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ノート:菩提心

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リダイレクト化の提案

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提案  菩提心の現在の版には4段落あり、このうち出典が備わっているのは2,4段落のみで、4段落目は半分以上が菩提#菩提心と重複しています。従って、菩提心の2,4段落目の内容を菩提#菩提心にも記入すれば、菩提心のうち出典のある記述がすべて菩提#菩提心と重複することになり、Wikipedia:ページの分割と統合#注意事項に「2つのページが全く同じ情報しか含んでいない場合 → 統合するまでもありません。一方をリダイレクトにしてください。」と示されているガイドラインに従って菩提心菩提#菩提心へリダイレクトできます。7日待って反対意見がなければ、このとおりの処理をしてから菩提心菩提#菩提心へのリダイレクトとします。

なお、菩提心の現在の版で出典が無い段落も、もし出典が有るなら出典を備えた上で菩提#菩提心に記入されればよく、菩提心を現状の分量のままで菩提と別記事にしておく必要はないと思います。--Leonidjp会話2017年7月7日 (金) 03:21 (UTC)[返信]

上記提案から七日経ちましたが反対意見がありませんでした。上記提案のとおりに処理します。--Leonidjp会話2017年7月13日 (木) 11:31 (UTC)[返信]

「菩提」と「菩提心」を同一のページにすることは、「菩提」と「菩提薩埵」を同一ページで記述するに等しい(詳しくはページ本文)。儀軌解釈を超えた宗論レベルの記述になりかねないが、大過なく出典がとり揃ったので元に戻させてもらう。日本の仏教界を見下す 利用者:Leonidjp にとっても望ましことのはず。--118.83.141.49 2017年7月26日 (水) 18:17 (UTC)[返信]
>>「菩提」と「菩提心」を同一のページにすることは、「菩提」と「菩提薩埵」を同一ページで記述するに等しい(詳しくはページ本文)。
コメント これについては#2017/07/27-1にてその独自研究性を指摘しました。--Leonidjp会話2017年7月27日 (木) 01:54 (UTC)[返信]
コメント 菩提心菩提へのリダイレクトとされるか、あるいは独立記事として存在させるかは、比較的些末な問題であり、私としてはそのどちらでも構いません。ただしいずれにしても、出典のないもの、独自研究であるものが記事に載ることは些末な問題ではありませんので、必要に応じて問題を指摘します。--Leonidjp会話2017年7月27日 (木) 03:50 (UTC)[返信]

問題点の指摘

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2017/07/27-1

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IP利用者の編集により付け加わった(参照)、下記の記述について。

なぜ論議されるかというと、菩提心の 菩提(bodhi)と心(citta)は所有格・被所有格的な複合語ではなく、菩提を求める有情(衆生)の意とされる[[菩提薩埵]](bodhi-sattva)と同様に対格的な名詞句であるためで、従って菩提の心といった意味とはなり得ず、発菩提心という場合も菩提から発せられる心ではなく、菩提を求める心を発するという意味となるからである<ref>[http://samadhi.dharma.tw/Bodhicita/Bodhi.htm 菩提心相] 《貳》文殊師利問菩提經。</ref>。
  • この文末の出典(中国語ウェブページ)には、所有格、被所有格、複合語、対格、名詞、衆生という単語がない。有情も一回だけ出て来るに過ぎず(為一切有情。)、しかもそれは「菩提」や「心」や「菩提薩埵」とは別の文に存在している。従ってこの出典のみでは、有情と、〈菩提心/菩提/心/菩提薩埵〉との関係性については何も分からない。bodhiやcittaについての言語学的解説も、上述のとおりこの出典には書かれていない。従ってこのウェブページは、この段落の出典としては無効。

--Leonidjp会話2017年7月27日 (木) 01:37 (UTC)[返信]

  • 問題点の指摘を追加。上述の「従って菩提の心といった意味とはなり得ず(中略)なるからである」という部分は、その「従って」という主張を導く論拠部分が上述のとおり無出典(文末の中国語ウェブページに載っていない)なので、独自研究に該当している。

