コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:甲府道祖神祭礼

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

画像について

[編集]

さかおり様、画像提供ありがとうございました。哀しいかな人っ子ひとりいない画像ではありますね。わがままを言わせてもらえば、現存する道祖神幕絵の飾らられていた緑町一丁目・遊亀通りの画像もあるとよさそうです。--でここ 2011年2月13日 (日) 10:59 (UTC)[返信]

でここ様、当初添付されていた岡島百貨店前の画像よりも、記事内容から八日町通りの画像のほうが適していると思い、今朝撮影をしたのですが、ご覧の通り人っ子ひとりいない画像ではあります。この通りは現在では歩行者も少なく、今朝も車の往来の隙を狙って撮影したのですが哀しい事に、これが甲府の現状ではあります。なお、道祖神幕絵が飾られていた緑町一丁目とは現在の遊亀通りの濁川に架かる緑橋(旧甲府商工会議所の南)付近なのでしょうか?おおよその位置をお知らせ頂ければ近日中に撮影したいと思います。--さかおり 2011年2月13日 (日) 12:44 (UTC)[返信]

さかおり様、返答ありがとうございます。そうですね、おおよそ緑橋の位置あたりで大丈夫です。山梨県博の『歌川広重の甲州日記と甲府道祖神祭 調査研究報告書』p79には幕絵の飾られていた位置が比定されていますから、事前に確認されておくと間違いないかもしれません。--でここ 2011年2月13日 (日) 13:11 (UTC)[返信]

了解しました。緑橋付近からの遊亀通り画像を近日中に撮影したいと思います。--さかおり 2011年2月13日 (日) 13:48 (UTC)[返信]

旧緑町(緑橋歩道橋上から北望)遊亀通り画像追加しましたが、適切な画像位置ではないかもしれませんので適宜編集をお願いします。--さかおり 2011年2月15日 (火) 02:03 (UTC)[返信]

甲府市魚町の道祖神について

[編集]

甲府市中央魚町の道祖神は神体が木造の祠に入っていて県内では珍しい事例らしいのですが、私もそのうち画像を撮影しにいきたいのですが、正確な場所はどこなんでしょうかね。できれば2月の小正月行事の際の写真が欲しいのですけど。グーグルマップで調べる手もありますね。地元の人に聞いてもいいのですけど。--でここ会話2014年12月30日 (火) 14:29 (UTC)[返信]

でここさん、興味深い加筆を読ませていただきました。魚町の木造祠に入った道祖神というのは初耳です。丸石の道祖神は他地方にもあるのかもしれませんが甲府盆地の道祖神特有の物のような気がします。旧魚町はそんなに広いエリアではありませんので、私も機会を見て急がずにのんびりと探してみますね。--さかおり会話2014年12月30日 (火) 15:37 (UTC)[返信]
さかおり様、ありがとうございます。実は山梨県博の常設展展示替え情報を見ていたら魚町道祖神祠とあって、これはなんだろう?と思って調べていたら甲府城下特有の形態だとわかった次第です。来年は山梨県の道祖神も立項したいところですね。--でここ会話2014年12月31日 (水) 02:32 (UTC)[返信]
甲府魚町の道祖神木造祠ですが所在地が判明しました。しかし、今朝(2015年2月11日)現場を確認したところ、残念ながら既に撤去移設?されており、山梨県博の預かりとなっているようです。かつての所在地は魚町通り北部の高橋魚店南側です(富士川小学校入口交差点の南側の道路西沿いです北緯35度39分44.12秒 東経138度34分29.2秒 / 北緯35.6622556度 東経138.574778度 / 35.6622556; 138.574778)。参考外部URL[1][2][3]などで画像は確認できます。これらはすべて2013年の内容なので、魚町道祖神木造祠はつい最近(1-2年以内)撤去されたものと思われます。ちなみにグーグルのストリートビューで現場を見ると、木造祠がまだ残っております(2015年2月現在)。恐らく道路拡張のため撤去されたものと思いますが、現在は山梨県立博物館が預かっているようです。参照[4][5]。県博の説明でも所有者は「県博」でなく「甲府魚一自治会」でありますから、将来的には元の場所(魚町)付近に戻して整備する可能性もあるかもしれませんね。そんなわけで画像を撮影することは現時点では残念ながら不可能でした。--さかおり会話2015年2月11日 (水) 03:43 (UTC)[返信]
さかおり様、ありがとうございます。ご足労をおかけしました。そうですか、現在は現地に存在していないのですね。googleマップと『やまなしの道祖神』展の図録を対象させてみましたが、現物と見て間違いないようです。地面に接してない屋根神ということはおそらく一時的に移転されただけで、将来的には戻ってくるでしょうね。はやいうちに気付いて撮影しておけばよかったです。--でここ会話2015年2月11日 (水) 08:06 (UTC)[返信]
でここさん、ありがとうございます。それにしてもこんな面白いものがあったのですね。この魚町通りなどはこれまで何百回と自転車や車で往来しているのに、まったく気づかず通り過ぎていました。こうして改めて考えてみますと山梨県の道祖神というのは興味深いですね。特に甲府盆地各所にある「丸石の道祖神」は子供の頃から見慣れていたもので、これまでは気にも留めていなかったのですが、少し調べただけでも奥が深く面白いものだと認識を新たにしました。いずれ将来的に執筆編集できたらと思います。--さかおり会話2015年2月11日 (水) 09:06 (UTC)[返信]
さかおり様、どうもです。山梨の道祖神については県博なども開館以来注目しているところですが、小正月には各地で多様な飾りものが作られますし、祭祀の形態も多様ですね。山梨の郷土研究においては中沢厚氏であるとか上野晴朗氏であるとか、戦後くらいの郷土研究において盛んに研究されていて、木喰仏と並んで郷土研究の原点みたいな感じがあります。それだけに研究史が非常に厚くて、なかなか全体像を理解して記事に構成していくのが大変で、なかなか手が付けられないところです。--でここ会話2015年2月11日 (水) 10:33 (UTC)[返信]