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ノート:真田綱吉

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準緑さんの編集について[編集]

準緑様は残念ながら、現在はブロック扱いになっているようですが、かつて武田や真田関係をはじめ、戦国や日本史関係記事を多く編集していただいたお人のようです。編集にはきちんと参考文献とページ数も書いてあるのですが、たびたび真田記事などを見てチェックすると、しばしば誤りが見つかります。私もご指摘するつもりで控えを取ってないのですが、今回真田綱吉という人物が海野氏を継承していたという話は、該当ページをチェックしてみるとまったくそういうことは書かれてないです。こういうことが、記憶の限りでは何度かありました。

ですので、真田関係記事はいま一度全体的にチェックして、本当に記述と出典内容が対応しているから調べる必要があると思います。大河ドラマもだんだん近づいてきますし、やっておいたほうが良かろうと思うのですが。真田関係の文献を集めていて、編集に助力してくださる方がいればうれしいです。--でここ会話2015年4月11日 (土) 15:44 (UTC)[返信]

(追記)、さらに柴辻先生の昌幸伝を20ページほど読み進めたのですが、この「真田綱吉」さんという人の系譜もよくわからない。記事では海野氏の娘婿であるという真田頼昌の子で「幸隆」とは兄弟となってますが、本文中の引用系図や巻末の系図を見ても、綱吉さんの名前がない。さらに「左馬允」という官途に注目すると、海野氏嫡流の幸光という人が「左馬允」を名乗ってます。柴辻さんは海野氏は一時断絶したとして、この間に「幸隆」が海野氏を継承したという話を紹介しつつ、竜芳による海野氏継承までを記しています。しかし、この「幸光」という人物は立場上、海野氏を継承しうる立場の人物だろうとは思いますが、生島足島神社起請文によれば幸光は海野衆として連名で起請文を出しており、没落してるとあります。

今は手元にありませんけど丸島氏の編集された論集二冊を見ればもうちょっとわかってくるだろうと思いますけど、ただ、柴辻さんのご著作で掲示されてるページ数の情報を見ると、本文にもテンプレにもいろいろ典拠がわからない話が出てきます。こういうことが、たびたびあるなと正直思ってしまいます・--でここ会話2015年4月11日 (土) 16:05 (UTC)[返信]