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ノート:神奈川県警察部

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「戦前」という表現

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本件は、利用者‐会話:36.3.180.188 の討論の続きです。当方「神奈川ブイフレッツ」(先の利用者ページでは 36.3.180.188 というIPアドレス・ユーザーであった)は下記の通りに提案するものです。全国の各県の警察部の概要文として共通に書かれてある「○○県警察部は、戦前の内務省監督下の○○県が設置した府県警察部であり…」という表現の「戦前の」という表現について、「大日本帝国の」という表現にすることを提案するものです。その目的は下記の通りです。
(1) 時代に依存しない表現:「戦前」という表現は、将来、日本が大きな戦争にあった場合でも曖昧さが含まれる表現である。あいるは、日本が戦争の当事者でなくとも、世界秩序に大きな転換点となるような世界規模の戦争が将来あった場合、「戦前」「戦後」という言葉は曖昧さを持つ。
(2) 日本語を母語としない読者が日本語版を読む場合への配慮: 日本の歴史に明るくなく日本語を母語としない人がこの記事を読んだ場合に、「戦前」「戦後」という表現よりも「大日本帝国」や「太平洋戦争前」「太平洋戦争後」などの表現の方が分かりやすい。
(3) 外語版への翻訳などへの配慮: これらの記事を外語版に翻訳する場合に、「大日本帝国」や「太平洋戦争前」や「太平洋戦争後」などの表現の方が曖昧さが含まれない表現である。とりわけ、(1) の件も合わせて考えると、遠い将来に、(たとえば50年後に)これらの記事を外語版に翻訳する場合などには、曖昧さが含まれない表現の方が好ましいと思う。
これに対して、利用者 uaa から異論があがり、討論が行われました。当方がまとめるところでは表5.のとおりです。

