ノート:百万本のバラ

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原題について[編集]

原歌詞の中では Миллион алых роз という形で出ているのですが,Миллион Роз というのが原題ではないかと思います。本文中に記述されているビクターのCD(VDP-1335)を所有していますが,これのタイトルは(楽曲,アルバムともに)Миллион Розです。また,加藤登紀子の日本語版よりも早く,1985年頃にNHKのロシア語講座でこの歌が紹介された時も Миллион Роз というタイトルであったと記憶しています。HATO 2008年11月1日 (土) 00:33 (UTC)[返信]

Миллион Розの原曲に関して[編集]

本文を読むと、ヴォズネセンスキーがオリジナルの作詞者であるような印象を受けますが、この歌はもともとはロシア語の歌ではなく、原曲にはラトビア語で書かれたまったく異なる内容の歌詞が付いていたはずです。ラトビア語原曲の題はDāvāja Māriņaといったと記憶しています。以前はパウルスの公式サイトで原曲の歌唱が聴けたのですが、いま行ってみたところ音源が無くなっているようです。

ラトビア語版のウィキペディアを検索してみたのですが、ラトビアにlv:Mikrofona aptaujaという歌唱コンクールがあったらしく、Dāvāja Māriņaはこのコンクールで1981年にAija KukuleLīga Kreicbergaが歌い優勝したもののようです(当方ラトビア語はまるでダメなため、ページ体裁などからこう判断せざるを得ないのですが)。このページを見ると、ラトビア語の歌詞はLeons Briedis(属格かなにかの活用形になっている可能性有り)によって作詞されたとなっています。したがって、『Миллион Роз』自体はロシア語の歌であるものの、『Dāvāja Māriņa』としてこの歌に最初に作詞した人物がヴォズネセンスキーとは別に存在することになります。--Kamenj 2008年11月30日 (日) 05:47 (UTC)[返信]

