ノート:畠山氏

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持国の養嗣子は誰か?[編集]

政長義就の上に、横に結ぶ線がありました。履歴を見ると長さが何度か修正されているようですが、スタイルによるフォントの違いによって、系図がずれて見えていた人がいたと思われます。私が修正したときには修正によって逆にずれていました。

この横線はおそらく、持国の後継者として政長と義就が争った件を表現しようとしたものと思われますが、系図だけでは何を意味しているのか不明確であり、かえって混乱すると考え削除しました。

しかしこれに関して調べたところ、見出しの件について疑問が発生したので、皆さんの情報を求めたいと思います。

Wikipedia上で調べたところ、持国、政長の項では持国の弟である持富の長男政久が持国の養子とされていますが、義就の項では養子となったのは持富であるとされています。Web上で検索したところ、戦国時代関連で著名なサイトである播磨屋のように、政長自身が養子だったとする記述も見られます。義就の項の記述が詳しく書かれているので、きちんとした出典があるのかとも思われますが、明示されていません。

また、政久についてはまだ記事が立てられていませんが、義就の項では畠山弥三郎としてリンクが作成されています。このサイトによれば、従来弥三郎とのみ伝えられてきて、諱は不詳だったようです。

ここら辺の関連記事の記述を整理統一し、政久(あるいは弥三郎)の項を新設できるとよいのですが。

--Hamo73 2007年3月4日 (日) 10:59 (UTC)(署名を忘れていたので追記)[返信]


多系統の畠山氏[編集]

確認できるだけでも4系統ありましたので、畠山氏 (源姓)は移動させて頂きました。このページ名も「畠山氏 (曖昧さ回避)」が良い「のではないでしょうか?--58.0.86.167 2008年6月28日 (土) 20:48 (UTC)[返信]

移動でなく分割でしょ。分割の場合は、前もって分割提案してください。Wikipedia:ページの分割と統合参照。Wikipedia:削除依頼/畠山氏 (源姓)‎。--fromm 2008年6月28日 (土) 21:04 (UTC)[返信]

分割の仕方がわかりません。なので、こちらに畠山氏系譜を載せます。--58.0.86.167 2008年6月28日 (土) 21:13 (UTC)[返信]

藤原氏系の畠山氏というのは、上条政繁の系統の畠山氏でしょうね。島津氏の系統の畠山氏というのはあまり聞いたことがないですが、もしかしたら畠山直顕長寿院盛惇と関係がある一族なのかもしれません。なのではっきりしたことが分かるまでは分割する必要はないと思います。--Kangoshiyouichi 2008年8月3日 (日) 15:21 (UTC)[返信]

島津氏の系統の畠山氏というのは、大名の島津氏から高家の畠山氏に養子が行ってた、程度の話のようだったので、わざわざ冒頭で言及するまでもないと判断し、整理しました。特に言及するのは源姓と平姓だけで十分でしょう。--Kangoshiyouichi 2009年3月28日 (土) 04:44 (UTC)[返信]

「畠山氏」を「畠山氏 (源姓)」に改名する提案[編集]

畠山氏には少なくとも出自の違う4系統の畠山氏が確認できます。そして、「畠山氏」のページには全部の系統の概略を載せるのです。如何でしょうか?--61.124.250.146 2008年6月30日 (月) 14:16 (UTC)[返信]