、書いていませんね。ただ「廬溝橋事件の研究」の著者の秦郁彦氏に、歪んで引用していると週刊新潮で批判しています。実際のところ田母神論文における表現は「謀略」であるので、コミンテルンと蒋介石の謀略で太平洋戦争に巻き込まれたと定義していいといえます。田母神氏は論文の中でルールベルト政権にコミンテルンのスパイが300人いたと主張していますから、『その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく』との論述があり、全体的にコミンテルンの謀略説を根拠にしているとさしつかえないといえます。--Carpkazu 2008年11月13日 (木) 15:16 (UTC)
  • 申し訳ありません。おっしゃってる論旨の展開がまったく把握できません。田母神論文が「陰謀論」に基づいたものだという事を知らない読者にはCarpkazuさんの論述は飛躍がありすぎまして、もうすこし丁寧に論証して頂けませんか。いちばん有難いのはわたくし(ネコバット)などのようなド素人にはどうせ理解できませんので、「田母神論文は陰謀論に基づいている」と直接的に記載された、信頼できる出典をお示しいただくことなのですが。--ネコバット 2008年11月13日 (木) 17:48 (UTC)
  • あーごめんなさいCarpkazuさん。出典示して頂いてるのでしたね(><)。さっそくコンビニ走って買ってきました週刊新潮320円。P.31に確かに『先の元谷代表の論文と田母神論文とでは共通点が多数ある。日米開戦はルーズベルトの陰謀で、背後にコミンテルンの影響があった(以下略』。ただちょっと良く分からないのは、ルーズベルトの陰謀が本当にあったのかどうか①、陰謀が本当にあったとしたらそれをもって陰謀が開戦の原因だと言い立てることが「陰謀論」なのか②、ほんとうは陰謀などなかったのに「いやあった、陰謀が開戦の原因だ」と虚妄を言い立てるのが「陰謀論」なのかがちょっとまだ良く分かりません。本当に陰謀があったのなら、その陰謀の存在を指摘しても陰謀論なのでしょうか(問)、あるいはその陰謀そのもの①が虚妄・でっちあげなんでしょうか?。週刊新潮ではこのあたりはっきりしませんでした。--ネコバット 2008年11月13日 (木) 18:21 (UTC)
  • 秦氏が全否定した「週刊新潮」は何号でしょうか?--ネコバット 2008年11月13日 (木) 18:26 (UTC)ああっと!!11月13日号か(><)!どうも粗忽(そこつ)で申し訳ありませんでした。私の入手したのは最新号(11月20日号)で、ご指定の11月13日号は売り切れで手元入手できるのがちょっと遅くなりそうなので!わたくし(ネコバット)の投稿はしばらく無かった事としてよしなにお計らい下さいます様。申し訳ない(><--ネコバット 2008年11月13日 (木) 18:42 (UTC)
ネコバット様、すいません。田母神論文が「陰謀論」に基づいたものに、勤務先にあった朝日新聞2008年11月13日にと学会唐沢俊一氏の「陰謀論にはまる危うさ」というコラムが掲載されています。「トンデモ陰謀説」の典型的なパターンがあるとしています。参考までに。実はと学会の書籍に「アメリカ同時多発テロ事件陰謀説」や「シオン賢者の議定書」、「田中上奏文」といった陰謀論が紹介されていまして、「ルーズベルト陰謀説」も田母神氏が最近判明したように書いていますが、既に1970年代ごろにはよく知られていた陰謀説です。ご質問の件ですが、
  1. 「ルーズベルトの陰謀が本当にあったのかどうか」ですが、2003年に日本テレビの「時空警察」で、検証したものがありますが、日本軍が暴発するの事は認識していたのは間違いないがなかったという事です。
  2. 「陰謀が本当にあったとしたらそれをもって陰謀が開戦の原因」ですが、「陰謀論」は原因を他者に転嫁する傾向にありますので、実証できない異説は陰謀論と見なされても致し方ないです。
  3. 「虚妄・でっちあげなんでしょうか」ですが、社会的出来事は全て複雑な原因が絡み合っておりますので、白か黒か、善か悪かの二元論で判断するのは難しく。件の「コミンテルン」云々は、も田母神氏の論文では「日本は侵略国家にされた」被害者だという主旨ですので陰謀論になります。最もも田母神氏がいうようにコミンテルンの工作能力があれば全世界はとっくに共産主義化しています。そうなってはいませんし、第一コミンテルンは1943年に解体しています。--Carpkazu 2008年11月13日 (木) 22:59 (UTC)

