ノート:糸山英太郎
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この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を厳守する必要があります。訴訟になりそうな記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。{{要出典}}や{{要検証}}などのタグを貼るなどして記述の出典を求める行為は、このケースにおいては間違った対応です。そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある記述については特にこれが強く当てはまります。 |
経歴について
[編集]この糸山英太郎氏の項目にある経歴の一部に素朴な疑問があります。 「糸山氏は1974年の参議院選挙に32歳で初当選した」と書かれていますが、これは私の記憶と矛盾します。 私が高校に進学して毎日山手線に乗るようになった1965年4月ころに車内の中吊り広告に『太陽への挑戦』という 本の広告が派手に出ていました。当時私はそれが何なのか、どういう著者なのか、何も知りませんでしたが、 しばらくしてその著者は同年7月の参議院選挙に立候補、当選、そして当時未曾有の一大選挙違反事件になりました。 従って、糸山氏は1965年7月には満30歳以上であり、その選挙で初当選したはずです。参議院の任期中に選挙違反の 裁判は結審しなかったので、当選の無効の判断もなかったと思います。 以上は私の素朴な記憶に基づくものです。当時の新聞の縮刷版などがあれば、すぐにでも確認できることですが、 私にはその手段がありません。どなたかお調べ下さると幸いです。(吉田)
- 太陽への挑戦は1973年に初版です。参考 よって何かと記憶がくっついてしまっているのかもしれません。その翌年の74年の7月7日の選挙に出馬しています。--Faso 2006年10月11日 (水) 06:25 (UTC)
Wikipedia:検証可能性を御覧の上、出典を明記してくれると助かります。--ゆきち 2007年1月23日 (火) 12:47 (UTC)
Yukichi99の一部要出典には、新聞や写真週刊誌などにも大きく掲載されたり、糸山直太朗の日記などに掲載された内容もあるので、これは除外しました。お願いだから、要出典を記載する前に検索エンジンで検索するか、糸山直太朗の日記を1から全部読み直すか、新聞や写真週刊誌などの場合はご自身で図書館に行って過去の写真週刊誌を見て、調査した上で記載しましょうね。アンサイクロペディアン 2007年1月25日 (木) 02:16 (UTC)
「要出典」の意味はおわかりですか? 外すなら、きちんと出典を書いてからはずしてください。--ゆきち 2007年1月25日 (木) 04:56 (UTC)
私が上記で記述した内容はちゃんと読んでますか?ちゃんと読んでいないで書き込んでいたら、ごめんなさいね。アンサイクロペディアン 2007年1月28日 (日) 15:48 (UTC)
卒業か中退か
[編集]『ケンカ哲学』p.91には「私はもともと通ってもいなかった大学に退学届けを出し」と明記してあるのに、著者略歴には「日本大学経済学部卒業」と書いてある理由がよくわかりません。池田大作氏と同じように、後になってから卒業資格を買ったのでしょうか。--Arpeggio 2007年1月26日 (金) 10:05 (UTC)
- 自己解決しました。--Arpeggio 2007年1月29日 (月) 09:03 (UTC)
そのまんま東に関連する発言
[編集]あのー、そのまんま東氏に関する発言って、必要でしょうか...。とてもじゃないけど、糸山英太郎と言う人物を紹介するにあたって不可欠なエピソードとは思えないのですが。--ゆきち 2007年1月25日 (木) 11:37 (UTC)
必要じゃないですか? 本人が、ご自身が持つWEBサイトで、「宮崎県知事」及び「宮崎県知事を支持した有権者」を 堂々と批判しているのですから。 --124.255.167.130 2007年1月25日 (木) 23:50 (UTC)
- 124.255.167.130さんからの意見について回答が1ヶ月以上経過しているのにもかかわらず回答が無いということですから、再掲載しました。それと、逆にそのまんま東の発言が不必要だという意見は「不可欠なエピソードとは思えない」以外に何があるか、ちゃんと述べて下さいね。アンサイクロペディアン 2007年3月15日 (木) 10:51 (UTC)
- この発言が、糸山英太郎という人物の経歴になんら影響を及ぼしてません。従って、不要です。そもそも、政治家というのは、発言するのが仕事なんだから、それをいちいちとりあげるのは、切りがありません。というわけで、説明したので、消しておきます。--ゆきち 2007年3月15日 (木) 11:47 (UTC)
母親に関する記述について
[編集]糸山英太郎の母親は公的立場におらず、この場で生い立ちなどを記載されることは不適切であると思われます。糸山の母にとって社会通念上、マイナスと思われる記述を削除させて頂きました。本件に関する異論反論は謹んでお受けいたしますが、広く一般の目に触れるこの場において身内として我慢ならない記述もございましたので、ご了解いただきたくお願いいたします。 --125.14.62.67 2008年2月26日 (火) 15:06 (UTC)
再度、取り消しさせていただきます
[編集]糸山の母の出自につきましては、本人ならびに家族(糸山英太郎本人ではなくその他の実子)がこのような公衆の面前にさらされる場での詳述を望んではいないことから、削除いたしました。糸山英太郎本人の自己顕示欲は重々承知しておりますが、親族についての記述はご容赦いただきたくお願い申し上げます。--125.14.255.89 2008年4月26日 (土) 16:50 (UTC)
重ねてお願い申し上げます
[編集]糸山道子に関する記述を削除いたしました。糸山英太郎本人が自ら非嫡出子であることを認めていることは知っております。しかし、本人が自分の著書の中で自らの出自をさらすのと、第三者がウィキペディアで糸山道子の生い立ちをさらすのとでは意味合いが異なると考えます。私は糸山道子の身内です。重ねて申し上げますが、親族としてこの場で糸山道子の生い立ちをさらされることは極めて不快です。今後、糸山道子の生い立ちに関する記述を復活させる方は、親族の意向を無視していることを承知の上、相応の責任を取る覚悟で行動してください。なお、糸山英太郎本人につきましては何を書かれても異論はございません。--125.14.255.89 2008年4月28日 (月) 13:35 (UTC)