ノート:神野正英

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1973年の成績について[編集]

保阪正康氏の著書『100メートルに命を賭けた男たち』に基づき、「5月25日の日本選手権では手動計時で10秒0、電気計時で10秒26というタイムで優勝したが、風速が追い風2.2メートルとされ、参考記録にとどまった。」と記しましたが、当時の新聞縮刷版で確認したところ、

  1. この年の日本陸上競技選手権は6月1-3日に千葉県営陸上競技場で開催されている。男子100mの決勝は6月3日で、優勝した神野氏のタイム(手動計時)は10秒3(毎日新聞縮刷版1973年6月)。
  2. 5月25日に新聞で報道されるような陸上競技大会は開催されていない。

ということが判明したため、記述を除去しました。保阪氏の著書は図書館から借りて加筆したのですが、そのときから9年が経過しており、改めて確認することといたします。--Unamu会話2023年3月12日 (日) 08:36 (UTC)[返信]

図書館から現物を借りてきました。該当箇所を以下に引用します。
日本に戻って十日ほど経た(引用者注:1973年5月)二十五日、千葉で日本選手権が開かれた。(中略)決勝にのこったスプリンターは八人。(中略)
このときのスピードののり具合は、神野自身にも異常なほどであった。(中略)ゴールテープを切ると、日本陸連のコーチやスターターの佐々木吉蔵が駆け寄ってくる。考えられない記録がでたというのが神野にもわかった。
計時員のストップウォッチは三人とも10秒0をさしている。電気計時では10秒26。(中略)
「だが、このとき追い風二・二メートルだったんです。それで公認はされませんでした。いまこんなことをいうと愚痴っぽくなりますが、公認記録として認められる追い風二メートル以内であっても、あの記録はだせたと思っています。スプリンター生活のなかでもあれだけは会心のレースで体力も気力も充実していましたから……」
いまも神野はこの話になると悔しがる。 — 保阪正康、『100メートルに命を賭けた男たち』、196-197頁
日本選手権が千葉だったことは事実と合致しますが、日付が異なりますし、決勝のゴールタイムも異なることは上記の通りです。しかし神野氏自身が特別な印象を残しているという点からは、これがまったくなかった話とも思えません。考えられるのは(日付の点は別として)同じ日本選手権でも決勝ではなくその前の段階のレースで起きた出来事である可能性です。新聞記事にも準決勝の結果などは記載がありませんでした。これを確認するには当時の『陸上競技マガジン』などの専門誌を当たるしかなさそうです。--Unamu会話2023年5月7日 (日) 08:51 (UTC)[返信]
古い雑誌を所蔵する図書館で、1973年の日本陸上競技選手権大会を特集した『陸上競技マガジン』の同年7月号を閲覧しました。大会記録一覧を見たところ、神野氏の記録は予選が10秒5(追い風+2.4m)、準決勝が10秒3(追い風+3.4m)、決勝も10秒3(追い風+3.7m)という結果でした(同誌p.52)。この結果、保阪氏が記した内容は「1973年の日本陸上競技選手権大会ではない」ということが確定しました。となると、一体これがいつの話だったのかというのは非常に気になるところです(この前後の号も閲覧したのですが、それらしい内容はありませんでした)。--Unamu会話2023年7月13日 (木) 12:44 (UTC)[返信]