上記の件(『百万本のバラ』はもともとラトビアの曲であること)を本文に記述したいのですが、これにあたり、利用者の皆さんの意見を募りたいと思っています。一ヶ月ほど待ってみてもし反論が無ければ記入いたします。
あと、作曲者の名前は「レイモンド・パウルス」ではなく「ライモンド・パウルス」ではないでしょうか?少なくともロシア語版ウィキペディアでは「Раймонд Паулс」の表記で彼の記事が作成されています。--Kamenj 2009年2月13日 (金) 02:51 (UTC)[返信]
少なくとも、「レイモンド」ということはないと思います。ロシア語なら「ライモンド」でしょうし、ラトビア語でもRaimonds Paulsだそうですので、「レイモン」にはならないと思います("rai"を「レイ」と読むのかどうかは知りません)。本文は、たんに誤植でしょうか(気づいていませんでした)。
『百万本のバラ』はもともとラトビアの曲であることについては、そう書かれた出典(できれば文献。無理ならweb出典)を明記できるのならば、今すぐにでも加筆していただいて構わないと思います。というよりむしろ歓迎されると思います。私もラトビア語はわからないのでなんとも言えませんが……。--PRUSAKiN 2009年2月13日 (金) 12:54 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。なるほど、おっしゃるとおり「レイモン(ないしライモン)」にはならない可能性がありますね。ですけれど、そのまま「ライモント」と表記できるのかどうか躊躇いたします。ラトビア語で語尾に置かれた「ds」をどう発音するのか分からないままでは如何ともカナ表記しがたいわけですので。(なお蛇足ですが、Raimonds Paulsの名と姓にある「s」は活用語尾として機能するようです。上記のlv:Mikrofona aptaujaのページには、Raimonda Paula dominanceという見出しがあります。)
出典についてですが、出版物文献にはまだきちんと当たってはおりません。ウェブ出典となしうるものでは、パウルスの公式サイトがあるほか、ページ ttp://byeryoza.com/topic/log2006/mara.htm が日本語訳と音源を伴っていていちばん扱いやすいのではないかと思うのですが、私はまだウィキペディアに来て日が浅いこともあり、これがウィキペディアの参考文献とするに足るものかどうかは自信がありません。せめてミクロフォンス放送局(Mikrofona aptaujaの開催元)の公式ページでもあればよいのですが。なお加筆そのものに関しては、現在多忙につき来月にならないと落ち着いて執筆する時間を作れないため「一か月ほど待ってみる」と記したものです。--Kamenj 2009年2月14日 (土) 10:08 (UTC)[返信]
私が「ド」について思うのは、「ds」は「ド」じゃないんじゃないかな、ということです。確かに、ロシア語について言えば「ライモンド」ではなく「ライモント」の方が原音には近いですね。なお、山之内重美先生の『ユーラシア・ブックレット31』を見たら、「ライモンド・パウルス」と表記されていました。ただ、ウィキペディアではいわゆる「中立的な観点」の問題から、必ずしもロシア語名を採用することが自明ではないので(つまりラトビア人についてはラトビア語名も考慮に入れるべきですので)、必ずしもこの表記にすべきというわけではないと思います(他の書籍でも漏れなくこの表記、というのなら「日本語での慣用」ということで決定してしまってもよいと思いますが)。
公式サイトは、内容が本人にとって都合のよいことばかり書いていないか(実際のことは言いとしても、事実を曲げて都合よく書いていないか)といった問題点がクリアできれば、ウィキペディアでも参照してよいと思います。参照が推奨されないのは一般の個人サイトでして、個人サイトはを利用する場合には、その内容についてより厳正に(執筆者が責任を持って)審査すべきです。特に推奨されない情報源をあげるとしたら、ウィキ形式のサイトや、掲示板形式のサイトなど、誰でも(悪く言えば無責任に)書き込めるサイトの類でしょう。一般雑誌(学術雑誌でない)の類もむろん推奨されませんが、それは内容によりけりだと私は思います。
詳しいことはWP:RSが参考になると思いますが、いかんせん長いし、変に英語版からの直訳なのでわかりづらかったりもします。それに、実際はそこまで厳しくやってないと思います。ですので、とりあえずはご自身で責任を持てる範囲で、「これは使える、信用できる」という情報源を参考にページを執筆するのであればOKだと思いますよ。責任というのは、「それはなんでですか?どこで誰が言ってるんですか?」といった質問をされたときにきちんと対応できる、いわば説明責任のことですので、そんなに硬くならなくても、きちんと情報源を読んで考えて書くという常識的なものの書き方をしていれば、特に問題が起こるような心配は必要ないと思いますよ。
ご多忙の件は了解です。お待ちしております。長々と失礼しました。--PRUSAKiN 2009年2月14日 (土) 10:43 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。まずは時間が取れるようになった時点でパウルスの名前の読みを調べてみようと思います。山之内さんのようにロシア歌謡に詳しい方が「ライモンド」と表記しているのなら、日本で手に入る資料のほとんどがそれを踏襲していそうな気もしますが。もっとも、加筆するにあたって肝腎なのは「『百万本のバラ』のオリジナルはラトビアの歌」ということ(およびその確実な裏づけをとること)であり、「パウルスの名前を原音になるべく近く表記するにはどうカナを充てるべきか」は、この際はオマケのようなものです。しかしいちど気づいてしまったからには見過ごすわけにもまいりません。ともあれこの度はいろいろご教示いただきありがとうございます。--Kamenj 2009年2月15日 (日) 13:46 (UTC)[返信]
問題の趣旨については諒解です。加筆するという方向でご検討いただけたらと思います。話を少しそらしてしまい、すみませんでした。--PRUSAKiN 2009年2月15日 (日) 16:22 (UTC)[返信]

お久しぶりです。3月に書くと記しておきながら、今更になって漸くラトビア語原曲の『Dāvāja Māriņa』について記述することができました。作曲者の氏名の読みは、ウィキペディア日本語版の「ラトビア人の一覧」を参照することで一応の解決としました。--Kamenj 2009年5月25日 (月) 15:36 (UTC)[返信]

ロシア語版の歌詞の真実性について[編集]

本文中に「グルジアの画家ニコ・ピロスマニをモデルとした実話」との表記がありその出典と思われるリンクがありますが、参考文献の「山之内重美著『黒い瞳から百万本のバラまで ロシア愛唱歌集』」(59ページ19-22行)では、「ヴォズネセンスキーの創作」と断じています。また、出典先[1]を読みましたが、それが事実である根拠ははっきりしませんし、その出典もありません。 山之内氏が「創作」と断じた経緯は不明ですが、’96-’99の間ロシアの声(旧モスクワ放送)に勤め、オクジャワ等、旧ソ連時代からの音楽・演劇人との交流も深い氏であれば、ヴォズネセンスキーとは何らかの接点があったかも知れません。 以上を踏まえ、ロシア語版の歌詞について、本文中での表記には事実説と創作説の両方を併記する必要があると思います。そうでなければ、記事の内容を参考文献が否定することになってしないます。--Touchey 2009年6月19日 (金) 16:00 (UTC)[返信]

