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ノート:英照皇太后

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手元の資料(『朝日日本歴史人物事典』)には天保5年12月13日(1835年1月11日)生とありますが……。nnh 05:11 2004年1月17日 (UTC)

あなたが正しいです。本来は天保5年の生まれですが、入内時夫婦間の年齢差3つを忌み嫌う風習から、天保4年生まれと公称したのが彼女の誕生年月日記載を混乱させたそもそもの始まりです。また誕生日が旧暦の12月でユリウス暦に換算すると年をまたがっちゃうので、換算するのが面倒だという人だと1834年生まれにしちゃいます。そんな訳で、彼女の生年については1833年、1834年、1835年としたもののいずれも見かけます(苦笑)--Yume149 2011年9月1日 (木) 05:13 (UTC)[返信]

「英照皇后」とすべきではないか。--国史研究 2011年11月2日 (水) 12:23 (UTC)[返信]

「英照皇后」ではなく、「英照皇太后」と正式に追号されているわけですから、「英照皇后」とする理由は全くありません。ただ、「皇后」ではなく「皇太后」と追号してしまったことについては、誤りだったと言えないこともないですが、それをもって勝手に追号を変更するわけにはいかないでしょう。--Kone 2011年11月2日 (水) 13:55 (UTC)[返信]

「英照」の諡について、出典を唐詩にもとめ、「藤」の字に由来するものとは早くから言われてきましたが、具体的な出典を明治三十年正月三十日の官庁布告に照らして教えていただけませんか。手元に資料がないため、我儘な申出となって申し訳ありません。Yume149会話2017年2月25日 (土) 18:04 (UTC)[返信]