ノート:聖母の出現
東方正教会における幾つかの「生神女庇護」(教会用語じゃないと思いますが、とりあえず)について触れることがマリヤ信心を俯瞰する上で歴史的にも重要なんじゃないかと思います。とくに公認・未公認で正教会で重要視されるコンスタンティノープルの庇護(これが現在の生神女庇護祭(ユリウス暦10月1日)とカザンの生神女などがどちらにもいれられていないというのは気になりました。私はマリア神学についてはまったく知識がありませんので、どなたかお願いします。--Aphaea* 2005年4月6日 (水) 04:59 (UTC)
西暦1054年に東方正教会はカトリックから分離しました。 現在はエキュメニカル中なので、教会としては、いまのところ双方の意見が異なることもあると思います。
しかし、聖母の出現が全人類のためのものなら、全人類に同じ内容で普遍的に語りかけているのではないでしょうか? つまり、東方正教会の方々にも、語りかけていると思うのです。
聖母の出現地がカトリック地域であったりカトリック信者である場合、 聖母自身のことばがカトリック理解・カトリック用語として理解されるべきこととなります。
すなわち、カトリック流に語る聖母の名前・意思などを東方正教会の理解・用語におきかえて頂くことはかまいませんが、 カトリック流に出現している聖母のカトリック性を無視し、 あえて東方正教会流の表現だけで表現することは聖母の意図を傷つけると私は思います。
つまり、聖母自身の出現と聖母のことばは、東方正教会のカトリックへの回帰を促しているのだ、と私は思います。
- 私が申し上げているのは、いまの記述ではNPOV(中立的な観点)ではなく、まるでカトリックの本の項目のようだということです。これはウィキペディアの方針と相容れませんので、せめてカトリックの特殊な理解であり、公式非公式といったことは他の教会から支持されているわけではないということを明記する必要があるし、またそうでないならば他教会におけるマリヤ信心にも言及すべきだろうということです。
- また中立性ということからしても「母の警告や聖母への誓いをないがしろにすると、悲惨な結果になることが歴史上知られている。」というような記述は到底容認できません。「と信じられている」と無記化するのが妥当であろうと考えます。
- 全体にこれでは神学的な背景の記述などもなく、たんなる宗教宣伝文書にみえる可能性があります。そうしたものをウィキペディアは受け入れませんので、適切な変更がおこなわれなければむしろ削除すべきであろうという結論が過去の事例からは出てくるのではないかと思います。
- 御一考をお願いします。--Aphaea* 2005年4月6日 (水) 08:06 (UTC)
私も、当初の文章は中立ではないと感じました。しかし、内容としては興味深いものがあったので、表現を変更してみました。あとは、カトリック以外の団体などがこれらの現象をどうとらえているか、またはカトリック教会が公認・非公認の判断をするということについてどのような意見があるのかが書き加えられればいいなと思います。(が、残念ながら私にはそれをかけるだけの知識や情報源がありません。)これらの記述の充実が見込めない理由で削除要請が出されるのであれば、やむ無しかと思います。私の編集は消え去っても一切異存ございません。 --Hachikou 2005年4月6日 (水) 08:54 (UTC)
教会として、東方教会・聖公会などカトリックから分離した諸派についてはカトリック教会は統合を進めていますので、
東方教会・聖公会などカトリックから分離した諸派は将来的には統合される兄弟姉妹という認識です。
個人としては、聖母の出現がカトリックに限られている理由は聖母の自己主張なのではないかと思います。 聖母が出現したのがカトリックであってその他の宗派でない件については、 例えていうなら、タマちゃんが出現したのが多摩川であって隅田川でない場合と同じと思います。 どうしてタマちゃんは多摩川に出現していても、隅田川には出現しなかったのか、 それは多摩川はタマちゃんの住める環境だったからで、隅田川には河口堰があったのかもしれないし、多摩川に友達がいるのかもしれない、ともかくどういうわけだかタマちゃんに居心地いいのは多摩川だったのです。
東方教会の方から聖母出現について重要なコメントがあるのであれば、その方が書かれればいい話ではないでしょうか。 ということで、追筆は賛成ですが、削除には反対です。
『悲惨な結果』云々の文章については、ファティマの聖母にもまったく同じ記載がされています。--Corwin 2005年4月7日 (木) 00:31 (UTC)
悲惨な結果の部分をコメントアウトしました。
司祭のマリア運動を教会が否定したとの記述がありますが、調べてみましたがそのような事実を示す公式な文書は見つけられませんでした。出典を求めます。十分な根拠が得られなかった場合は、いずれその一節を削除させていただきます。
Frederic2000
教会が否定した出現の項に、5回の初土曜日の信心について書き込まれているのを読み、驚きました。この信心は、れっきとしたカトリックの公認の信心行です。ファティマの聖母出現にて聖母マリアがメッセージで伝えられたもので、カトリックの信者ならば誰でも知っているはずのものです。書き込んだ人がファティマの出現について知った上でのことならば、悪意のあるいやがらせと受け取られても言い訳できないものです。削除をお願いしたいです。初土曜日の信心については、以下の文献をはじめ、ファティマの出現について書かれた書物ならばたいてい記述されています。 ヴィットリオ・ガバッソ、志村辰弥共訳編『現代の危機を告げる ファチマの聖母の啓示』ドン・ボスコ社
削除提言 カトリック教会公認の出現の項目:
- イタリア・ローマ:子供がいないと嘆く1879年教会の屋根の下に、聖母・聖ヨセフ・聖ヨハネが出現したのを15人が目撃。
1.1879年に聖母の出現が「クノックの聖母」以外教会公認記録として見当たらないこと 2.話が「雪の聖母」と「クノックの聖母」の内容が入り混じっているとしか考えられないこと。 3.文章として成り立っていないこと。
以上、御提言申し上げます。 --Ann Clara(会話) 2015年6月2日 (火) 04:40 (UTC)
上記、反対なしと見做し削除いたしました。 --Ann Clara(会話) 2015年6月14日 (日) 00:38 (UTC)