ノート:第1回十字軍
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この「第1回十字軍」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2005年9月10日 | 月間新記事賞 | 良質な記事自動選出 |
2. | 2020年4月15日 | 良質な記事の再選考 | 除去 |
この記事は英語版とほとんど同じ(翻訳?)ですので、内容については英語版で書く方が良いのかもしれませんが、少しここに書きたいと思います。(英語で議論する自信は無いですし)
- 「十字軍の意識」の節で、(「聖戦」とか「十字軍」という意識が無かった)というのと(十字軍」という言葉を使っていなかった)というのは別問題です。「神のために武器をとるようにと呼びかけた」のですから聖戦以外の何物でもないでしょう。十字軍(クルセーダー)と言う呼び名が後からできただけです。第1回目の人が第1回だと意識しないのは、ある意味当たり前ですし、また、当然エルサレムを維持するつもりだったからで、歴史に無知だったからではないでしょう。
- 「霊性と世俗の間」で「ケンブリッジ大学の歴史学者ジョナサン・ライリー・スミス」の研究というのが出てきますが、この研究はどれだけ一般に認められているのでしょうか?「霊的な富」の証左として、「十字軍への参加が非常な出費を強いるものであった」、「貧しい下級騎士たちは寄付を受けるか、裕福な騎士の世話になるかしないと十字軍に参加できなかった」ことを上げていますが、それだけ領土・略奪品の期待が大きかったともいえます。博打打ちは借金してでも博打をするものです。
- 「教会と争ったことの償いとして自らの土地を教会に寄進した」のは宗教心とは限りません。それだけ教会の力が強くなっていたということでしょう。イングランド王ジョンはイングランド全土を法王に寄進しましたが、とても宗教心からだったとは思えません。
Zorac 2005年9月13日 (火) 12:47 (UTC)
上記の方針に基づいて変更しました。「ジョナサン・ライリー・スミス」の研究というのを削除したい気持ちでいっぱいなのですが、せっかく書いてあるものをただ消すのは気が引けるので残しました。Zorac 2005年9月21日 (水) 13:14 (UTC)