表5. 利用者uaaと利用者神奈川ブイフレッツの討議のまとめ(神奈川ブイフレッツ による)
利用者uaaの主張 左に対する利用者神奈川ブイフレッツの回答 左に対する利用者uaa の見解
(1)について
ウィキペディアでは、Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わないは求められているが、”時代に依存しない表現”など求められていない。あるかどうかわからない未来の事象やウィキペディアが存在するかすらわからない50年後なんか考慮していてはキリがないし、それによって表現が一般の日本語から乖離したらそれこそ本末転倒である。
また、「時代に依存しない表現」必要なし。そこまで日本語が変化するような遠い未来なら、その時代における適切な表現など誰にもわかるはずがなかろう。「戦前」が遠い未来の人には理解されないが、「大日本帝国」は理解されるなどと予言できるのか?個人の妄想によって生み出された仮想の事態など一切考慮するに及ばず。
「被災地」という表現で考えると分かりやすい。阪神大震災後であれば「被災地」という語は兵庫県付近の地域を指す言葉であっただろうが、東日本震災後は、福島や宮城県などの地域を指す言葉となっている。それから今後、更に同様の大きな災害があった場合「被災地」はその地域を指すことになる。「戦後」も同様であると考える。これから先、歴史の転換点となるような戦争があった場合「戦前」「前後」はもはや、太平洋戦争を指す言葉ではなくなるだろうと考える。
また、仮に将来そのような出来事が起きないとしても「大日本帝国の…」という表現の方が (2) (3) の点で好ましい。
将来については、考えること自体無意味。未来の人がその時代に適さてな表現に直すべきであり、我々がするべきことではない。
(2)について
ウィキペディア日本語版は日本語の読み書き能力を前提としてるのであり、日本語能力に乏しいものへの配慮は不要。Wikipedia:日本中心にならないようには、日本語の読み書きはできるが日本人ではない人への配慮であって、通常の日本語を理解できない者への配慮ではない。日本の事象であるということが文脈上明確であればそれで充分。
日本語版の記事を読むのが日本人だけではない。例えば、ワルシャワ大学の日本語学科の大学生が読む場合もある。日本語を学ぶ“日本ファン”の非日本語圏の人が日本語版の記事を通して日本の歴史を学ぼうとする人もいるだろう。「戦前の」を「大日本帝国の」に置換した表現は、それらの人に配慮した表現であり、日本の歴史とりわけ戦争に関する歴史についての知識の大小に依存しない点で「戦前の」という表現よりも優れていると考える。この表現は、時間的には長いスパンで、空間的には広い視野で考えたものである。ただし近視眼的に見れば現状のままでもよい。
(3)について「外語版への翻訳などへの配慮」なんてルールがウィキペディアのどこにある?ないものはないとしか言いようがない。必要だと思うなら、然るべき所に提案して、新しいルールを作るべき。 全ての活動が明示的なルールに基いて行われているわけではない。逆に「外語版への翻訳などへの配慮」を禁止すルールが存在するわけでもない。今回の変更内容は表現を変更する一般的な編集であることは明白であり、敢えてそれを正当化するルールを作成するのは不適切である。外語母語話者や外語版への翻訳などへ配慮した表現へ変更することは、読者の益を図る利他的な取り組みである。
各県警察部の前進「第四課」が創設した(1875年)のは、国が「大日本帝国」と称される前の状態の内務省であり、「大日本帝国」の内務省が創設したわけではない。大日本帝国が成立したのはその後の 1889年 である。 「戦前の」を「大日本帝国の」に置き換えた後の文は「○○県警察部は、大日本帝国の内務省監督下の○○県が設置した府県警察部であり…」となるが、これは、下記の通りに歴史的事実の記述として正しい。
  • 【狭義での解釈】字義通り解釈したとしても正しい歴史の記述となっている。(1890年の歴史の記述として正しい。)
  • 【広義での解釈】また、警察部と第四課を同一のものと見なすならば、大日本帝国とその前身の暫定政府を同一のものと見なすのが自然であり、当該文をそのように解釈した場合でも正しい歴史の記述となっている。(1875年以降の歴史の記述として正しい。)
表1. 本件に関係する歴史の出来事
項目出来事
王政復古1868年1月3日(慶応3年12月9日)明治天皇が、王政復古を宣言。
内務省1873年11月10日に設置された。
第四課1875年(明治8年) 各府県庁に第四課(警察担当)を設置。
大日本帝国1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布時に憲法典の名称として使用されたことから権威づけられ。
警察部1890年(明治23年) 警察本部を警察部に改称。

また、「○○警察部は、大日本帝国の内務省監督下の○○県が設置した府県警察部である」という表現によって、「第四課」設置当時に既に大日本帝国が存在していたかのような印象を読者に与えると思うのであれば、補足なる文を追加すると良いかもしれない。例えば

「○○警察部は、大日本帝国の内務省監督下の○○県が設置した府県警察部である。その前身である第四課は同帝国成立前、暫定政府の内務省によって1875年に設置された。

などである。こうすれば、事実を誤認することはないだろう。
広義での解釈を、当該箇所に適用するのは不適切であり、結果として置き換え語の文の内容は出鱈目。
また、補足の文を追加した案については、論外である。第四課が改名を繰り返して警察部になったのであって、府県警察部が大日本帝国内務省と名乗るようになった組織によって新設されたのではない、このような苦しい釈明を記さなくても済むのが「戦前の~」という表現であろう。デタラメを織り交ぜてまで”大日本帝国”に拘泥する理由が理解できない。
そもそも、表現の正当性を主張するのに斯様な長文の言い訳を必要としているという時点で駄目だろう。それ以前に、言い訳にもなっていない。
「大日本帝国の内務省」という表現は日本語として意味をなさない。また日本語ネイティブに違和感を感じさせるトンチンカンで珍妙なものである。文章本来の意味を歪めたり、意味不明にする。現在「大日本帝国の内務省」という表現は一般的に使われていない。
  • この表現は、二つの名詞「大日本帝国」と「内務省」を助詞「の」でつないだものであり日本語として自然な表現である。また、構成要素のそれぞれ「大日本帝国」と「内務省」も日本語として存在するものであり、一般の書籍や百科事典でも使われるものである。日本語版ウィキペディアにもこの名前の項目が存在し、その意味が分からなければ、それぞれの項目を参照して調べることもできる。
  • 「エジプトの内務省」「インドの内務省」など「(国名)の内務省」という表現は、現在の多くの報道機関でも使用されており、一般に理解される表現だと考えられる。同様に「大日本帝国の内務省」という表現も一般に理解される表現だと考えられる。
(具体的な証拠として)「大日本帝国の内務省」の用例(が)なければ話にならない。以後、最低でも「大日本帝国の内務省」の用例が示されなければ、回答には応じない。但し、編集が強行されれば、議論の攪乱及び対話拒否とみなして対処する。

