ノート:茨城新聞/削除
沿革部分の文章が公式サイトからの転載です。Mamasaid 2004年8月31日 (火) 19:55 (UTC)
長期化している案件のようなので見に来ました。判断が難しいケースだと思いました。
1)類似性、依拠の有無
投稿された文章が、外部ページに依拠したものかどうか、という点では、このページと、それから、削除依頼のページで意見が出ていますが、特に具体的に検討されているわけではないので、一応見てみました。気が付いた点は、以下の通りです。
- 外部ページは26項目からなる年譜で、それに似た文章の投稿が、[1]この編集で行われている。投稿内容は、14項目からなる年譜が主。
- タイプミスだと思われる箇所が外部ページに一ヶ所あり、それは投稿された文中にも見られる。([茨城」となっている部分は、「茨城」とカッコ記号を使うべきところを誤ってタイプしたと思われる。外部ページで最後から3つめのところ、投稿文中では最後から2つめのところの文)
- 1942年の部分は、ある出来事が特定の日に起こった旨が記されているけれども、外部ページでは、きちんと日付があってそれがいつのことを指しているのかがわかるのに対して、投稿された文章中では、「この日」というのが何を指しているのかがわからない。
- 投稿文の年譜の14項目は、年号表記が異なっており(和暦と西暦)、外部ページにはある日付情報はない。
- 出来事の記述については、外部ページに対応部分を見つけることができる。一部の文や文節を省略しているなどがあり、完全に一致するわけではないが、言葉づかい、数字などの全角・半角の選択も含めてほぼ同一。
以上から、外部ページからの抜粋によって文章を作成した可能性は高そうだと思いました。
2)依拠があった場合の著作権侵害の可能性の有無
次に、これが抜粋だったとして、著作権侵害になるのかどうかについて考えてみます。
2-1)要約である可能性
ひとつ思い当たるのは、これが外部ページの要約になっているから著作権侵害なのではないか、 という点です。書籍や新聞記事などの要約は著作権者に無断で行えば著作権侵害になるということは 過去の判例から間違いないように思います。では、この投稿部分が、外部ページの要約と言えるのか 法的にどう判断したものか考えてみましたが、
- 「言語の著作物である原著作物の翻案である要約とは、それが原著作物に依拠して作成され、かつ、その内容において、原著作物の内容の一部が省略され又は表現が短縮され、場合により叙述の順序が変更されてはいるが、その主要な部分を含み、原著作物の表現している思想、感情の主要な部分と同一の思想、感情を表現しているものをいうと解するのが相当である。したがって、要約は、これに接する者に、原著作物を読まなくても原著作物に表現された思想、感情の主要な部分を認識させる内容を有しているものである。」(東京地裁 平成6年2月18日判決)
というような要約についての考え方を元に考えると、判断が難しいのは、外部ページの主要な思想・感情が何かという点だと感じました。外部ページには、地域文化などに貢献した点が幾つも挙げられており、投稿された文中では、それは挙げられていません。ですが、会社の経営体制、主力商品とその生産体制などについての主な事実は、外部ページとほぼ重複していると言ってよさそうですし、そうである以上は、その諸事実の提示を通じて表現されている歴史観、同新聞・新聞社についての考え方も、重複していると言ってよいだろうと思いました。そこで、外部ページで表現されている思想の主要な部分と同一の思想を表現している、とその意味では考えることも出来るのではないか、と思いました。
ただ、同時に、外部ページでは経営、生産体制、商品と並んで文化事業や社会貢献についても同社・同新聞の大きな特徴と考えているところ、投稿された文章中ではそのような文化事業や社会貢献の重視が欠けていて、両者の間では表現している主要な思想に重大な隔たりがある、という議論も考えられるようにも思いました。
2-2)創作性のある部分の複製になっている可能性
次に、要約になっているかどうかとは別の問題として、外部ページの中で何か創作性のある表現を複製したことによる問題が考えられるか、ということも考えてみました。
事実の伝達を主な目的とするような文章であっても、その文章の素材となる事実の取捨選択や配列や表現などには書き手の思想や感情などが反映されているため、無断で転載した場合には著作権侵害になるという判例があります。今回の件について言えば、1948年部分の、炭坑版発行の背景などについては、誰が書いてもこのような事実を選択し、このような表現になるか、というと、そうでもないのではないか、という気がしました。
ただ、炭坑版について他の人が書いた文章なども見当たらず、それほど自信がありません。炭坑版の発行をどう捉えるかという点で、紙資源の問題や、国の生産体制の問題と関連づけて捉え、他の点との関連は言及しない(例えば読者層について、広告主の有無について、取材体制について、など)という事実の取捨選択が、もしかすると非常に凡庸で著作権保護が認められないものである可能性もあるでしょうか? その辺りの判断材料が乏しいと感じました。
ただ、ありふれた表現に終始している文章などであってもその創作性の有無については裁判所が判断をせずにできるだけ著作物とみなし、丸写ししたようなものであればそれを著作権侵害とするべき、という判断を示した判例があります。その判断を考えると、この件についても、たとえ事実の取捨選択や配列に見られる創作性が非常に乏しいものであっても、丸写しであればやっぱり著作権侵害とされる、というような可能性が考えられます。東京高裁 平成14年10月29日判決
3)結論
以上から、外部ページを利用して作成したものである可能性は高そうだけれども、それが著作権侵害になるかという点では判断が難しい件だという風に思いました。ただ、最後に書いた点を考えると、どちらかと言えば一応削除するのが適当かと思います。
Tomos 2004年10月15日 (金) 21:17 (UTC)
- Wikipedia:削除依頼中の項目の代替記事に茨城新聞の項を設けました。著作権侵害となっている歴史部分は一旦削除した上で改めてオリジナルとして記載しました。MASA 2005年2月9日 (水) 02:35 (UTC)