ノート:甲陽学院中学校・高等学校
出身者が「故郷」を再確認して自らを律することに繋がる記事にもなってほしいと思っています。昨今の、大学環境の乱れを憂慮してのものです。
学校の精神や文化の側面を主体にすべきだと思っています。大衆に開かれていて、かつ金が絡まない場であるからです。受験産業による勝手な烙印に対抗するためにも、甲陽だより、新聞、論文、著書など卒業生、過去の教職員及び外部の方(地域)を主体にしっかりと書くべきことを書かなければなりません。--Tokyokoyo(会話) 2016年6月10日 (金) 09:16 (UTC)
学院沿革の項目で 「1993年(平成5年)8月:阪神大震災の影響を受けた中学校において従来の校舎の東側に新校舎竣工。」 とありますが、阪神淡路大震災は1995年だったと思うので、辻褄が合っていない気がします。年が正しいのか、震災の影響の記述が正しいのかが不明なため直せませんが、ご存知の方がいらっしゃれば直していただければと思います。 --61.114.218.176 2011年2月27日 (日) 04:55 (UTC)
一般的に、今、現在のことというのは記事にできるほど熟していない、形になっていないので、どうしても昔の内容が多くなり、強い印象を与えてしまうかもしれません。致し方ないことです。公式HPリンクなども活用して現在を反映できるように努めました。学校紹介として不要な表現が多いというご指摘がありましたが、具体的にどの部分かを理由とともに示して頂ければと思います。--Tokyokoyo(会話) 2016年6月6日 (月) 08:18 (UTC)
出身者について
[編集]回数表記を提案します。理由は三つあります。 1、見やすい 2、甲陽だよりでは回数表記が主 3、中退者について記載しやすい
利用者:Tokyokoyo様の編集について
[編集]利用者:Tokyokoyo様の編集方針に納得ができません。
大言壮語であろうと思われる部分を引用します。
- 「官立中心だった旧制中等教育界に、自由主義の風を吹き込んだ」
- 当時、自由を重んじ生徒の個性をのびのびと伸ばす学校、裕福な子弟の通う学校という評判があった
- 現在は、夙川沿いにあり、関西学院、六甲学院、神戸女学院などとともに、阪神間文教都市西宮市の象徴的な存在となっている
- 自然豊かな環境を特色としてきた
- このような沿革の帰結として「甲陽の文化」と呼ぶに値するものが醸成している
- 芸術薫る校風を目指しており、
- だが、その酒造家ならではの精神は、本学院の精神に陰に陽に影響を与えてきた[1]
- 本学院は時代の変化においても時代に競わずあえて何もしないことを是としている
- 学院歌の「山に問えば山は答え、海に問えば海は答える」という意味の描写は象徴的である
- その後、幾多の時代の変化、山海川の豊かな自然環境を通して、「甲陽の文化」と呼ぶに値するものが醸成している。文教都市西宮市の一つの象徴となっている。
- 銘酒の醸成を反映するような落ち着いた精神性が結晶し、時間がゆっくりと流れている
- 他者の自由の尊重などイギリスのパブリックスクールに通じる姿勢を持つ
- 根源への意識および一歩一歩踏みしめて高みを志す精神の陶冶が期待されている[2]
- 中学校の音楽の授業は規律ある人格の陶冶の場にもなっている
また、不要な表現:
- 休み時間や放課後にこの曲を熱心に練習する生徒が多く、
- 放課後に歌唱や楽器演奏をさらに練習することもできる
- 放課後に各競技をさらに練習することもできる
また、進学・入試の節で旧制の記述を盛り込んでいるのはなぜですか?興味深くても、パッと「甲陽学院中学校・高等学校」の記事を一般の人が見たときに見たいこと、優先されるべき項目というのは、
- その学校がどのような建学の精神で、どのような経緯で設立され、現在に至っているか
- どのような指導方針なのか
- 在校生の学校生活の様子
- 学校行事とその特徴、様子
- 現在の進学状況
- 現在の入試の状況
ではないでしょうか。現在の状況と並立した場所に70年以上も前のことを記されて、望んでいる人は一人もいないと思います。
