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ノート:築港町駅

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駅の住所について

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  • 現行の表記では「和歌山市築港6-6」にあったということになっていますが、該当の住所を地図で検索したところ、和歌山港駅を発車し青岸橋を渡ってすぐの高架を降りる途中か降りた直後に駅があったということになってしまいます。

私の記憶によれば、もう少し和歌山市寄りにあったと記憶しています。 そこで、築港町駅情報が残っているサイトをいくつか探索してみたところ、

どうもこれによると、6丁目6番地ではなく、4丁目あたり???

ただ、この駅は初代の和歌山港駅でしたので、ひょっとすると、開業当初は6-6にあったが、和歌山港線延伸時に駅位置が移転した、という可能性もありそうですね。とすると、6-6というのは誤記ではなく「開業時の住所」ということになりますね。またあるいは、移転時になんらかの理由で登記上の駅住所が移動せずにそのまま残っていた・・・という可能性もありそうです。

ただ、上記いずれも、確かではない情報を含み、一部推測も入ってしまうので、ただちに住所欄を書き換えるのは気が引けます。というわけでどなたかの情報提供を待つことにします。


Trashwriter 2007年1月8日 (月) 05:38 (UTC)) 表記されている住所で間違っていないと思います。確かにもう少し和歌山市駅よりだと思いますが、ほぼ間違ってないと思います。--59.158.57.239 2008年3月19日 (水) 06:46 (UTC)[返信]

「日本国有鉄道編 停車場一覧」 日本国有鉄道旅客局編 東洋館出版社 昭和47年に拠ると、
 貨 築港町   2.3  和歌山市築港6丁目 昭和46年3月6日
 客 和歌山港  2.8  同 薬種畑     昭和46年3月6日
 貨 水軒    5.4  同 西浜      昭和46年3月6日
(左から、扱い、駅名、和歌山市駅からの営業キロ、所在地、営業開始年月日です。)

 町名などの変更の可能性もありますが、一つの参考にはなると思います。瑞雲 2007年4月1日 (日) 05:22 (UTC)和歌山市からの営業キロも参考のため追加しておきます。瑞雲 2007年4月1日 (日) 05:28 (UTC) 先日、所用で近くまで行く機会があったのですが、周辺地には駅が存在した時代から掲げてあると思われる、地域の地図が複数見られました。いずれにも当該駅が明記されていて、その場所へ移動してみれば往時のホーム跡と推定できる場所でした。この地図と現場を見る限りは、6丁目までは信用できると私は考えます。[返信]

地図の写真は、アップロードページを利用して Map chikkouchoueki 2008092501.jpg にて送信しました。 --LOT 2008年10月12日 (日) 00:09 (UTC)

もう少し確実な情報を、ということで国土地理院および国土交通省が提供している航空写真情報に当たってみました。まず、築港町が旧和歌山港駅として終点だった時代については国土地理院の航空写真で1961年11月に撮影された写真「MKK619-C9-3」を参照してみますと、200dpiの拡大画像では当時の線路が、築地町方面から築港4丁目付近で分岐し、岸壁に近い箇所と直進した箇所(後の線路沿い)に分かれて駅が存在することが見て取れます[1]。徳島航路への連絡機能を担ったこの当時、旅客ホームが岸壁寄りにあり、一方貨車航走を行わない貨物はそれより南側に別にホームがあったとみられます。いずれの地点も現在の築港6丁目に相当することは間違いありません。一方、現・和歌山港駅への延伸後の写真は国土交通省の国土画像情報で調べることができます。このうち最も古い「昭和49年度」の写真(C21(3))を400dpiの拡大画像で見ると、廃止になった旧ホームへの線路跡がくっきり見えるとともに、旧貨物?ホーム方面の線路と現在の線路の分岐部付近にホームらしき構造物が見えます[2]。これは閲覧可能な「昭和54年度」「昭和60年度」の写真でも変わりはありません。その位置は築港4丁目の領域に相当します。

以上を総合すると、1971年の和歌山港線の延伸前は確かに築港6丁目に駅が存在したものの、それ以後は4丁目に移転、ただし、何らかの理由で諸文献での住所は6丁目のままになっていたというのが妥当な線ではないでしょうか。Cpulot(LOT)さんがアップされたという地図写真のファイルはどうも著作権状態の確認記載欠如を理由に削除されたらしいため確認ができないのですが、旧駅があった当時のままで作られた地図ではないかという気もします。したがって、丁目の断定は避け、「築港」までで止める記述といたします。(一週間ご意見等を見て、もし異論等なければテンプレートは取り外したいと思いますがいかがでしょうか)Unamu 2009年6月15日 (月) 13:00 (UTC)[返信]

一週間以上が経過しましたが、特に異論等ありませんでしたのでテンプレートを除去しました。Unamu 2009年6月23日 (火) 11:29 (UTC)[返信]

和歌山県立図書館に所蔵されている1958年の「和歌山県住宅案内図」を閲覧しました。すると、「和歌山港駅」が書かれているのは、Unamuさんが貨物用ではないかとお書きになった岸壁より遠い側に書かれています(同じ場所に「南海汽船和歌山営業所」という記載もあり)。岸壁側には線路が書かれているだけで特に駅であるという記載はありません。和歌山港駅移転後の築港町駅のあった4丁目は空き地が広がっているだけになっていますので、6丁目であることは間違いありませんが、旅客駅の場所は違っていたことになりますので、記述を変更します。--125.195.232.200 2009年7月28日 (火) 10:52 (UTC)[返信]

私の手元に1961年に当時の三井銀行が配布した「京阪神地区最新区分地図」(「ワラヂヤ・納」と但し書き)があり、そこに和歌山市の地図が掲載されています。これには内陸側の駅に「和歌山港」、岸壁側の駅には「貨物駅」と明記があります。--219.20.172.251 2009年8月4日 (火) 13:51 (UTC)[返信]