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ノート:菩提

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発菩提心(発心)

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発菩提心(発心)は、チベット仏教では、仏教信仰の根底にある重要概念の一つ(「発菩提心」の有無が、大乗仏教と小乗仏教を区分する)です。充実させた上で、独立記事になってもおかしくない概念。--Dalaibaatur会話2017年1月28日 (土) 03:57 (UTC)[返信]

発心 → 発菩提心 → 菩提 とリダイレクトされており、循環参照となっていたので赤リンクを削除したものです。適切な処理をお願いします。会話2017年1月28日 (土) 14:46 (UTC)[返信]
修正されたようですが、相変わらず異様です。発心 → 菩提 となっており、結局自己転送です。リンク削除が正解でしょう。会話2017年2月3日 (金) 08:04 (UTC)[返信]
とりあえずリンクを削除し、循環を回避しておきます。独立記事を作成してからリンクをしてください。会話2017年2月5日 (日) 14:11 (UTC)[返信]

問題点の指摘

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2017/07/21

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出典に関して問題のある点をテンプレートで指摘しましたので、こちらへも掲示しておきます(参照)。--Leonidjp会話2017年7月21日 (金) 09:43 (UTC)[返信]

報告 麓さんの編集でこうなりましたが、問題点は解決しておりませんので更にテンプレートにて問題点の指摘を加筆しました(参照)。--Leonidjp会話2017年7月21日 (金) 23:08 (UTC)[返信]

報告 信頼できる二次資料において未発表の説である部分は削除しましたのでこの件は一旦終了です(参照)。なお、もとの執筆者のかたは、指摘された問題点の中身には応答なさらず「編集を放棄する」と仰いました(参照)。--Leonidjp会話2017年7月22日 (土) 09:43 (UTC)[返信]

三菩提について

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利用者:Leonidjp の記述;

声聞菩提・独覚菩提・仏菩提を三菩提といい、このうち仏菩提は至高であるため無上正等覚(阿耨多羅三藐三菩提)とも呼ばれる。

は通説とは言えず、Leonidjp お得意の「Wikipedia:荒らし#分かりにくい荒らし」であると思われます。岩波仏教辞典はハンディタイプですが、広く浅くではなく重点的な記述をし、通説として知られていないこのような記述にも、根拠となる文献が明示されません。

恐らく心・慧・倶とは異なる天台の三解脱門説か何かからとったものでしょうが、内容的にも矛盾します。まず、声聞菩提は発菩提心と同時か菩提心を発する前に得証されてしまうことになります。加えて、仏菩提は天台の三解脱門説では、無上正等覚ではなく、現(前)正覚になるはずです。

いずれにしても、sambodhiṃ を三菩提とした漢訳仏教圏の説と思われますが、このような記述が麻原某の「最終解脱」という、聞いたこともない教説に結びついたりするので、その辺の詳細を明らかにすることなく記述するというのは、危険なことでさえあるのではないでしょうか。Leonidjp の狙い目はその辺にあると思われます。7日以内に異論がなければ、こちらで除去させて頂きます。--118.83.136.111 2017年7月28日 (金) 18:43 (UTC)[返信]