個人的にはイチイチ余計な形容をつける必要ないと考えます。現在の状態[2]で良いのではないでしょうか。編集合戦を呼び込む表現は避けたほうが賢明だと。--220.147.7.210 2008年11月14日 (金) 06:40 (UTC)

個人的意見の削除に付いて

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>上記(10)の東京新聞の記事の指し示す識者とは、wikiの別項目で各人を参照すればすぐに解るとおりほとんどが左翼思想の識者である。よって、公平な評論とは言い難いと考えられる。又、朝日新聞の記事はかなり傾左的な部分があり、厳しく批判というのも、秦郁彦、本人の弁とは取り難いものと思われる。

個人的意見を載せる場ではありません。個人的意見で無いならば以上の文章の出典をお願いします。--らりた 2008年11月11日 (火) 13:49 (UTC)

東京新聞の記事自体が記者もしくは編集局の個人的な意見(論評)になっているものです。左翼的な思想の識者の主張のみを取り上げて書かれています。私の記事は10.11を削除するのも憚られるので、やむなく注釈をいれたのですが、今のままですとこの項目を読んだ人が、論文の内容自体が間違ってると一方的に取られる可能性があります。正しいと結論付けられない代わりに間違っていると結論付けるのもおかしいかと思って記載しました。東京新聞の記事は事実あった、しかし、発言したのは左翼系の識者達であった。脚注の方につけましょうか?—以上の署名の無いコメントは、Suregger会話履歴)さんが[2008年11月11日 (火) 14:14 (UTC)]に投稿したものです(らりたによる付記)。

そういった意見が何かの新聞・雑誌などで発表されたなら載せてください。あなたがそう思っているというだけなら載せないでください、ただそれだけの話です。--らりた 2008年11月11日 (火) 14:15 (UTC)
気持ちはわからなくもないですが、編集者の気持ち」はwikipediaに必要ないので、誰か同じことを言っている公の人物の出典を持ってくるか、もしくは主語に『笠原や「日本の戦争責任資料センター」事務局長などが』というような詳細な主語を設けるしかありません。とにかく強引にリバートしても無駄なことは学んでいただきたい。他の編集したい人間にとって迷惑です。--220.147.8.38 2008年11月11日 (火) 14:19 (UTC)
あなたの会話ページにも書いたのですが、田母神氏に批判的な論調ばかり掲載されているのが不満でしたら、検証可能性を満たした出典を明記した上で田母神氏に同調する意見を記載すればいいだけのことです。ご自身の意見を記載することはお止めください。--Web comic 2008年11月11日 (火) 14:27 (UTC)

- なるほど、確かにその通りでした。しかしながら、こういった時事をwikipediaに掲載する場合、田母神論文を否定するような書き方をしている10,11文には訂正ははいらないのでしょうか?時事問題において、wikipedia内に左系に偏ったマスコミ記事や発表を引用した編集が最近多くなっていることに危機感を感じ今回初めて記載をしたのですが、今回ご注意くださった皆様が親切な方々であり、決してwikipedia内の左翼系編集組織で無いことを信じて本件は終了にしたいと思います。。--suregger