Toucheyさんの解釈が正しいと思います。ただ、山之内先生の著書でも「全部創作」としているわけではなく、「着想は実話、脚色が創作」ということでしょう。
仰るとおり、山之内先生の著作の方が信頼性は格段に上です。それでもやはり(そしてこれも仰るとおり)、「山之内氏が「創作」と断じた経緯は不明」な点は信頼性に劣ると言えます。残念ながら、私は山之内先生の著書以上の信頼性を持つ出典を持ち合わせておらず(前にテレビ特集でも同様のことを言っていたような気がしますが、やはり信頼性は下)、その信頼性は専ら山之内先生個人に由来する信頼性でしかないでしょう。
ただし、出典先[2]も(仰るとおり)「それが事実である根拠ははっきりしません」から、事情は同じだといえます。
従って、仰るように最低でも両論併記の原則に従ってページを修正する必要がありますし、もっと思い切って編集すれば、信頼性が担保されない個人サイトを典拠とした既述を削除してもよいかもしれません(WP:NCの規定に基づく判断)。
まあそこまでしなくても、「実話に基づくとも言われる[3]が、物語の着想は事実でも細部は創作である」という具合にして本文に残してもよいでしょう。--PRUSAKiN 2009年6月23日 (火) 07:44 (UTC)[返信]
この項目、ウォッチリストに入れていたつもりが入っていなかったようで、議論の存在に今ごろ気がつきました。この歌については2008年11月1日の朝日新聞土曜版 be on Saturday Entertainment の「歌の旅人」というコーナーで扱われています。この記事はそのうち編集に役立てようかと思ってとってありました。
この記事に、この曲は元はラトビアの詩人レオンス・ブリエディスの作品のためのものだったと書かれています。で、ピロスマニのロマンスについてですが、1975年にエラスト・クズネツォフという研究者がピロスマニについての著作を発表し、その中でクズネツォフはマルガリータの実在性に強い疑念を呈していたそうです。ところが、この本が出版されるよりも前の1969年にパリで開催されたピロスマニの個展にマルガリータ本人と目される女性が現れる、という事件が起きていたそうで、このことは2007年にロシアの文化テレビ局が放送したピロスマニについてのドキュメンタリーで扱われた、とのことです。
このあたりのことは後ほど少し加筆しておこうかと思います。多少時間がかかるかも知れませんがご容赦下さい。もちろん、この記事を閲覧することのできたほかの方が先にやっていただいても構いません。--sergei 2009年6月23日 (火) 15:01 (UTC)[返信]
(追記)大切なことを言い忘れていました。この「歌の旅人」というコーナーは今年になって単行本化されています(ISBN 978-4022506078)。これに「百万本のバラ」についての記事も収録されているのかどうか知らないのですが、もし書店の店頭などで調べることが可能でしたら確かめてみて下さい。--sergei 2009年6月24日 (水) 14:40 (UTC)[返信]
議論への参加と貴重な情報の提供、ありがとうございます!
書店に行かれれば確認したいと思います。加筆お待ちしております。--PRUSAKiN 2009年6月26日 (金) 10:35 (UTC)[返信]
ご議論いただきありがとうございます。どうも、事実説が一方的に流布していて、頑に信じている(信じたい)方々が多くあるように(少なくとも私の周囲では)思えます。「マルガリータ」を描いたものは複数枚存在しているらしいので、女優マルガリータが実在であれば、一瞥限りの出会いではないことになりますし、実在でなければ、エピソード自体が架空のものということになります。
「歌の旅人」は2009年7月7日発売のようですね。それまで待ちます。--Touchey 2009年6月27日 (土) 10:26 (UTC)[返信]
(追記)上記には収録されていないようです[4]。--Touchey 2009年6月28日 (日) 09:15 (UTC)[返信]

取り敢えず真実性について資料からわかる限りのことを加筆しておきました。単行本の出版はまだこれからだったんですね。この歌のことが掲載されないのは残念です。いろいろ中途半端な調査で報告してすみませんでした。--sergei 2009年6月30日 (火) 13:50 (UTC)[返信]