反対  除去に反対。IP利用者が上述のとおり述べる、「は通説とは言えず、〜結びついたりするので」という部分(要するに除去の理由の全体)が無出典の独自研究であるにすぎぬため。除去対象として挙げられている記述は、岩波仏教辞典第二版p.923に忠実な記述であります。つまりIP利用者のこの提案は、出典の備わる記述を除去しようという提案であり、除去の理由がIP利用者の独自研究です。なお、Leonidjpの所行が「分かりにくい荒らし」であると称している箇所は個人攻撃ですね。IP利用者は、出典に忠実な記述を書いだけのものを「分かりにくい荒らし」と称しているわけです。無礼なうえに全く無理筋の理屈です。--Leonidjp会話2017年7月29日 (土) 00:33 (UTC)[返信]
>>岩波仏教辞典は(中略)根拠となる文献が明示されません。
コメント ちなみに、この「三菩提」についての岩波仏教辞典第二版p.923の記述(同辞典のp.923そのもの)に「根拠となる文献」が明示されてないのは事実ですが、だからといって三次資料(出版された辞典は三次資料です)がWikipediaの出典として無価値であるなどという方針・ガイドラインがWikipediaに存在しているとは聞いたことがありません。IP利用者がもしも、そのような方針・ガイドラインがWikipediaに存在すると主張するのでしたら、Wikipediaのどこにそれが書いてあるのか明示してください。--Leonidjp会話2017年7月29日 (土) 01:07 (UTC)[返信]
報告 大正新脩大蔵経に、漢訳での声聞菩提・独覚菩提・仏菩提はみられますが(この場合の菩提は乗地の意味あいでしょう)、それをして三菩提とする記述はテキストデータベースをサーチしても中国撰述にも見つけられません。利用者:Leonidjp はそれを承知の上で「Wikipedia:荒らし#分かりにくい荒らし」をしているのでしょう。荒らしの標的をサンガ出版や浄土真宗大谷派系の宝蔵館 法蔵館から、中村元氏に移しています。--118.83.144.176 2017年7月29日 (土) 18:29 (UTC), (訂正)--118.83.141.253 2017年8月1日 (火) 18:31 (UTC)[返信]
報告 利用者:Leonidjp の分かりにくい荒らしの標的には、ブリタニカ百科辞典を主軸に据える朝日新聞のコトバンクがあるのを失念しておりました。困ったときの朝日新聞コトバンクです。荒らしたいけど荒らしに沿う出典がないとき、朝日新聞コトバンクになにかしら混乱を生じさせる記述があるという意味です。四向四果のページは手のつけようがないほど荒らされています。--118.83.141.253 2017年8月1日 (火) 18:31 (UTC)[返信]
反対 除去に反対。
理由
  • 『岩波仏教辞典』第二版、p.923「菩提」から(ほぼ)引用した記述。『岩波仏教辞典』第二版は、ウィキペディアの方針「Wikipedia:検証可能性」、およびウィキペディアのガイドライン「Wikipedia:信頼できる情報源」を満たしている書籍であり、その内容について記述することに問題はありません。
  • ウィキペディアの方針「Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」」にも反していません。
  • 『岩波仏教辞典』第二版は、p.6「初版執筆者一覧」に編集委員として中村元、福永光司、田村芳朗、今野達の4名が明記されている。p.1「第二版刊行にあたって」には、改訂版である第二版は末木文美士が編者に加わり作業を依頼されていること、石井公成(インド仏教)、菅野博史(中国仏教)らを編集協力者に加え全項目を見直したことが記述されています。よって、「Wikipedia:信頼できる情報源#編集者の監視や、事実の検証プロセスを経ている」にある「編集者の監視や、事実の検証プロセスを経ている」といえます。
  • 水野弘元『仏教用語の基礎知識』 春秋社、p.82「(3)正徧知」に「仏の悟りは声聞や縁覚の悟りとは違って、もっともすぐれた正しいもの」、「阿耨多羅三藐三菩提または阿耨菩提(無上菩提)として、声聞菩提、辟支菩提と区別する。」とあります。『岩波仏教辞典』第二版の内容が独自のものではない裏付けになると考えます。
コメント「は通説とは言えず、〜結びついたりするので」という部分(要するに除去の理由の全体)が無出典の独自研究であるにすぎぬため。」というLeonidjpさんのコメントに同意いたします。--Resto1578会話) 2017年7月31日 (月) 02:22 (UTC)・(修正)--Resto1578会話2017年7月31日 (月) 02:40 (UTC)[返信]
報告「三菩提」の語については、『デジタル大辞泉』、および『大辞林』第三版は「阿耨多羅三藐三菩提の略。 」と、『広辞苑』第六版では「完全な悟り。」と語釈しています。
多屋頼俊、横超慧日・舟橋一哉 編 『仏教学辞典』 法藏館、新版、p.410「菩提」に、「仏・縁覚・声聞がそれぞれの果において得られる悟りの知恵をいい、この三種の菩提のうち、(略)」とあります。
「声聞菩提・独覚菩提・仏菩提を三菩提といい、このうち仏菩提は」という記述から、「声聞菩提・独覚菩提・仏菩提の3種の菩提のうち、仏菩提は」と変更しました。--Resto1578会話) 2017年7月31日 (月) 02:26 (UTC)・(修正)--Resto1578会話2017年7月31日 (月) 02:40 (UTC)[返信]
報告 声聞菩提・独覚菩提・仏菩提の独覚菩提を「縁覚菩提」に変えて大正新脩大蔵経テキストデータベースをサーチしたところ、中国撰述の「華嚴經探玄記」というのに、三菩提(説)というのがあって……、五菩提(説)というのがあって……、という記述がみつかりました。通常、お茶漬けといえば永谷園というのと同じで、菩提といえば成仏、仏の菩提を指しますから、そういう異説・見解もあるというレベルの記述です。菩提を成仏や仏の菩提とするのも通説とは言い切れない暗黙の了解のレベルです。それをさも、声聞菩提・独覚菩提・仏菩提という三種の菩提があるのだと断定して、しかも仏菩提を無上正等覚とするというのは、出典を標的にした「Wikipedia:荒らし#分かりにくい荒らし」にほかなりません。利用者:Resto1578 は Leonidjp のソックパペットではありませんか? --118.83.141.253 2017年8月1日 (火) 18:31 (UTC)[返信]
>>三菩提(説)というのがあって……、五菩提(説)というのがあって……、という記述がみつかりました。通常、お茶漬けといえば永谷園というのと同じで、菩提といえば成仏、仏の菩提を指しますから、そういう異説・見解もあるというレベルの記述です。菩提を成仏や仏の菩提とするのも通説とは言い切れない暗黙の了解のレベルです。
コメント この引用した部分の全体が、信頼できる二次資料において未発表の説なので独自研究です。(説)という具合に丸括弧で「説」の一字を書き加えているのも、要するに何をしたいがための処理なのか不明ですが、原文に無い字なら勝手に付けたら駄目に決まっています。
>>声聞菩提・独覚菩提・仏菩提という三種の菩提があるのだと断定して、しかも仏菩提を無上正等覚とするというのは、出典を標的にした「Wikipedia:荒らし#分かりにくい荒らし」にほかなりません。
コメント ちょっと何を仰っているか分からないですね。--Leonidjp会話2017年8月4日 (金) 11:17 (UTC)[返信]
報告 今日までに、この#三菩提についての節にて提案の提出および議論への参加を行ってきた複数のIP利用者は、すべて投稿ブロックされました(各署名のIPアドレスのリンク先参照)。#三菩提についての節冒頭にて提出されている除去提案に賛同する人は、投稿ブロックされた提案者自身のみです。--Leonidjp会話2017年8月6日 (日) 06:49 (UTC)[返信]

