ノート:穂積陳重
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兄「穂積重穎」について
[編集]この版で、「兄の重頴は第一国立銀行頭取。」とありましたが、「第一銀行#歴代総監役・頭取」にその名が見られず、不思議に思い調べてみたところ、以下の諸資料にあたると、重穎が務めていたのは「第二十国立銀行(元伊予宇和島の藩主伊達侯爵家の出資)」の頭取のようでしたので、本文修正いたしました。二十銀行(第二十国立銀行の後身)は第一銀行に吸収合併されているため、第一銀行の取締役の職にあった可能性はあります。渋沢栄一と非常に近い関係にあったらしく、陳重と歌子との縁もこの辺りからかなとも想像します。また、用字について「重穎」と「重頴」があり、異体字なのでいずれでもとは思いましたが、当時の印刷物を参照し、「穎」を優先させました。
参照した、サイトは以下のものです。
- 函館市史 第8章 金融界の近代化と整備・発展 第2節 金融界の発展 3 道外資本系銀行の諸相 第二十銀行の活動
- デジタル版『渋沢栄一伝記資料』第4巻(DK040052k) 本文
- デジタル版『渋沢栄一伝記資料』第6巻(DK060115k) 本文
- デジタル版『渋沢栄一伝記資料』第50巻(DK500013k) 本文
- 渋沢栄一ゆかりの地ゆかりの写真株式会社二十銀行
以上。--Mtodo(会話) 2020年10月5日 (月) 03:44 (UTC)
- 本文中に、西園寺公成の仲介とありましたね。--Mtodo(会話) 2020年10月5日 (月) 04:00 (UTC)