せっかく書いていただいた記事を活かしたいし、活かすための私からの案として、「校史」という節を設け、そこに委細の内容や旧制時代はこうだった、それで今に引き継がれている、という構成なら分かるのですが、2016年6月6月現在の利用者:Tokyokoyo様による版では、書き手と読み手の温度差があり、いかにも内部の卒業生が書いたのだろうと推察される文章であり、これから甲陽を受けようとする小学生・父兄や、どのような学校だろうと知りたい、教育に関係のある人ない人、卒業生や関係者でWikipediaではどのように書かれているのだろうと読んでみたい人向けの説明になっていません。甲陽学院は本当に素晴らしい学校ですが、偏差値や校風を問わず、ここまで独善的な文章にされてしまうWikipediaの記事の学校を見たことがありません。申し訳ないけれどいかにもうちだけが素晴らしいのだという鼻についてしまう文章で(多少の見栄程度ならそれはそれで味のある文章なのですが)、学校の魅力や特徴を伝える文章として、品性のある文章となっていません。私の意見ですが。
蛇足ですが、校風や所在地、境遇などは違いますが、参考になる(かもしれない)事例として、例えば、
- 灘中学校・高等学校
- 六甲学院中学校・高等学校
- 淳心学院中学校・高等学校
- 洛星中学校・高等学校
- 東大寺学園中学校・高等学校
- 奈良学園中学校・高等学校
- 広島学院中学校・高等学校
- ラ・サール中学校・高等学校
- 開成中学校・高等学校
- 麻布中学校・高等学校
- 武蔵中学校・高等学校
- 雙葉中学校・高等学校
- 早稲田大学高等学院・中学部
などは、2016年6月6日現在、ほどよく学校のよさを伝えるものであり、表現が華美に過ぎず、学校紹介の文章として品性ととれたもののなっています。といっても私の意見ですが。そして2016年6月6日現在、これらの学校と比べる必要もないですし、甲陽は甲陽ででよいのですが、それにしても表現の華美の目立つ記事となっています。
私も記事「甲陽学院中学校・高等学校」の記事改変に(ときによっては大きく)参画してきた一人であり、新しくてよい編集方針に対しては受け入れていく必要があると思いますが、利用者:Tokyokoyo様1人による一方的な編集に憂いを感じております。利用者:Tokyokoyo様含め、甲陽に関係あるない問わず、第三者の意見を聞いてみたいと思っているところです。 --121.113.165.109 2016年6月6日 (月) 18:37 (UTC) - 賛成します。--Tokyokoyo(会話) 2016年6月7日 (火) 06:36 (UTC)
まず要望に応えていただいたことに感謝します。ご指摘、ごもっともであります。ご指摘いただいた点も踏まえていい記事作りに努めていきます。しかし、私は甲陽関係の人間であるゆえどうしても「色」や頑なさが出てしまいます。(この頑なさにより、利用者:121.113.165.109様の気を煩わせてしまったならば謝ります。)そこで提案があります。ここはせっかくのインターネットという場の上であるので、ある程度、不特定多数の目に晒し、時のふるいにかけてみてはいかがでしょうか。2、3人の人間の話し合いは即効性はありますが、不安定になりがちです。--Tokyokoyo(会話) 2016年6月7日 (火) 06:36 (UTC)
指摘して頂いたことも踏まえて、編集してみました。とりあえずこの形で信を問います。この記事は一日に200ほどのページビューがあるようなので一週間ほど待つことにします。--Tokyokoyo(会話) 2016年6月10日 (金) 09:28 (UTC)
利用者:Tokyokoyoの方針
[編集]総論
[編集]記事は客観性が命でありますが、やはり「人間」の営みであります。ゆえに、読者の人間性を啓発できるような、「励まし」の記事こそがいい記事であると思っています。 この「甲陽学院」の記事を読む主体に、卒業生、在校生、教職員という内部の人間がいます。内部の人間が読むことで、襟を正したり、向上することができるような記事にしたいと考えています。外部の方の目には「不要」に見える情報も、内部の人間にとっては価値であるということもあります。