コメントアウト部分で発言しない

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コメントアウト部分で発言しないとの理由でコメントアウト箇所がリバートされましたが①「コメントアウト部分で発言しない」なるWikipedia編集方針は存じません(あれば教えてください)②コメントアウトの理由をメモしているのであって「意見」ではない③コメントアウトでIP氏のいうところの「意見」が述べられていたとしても、それがコメントアウトした元記事をリバートする理由にはならない。以上3点によりリバートしました。またIP氏は「編集内容の要約欄」を用いて意見するのではなく、ノートで意見を述べてください。--大和屋敷 2009年8月27日 (木) 01:56 (UTC)コメントアウト箇所は素直に読めば「田母神氏は過去の著書のなかで「広島平和記念式典は」左翼による謀略だと何度も主張している」論旨に読めますが、それで間違いないのですか?(出典情報が開示されていないので検証できません)。たかじんのそこまで言って委員会を情報源として適示していますが、右翼団体に在日韓国朝鮮人が多いという話しであり、広島平和記念式典との関連性が不明です。また右翼団体に在日韓国朝鮮人が多いことと左翼の謀略との関連性が説明されておらず、読者にはまったく唐突な挿入で文旨不明です。現状では明らかなナンセンス(文旨不明)で雑草とリをしないわけにはいかない状態です。--大和屋敷 2009年8月27日 (木) 02:16 (UTC)


田母神氏は反共主義者か

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カテゴリ:反共主義者の分類がありましたが、反共主義者との根拠が良く分かりませんでしたので一旦リバートしました。「太平洋戦争はコミュニストの陰謀」との論調が、田母神氏の観測する歴史の真実を単に叙述しただけであったばあい、それは主義信条ではなく、田母神氏にとっての「事実(真実)の説明」にすぎません。むろん自らを反共主義者として定義して言論活動を行っている事例や、他の批評者(信頼でき検証可能な)が田母神氏を反共主義者であると定義づけておりすでに社会的に一定の認知があるような場合など、確認できる他の資料があれば別ですので、確認できる資料類の提示を求める意味で一旦リバートしておきました。--大和屋敷 2009年9月5日 (土) 20:53 (UTC)

政治思想に対する言論がまったくないので、私も田母神氏は反共主義者ではないと思います。ひいていえば陰謀史観論者だといえますが、こちらはと学会の唐沢俊一氏による指摘がありますので出典に問題ないのですが、ことらは誰かがはずしていますね。まあ大東亜戦争肯定論のほうは、靖国史観と全く同じですのでことらは正確だと思います。まあ冷戦時代なら反共でもおかしくはなかったもしれませんが、現在の尺度からするとカテゴリーに含めるのは不適格だといえます。--Carpkazu 2009年9月6日 (日) 00:36 (UTC)

古森氏の発言一件

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脚注に入れる入れないで編集合戦になっていますが、当方は田母神氏の名誉がどうのこうの、広島市長側の発言内容がどうのこうの、には興味がありませんので。メタ次元(段落の主題に対する話題軸)が発散しているので脚注に入れておけばどうかということです。段落を変えて話題として提示しましたがこれでどうですか?--大和屋敷 2009年9月8日 (火) 13:50 (UTC)

現在で異論ありませんが、第三者の意見が批判する角度からの中日新聞の「トンデモ」論のみの状態は問題ありと考えます。話題として形は変わったようですが、まあ、両論併記的で中立的になったかと思っています。--220.147.8.205 2009年9月8日 (火) 14:01 (UTC)

個人的には注釈にしなくても日本会議広島の主張の節に挿入すれば問題ないではないでしょうか。それに中国新聞の主題は「被爆者は式典に出席していないという主張に対する批判」であり、古森氏の発言は平和アピールに対する批判であすので、両論併記になっていないです。関連がありません。まあ、田母神氏の「広島の友人」という出典は伝聞でしかないです。それと220.147.8.205さん、中日新聞ではありません、中国新聞です。間違えないでください。(そそっかしい人もいるようなので、注意しますが中国新聞は中華人民共和国や中華民国と関係なく、中国地方の意です)--Carpkazu 2009年9月8日 (火) 14:41 (UTC)

