ノート:空城計
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第卅二計‧空城計
虚者虚之,疑中生疑;剛柔之際,奇而復奇。
【按語】虚虚實實,兵無常勢。虚而示虚,諸葛而後,不乏其人。如吐蕃陷瓜州,王君煥死,河西惱懼。以張守圭為瓜州刺史,領餘眾,方復築州城。版干裁立,敵又暴至。略無守御之具。城中相顧失色,莫有鬥志。守圭日:「徒眾我寡,又瘡痍之後,不可以矢石相持,須以權道制之。」乃於城上,置酒作樂,以會將士。敵疑城中有備,不敢攻而退。又如齊祖廷為北徐州刺史,至州,會有陳寇,百姓多反。廷不關城門。守陴者,皆令下城,靜座街巷,禁斷行人雞犬。賊無所見聞,不測所以,或疑人走城空,不設警備。廷復令大叫,鼓噪聒天,賊大驚,頓時走散。
以上は中文Wikisourceから引いた「空城計」です。これを三方ヶ原の戦いと結び付けるなら相応の根拠が必要となるはずです。そもそも『三国演義』も『三十六計』も三方ヶ原の戦いの時点までに日本に伝来した痕跡が認められていません。--Сорасоуё 2008年10月19日 (日) 17:26 (UTC)
記述が逆では?
[編集]>>これは武田軍の指揮官の山県昌景や馬場信春が、信玄の教えによって中国古来の孫子・六韜・三略などの兵法に通じており、「空城の計」を知っていたためであるとされる。>> との記述ですが、、「空城の計」を知っていたのならば、裏をかいて逆に攻め込むのではないでしょうか。--219.35.22.28 2015年9月11日 (金) 17:09 (UTC)