(追記) 現状、大学での倫理が大いに乱れています。その背景の一つには中等教育機関の乱れがあります。私も「憂い」ています。「憂い」の重層性です。乱れの直接的な原因として、教職員の粗暴な圧迫、外部による過度な学校比較や序列化の横行などがあるでしょう。生徒を辱めてまで進学やスポーツ大会に追い立てる教職員もいるでしょう。このような状況を踏まえ、あえて建学の精神、創立者の精神、校風などを強調しました。教職員や卒業生が自分を見つめなおすきっかけになってほしいと願っています。他の学校の記事もこのような意識を持ったものになってほしいと思っています。
各論
[編集]- 項目について
過度なカテゴライズはかえって分かりにくくなる恐れがあります。分析しすぎず、総合しすぎずの均衡として、「文化」という項目を設けました。100年にわたる地域との介在を考えると「文化」という言葉が妥当かと思いますがいかがでしょうか。
- 概要について
概要は全体の記事の要約です。概要それだけで成立するようにしなければなりません。以前の概要は、どうもその面が弱いように見えたので、改変を施した所存です。
- 地域
神戸市にあると誤解されていることが多いので阪神間、西宮市ということにストレスを置きました。
- 進学
新制時代について1953年から現在までについて加筆しようと思います。
なぜ旧制時代を強調するのか
[編集]旧制時代を特に取り上げているのは、旧制の30年間は甲陽の固有性を支えるものであり、甲陽に関心のある外部の方にとっても読むに値する情報だと思います。また、旧制時代について当時の出身者について失礼な誤解、風説が一部に流布しているためです。--Tokyokoyo(会話) 2016年6月10日 (金) 08:28 (UTC)
大言壮語というご指摘について
[編集]- 「官立中心だった旧制中等教育界に、自由主義の風を吹き込んだ」
-文学的趣が過ぎた表現であったかもしれません。見直します。
- 当時、自由を重んじ生徒の個性をのびのびと伸ばす学校という評判があった
-何かを見るときに、原点というものは大事な要素だと思います。表現について見直します。
-地域なくして学校は成り立たないので、地域についての記述は必須だと考えています。表現を見直します。
- 自然豊かな環境を特色としてきた
- これは創立時からの生徒募集パンフレットにも前面に出されています。
- このような沿革の帰結として「甲陽の文化」と呼ぶに値するものが醸成している
- 先述のように、記事の要約ということを意識してこの表現を入れました。つまり、「文化」の項目のことです。
- 芸術薫る校風を目指しており、
- 表現を見直します。
- だが、その酒造家ならではの精神は、本学院の精神に陰に陽に影響を与えてきた[3]
- 経営母体の影響は無視できません。
- 本学院は時代の変化においても時代に競わずあえて何もしないことを是としている
- 本学院の方針の中でも最も重要なものであり、書くべきだと判断しました。内部の人間にとっても外部の方にとっても意味のある情報だと思います。
- 学院歌の「山に問えば山は答え、海に問えば海は答える」という意味の描写は象徴的である
- 歌は精神の反映です。やはり意味のある情報だと思います。
- 銘酒の醸成を反映するような落ち着いた精神性が結晶し、時間がゆっくりと流れている
- 「文化」ということを意識した上での表現ですが、客観性の保持が難しいことなので、不要かもしれません。
- 甲陽は「日本のイートン校たらん」というモットーを掲げましたのでその反映です。
- 根源への意識および一歩一歩踏みしめて高みを志す精神の陶冶が期待されている[4]
- なぜあの立地なのか、ということは外部の方にとっても価値ある情報でしょう。あの立地にはしっかりした哲学があるということを示したいと考えました。
書くのは人間であり、読むのも人間です。無機質になりすぎず、かつ、表現が過剰にならないように全体的に見直します。ご指摘感謝します。
- ^ 本学院を対象とした研究論文の(7)項から抜粋
- ^ 甲陽だよりなどの資料の第九代校長、第十代校長の言葉より
- ^ 本学院を対象とした研究論文の(7)項から抜粋
- ^ 甲陽だよりなどの資料の第九代校長、第十代校長の言葉より