ノート:自己愛性パーソナリティ障害
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この「自己愛性パーソナリティ障害」は、下記のような選考・審査を経て良質な記事に選出されています。さらなる加筆と改善によって、秀逸な記事となるような編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
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1. | 2013年9月11日 | 良質な記事の選考 | 通過 |
分類の項目について
[編集]分類の項目についてお話があります。無自覚タイプと過剰警戒タイプが解説されていますが、米国精神医学会の『精神疾患の診断・統計マニュアル』には採用されていないこれらの分類を載せる必要があるのか疑問です。また、同朋社の『メンタルヘルス事典』(2000年)のP365に「現在まで、自己愛性人格障害の臨床像は臨床家や研究者の間でも十分に一致しているとはいえない」と書いてありますので、無自覚タイプと過剰警戒タイプの分類が精神科医の間で広く一般的に使われているものとは思えません。百科事典であるwikipediaで、一部でしか通用しないと思われるものを載せるのは不適当ではないでしょうか?218.217.25.88 2006年10月10日 (火) 18:13 (UTC)
- では、変えておきましょう。--219.101.94.159 2006年10月13日 (金) 20:16 (UTC)
好悪・道徳観の個人的傾向
[編集]他の人格障害の項目よりも、筆者の記述から、好悪・道徳観の個人的傾向が感じられてしまう、というのは言い過ぎだろうか。通常、道徳や倫理、常識論などの問題で用いられる言葉を用いて、障害の病態を説明されるのは如何なものか。これが、医学者向けの専門書に書かれた記述であれば、多少の幅のある表現も、読む側に忖度の余裕もあろうが(無ければ困る)、wikipedia読者向けには、デメリットの部分が非常に大きいと思う。これはご理解いただけると確信する。例えば、臨床像の最後の項目に、
「自己愛性人格障害の人は、良心に乏しく利己的な邪悪な人間である[1]。」
とあり、これは目に余ったので、
「自己愛性人格障害の人は、良心に乏しく利己的な人間である[1]。」
と、邪悪の部分を削除した。本来ならばこの一文全体を削除するべきかと思ったが、筆者を尊重し、最小限に控えたつもりだ。しかし、元の筆者が「邪悪」をどうしても必要と考えるならば、邪悪な人格障害とは何か、ここで述べてもらいたい。原典主義は重々承知の上だが、ある筆者が任意に出典したもの(この場合は、M・スコット・ペック『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学―』草思社.)にそう書かれてあればそのまま転載に及んで良い、というものではないのではないか。私には、邪悪、という単語を使用する必要性も妥当性も全くない、と思われた。更に言えば、これはほんの一例である。筆者は自省を忘れず、記述にあたって自制を心掛けてもらいたい。
以上は2011年9月12日 (月) 175.128.49.173 さんの投稿です。---Ktmchi(会話) 2012年3月4日 (日) 15:23 (UTC)
改名について
[編集]ノート:パーソナリティ障害で議論の末、自己愛性人格障害から自己愛性パーソナリティ障害に改名することとなりました。以上宜しくお願いします。--Margarita(会話) 2012年3月3日 (土) 06:00 (UTC)
関連項目に生存する政治家を書くのは不適切です
[編集]120.75.4.80さんが生存する政治家名をお貼りになりましたが、精神科医がそう診断したと公表したり、あるいは精神科医の本でそう書かれたりしているのでしょうか。生存する人物についてそんなことを書く訳はないと思いますので、削除します。 「障害」とは「個人的な機能上の苦痛や阻害に伴って、ほとんどの症例に臨床的に明らかに認知可能な一連の症状や行動が存在しているというときに用いられる」というのがIDC-10での定義です。これはDSMでも変わりません。特にパーソナリティ障害はレッテル貼りに用いられやすいのですが、何ら臨床的な根拠が無いのなら誹謗中傷です。---Ktmchi(会話) 2012年3月4日 (日) 15:13 (UTC)