編集の理由説明

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編集理由が編集要約欄に入りきらないときは、ここに記入しておきます。

2017/08/11

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下記の記述は特別:差分/64851580によりコメントアウトされていましたが、後述のように内容自体に問題があることが、数週間以上前から指摘されていました。これらの指摘に対する対応がなされなかったので、このたび菩提から削除しました。

サンスクリット語の ボーディ(bodhi)には「賢い」、「学ばれた」という形容表現がある<ref>[http://spokensanskrit.de/index.php?tinput=bodhi&direction=SE&script=HK&link=yes&beginning=0 बोधि (bodhi)] - Spoken Sanskrit Dictionary.</ref>。漢訳で「菩提」ではなく「覚」と意訳する新訳も出現したが、「覚」と訳出された他のサンスクリット語が十種類以上あるため<ref>『仏教漢梵大辞典』 平川彰編纂 (霊友会) 「覺」 1062頁。</ref>、訳の新旧や傾向、または前後の文脈から bodhi の訳であることを特定するしかない。なお、「草葉の陰」という表現は、[[墓場]]の下や菩提<ref name="bodai" />の意味とするのは誤りではないが、草の葉陰、くさかげの意味とされている<ref name="kusaba">[http://kobun.weblio.jp/content/%E8%8D%89%E8%91%89%E3%81%AE%E9%99%B0 草葉の陰] - Weblio古語辞典(学研全訳古語辞典)。</ref>。
  • 2017年7月7日指摘 spokensanskrit.deの各ページは単語の語源を表示していないだろうから、この文を「語源」の節に置くのはそぐわないだろう。
  • 2017年5月5日 (金) 01:41指摘 「訳の新旧や傾向、または前後の文脈から bodhi の訳であることを特定するしかない。」について
    • これは翻訳に関する執筆者の随想を書いたものにすぎない。翻訳におけるこのような総合的判断を披露するには出典が必要。
  • 2017/07/07指摘 「草葉の陰」について
    • 「草葉の陰を菩提の意とするのは誤りではない」という記述の出典が明らかでない。ref name=bodaiには、草葉の陰や墓場の下という記述は無い。後続のref name=kusabaには菩提のことが書いてない。

以上。--Leonidjp会話2017年8月11日 (金) 01:08 (UTC)[返信]

報告 ただし、仏教漢梵大辞典を出典としたこの文のみは、一応出典があるので復元しておきます。出典に忠実かどうか疑問があるので要検証タグ付きとします。この辞典が手近にあるかたが検証してみてください。spokensanskrit.deは辞典としての信頼性がよくわからないので復元しません。

漢訳で「菩提」ではなく「覚」と意訳する新訳も出現した<ref name="仏教漢梵大辞典1062" />{{要検証|date=~~~~~|title=}}。ただし、「覚」と訳出された他のサンスクリット語は十種類以上ある<ref name="仏教漢梵大辞典1062">『仏教漢梵大辞典』 平川彰編纂 (霊友会) 「覺」 1062頁。</ref>{{要検証|date=~~~~~|title=}}。

以上。--Leonidjp会話2017年8月11日 (金) 01:16 (UTC)[返信]