--Leonidjp会話2017年7月27日 (木) 01:52 (UTC)[返信]

編集した。出典の記述内容をわかりやすくするため、独自表現的になった面は認めるが、内容的に独自研究にまで踏み込んだものではない。--118.83.139.132 2017年7月27日 (木) 19:11 (UTC)[返信]
>>編集した
コメント IP利用者はこのように「編集した」と述べていますが、何も変わっていません(差分)。この差分の8行目を見れば明らかなとおり、htmlタグだけが書き換えられたにすぎません。従いまして、上述のとおり指摘されている独自研究性は今も全く解消しておりません。
>>出典の記述内容をわかりやすくするため、独自表現的になった面は認めるが、内容的に独自研究にまで踏み込んだものではない
コメント この箇所の記述が「独自研究である」ことの論拠は上述のとおり2017/07/27 1:52(UTC)に具体的に示されているのだから、それをIP利用者が具体的に否定できないかぎり、IP利用者はこの記述を「独自研究ではない」と主張することはできません。「内容的に独自研究にまで踏み込んだものではない」という上述のIP利用者の言明は、当人の考えている結論のみをそのまま表明したものにすぎず、このような結論を導く具体的なロジックは全く開示されておりません。従いまして、「内容的に独自研究にまで踏み込んだものではない」というこの主張は論拠の無い主張です。--Leonidjp会話2017年7月28日 (金) 01:19 (UTC)[返信]
下線部追記。--Leonidjp会話2017年7月28日 (金) 04:27 (UTC)[返信]
報告 上記7/28から1週間経ちましたが、この問題点は解決していません。--Leonidjp会話2017年8月4日 (金) 11:42 (UTC)[返信]
報告 ここで指摘されている問題点に対する具体的な対応がなされていません。この箇所は上述のとおり、信頼できる二次資料において未発表の説ですので独自研究に該当しています。記事から除去しました。--Leonidjp会話2017年8月14日 (月) 04:31 (UTC)[返信]

2017/07/27-2

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IP利用者の編集により付け加わった(参照)、下記の記述について。

発菩提心は[[大乗仏教]]では(往相)阿耨多羅三藐三菩提心<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『大乘悲分陀利經』 (T0158_.03.0254a21: ~): 令發阿耨多羅三藐三菩提心。其有先發菩提心者。令不退轉阿耨多羅三藐三菩提。</ref>、[[上座部仏教]]で主流を成した従三十三天降下説では三道宝階(three parted Sankassa)に於いてであるとする<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『大乘本生心地觀經(般若譯)』 (T0159_.03.0294a06 ~ T0159_.03.0294b01): 釋迦菩薩於往昔時作光明王。最初發於阿耨多羅三藐三菩提心。乃至菩提樹下得成佛道。……(中略)……。安達羅國曲女城邊昇忉利天爲母説法共梵天王及天帝釋十二萬衆從三十三天現三道寶階下閻浮時神異寶塔。</ref>。
  • 脚注1個目について。脚注(=出典)内には往相の語はない。この部分の述語は「に於いてであるとする」であろうが、「於いて」に相当する語句も出典内には無かろう。信頼できる二次資料において未発表の説であるから独自研究。
  • 脚注2個目について。三道宝階と菩提心(阿耨多羅三藐三菩提心)は脚注内(=出典)において別々の文に属しているので、三道宝階と阿耨多羅三藐三菩提心との関係はこの出典のみでは分からない。信頼できる二次資料において未発表の説ゆえ独自研究。

--Leonidjp会話2017年7月27日 (木) 01:37 (UTC)[返信]

