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ノート:耳垢

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1)耳鼻科医として50年の臨床経験から記載させて頂きます。耳垢には二種類しかないように記載されていますが、乾いた種類、湿ったと言っても流れ出てくる動物と同様な程度から、より粘度の高いもの、正に粘土状のものまであります。乾いたものを耳垢では無いとするのは間違いです。 明らかに普通の皮膚のものとは異なります。やはり皮脂腺から分泌された外耳道特有のものです。他の哺乳類の耳垢は流れ出てくるレベルの性状です。これは明らかに、耳垢を自分で除去出来なくても外耳道が閉鎖してしまい、聴力低下によるハンディキャップで滅亡しないで生き残ってきたからです。これはダーウィンの進化論に従っています。 それでは乾いた耳垢の持ち主が生存できるようになったのは、乾いた耳垢を自分で道具で除去できる技術を習得、獲得出来るようになったからです。この事実は乾いた耳垢の遺伝子を獲得した人類ですから、かなり時代的には新しい時代になるでしょう。 次に、間違っていますことは、湿った耳垢の遺伝子が必ずしも優性であるとはいえません。何故かと言えば、我々耳鼻科医は湿った耳垢と乾いた耳垢との両親とから生まれる子供が、湿った耳垢ではなくて、中間の性状の粘土状の耳垢の持ち主である事を知っているからです。

これらの耳垢の性状と耳垢の除去方法との間には、密接な関係があるのです。欧米の耳垢が湿った国では、ジョンソン綿棒に代表される除去法が主流であり、これらの国の育児本を直訳した育児書を読んだ母親により戦後、日本古来の除去法である「耳掻き」が忘れ去られてしまい、耳垢除去で耳鼻科医は現在でも、この欧米の綿棒方法を耳掻き方法に変えさせるのに苦労しているからです。

耳垢の性状には、流れ出る動物と同程度のものから、乾いて石のような物まで、連続的な粘調度で存在しますので、メンデルの優劣の法則は必ずしも適用出来ないのです。この事実は、単に一つの遺伝子の一部の支配であるとする点に「もしかしたら」誤りがあるのでしょう。きっともう少し複雑に遺伝子が関係していると、私は経験的に考える他に無いのだと思えます。 もっと現実的に言えば、健康保険の点数には片側は100点、両側は150点であり、耳垢かん子、耳垢水で柔らかくして水銃で洗い出す方法が在るのですから、事実と申し上げる他ありません。

湿った耳垢、特に流れ出る程度のものと体臭とには密接な関係があります。これは、アポクリン腺との関係であり、生殖と関係があると考えます。欧米では日常的であり、日本人のように無臭であることは魅力に欠けることですらあります。当然、体を洗う習慣とも関連していますが、これは結果論とするべきでしょう。citroenDS--CitroenDS 2010年5月24日 (月) 14:22 (UTC)[返信]


2)縄文人は湿った耳垢を持っていたと記載されておりますが、この優性である耳垢の持ち主が、劣性である乾いた耳垢を持った弥生人との間に戦争でもあって、弥生人が縄文人を全滅させたので無ければ、劣性である乾いた耳垢が現在の日本人の内の84%以上の高率を示すことは出来ません。しかしながら、先住民の縄文人と後から日本の土地に渡って来た弥生人との間には戦闘は無かったようで、むしろ縄文人は友好的に接したようです。そのような状態では、今日までの数千年以上の期間に優性である湿った耳垢が少数派である16%である理論は成立しないと考えるべきです。 このように、日本人の耳垢が乾いたものである学問的、科学的な論拠を失っております。 このような観点から、再度、日本人に乾いた耳垢の多い点の論証をして下さい。 WIKIPEDIAの本文の記載はかなりの疑問点を持っていることを検討されるように期待しております。

誰も行なはないのであれば、わたしcitroenDSが全面的に書き直しますよ。--CitroenDS 2010年5月28日 (金) 15:13 (UTC)[返信]

誰がどうソースを読んでも、この場合の「北海道」というのはアイヌ民族のことを指しているのだが、それを「北海道」としか記述しないのはミスリードではないのか。岸本元--118.236.197.69 2013年2月25日 (月) 14:37 (UTC)[返信]