まあ、そうカッカせずに。主張は分かりましたので支持しますよ。中立的にするためラストにもう一方の評論を入れようと思っています。--220.147.8.205 2009年9月8日 (火) 15:34 (UTC)

IPユーザーの編集について

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正直言ってこの項目は、私にも問題があるのですが、偏ったイデオロギー色が出やすい編集になりがちで、中立性にするバランスを取るのが難しいので当方としてはあまり楽しくない編集ですが、執筆した以上責任を持って完成させる為に編集回数を数多く重ねてしまいました。本当にまずいやり方をしていると反省しなければなりません。ところで、扱っている問題が問題ですのでいたしかたないのですが、IPユーザーによる執拗な編集が目立ちます。当方にも落ち度があるのですが、どうしても朝日新聞を批判したい意図がある編集を執拗にされます。このままでは編集合戦になるので問題箇所はフレームアウトにしたのですが、同じIPユーザーは「核武装」の節においても田母神を批判した注釈を削除しています。IPが違っても文法が同じですのでIPアドレス可変ユーザーによる同一人物の執拗な編集の可能性もあるようにも思えますが、いかが対処すべきでしょうか。本当にこの項目は精神的に追い込まれます。--Carpkazu 2009年9月20日 (日) 17:35 (UTC)

精神的に追い込まれる理由が分かりません。検証可能性のない記事、引用元の確認できない記事、投稿者の見解と読めてしまう記事(「~と思われる」「~と見られる」「~と考えられる」「~であろう」「~との意見もある(引用元なし)」などに執拗に[要出典]を塗布するなり、『検証可能性なし』なり『独自研究』なりの理由で執拗にリバートするなり楽しめば宜しいのでは?記事を発展させなければならない義務・責任は誰にもありません。--大和屋敷 2009年9月20日 (日) 21:10 (UTC)
>大和屋敷さん、『検証可能性なし』なり『独自研究』なりの理由で執拗にリバートするなり楽しめば宜しいのでは?といわれますが。ですが、要出典になっている部分を調べなければならないという部分が精神的苦痛でして、執拗にリバートされるのが嫌なんです。だからこそ要出典の添付はしません。どうしてそのような編集をするのかを考えなければならないと思います。だからこそ出典を出す必要があります。それに自分が関わった以上はある程度けりがつくまでの責任は少しあります。もっともよい方向に編集されているなら、放置プレイに徹すればいいでしょうし、もう関わりたくなければほっとけばいいだけです。建築様式の項目ように画像があって見れば文章の根拠になるといったものでしたら楽ですね。--Carpkazu 2009年9月21日 (月) 00:29 (UTC)

さんざん田母神批判をするネタを執拗に集めて執着しておきながら、反論を書かれると「朝日新聞を批判したい意図」でコメントアウトとはこれまたいかに。中立性が聞いて呆れますね。Carpkazuさんも広島県民として田母神を批判したい気持ちも理解できますが、ちょっと行き過ぎの感が出ているので、少し冷静に。--220.147.34.230 2009年9月21日 (月) 03:57 (UTC) また、私が除去した部分は、記事に関係ない冗長なものか、もしくはCarpkazu氏自身の主張となってしまっている部分です。良くお考えください。--220.147.34.230 2009年9月21日 (月) 04:00 (UTC)

わかりました220.147.34.230さん。自己による「独自研究」部分を削除しましたので、今回はこれで終了としましょう。もっとも田母神氏の主張はどうあれ、彼は人柄自体は部下思いの上司であるとは思います。--Carpkazu 2009年9月21日 (月) 04:15 (UTC)

出典のない解説部分の除去は理解できますが、なぜ日本会議の朝日記事に対する反論まで消したのか。一方の反論を消すというのはPOVでしょうに。--220.147.34.230 2009年9月21日 (月) 04:18 (UTC)

すいません、自分の記述と思い誤まって消していました。ペアで消したので良いとは思いますが。--Carpkazu 2009年9月21日 (月) 04:23 (UTC)