ノート:神宮式年遷宮

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

節「遷宮の意義」の著作権について[編集]

「遷宮の意義」の項目は http://sengu.navi-ise-matsusaka.com/ のコピペでは? --59.86.123.16 2006年7月6日 (木) 06:54 (UTC)[返信]

当該項目を執筆した者です。当該項目は神宮の資料は参照しましたが、全て自分で書き上げたものです。これだけの文章の偶然の一致は有り得ないと思われますので、「どっとこむ」の方がコピーしたのでしょう。傍証としては、履歴を見てもらえれば分かるとおり、2005年10月21日6:13に初稿[1]を掲載した後、同月24日0:32に[2]、同31日3:10に[3]と変更しています。そして、その最終版と、「どっとこむ」とが同じ文章というわけです。各段階での変更内容を見てもらえれば、最終版のみ「どっとこむ」の文章をこちらがコピペしたとは考えがたく、よって、こちらの文章を向こうがコピペしたものと考える方が蓋然性が高いことは、理解していただけるかと思います。その証明としては、向こうのHP上で公認してもらえればそれに越したことはないのでしょうが、そのためには、メールを送る必要があり、アドレスを曝すことになるので気乗りしません。(59.86.123.16さんが送ってくれるのであれば感謝します。) --短髄彦 2006年8月21日 (月) 05:04 (UTC)[返信]

三ツ尾伐りについて[編集]

御杣始祭の記事中、「三ツ尾伐り」は「三つ紐伐り」の誤字であるとの訂正がなされましたが、神宮の公式サイトの御杣始祭のページ[4]で「三ツ尾伐り」と記載されており、神宮の祭事としては「三ツ尾伐り」が正しい表現と思われます。但し、地元木曽では、「三つ紐伐り」という言い方も確かにしているようですので、revertではなく、追記という形で訂正しました。--短髄彦 2006年9月8日 (金) 09:25 (UTC)[返信]

古殿地について[編集]

明治5年(1872年)、神宮司庁内の検討において、従前の古殿の存知を「非情の備え」のためのものであったと解釈」とありますが、存知⇒存置、非情⇒非常、でしょうか? --忠太会話2022年2月20日 (日) 02:06 (UTC)[返信]