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ノート:碓氷峠 (神奈川県)

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記紀の「碓日坂」は上野国・信濃国境の碓氷峠

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「歴史」の記述ですが、古事記のこの辺の記事に碓氷峠(相模のものも上野のものも)は登場しません。古事記で倭建命弟橘媛を偲んで「吾妻はや」と嘆くのは「足柄之坂本」(足柄山もしくは足柄峠)です。日本書紀では同じ記事は碓日峰(碓氷峠)でのこととなっているのですが、その前に 「甲斐より北、武蔵・上野を転歴して、西、碓日坂に逮(いた)ります」 とあり、その後、軍を2つに分けて片方は越国を通っているので、この碓日坂は上野国・信濃国境の碓氷峠ということになります。とは言え、神奈川県の碓氷峠にも日本武尊に関する伝承があるというのは確かなようですから、それはそれで書くべきかとは思います。ただ、上述のようにその出典は記紀ではないということになりますので、記述を直す必要があります。--nnh 2007年6月12日 (火) 15:33 (UTC)[返信]

同意見。東海道箱根道は1000年頃の富士山の噴火によって足柄道が使えなくなって整備されたもの。-- 2008年2月11日 (月) 14:52 (UTC)[返信]

久米邦武説:箱根の碓氷峠とヤマトタケル伝説

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この件ですが、真相が分かりました。この箱根の碓氷峠のヤマトタケル伝説は、もともとここにあったわけではなく、明治の歴史学者・久米邦武が唱えた学説により、記紀伝承が当地に結びつけられて出来たものでした。このため「歴史」の節を「ヤマトタケル伝説との関係」に改名し、その観点から改稿しました。なお「正確性」テンプレートに関しては、念のためもう少し突っ込んで調べてみてから外します。--MasakiTomasawa 2009年5月6日 (水) 14:45 (UTC) / 一部加筆 --MasakiTomasawa 2009年5月6日 (水) 14:56 (UTC)[返信]

報告 追加調査により、久米邦武以前に箱根の碓氷峠とヤマトタケル伝説を結びつけた人物がいないことが確認され、現在の記述にほぼ誤りがないことの裏が取れました。このため追加調査で出て来た事項を増補した上で、「疑問点」「正確性」の警告テンプレートを除却させていただきます。--MasakiTomasawa 2009年5月7日 (木) 09:36 (UTC) / テンプレート名間違い修正 --MasakiTomasawa 2009年5月7日 (木) 09:41 (UTC)[返信]