ノート:秦檜

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>>また当時の南宋はいわゆる「抗金の名将」と呼ばれる有能な将軍が多数輩出しており(英雄・岳飛もそのひとりに過ぎない)、一方で金は軍事的限界点に達しており、両国の軍事バランスが南宋に最も有利に傾いた時期であり、その絶好のタイミングをみすみす逃しての和平だった。もちろん、それでもなお金の軍事的優位は揺るぎなかったかもしれないが、後に韓侂冑による北伐が失敗した事から、当時の人たちに「あの時北伐を行っていれば」という後悔の念を強く起こさせる事となり、それはそのまま秦檜への怨嗟となったのである

の部分に付いての出典をお願いします。「最も有利に傾いた時期」などと断言できるだけの史料があるとは思えませんし、また「後悔の念を強く起こさせる事となり、それはそのまま秦檜への怨嗟となったのである」などとはかなり怪しい記述であると言わざるを得ません。らりた 2007年8月6日 (月) 14:59 (UTC)[返信]

当該部分を削除しました。らりた 2007年9月1日 (土) 11:59 (UTC)[返信]

投稿ログ中途半端になってすみません。岳飛を妻に促されて殺したというのはあくまで民間伝説です。とりあえずその周辺の適切な記述が思いつきませんので、また現状のまま載せておくのは難があるかと思いますのでコメントアウトいたします。SSIG33 2008年3月21日 (金) 01:44 (UTC)[返信]