他の出典を加えて編集した。出典の記述内容をわかりやすくするため、独自表現的になった面は認めるが、内容的に独自研究にまで踏み込んだものではない。--118.83.139.132 2017年7月27日 (木) 19:11 (UTC)[返信]
報告 この箇所はIP利用者の編集により、下記のように変わりました(ただしpdfのURLは後述の通り修正してあります。URLとして無駄な文字列を除くため)。新規に発生した問題点と、未だ解消していない問題点を示しておきます。独自研究が大量に書き込まれていることが分かります。
これは菩提と心は別儀のものであることを意味するが、なぜ菩提を求める心を発する必要があるかについては、菩提と心が離相するからであると捉えられ<ref name="bo"/>、菩提心を発するの(発菩提心)は[[大乗仏教]]では(往相)阿耨多羅三藐三菩提心<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『大乘悲分陀利經』 (T0158_.03.0254a21: ~): 令發阿耨多羅三藐三菩提心。其有先發菩提心者。令不退轉阿耨多羅三藐三菩提。</ref>、[[上座部仏教]]でいうところの(天帝釋十二萬衆)三道宝階{{efn|三道宝階(three parted Sankassa)は上座部で主流を成した従三十三天降下説でいう。[http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/48124/1/mra_011_029A.pdf 「従三十三天降下」図の図像] - 待兼山論叢 美学篇11 29-48頁 [[肥塚隆 (美術史学者)|肥塚隆]] 1978年。※処々説明できない事象が出てくるため、大乗仏教は西洋の天路遍歴風の儀軌をとったとみられる。}}が儀軌(令)であるとする<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『大乘本生心地觀經(般若譯)』 (T0159_.03.0294a06 ~ T0159_.03.0294b01): 釋迦菩薩於往昔時作光明王。最初發於阿耨多羅三藐三菩提心。乃至菩提樹下得成佛道。……(中略)……。安達羅國曲女城邊昇忉利天爲母説法共梵天王及天帝釋十二萬衆從三十三天現三道寶階下閻浮時神異寶塔。</ref>。『[[華厳経]]』『[[大般若波羅蜜多経]]』などでは菩薩[[十地]]の初地を以って発菩提心としているが{{要出典|date=2017年7月27日 (木) 01:16 (UTC)|title=}}、いずれにしても、日常語として用いられる場合とは意味を含めて様相を違える仏教語である。
  • (新規)「これは菩提と心は別儀のものであることを意味するが、なぜ菩提を求める心を発する必要があるかについては、菩提と心が離相するからであると捉えられ」という記述について。
    • これの出典はref name="bo"、つまり https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/1948/4/1948_4_13/_pdf であるが、このpdfには、別儀という語は含まれていない(全文検索しても「別儀」はヒットしない)。「離相」は14件ヒットするが、何ページの記述が出典なのか不明なので、執筆者たるIP利用者がみずからページ番号を必ず明記すべき。
  • 菩提心を発するの(発菩提心)は大乗仏教では(往相)阿耨多羅三藐三菩提心」という記述について。
    • その出典たる脚注内には往相の語はない。
    • (新規)この部分の述語は「が儀軌(令)であるとする」であろうが、「儀軌」と「令」との関係性については、いずれの脚注内の漢文およびpdfにも記されていない(=無出典ゆえ独自研究)。「儀軌(令)」という丸括弧の意味も不明瞭。
      • (新規)なお、中盤の注釈内に「※処々説明できない事象が出てくるため、大乗仏教は西洋の天路遍歴風の儀軌をとったとみられる。」とのIP利用者の持論が書いてあるが、その論拠であるらしいpdf http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/48124/1/mra_011_029A.pdf で「大乗仏教、西洋、天路遍歴、儀軌」の4語を検索してもヒットしない(=これらの語はこのpdfに含まれていない)。従って、この「大乗仏教は西洋の天路遍歴風の儀軌をとったとみられる。」という主張自体も無出典の独自研究であることが確認できる。
  • (新規)「上座部仏教でいうところの(天帝釋十二萬衆)三道宝階(三道宝階(three parted Sankassa)は上座部で主流を成した従三十三天降下説でいう。)」の部分について。