上記の内容から、話が堂々巡りしており前に進まない状況です。当方は、上記の通りの目的と論拠を提示した上で、利用者uaaに対して、「戦前の」を「大日本帝国の」に置換した場合に起きる(だろうと利用者uaaが考える)具体的な問題点(★)を提示するように再三求めましたが、「根拠がない」「出鱈目」などと繰り返すばかりで、問題点の具体的な提示はありません。そしてついには、議論を放棄してしまいました(2014年1月5日 (日) 12:20 (UTC))。[返信]
そこで、当方の提案内容について第三者の意見を頂きたく思います。--神奈川ブイフレッツ会話2014年1月6日 (月) 15:13 (UTC)[返信]

コメント コメント依頼から来ました。
  • 第1に「戦前」という表現が不適切かどうかについては、Web辞書で検索してみると、例えば大辞林第三版およびデジタル大辞泉で示されているように『特に第二次大戦前』を指すとされており、不適切とは言えない表現だと考えます。
  • 第2に今回問題となっている箇所については、そもそもその次の内務省と、「1948年(昭和23年)3月6日に廃止」という記述で十分であり、冗長だと考えます。
単純に「戦前の」を除去することで合意できませんか? --アルビレオ会話2014年1月6日 (月) 23:28 (UTC)[返信]
コメント コメント依頼を見ました。「戦前」という言葉自体は日本語として定着しているため、「現在の」日本語では不適切とは言えませんが、「大日本帝国の」も厳密には正確とは言い難いように思いました。「第二次世界大戦前の」も、戦争状態の終結時期と内務省の解体時期は一致していないため、正確とは言いにくいです。と言うわけで、私もアルビレオさんに同意します。--ろう(Law soma) 2014年1月7日 (火) 01:06 (UTC)[返信]
提案者の神奈川ブイフレッツです。コメントありがとうございます。あるいは誤解があるかもしれませんので補足いたしますが、私の提案は「戦前の」が不適切だ言っているではありません。言いたいのは、(1)~(3)の点を考慮したもっと良い表現があるのではないかかということです。その表現として提案とたのが「大日本帝国の」という言葉です。また補足文も追加して全体として、
(現状)「○○警察部は、戦前のの内務省監督下の○○県が設置した府県警察部である。」
(提案1)「○○警察部は、大日本帝国の内務省監督下の○○県が設置した府県警察部である。」
(提案2)「○○警察部は、大日本帝国の内務省監督下の○○県が設置した府県警察部である。その前身である第四課は同帝国成立前、暫定政府の内務省によって1875年に設置された。」
という文にすることを提案しているものです。よろしくお願い致します。--神奈川ブイフレッツ会話2014年1月7日 (火) 12:39 (UTC)[返信]

「戦前」では、その区間の終わりは大体了解するものの、開始があいまい、というか、日露戦争の前まで含む言葉なのか疑問に思います。 「○○警察部は、明治政府の内務省監督下の○○県が設置した府県警察部である。」あたりを推したいです。--T6n8会話2014年1月8日 (水) 16:41 (UTC)[返信]