ノート:竹の子族
ソボクな疑問
[編集]深津絵里もメンバーだったとありますが、深津さんは1973年生まれ。竹の子族は1984年ごろにはブームが終焉していたとすれば、たった11歳で竹の子族をやっていたんでしょうか?深津さんが歳をサバ読んでるか、もしくは元・竹の子族メンバー説はウソと考えるほうが自然では。--Yayamachi 2009年12月9日 (水) 07:59 (UTC)
- たしかに、年代的に全く会いませんね(笑)、ブラフでしょう。--小田急多摩之介 2009年12月9日 (水) 08:04 (UTC)
では「若い世代では深津絵里もメンバーであった。」については削除しておきます。--Yayamachi 2010年2月27日 (土) 12:46 (UTC)
写真提供について
[編集]写真提供を求められているようですが、私は、ランナーズのメンバーであり、かつ、専属カメラマンであったため、多数の写真をもっています。中でも竹の子族全体の集合写真を4回ほど撮影しています。しかし、1.提供方法がわからない。2.肖像権の問題が解決できない。等の問題があります。 竹の子族には、小中学生も居たことは居ました。親が衣装を着せて連れてくるのです。スカウトされるのが目的でしょうか、それとも、本当は親が参加したいのでしょうか。又、最年長は、昭和28年生まれの人がいました。私は29年生まれで、上から4番目くらいでした。それでも、竹の子族がきっかけでモデルとなり、現在も田中一悟の芸名で活動しています。 竹の子族のメンバーかどうかは、衣装を着ているかどうかではなく、どこかのグループに所属しているか否かで判断するのが適当です。メンバーになると各グループのリーダーは会員証を発行し、それを胸に着けて踊ります。 竹の子グループの構成は、通常、リーダー、サブリーダー、世話役、デッキ持ち、ダンシングリーダー、会員、常連の観客となっていました。 竹の子族が、なぜ出来たか、また、なぜ消滅したか、掟や習慣、普段の生活、価値観などについては、長くなるので、整理が付いてから提供したいと思います。--Tanakaitigo 2010年5月28日 (金) 08:05 (UTC)Tanakaitigo
平成竹の子族について
[編集]平成竹の子族について、項目がただの宣伝になっているので削除、もしくは宣伝該当部分を何らか配慮するべきかと思います。現状では風俗店リンクと何も変わりません。とりあえず私はリンクだけでも削除方向に思ってますが、削除という行為なのでまずはノートに提案投稿します。
「特許」について
[編集]「最盛期の主なグループ」節の「不恋達」に「ラメサテンの衣装を特許にしていたチーム」という記述があるのですが、この「特許」というのはどういうことでしょうか? 竹の子族界隈の用語か何かでしょうか? 説明なしだと特許庁の方の「特許」が思い浮かんでしまうので、説明を付加する等していただければと思います。 --Kto2038(会話) 2020年10月5日 (月) 15:57 (UTC)