    • その出典であるらしいpdf http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/48124/1/mra_011_029A.pdf には、上座部仏教、天帝釋十二萬衆、主流の語が含まれていない(=全文検索でヒットしない)。従って、「三道宝階は上座部で主流を成した従三十三天降下説でいう」という主張も無出典の独自研究であることが確認できる。
    • こちらも、このpdfの何ページを当記事の出典として設定したいのか不明。
  • (新規)前半の「菩提心を発する」のところから後半まで読み進めていくと、「菩提心を発するの(発菩提心)は(中略)上座部仏教でいうところの(天帝釋十二萬衆)三道宝階が儀軌(令)であるとする」という文意が存在している。これについて。
    • 上述のとおり、上座部仏教の語は無出典。従って、上座部仏教へのこのような言及は、信頼できる二次資料において未発表の説ゆえ独自研究。
    • 天帝釋十二萬衆と三道宝階は別々の出典に存在している(前者は脚注内の漢文、後者は別のpdfの本文にある)ため、この2語の関係性は現状では不明。従って、「(天帝釋十二萬衆)三道宝階」のように並べて書くことがなぜ正しいのか不明。この並べ方は、信頼できる二次資料において未発表の説ゆえ独自研究。
    • 「三道宝階」の出典たるpdf http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/48124/1/mra_011_029A.pdf には、儀軌や令の語は無いのだから、「三道宝階が儀軌(令)であるとする」という主張は無出典ゆえ独自研究
    • 「三道宝階」の出典たるpdf http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/48124/1/mra_011_029A.pdf には、菩提心や発菩提心の語は無い(=全文検索にヒットしない)。従って、現状の出典に基づくかぎりは、菩提心や発菩提心と「三道宝階」の関係性は全く不明なのであるから、上述のように「菩提心を発するの(発菩提心)は(中略)上座部仏教でいうところの(天帝釋十二萬衆)三道宝階が儀軌(令)であるとする」などとは決して言えない。信頼できる二次資料において未発表の説ゆえ独自研究。
    • 菩提心や発菩提心と、「儀軌」・「令」との関係性については、いずれの脚注内の漢文およびpdfにも記されていない。無出典ゆえ独自研究。
      • 脚注2個目に漢文で「令發阿耨多羅三藐三菩提心。」および「令不退轉阿耨多羅三藐三菩提。」と書いてあるのが「令」の唯一の出典であるにすぎず、この「令」という字の意味が何であるかについて説明している二次資料は挙げられていない。
このように、無出典・独自研究が多数含まれています。IP利用者はこのようなものを記入していながら、本人の自己評価としては、
内容的に独自研究にまで踏み込んだものではない。
と言っていますね(上記2017/07/27 19:11(UTC))。とんでもありません。これは独自研究だらけです。--Leonidjp会話2017年7月28日 (金) 04:03 (UTC)[返信]
>>編集した
コメント あなたはpdfのURLを示すときに無駄な文字列が多すぎる。あなたの示したpdfのURL(参照)は要するに http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/48124/1/mra_011_029A.pdf のことなのだから、この前後の余計な文字列は要らないし、Yahooを通じてアクセスさせるこのような形式にしておくと、Yahooのシステムがもしも変わったらリンク切れになってしまう。この種の煩瑣な修正を他人にやらせる結果を招かぬよう自分で最初から正確なURLを示してほしい。pdfのタイトルでウェブ検索してURLをつきとめればよいのであって、それがYahooでできないなら他の検索サイトでやればよいこと。--Leonidjp会話2017年7月28日 (金) 04:03 (UTC)[返信]
報告 上記7/28から1週間経ちましたが、この問題点は解決していません。--Leonidjp会話2017年8月4日 (金) 11:42 (UTC)[返信]
報告 ここで指摘されている問題点に対する具体的な対応がなされていません。この箇所は上述のとおり、信頼できる二次資料において未発表の説ですので独自研究に該当しています。記事から除去しました。--Leonidjp会話2017年8月14日 (月) 04:25 (UTC)[返信]